諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【データベース消費】 穿り返すと案外根深い?

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データベース消費 - Wikipedia

物語そのものではなくその構成要素が消費の対象となるようなコンテンツの受容のされ方を指す。批評家の東浩紀ゼロ年代初頭に導入した概念。

TINAMIX

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  • 東が本論を提起した背景として、評論家・作家の大塚英志による物語消費の概念がある。大塚は『物語消費論』で、ビックリマンシールシルバニアファミリーなどの商品を例に挙げ、それらは商品そのものが消費されるのではなく、それを通じて背後にある「大きな物語世界観や設定に相当するもの)」が消費されているのだと指摘し、主に1980年代にみられるこういった消費形態を物語消費と呼んだ。ここで「大きな物語世界観・設定)」という意味で「物語」という語句を使うことは紛らわしいことから世界観消費といいかえられることもある。

  • 東はこれを踏まえ、物語消費論でいうところの「大きな物語世界観)」が「大きな非物語情報の集積)」に置き換わり、その文化圏内で共有されるより大きな「データベース」を消費の対象とする形態をデータベース消費と名づけ、特に日本の1990年代後半以降のオタク系文化において顕著にみられるとした。

  • これらの消費形態はポストモダンの到来と密接に関わっている。実際、オタク系文化とポストモダン社会は、次のような点で共通点があると考えられる。まず第一に、思想家のジャン・ボードリヤールによればポストモダン社会では作品・商品の原作と模倣の区別が困難になり、中間的なシミュラークルという形態が主流になるとされるが、これはオタク文化での原作との区別の曖昧な二次創作・メディアミックス展開といったものと符合する。第二に、哲学者のジャン=フランソワ・リオタールによればポストモダンとは大きな物語社会全体に共有される規範)が凋落して多数の小さな物語(小さな範囲内でのみ共有される規範)が林立した状態になることで条件付けられるが、これはオタクが現実社会より虚構世界を重視して別の価値規範をつくりあげていることに対応する。

  • 物語消費では、失われた大きな物語を補うべく作品背後の世界観という擬似的な大きな物語が捏造されたが(部分的なポストモダン)、データベース消費では捏造すらも放棄される(全面的なポストモダン)。そして(全面的なポストモダン以降のオタク文化においては、個人の解釈の仕方によって多様に変化するデータベース(情報の集積)へアクセスすることによって、そこからさまざまな設定を引き出して原作や二次創作(オリジナルとコピーの見分けのつかないシミュラークル)が多数生み出されるという。

  • ジャック・ラカンが用いた「現実界象徴界想像界」の用語に対応させると、「大きな物語象徴界」、「小さな物語想像界」、「データベース現実界」となる。ただし、精神科医斎藤環はこの対応を比喩としては理解可能であるが、データベースに相当するのは象徴界であり、自律性を備えた象徴界が「(オタク文化内におけるキャラクターの生成」を促すのだと説明している。世界のデータベース化は、文化面でのポストモダン化(データベース消費への移行)・経済面でのグローバル化・技術面でのIT化というものが形を変えて現れているのだと考えられる。

東自身はデータベース消費論におけるデータベースの種類について言及していないが、情報工学を専門とする山口直彦美術評論家暮沢剛巳は関係データベースに相当する概念だとしている。

 最近、この概念が再浮上してる模様で…

 穿り返すと案外根深いの…