諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「Big Brotherよ、照覧あれ」!?

こういうエピソードを目にすると「全体主義を巡る21世紀の議論は、20世紀のそれと随分変わってきている」という現実を思い知らされる事に。

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ロンドン地下鉄で性的加害行為を受けた23歳の女性が、全車両に防犯監視カメラを設置するよう呼びかけている。

TfLの広報担当者は、「車内の監視カメラ設置は有意義だと思うが、性的暴行事件の多くは、特に混雑する時間帯に特に混雑した車内で起きていることが分かっている」と説明した。

「混雑中に人物や行動を特定することは難しい。つまり、監視カメラは駅構内に設置する方が有意義だ」

要するに重要なのは1970年代から始まった「無政府主義Anarchismの敗北」?

一方「怪人赤マント」を産んだ日本では…

こういう人達はむしろ日本では少数派で…

こうして全体像を俯瞰してみると、パゾリーニ 監督が遺作「ソドムの市Salò o le 120 giornate di Sodoma, 1975年)」で問題提起した「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」なる自由主義のジレンマは単なる勢力拮抗だけでは解決し得ず、何処かでクライヴ・バーカー原作のホラー映画「キャンディマンCandyman、1992年)」で描いた様な「伝説の怪人の不死性」に結びついていくのかもしれません。

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