やはり予想通り、このサイトで繰り返し引用を続けてきたYoutube上の電気グルーブ「モノノケダンス(2008年)」はSony Musicからの要請で消されてしまいました。またほんの少し世界が狭くなった気分…
Dailymotionで「On Yoyr Mark(1995年)」が生き延びるみたいな危機回避が今回は間に合わなかった?
まぁ「人間の認識対象外を跋扈する絶対他者」なんて追い求めてれば、こうした展開は日常茶飯事な訳ですが…私の直感は「次はゆらゆら帝国辺りが危ない」と告げてたりするのですね。
原則として日本のハードロック界隈は割と手堅くしぶとく健全に生き延びてるイメージがあるのですが、ゆらゆら帝国はまた特別…
こんな曲演ってると…
その一歩向こう側はもう、この世界ですからね。
昔、60年くらい前にはドラッグをやると素晴らしい体験ができて意識が変化し芸術や哲学に大きな効果がある、という考え方があったので音楽家や作家、芸術家たちが好んでドラッグをやった。その結果大勢の死人が出たのでこの考えは80年代には廃れた。こういう事も説明しないとね。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
ミック・ジャガーは80年代の初頭には脱ドラッグ、禁煙してジョギングする姿をアピールした。ドラッグでバンドが崩壊寸前になったエアロスミスも80年代に脱ドラッグと禁煙で復活する。これ以降もドラッグカルチャーは続くが、ハクスリー→ドアーズの時代とはもう違うものだろう。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
ドアーズ、ジム・モリソンにはドラッグによる未知なる世界への期待があったんだけど本人は死んでしまった。時代が後になるほどドラッグカルチャーからはこの未知なる世界への期待が減っていった。90年代の映画ではドラッグは未来の無さを象徴している。転機は80年代でしょ。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
*曲がり角は「ティモシー・リアリーの転向」辺りだったとも。
だから、80年代半ばのセカンド・サマー・オブ・ラブは新しい種類のドラッグが出てきた事と並行しての復古運動であり、あまり未来はなかった。資本家ミックの方が生きるためには正しい判断をしていた、というのが僕の見方です。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
樫原さん、御無沙汰です。いつもツイート、チェックしてます。
— 宇田川大吾 (@udagawa_daigo) March 14, 2019
私的には、80年代のクラックによる退廃、
…そして、90年代前半~のエクスタシーの流行によるレイブパーティーの勃興とクラブ文化の隆盛…という認識です。
その流れを、上手く図式化できずにいます。う~む。どうなんですかね…
ご無沙汰です!81年のスティルライフツアーでミックが健康志向を打ち出すんですが、その後80年代半ばにエクスタシー、クラックといった新種のドラッグが出てレイブ、クラブにつながる。これは脱ドラッグの流れに対抗するヒッピー文化リバイバルだったと思います。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
なるほど…。
— 宇田川大吾 (@udagawa_daigo) March 14, 2019
ところで、ヒッピー文化リバイバルは、何か生産的な物を残したのでしょうか?
実は当時、巻き込まれる形で、インドのゴアやマナリーに行ったりもしたんです。カスタネダにかぶれたり…ダチュラ試したり…当時のことを上手く総括できずにいます。…何か残ってないとやりきれない気も…。
クラブカルチャー自体は残るものだと思います。カナダの学者ジョセフ・ヒースの『反逆の神話』という本にカウンターカルチャーの文化的な失敗が書かれていますが、そこで生まれた音楽、芸術の価値は認めるべきだと。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
どんなムーブメントも、予定調和ではない、何かしらの余波を想定外に孕んでる…ってことなんスかね…。
— 宇田川大吾 (@udagawa_daigo) March 14, 2019
たぶん、ムーブメントの渦中にいるとかえって何が起きているのか客観視できなくなる面があるんでしょうね。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
*まさしく、これまで述べてきた「事象の地平線としての絶対他者を巡る①黙殺/拒絶②混錯③受容しきれなかった分の切り捨てのサイクル」そのもの。
ハクスリーやジム・モリソンが夢見た新しい世界は、今ならVRやARで、ドラッグよりもできるだけ安全にやればいいんじゃないかな。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
*当時からそういう発想はあったが…1990年代に当事者高齢化の為に脱落。
すでにシンクロエナジャイザーとか屍が累々とあるジャンルではあるので是非ともご安全に願いたいです。ダメ絶対ポケモンショック。
— ネコテルミン (@ka_0505_ka) March 14, 2019
シンクロエナザイジャー、懐かしい!やったことありますよwww
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
わ、体験者がwさすがにやったことはないです。深夜番組「アニマムンディ」で紹介されてて書泉グランデで現物を買おうか悩むとこまでは行きましたが見てるうちにアホらしくなってやめましたwまず目に悪そうw
— ネコテルミン (@ka_0505_ka) March 14, 2019
知り合いが持ってたので飲み屋でやらせてもらいました。楽しいけど飽きますw
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
やっぱり音楽はビョンビョンした感じでしたか?
— ネコテルミン (@ka_0505_ka) March 14, 2019
ビョンビョンでしたw
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) March 14, 2019
私の好きな、フランク・ハーバートのDuneシリーズも、スパイスと言う名のドラッグ決めて予知能力発揮したり、人間がスーパーコンピューター並みの演算能力を身につけたりと(笑)
— 美少女戦士セーラーラナイ (@k66kkxIMjzECmPi) March 15, 2019
あれ、60年代の作品なんですよね。
「意識が変化し」に「殴ることで生まれ変わり真の共産戦士になる」と信じて仲間を総括で殴り殺した連合赤軍と同じ臭いがします。
— 赤い天の川の遺跡群(天河遺跡:あまがわいせき) (@krsmst1) March 14, 2019
創作の為なら犯罪も許されるという考え方も文革の様です。
創作有理、薬物無罪?
* 実はウンベルコ・エーコ「薔薇の名前(Le Nom de la Rose、1980年)」や「サスペリア」リメイク版が扱ってるのが、この辺りの話とも…要するに「まだイデオロギーの為に死ねるか」問われた最後の世代?
そこをかろうじて踏みとどまったのがBritish Beatの歌詞世界…
まぁ、セックス・ピストルズ(Sex Pistols、1975年〜1978年)の伝説のベーシストたるシド・ヴィシャスの死に様を考えると本当に紙一重感が…
セックス・ピストルズ(Sex Pistols、1975年〜1978年) - Wikipedia
1970年代半ばのロック・シーンは、ハードロックとプログレッシブ・ロックが二大主流で、超絶技巧のギターテクニックや、初期の高価なシンセサイザーやスタジオ録音技術を駆使する「スーパー・バンド」とロックファンの間には溝が生まれつつあった。
当時、ロンドンのキングス・ロードで『SEX』というブティックを経営していたマルコム・マクラーレンは、店に出入りしていた不良少年のスティーヴ・ジョーンズとポール・クックが結成したアマチュアバンドに目をつけた。それに積極的に介入し、当時『SEX』の店員だったグレン・マトロックと、オーディションで選んだジョニー・ロットンを加入させ、1975年11月にバンドの形を整えさせた。彼らは貸しスタジオで練習を重ね、セックス・ピストルズという名前でライブデビューした。
- シンプルなロックンロール、反体制的な歌詞、斬新なファッション、メディアを意識したスキャンダルの濫発によりすぐに注目された。しかし保守層からは敵視され、演奏会場では中止運動が頻繁に起こった。
- 当時としては反動的でシンプルなギターコード、イギリス政府・イギリス王室・EMIのような体制や権威をこき下ろす歌詞、短い髪をツンツンに立てたり破れた服を安全ピンで留めるといった斬新なファッション、メディアでのインタビューで「shit」「fuck」「cunt」を連発するというスキャンダルにより注目された。
- ボーカルのジョニー・ロットンは「アナーキー・イン・ザ・U.K.」で、「俺は反キリスト者でアナーキスト」と叫び、破壊思想を流布するとして当局から監視された。元MI5(英国機密情報局)部員が後に証言したところによると、MI5のテロリストやスパイの監視を行う部署に『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』というタイトルの付いたファイル群があり、その膨大な書類はすべてピストルズに関するものだったという。しかし、ピストルズは左翼のみに支持されたわけではなく、「ボディーズ」はイギリスの保守ソングのランキング10位内にランクインしている。
- 安全ピンや、髪をツンツンに立てるといったファッションは、元々リチャード・ヘル(テレヴィジョンやハートブレイカーズの創設メンバー)が行っていたものをマルコム・マクラーレンが採り入れたと言われているが、ジョン・ライドンの自伝ではピストルズ加入以前から短髪を緑色に染めたり、父親に買ってもらったスーツをカットして安全ピンでつなぐなどしていたと記述されている。
その後大手レーベルのEMIと契約し、シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K./アイ・ワナ・ビー・ミー」をリリースするが、テレビで放送禁止用語を連発したことが問題となり契約を破棄された。結果としてバンドは巨額の違約金を手に入れた。
- 1977年にベーシストのグレン・マトロックが、ジョニー・ロットンとの不和などの理由で脱退。後継ベーシストとして、古くからロットンと親しかったシド・ヴィシャスが採用された。このシドの加入で、ピストルズはよりスター性のあるバンドとなった。しかし、作曲面における功績が大きかったグレンの脱退はバンドの将来に暗い影を落とすことになった。
- EMIとの契約破棄後はA&Mレコードと契約したが、シングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン/分かってたまるか」の発売直前に破棄された。またしてもバンドは巨額の違約金を手に入れた。
- 最終的にヴァージン・レコードと契約し、エリザベス女王在位25周年祝典の日にテムズ川のボートでゲリラライヴを行い、英国国歌と同名の曲「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を演奏し逮捕された。このプロモーションの成果は上々で、全英シングルチャートで最高2位(NMEチャートでは最高1位)を記録した。ただし、ジョニー・ロットンとポール・クックが右翼に襲われて重傷を負う事件が発生し、バンド活動はしばらく停滞した。
1977年10月唯一のオリジナル・ファースト・アルバム『勝手にしやがれ!!』を発売。このアルバムは「ロキシー・ミュージック」「ピンク・フロイド」「ポール・マッカートニー」などを手掛けた音楽プロデューサー、クリス・トーマスによってプロデュースされた。
- マルコムはアルバムの販売権をヴァージン・レコードに独占させず、フランスの会社に1曲多い盤の製作を許可するなどの揺さぶりをかけた。米国では大手のワーナー・ブラザース・レコード、日本では当時ヴァージンと提携していた日本コロムビアから発売された。
- 1978年ワーナーの企画により、初のアメリカツアーを決行。保守的なアメリカ南部からツアーを始めたが、そのツアー中に崩壊へと向かう。同1月14日アメリカツアーの最中(サンフランシスコ、ウインターランド公演後)に、もはや嫌気がさしていたジョニー・ロットンはバンドを脱退。急遽アメリカツアーは中止され、実質上バンドの終焉となった。
脱退後のジョニー・ロットンは本名のジョン・ライドンに戻し、自ら率いるポストパンク・バンド「パブリック・イメージ・リミテッド」結成に向かった。
- スティーヴ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人ロナルド・ビッグズや偽物の元ナチスのマルチン・ボルマンとコラボレーションを行い、おふざけ半分でピストルズを延命させられたのち、活動は消滅した。
- マルコムは、嫌がるシド・ヴィシャスにフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」の替え歌をレコーディングさせ、レコード発売も行っている。その後シドはアメリカツアーを行い、宿泊していたホテルで恋人であったナンシー・スパンゲンを刺殺した容疑をかけられたまま、麻薬の大量摂取が原因で他界。結果的に「マイ・ウェイ」はシドの代表曲となった。
- これらの時期収録の音源が、マルコム・マクラーレン主導で製作したピストルズドキュメンタリー映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル 』のサウンドトラック盤(『ザ・グレイト・ロックン・ロール・スウィンドル』)に使用されている。
1986年、アレックス・コックス監督映画「シド&ナンシー(Sid And Nancy)」公開。「トレインスポッティング(Trainspotting、1996年)」と並ぶパンク・ムーブメントの金字塔とされる。
1996年、「俺達には共通の目的ができた、それは金だ!」とうそぶき、オリジナル・メンバーにより再結成。6月よりワールド・ツアーを決行し、翌7月にはライヴ・アルバム『勝手に来やがれ』を発売。来日公演は、洋楽アーティストとしては異例の1か月間18公演を行っている。
- 2001年、かつてマルコム・マクラーレン主導で製作したドキュメンタリー映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』は、真実の内容とは掛け離れているとして、旧メンバー側が製作したピストルズドキュメンタリー映画『ノー・フューチャー』を公開した。
- 2002年 - 2003年、夏に2回目の再結成。イギリスとアメリカで2公演を行い、翌年にもアメリカ・ツアーを実施。
- 2006年、ロックの殿堂入りを果たす。しかし2月24日の朝、以前からロックの殿堂を皮肉っていたジョニー・ロットンを筆頭に彼らは、自身の公式サイトに直筆メッセージを掲載。その内容は、「セックス・ピストルズを除けば、ロックンロールもその殿堂入りも小便のシミだ。お前らの美術館、ワインの中の小便。俺達は行かねえ。お前らの猿じゃねえ。だから、どうした」と冒頭から罵倒、また1人あたり2万5,000ドル(約250万円)もの参加費用に関しても論い、最後には「俺たちは行かねえよ。お前らも別に構わんだろ。このクソみてえな系図に組み込まれないのが、本当のセックス・ピストルズってもんだからさ」と締めくくった。これに対して主宰者は、怒るどころか「彼らは非凡なパンク・スター。これこそがロックンロール」とさえコメントしている。ロックの殿堂入りを蹴ったアーティストは史上初である。
- 2007年、11月に4回目の再結成を行い、ワールド・ツアーを展開。
2008年、日本のロックフェス『サマーソニック』に出演。以降、年内で再び活動停止した。
まぁ、ゆらゆら帝国の場合、2010年3月31日にウェブサイトでにて「完全にできあがってしまった」ことを理由に解散を発表してる訳ですが…揺らいでないとロックンロールじゃない? ただしシド・ヴィシャスも薬で死んだのはバンド解散後…