諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ゆらゆら帝国】まさか次に挙げられたりして…

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やはり予想通り、このサイトで繰り返し引用を続けてきたYoutube上の電気グルーブモノノケダンス(2008年)」はSony Musicからの要請で消されてしまいました。またほんの少し世界が狭くなった気分…

Dailymotionで「On Yoyr Mark(1995年)」が生き延びるみたいな危機回避が今回は間に合わなかった?


まぁ「人間の認識対象外を跋扈する絶対他者」なんて追い求めてれば、こうした展開は日常茶飯事な訳ですが…私の直感は「次はゆらゆら帝国辺りが危ない」と告げてたりするのですね。

原則として日本のハードロック界隈は割と手堅くしぶとく健全に生き延びてるイメージがあるのですが、ゆらゆら帝国はまた特別…


こんな曲演ってると…

その一歩向こう側はもう、この世界ですからね。

*曲がり角は「ティモシー・リアリーの転向」辺りだったとも。 

*まさしく、これまで述べてきた「事象の地平線としての絶対他者を巡る①黙殺/拒絶②混錯③受容しきれなかった分の切り捨てのサイクル」そのもの。

 *当時からそういう発想はあったが…1990年代に当事者高齢化の為に脱落。

* 実はウンベルコ・エーコ薔薇の名前(Le Nom de la Rose、1980年)」や「サスペリア」リメイク版が扱ってるのが、この辺りの話とも…要するに「まだイデオロギーの為に死ねるか」問われた最後の世代?

そこをかろうじて踏みとどまったのがBritish Beatの歌詞世界…

まぁ、セックス・ピストルズSex Pistols、1975年〜1978年)の伝説のベーシストたるシド・ヴィシャスの死に様を考えると本当に紙一重感が…

セックス・ピストルズ(Sex Pistols、1975年〜1978年) - Wikipedia

1970年代半ばのロック・シーンは、ハードロックとプログレッシブ・ロックが二大主流で、超絶技巧のギターテクニックや、初期の高価なシンセサイザーやスタジオ録音技術を駆使する「スーパー・バンド」とロックファンの間には溝が生まれつつあった。

当時、ロンドンのキングス・ロードで『SEX』というブティックを経営していたマルコム・マクラーレンは、店に出入りしていた不良少年のスティーヴ・ジョーンズとポール・クックが結成したアマチュアバンドに目をつけた。それに積極的に介入し、当時『SEX』の店員だったグレン・マトロックと、オーディションで選んだジョニー・ロットンを加入させ、1975年11月にバンドの形を整えさせた。彼らは貸しスタジオで練習を重ね、セックス・ピストルズという名前でライブデビューした。

  • シンプルなロックンロール、反体制的な歌詞、斬新なファッション、メディアを意識したスキャンダルの濫発によりすぐに注目された。しかし保守層からは敵視され、演奏会場では中止運動が頻繁に起こった。

  • 当時としては反動的でシンプルなギターコード、イギリス政府・イギリス王室・EMIのような体制や権威をこき下ろす歌詞、短い髪をツンツンに立てたり破れた服を安全ピンで留めるといった斬新なファッション、メディアでのインタビューで「shit」「fuck」「cunt」を連発するというスキャンダルにより注目された。

  • ボーカルのジョニー・ロットンは「アナーキー・イン・ザ・U.K.」で、「俺は反キリスト者アナーキスト」と叫び、破壊思想を流布するとして当局から監視された。元MI5(英国機密情報局)部員が後に証言したところによると、MI5のテロリストやスパイの監視を行う部署に『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』というタイトルの付いたファイル群があり、その膨大な書類はすべてピストルズに関するものだったという。しかし、ピストルズは左翼のみに支持されたわけではなく、「ボディーズ」はイギリスの保守ソングのランキング10位内にランクインしている。

  • 安全ピンや、髪をツンツンに立てるといったファッションは、元々リチャード・ヘルテレヴィジョンやハートブレイカーズの創設メンバー)が行っていたものをマルコム・マクラーレンが採り入れたと言われているが、ジョン・ライドンの自伝ではピストルズ加入以前から短髪を緑色に染めたり、父親に買ってもらったスーツをカットして安全ピンでつなぐなどしていたと記述されている。

その後大手レーベルのEMIと契約し、シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K./アイ・ワナ・ビー・ミー」をリリースするが、テレビで放送禁止用語を連発したことが問題となり契約を破棄された。結果としてバンドは巨額の違約金を手に入れた。

  • 1977年にベーシストのグレン・マトロックが、ジョニー・ロットンとの不和などの理由で脱退。後継ベーシストとして、古くからロットンと親しかったシド・ヴィシャスが採用された。このシドの加入で、ピストルズはよりスター性のあるバンドとなった。しかし、作曲面における功績が大きかったグレンの脱退はバンドの将来に暗い影を落とすことになった。

  • EMIとの契約破棄後はA&Mレコードと契約したが、シングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン/分かってたまるか」の発売直前に破棄された。またしてもバンドは巨額の違約金を手に入れた。

  • 最終的にヴァージン・レコードと契約し、エリザベス女王在位25周年祝典の日にテムズ川のボートでゲリラライヴを行い、英国国歌と同名の曲「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を演奏し逮捕された。このプロモーションの成果は上々で、全英シングルチャートで最高2位(NMEチャートでは最高1位)を記録した。ただし、ジョニー・ロットンとポール・クックが右翼に襲われて重傷を負う事件が発生し、バンド活動はしばらく停滞した。

1977年10月唯一のオリジナル・ファースト・アルバム『勝手にしやがれ!!』を発売。このアルバムは「ロキシー・ミュージック」「ピンク・フロイド」「ポール・マッカートニー」などを手掛けた音楽プロデューサー、クリス・トーマスによってプロデュースされた。

  • マルコムはアルバムの販売権をヴァージン・レコードに独占させず、フランスの会社に1曲多い盤の製作を許可するなどの揺さぶりをかけた。米国では大手のワーナー・ブラザース・レコード、日本では当時ヴァージンと提携していた日本コロムビアから発売された。

  • 1978年ワーナーの企画により、初のアメリカツアーを決行。保守的なアメリカ南部からツアーを始めたが、そのツアー中に崩壊へと向かう。同1月14日アメリカツアーの最中(サンフランシスコ、ウインターランド公演後)に、もはや嫌気がさしていたジョニー・ロットンはバンドを脱退。急遽アメリカツアーは中止され、実質上バンドの終焉となった。

脱退後のジョニー・ロットンは本名のジョン・ライドンに戻し、自ら率いるポストパンク・バンド「パブリック・イメージ・リミテッド」結成に向かった。

1986年、アレックス・コックス監督映画「シド&ナンシーSid And Nancy)」公開。「トレインスポッティングTrainspotting、1996年)」と並ぶパンク・ムーブメントの金字塔とされる。

1996年、「俺達には共通の目的ができた、それは金だ!」とうそぶき、オリジナル・メンバーにより再結成。6月よりワールド・ツアーを決行し、翌7月にはライヴ・アルバム『勝手に来やがれ』を発売。来日公演は、洋楽アーティストとしては異例の1か月間18公演を行っている。

  • 2001年、かつてマルコム・マクラーレン主導で製作したドキュメンタリー映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』は、真実の内容とは掛け離れているとして、旧メンバー側が製作したピストルズドキュメンタリー映画『ノー・フューチャー』を公開した。

  • 2002年 - 2003年、夏に2回目の再結成。イギリスとアメリカで2公演を行い、翌年にもアメリカ・ツアーを実施。

  • 2006年、ロックの殿堂入りを果たす。しかし2月24日の朝、以前からロックの殿堂を皮肉っていたジョニー・ロットンを筆頭に彼らは、自身の公式サイトに直筆メッセージを掲載。その内容は、「セックス・ピストルズを除けば、ロックンロールもその殿堂入りも小便のシミだ。お前らの美術館、ワインの中の小便。俺達は行かねえ。お前らの猿じゃねえ。だから、どうした」と冒頭から罵倒、また1人あたり2万5,000ドル(約250万円)もの参加費用に関しても論い、最後には「俺たちは行かねえよ。お前らも別に構わんだろ。このクソみてえな系図に組み込まれないのが、本当のセックス・ピストルズってもんだからさ」と締めくくった。これに対して主宰者は、怒るどころか「彼らは非凡なパンク・スター。これこそがロックンロール」とさえコメントしている。ロックの殿堂入りを蹴ったアーティストは史上初である。

  • 2007年、11月に4回目の再結成を行い、ワールド・ツアーを展開。

2008年、日本のロックフェス『サマーソニック』に出演。以降、年内で再び活動停止した。

まぁ、ゆらゆら帝国の場合、2010年3月31日にウェブサイトでにて「完全にできあがってしまった」ことを理由に解散を発表してる訳ですが…揺らいでないとロックンロールじゃない? ただしシド・ヴィシャスも薬で死んだのはバンド解散後…