何で読んだか忘れてしまった上、ネット検索でも出てきませんが、私の記憶が正しければ確か和算家にはこんな感じの逸話もあった筈です。
- とある大名が和算家に「好きなだけ褒美をとらせる」と宣言した。
- そこで和算家は「ならば将棋盤の最初のマスに米粒1つ、次のマスに2つといった具合に増やして最後のマスまで埋めて頂けますか」と提言する。
Q:普通に炊いた場合のご飯一粒は、何gですか?
A:10gのご飯に500粒入っていると考えて、0.02gすなわち20mgです。
- 大名は「何と謙虚な」と呟いたが、和算家は笑って「いえ、ここは「何と貪欲な」と一喝して退けねばなりません」と釘を刺した。確かに「等比級数(geometric series)」演算を行うと、最後の81番目のマスに置かれる米の分量は飛んでもない分量になるのである。
今井政吉「油断のならぬ現象(露西亜評論‐大正八年(1919年)七月号)」における使用例「一人から二人、二人から四人、四人から八人といふ風に幾何級数的に伝播する」
今回はこの「飛んでもない分量」の可視化に挑戦していきたいと思います。
要するに
- 初期値0.02g
- 将棋のマス目の数(9*9=81)だけ2倍する。
という条件設定。現在独習中の統計言語Rでグラフ化を試みます。
#統計言語Rを使ってのデータ化
Amount_of_Squares=0.02
for(i in 2:(9*9)){
Amount_of_Squares<-c(Amount_of_Squares,rev(Amount_of_Squares)[1]*2)
}
#Rは小さい数字と大きな数字を同時に扱わせるとゴミしか表示してくれない。
Amount_of_Squares#そこで表示に際して有効桁数を明示する。
sprintf("%.2f",Amount_of_Squares)
#グラフ化
plot(c(1:(9*9)),Amount_of_Squares,xlim=c(1,(9*9)),ylim=c(0,25000000000000000000000),type="l",main="From a grain to the warehouse", xlab="Squares", ylab="Amounts")
#Y軸の目盛りにはゴミしか表示されないのでとりあえず省略。
plot(c(1:(9*9)),Amount_of_Squares,xlim=c(1,(9*9)),ylim=c(0,25000000000000000000000),type="l",yaxt="n",main="From a grain to the warehouse", xlab="Squares", ylab="Amounts")#こういうケースでは「対数目盛り」を使用するという手も使える。
plot(c(1:(9*9)),Amount_of_Squares,xlim=c(1,(9*9)),log="y",type="l",yaxt="n",main="From a grain to the warehouse", xlab="Squares", ylab="Amounts")
#このケースではゴミ表示不可避なのでY軸の目盛り省略plot(c(1:(9*9)),Amount_of_Squares,xlim=c(1,(9*9)),log="y",type="l",yaxt="n",main="From a grain to the warehouse", xlab="Squares", ylab="Amounts")
*「対数目盛り」については以下などを参照。
*この「ゴミ表示」についてはそのうち別途解説予定。
それでは「24,178,516,392,292,583,997,440g=約24,178,516,392,292,583,997kg=24,178,516,392,292,584t」とは具体的にどれくらいの分量なのでしょう?
現在は質量の単位としては「担」、体積の単位としては「石」と書く。
- 米の1石は下位単位では10斗にあたり、同じく100升、1,000合に相当する。日本では、1食に米1合、1日3合がおおむね成人一人の消費量とされているので、1石は成人1人が1年間に消費する量にほぼ等しいと見なされ、示準として換算されてきた(1000合/1日3合で333日分)。面積を表す日本の単位である反は、元は米1石の収穫が上げられる田の面積として定義されたものであった。また容積単位としての石は、10立方尺を指す。例として材木の材積を示す場合、1石は「1尺×1尺×10尺」である。下位単位の1立方尺は才。1952年(昭和26年)の計量法により尺貫法の使用が禁止され、公式には使われなくなった。現在は、材木取引など一部の商慣行に残るのみである。
古代中国においては質量の単位であったが、日本ではもっぱら体積の単位としてのみ用いられた。
中国の「石」
本来「セキ」と読み、質量の単位であった。『孔叢子』に「鈞四謂之石(4鈞を石という)」、『淮南子』に「四鈞為一石(4鈞で1石を為す)」とあり、1鈞は30斤なので1石は120斤となる。例えば、漢代の斤は約258グラムであったので、1石は約31キログラムとなる。
- 『漢書』律暦志では、体積の単位としては「斗」の10倍の「斛(コク、hú)」があり、一方質量の単位としては「斤」の120倍の「石(セキ、shí)」があった。しかし、「石」を体積の10斗の意味で使った例が『史記』など古代の文献にも見られる。
- 宋代には体積の単位として10斗が1石、5斗が1斛と定められ、以降、中国において「石」と「斛」は別の単位となった。
- 近代にはこれとは別に天秤棒を意味する「担(擔)」が単位として使われるようになり、これが「石」と混同して使われるようになった。現在の中国の市制では体積に「石(= 10斗、100L)」、質量に「担(= 100斤、50kg)」の字を使用するが、どちらも発音は「担」に由来する「dàn」である。
- かつて、香港において120斤の「石」が英語で stone と直訳されていたことがあった。ヤード・ポンド法の質量単位に同音同綴異義語であるストーンがあるが、香港の尺貫法の石は72.5747784キログラム(=160ポンド)、ヤード・ポンド法のストーンは約6.4キログラム(=14ポンド)と、その値は大きく異なる。
ただし「斛」は現代の中国では使われていない。
日本の「石」
文字としては「石」を書くが、発音は「斛」に由来する「コク」を使用する。
- 新京枡に統一された近世初期の寛文9年(1669年)に現在と同じ容量となった。 現行の新京枡における1升は、縦横0.49尺、深さ0.27尺で0.064827立方尺(=0.49尺×0.49尺×0.27尺)であり、よって、1石は6.4827立方尺となる。船の積載量や木材の体積を表すときには、1石=10立方尺(約278リットル)としている。
- 明治時代を迎え、米1俵が4斗と規定されて、2.5俵が1石となった。またメートル法を採り入れるにあたっては、日本では明治19年(1886年)の条約批准後、メートルを基準にして「1升=約1.8039リットル」と定められ、よって「1石=約180.39リットル」ということになった。
中世末期から近世の終わりにかけての日本では、土地の総合的生産力を石に換算した数量が「石高」として明示されており、これは地域ごとの勢力や領地の大きさを表す指標ともなっていた。石高の差は、戦時の動員力や経済力の優劣に関わるものであった。
*そして時代の要請は「キログラム原器」廃止の方向へ…
すなわち「石(成人一人の一年あたりの米消費量=180リットル=180kg)」に換算すると「約134,325,091,068,292,137万石(134,325,091,068,292,136,960石)=のべ134京(Peta)人扶持」と、当時の江戸幕藩体制で最大の大名だった加賀前田家の金沢藩(120万石)はおろか主幹たる徳川幕府の財力を遥かに凌駕する規模に跳ね上がってしまうところだったんですね。
*というか普通に現代の世界の総人口(2017年時点で75.3億人)すら余裕で超えちゃっている。
何が凄いって、この規模の数字になると現代のコンピューターでも扱い切れず表示がボロボロになってしまう辺り…
【追伸】どうやらインドの説話辺りが元ネタで「将棋盤問題」が正式名称らしい?
当初の増え方から見ると、とても想像できないような大きな数を導き出すことができる点から、古くから様々な話に登場する。
例えば、「新聞紙を26回2つ折りにすると、富士山より高くなる」という話がある。計算上は 226 = 67108864 であるから、厚さ0.1mmの紙を26回折り曲げると約6710mとなり、富士山の標高(約3776m)を超える。当然ながら、実際には8回ほど折り曲げたところで限界となるため、紙を何度も折り曲げるのは物理的に実行不可能であるが、「新聞紙を2等分に切り、それを重ねる」を繰り返すことはある程度可能である。
別の例に「将棋盤問題」というものがある。古代のインドのセーラムという王の家来、セッサ・イブン・ダヘルがチャトランガ(将棋やチェスの原型となったとされるゲーム)を発明した時、王はこれを喜び、望むだけの褒美を取らせる、と言った。この時の彼の希望は、「盤の最初の升目に一粒の小麦を置き、二升目には二粒、三升目には四粒と増やしていって、最後の升目の分だけを頂きたい」というものであった。この数は、2の63乗であるが、実際の小麦として計算すると、世界の小麦生産高の2500年分を越えるという。日本においては曽呂利新左衛門(初代)が豊臣秀吉から褒美を何にするか問われ、今日は米1粒、翌日には倍の2粒、その翌日には更に倍の4粒と、日ごとに倍の量の米を100日間もらう事を希望したという逸話がある。また、漫画『ドラえもん』に登場する「バイバイン」は、栗饅頭を2の累乗数に増やす架空の薬品の話である。このバイバインに対する考察を山本弘が行っており、エッセイ集『宇宙はくりまんじゅうで滅びるか?(2007年、河出書房新社、ISBN 978-4309018294)』を上梓している。倍増を繰り返す変化を扱ったものには「1秒毎に倍増する微生物」の話がある。これは「1秒毎に倍増する微生物を箱に1つ入れると、ちょうど30分後に箱がいっぱいになった。箱の半分になっていたのは、いつのことか?」というような問いかけの形で提示される。1秒で倍になるのだから、箱いっぱいになった時刻(開始30分後)の1秒前である「開始29分59秒後」には箱いっぱいの半分(要するに箱の半分)になっていたということで、これが正解なのだが、対数的思考に不慣れな人は、15分や20分といった答えを想像し、29分59秒という正解に驚くのである。
豊臣秀吉に御伽衆として仕えたといわれる人物。落語家の始祖とも言われ、ユーモラスな頓知で人を笑わせる数々の逸話を残した。元々、堺で刀の鞘を作っていて、その鞘には刀がそろりと合うのでこの名がついたという(『堺鑑』)。架空の人物と言う説や、実在したが逸話は後世の創作という説がある。また、茶人で落語家の祖とされる安楽庵策伝と同一人物とも言われる。
茶道を武野紹鴎に学び、香道や和歌にも通じていたという(『茶人系全集』)。『時慶卿記』に曽呂利が豊臣秀次の茶会に出席した記述がみられるなど、『雨窓閑話』『半日閑話』ほか江戸時代の書物に記録がある。本名は杉森彦右衛門で、坂内宗拾と名乗ったともいう。
- 秀吉が、猿に顔が似ている事を嘆くと、「猿の方が殿下を慕って似せたのです」と言って笑わせた。
- 秀吉から褒美を下される際、何を希望するか尋ねられた新左衛門は、今日は米1粒、翌日には倍の2粒、その翌日には更に倍の4粒と、日ごとに倍の量の米を100日間もらう事を希望した。米粒なら大した事はないと思った秀吉は簡単に承諾したが、日ごとに倍ずつ増やして行くと100日後には膨大な量になる事に途中で気づき、他の褒美に変えてもらった。
- 御前でおならをして秀吉に笏で叩かれて、とっさに「おならして国二ヶ国を得たりけり頭はりまに尻はびっちう(びっちゅう)」という歌を詠んだ。
- ある時、秀吉が望みのものをやろうというと、口を秀吉の耳に寄せた。諸侯は陰口をきかれたかと心落ち着かず、新左衛門に山のような贈物を届けたという。
大阪府堺市堺区市之町東には新左衛門の屋敷跡の碑が建てられており、堺市内の長栄山妙法寺には墓がある。没年は慶長2年(1597年)、慶長8年(1603年)、寛永19年(1642年)など諸説ある。
なるほど、落語の起源譚だったりもする訳ですか…そういえば近松門左衛門や井原西鶴といった江戸時代初期の作家は中国やインドの説話を、翻案しつつせっせと日本に輸入した事で知られてますね。