諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「オイラーの等式」と「オイラーの公式」の狭間?

オイラーの等式e^πi=-1」には「生物の視界発達過程を垣間見せてくれる」という思わぬ側面があります。しかしその結果、かえって謎が深まったりもするのです。

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 ①上掲のアニメーション自体は、多くの生物が両目を左右に開いて「視野270度前後」を確保する生存戦略を選んできた事と重なる。その一方では立体視を重視して視野を「前方90度前後」に限り、死角の増大を首の運動機能発達で補った種も少なくない。

鳥は首をかしげたとき,何を考えているのか

結論としては「鳥は首をかしげているとき,何も考えていない」と思われます。

じゃぁ,なぜ首をかしげるのか,と言う疑問が出てきます。これは案外単純な話で,鳥の目の位置が原因のようです。

鳥は外敵の襲来を,視覚的に捉えます。したがって,小鳥はほぼ例外なく,顔の横のほうに目がついていて,後ろのほうまで見渡せるようになっています。ところが,この目の配置のおかげで,両方の目でものを捉えることのできる範囲……つまり,「立体視」が可能な範囲が狭いのです。立体視できないと,距離が測れません。そこで,ちょこちょこ首をかしげながら,目標物を立体視しているのです。

②「どうしていかなる種も、自らの後頭部を俯瞰する方向には進化しなかったのか?」なる哲学的問いが存在する。その答え自体は一応、数理モデルそのものに埋め込まれており(観測原点が観測対象に相対する方向の真逆は最後まで死角として残り続けるが、むしろそれをカヴァーする形で進化が促進される)、実際の生存競争においてもカンブリア爆発期以降は「目とそれから得られる情報を処理する脊髄」を備えた(エビやカニの様に身体が左右対称で前後があり、動作の比較的俊敏な)左右相称動物が(クラゲやウニの様に身体そのものが方向性を備えておらず、動作も鈍重な)放射相称動物より優位に立ったと考えられている。

ここで興味深いのがテッド・チャンSF小説あなたの人生の物語Story of Your Life、1999年、短編集収録2002年)」に登場する「知的生命体に進化した放射性生物」ヘプタポッドの設定。

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  • その文明化は「文明発生直前の左右相称動物の放射相称動物による奴隷化」によって達成されたとされる。そうした設定自体は「リングワールド(Ringworld、1970年)」を代表とするラリー・ニーヴンのパペッティア人などに採用されており珍しくはない。おそらくテッド・チャン古代ギリシャ文明の様に「(労働を全て奴隷に任せる事により支配階層が余剰知性の全てを抽象思考に全振りして人類より高度な知的段階に到達する」科学的シミュレーションを行いたかっただけなのである。

    ピアスンのパペッティア人(Pierson’s Puppeteers) - Wikipedia

    ピアスンの」という呼び方はノウンスペースの年表で26世紀初頭に彼らとファーストコンタクトを行なった人間、ピアスンに由来する。ニーヴンの短編「ソフト・ウェポン」によれば宇宙船乗組員で、旅先で20世紀のテレビ番組『ビーニーとセシル』のリバイバル上映を見ていた。この番組のキャラクターのひとつがウミヘビのおばけ「セシル」で、操り人形(パペット)なのだが、ピアスンは自分が遭遇した宇宙人の頭部がセシルに似ていたため「パペッティア」と呼ぶことになったのである。

    身体的な特徴としては、ヒューマノイドの下半身に相当する部分は ケンタウルスに似た蹄のある脚が3本生えており、上半身には2つのヘビに似た頭のようなものがある。この頭はそれぞれ口、分かれた舌、広くて硬いゴムのような唇(指状の突起が取り囲んでいる)、一個の視覚器官がある。人類の脳に相当する器官はこの頭には入っておらず、肩に相当する部分の近く、筋肉とたてがみで覆われた部分にある。

    生物学的にみると知能の高い草食動物で、同じ種族で群れ、仲間のにおいに囲まれて暮らすのを好む。彼らの繁殖方法は特異で、3種類の性別(2種類の男性、1種類の女性)がある。「男性」は人類の男女に相当し、産卵管を持つ性と陰茎に相当するものを持つ性が存在する。一方「女性」はパペッティア人の有史以前より共に生活してきてはいるが、実は全く別の種族であり、「女性」同士でつがいを作って繁殖する。この「女性」は、パペッティア人の「男性」から卵子精子を生みつけられるいわば宿主なのである。これは地球の生物であるジガバチに似ている。パペッティア人自身はこのことを忌まわしいものと考えている。

  • この作品が発表された1990年代は(高齢化のせいもあり、コンピューター科学の発展についていけなくなったサイバーパンク文学やハイファンタジー文学の作家の脱落期に該当し、生き延びたのは「アンドロメダ病原体The Andromeda Strain、1969年)」「ジュラシック・パークJurrassic Park、1990年)」「ライジング・サンRising Sun、1992年)」「ディスクロージャーDisclosure、1993年)」「ロスト・ワールド -ジュラシック・パーク2-The Lost World、1995年)」のマイケル・クライトン、「未来からのホットラインThrice Upon a Time、1980年)」や「仮想空間計画Realtime Interrupt、1995年)」のJ.P.ホーガンアイルランドアメリカ人)、「順列都市Permutation City、1994年)」のグレッグ・イーガンオーストラリア人覆面作家)、ウェア四部作(1982年〜2000年)のルーディ・ラッカー米国人数学者、哲学者ヘーゲルの5世孫)くらいで(テクニカル・ライターを本職とするテッド・チャン含め全員がコンピューター・プログラミング経験者だった事を特徴とする。しかも実際に当時を生き延びた作品は「(読者高齢化に配慮し熟年夫婦を見舞う危機」をきちんと描けた作品ばかりだったという複雑さ。
    *国際SNS上の関心空間におけるコンセンサスをまとめると以下。「アンドロメダ病原体(1969年)抜きに以降のSFなし」「フランク・ハーバートデューン」シリーズ(1965年〜1985年)なしにMatrixシリーズ(1999年〜2003年)もGame of Thrones(原作1996年、ネットドラマ化2011年〜)もなし」「未来からのホットライン(1980年)なくしてSTEINS;GATE(2009年〜)なし」「仮想空間計画(1995年)なくしてMatrixシリーズ(1999年〜2003年)もソードアート・オンライン・シリーズ(2002年〜)もなし」「順列都市(1994年)なくして楽園追放 -Expelled from Paradise-(2014年)なし」「リチャード・バックマンスティーヴン・キングの別ペンネーム)の「死のロングウォーク(The Long Walk、1979年)」「バトルランナー(Battle Runner, 原題The Running Man、1982年に出版した小説)」なくして「バトル・ロワイアルBATTLE ROYALE高見広春の原作少年1999年、作欣二監督による映画化2000年、田口雅之作画による漫画化2000年〜2005年)なし」「バトル・ロワイアルなくしてソードアート・オンライン・シリーズ(2002年〜)も「ハンガー・ゲーム(The Hunger Games、スーザン・コリンズ原作2008年〜2010年、映画化2012年〜2015年)」も 「メイズ・ランナー(The Maze Runner、ジェームズ・ダシュナーの原作2009年〜2016年、映画化2014年〜2018年)」もなし」「ただし若者は(自らはもうリスクを追わない年寄りから)革命を煽られるのは嫌いなので「Matrixシリーズ(1999年〜2003年)」「ハンガー・ゲーム(2008年〜2015年)」諫山創進撃の巨人(Attack on Titan、2009年)は自沈」。

    ハンガー・ゲーム(The Hunger Games、スーザン・コリンズ原作2008年〜2010年、映画化2012年〜2015年) - Wikipedia

    批評家から概ね高い評価を得た。スティーヴン・キングは『エンターテインメント・ウィークリー』に寄せた書評で、同書を「『動いたら撃つ』ビデオゲームのように中毒的」と讃えながらも、「大人より子供の方が素直に受け容れやすいような著者の怠惰」が見られるとして「B」の評価を付けている。『アラスカを追いかけて』の著者ジョン・グリーンは『ニューヨーク・タイムズ』の中で本書を「本のコンセプトが独創的なわけではない」し「筆致に目を見張るものがあるわけでもない」としながらも、「説得力ある緻密な世界観の構築と印象深く複雑で魅力的なヒロイン」そして「鮮やかなプロットと完璧なペースを具えている」と評した。また『タイム』のレヴ・グロスマンはコリンズの飢えや暴力の描写を讃え、本書の暴力をグリム兄弟のそれに通じると記した。その一方で2008年9月『トワイライト』シリーズの著者ステファニー・メイヤーは自身のウェブサイトで『ハンガー・ゲーム』を夢中で読んだことを明かした。

    ハンガー・ゲーム』は高見広春による1999年の小説『バトル・ロワイアル』との類似性に関して指摘されている。キングは前出の書評で『ハンガー・ゲーム』と、同書ならびに自身の小説『バトルランナー』および『死のロングウォーク』の類似性に触れ、「(それらを読んだ者なら、以前にもこういうテレビの悪地に足を踏み入れたことがあるとすぐに気がつくだろう」と書いた。グリーンも「ほとんど同じ設定が『バトル・ロワイアル』に見られる」と指摘している。コリンズは「その本や著者については、自分の本を提出したときまで聞いたこともなかった。話を聞いた時点で担当編集者に読むべきか訊いたら『いいや、君の頭にあの世界は要らない。今やっていることを続けてくれ』と言われた」と述べている。『ニューヨーク・タイムズ』でスーザン・ドミナスは「コリンズの作品がブロゴスフィア厚顔無恥な盗作と叩かれるのも納得できるほど、類似は著しい」としながらも「このプロットラインの元となりうるものは十二分に存在しており、2人の著者が別々に同じ基本設定を思いついた可能性は存分にある」と伝えている。『Cinema Blend』のエリック・アイゼンバーグは、両者のストーリーやテーマにおける相違点を挙げた上で「(ハンガー・ゲーム』は) 盗作ではなく、似たようなアイディアの違う使い方であるだけだ」と述べている。ロバート・ニシムラは「盗用だといって『バトル・ロワイアル』の肩を持つのは時間の無駄である。なぜなら『ハンガー・ゲーム』は完全に異なる文化的事情を抱えており、また全く同じ題材を扱った他の無数の材料に対しても非礼に当たるからである。コリンズは単に、前から何度も考えていたアイディアを引っ張り出し、ギリシア神話への意図的な参照に足して、創造的な集合意識に至っただけのことである」と書いた。

    本書は保護者の間でも議論を呼び、アメリカ図書館協会による2010年の閲覧制限の申請回数が多かった本の5位に挙がった。

  • あなたの人生の物語」が小説として卓越しているのは、こうした時代要請を、同時代国際的に少女間で流行していた武内直子美少女戦士セーラームーン1992年〜1997年)」における「(タイムパラドックスがらみの月野うさぎちびうさの母子関係」と「現在と過去と未来の関係が曖昧な放射相称知的生命体独特のディスクール」を結びつける事によって2010年代に入ってなお再読に耐える内容を実現した点にある。

ここで否が応でも気付かざるを得ないのは「あくまでオイラーの等式だけが特殊なのであって、指数関数・対数関数・複素数の世界そのものに左右相称性の強調は見られない」という辺り。気になって関連情報について検索をかけてみましたが、思ったよりネット上の情報が少ない印象。

感覚の優位さについて

人間は視覚優位の動物と言われています。人間が外界を知覚する場合、その7割から8割は視覚から得たものと言われています。これは「人の見た目」の話ではなく、「人間が環境を知覚する場合」についての話です。ちなみに残りの多くは聴覚らしいです。

さて、脳の話です。人間の低次聴覚野なんか、もう耳の近く。感覚器の近くにある方が神経の配線は短かくてすむので、その方が理屈に合っています。

では低次視覚野はどこかというと、後頭部にあります。目は顔の前面にあります。なのに低次視覚野は後頭部です。単純に、神経の配線が長いです。何で?です。えーと、ブラインド・サイトという話もあって、それは脳の内側の話になります。後と内側って何か関係しているのでしょうか?

脳については、「後から前」に向けて、また「内側から外側」に向けて、進化の過程で増設されてきたと表現されます。妙なことに視覚の処理をする場所は、それに一致します。これはどうも偶然ではないようです。ともかく進化の過程で視覚は役に立っています。それがそのまま直線で繋がっているのかはわかりませんが。

というのも、魚に口ってありますよね。人間にも口ってあります。で、少なくとも両方下顎か、そう見える箇所があります。ですが魚の顎の骨って、人間の顎の骨に繋がってるわけじゃないんです。じゃぁ魚から人間になるあいだに、魚の下顎はどこに行ったのかというと、耳の骨になっちゃってます。んで後の骨が迫り出すように人間の下顎になってます。訳わからんです。

そういうわけで、人間の視覚が脳の内側や後で処理されているからと言って、脳が「後から前」や「内側から外側」に向けて増設されてきたからと言ってしまうのは、ちょっと不安があります。

さて、低次視覚野にも低次聴覚野にもカラム構造と呼ばれるものがあります。視覚だと、一つのカラムが横線とか縦線とか斜めの線に反応したりします。それだけではありませんけど。

でも、どっちもカラム構造があります。で、思い切ったことをやった人がいました。視覚野への配線と聴覚野への配線を入れ替えたらどうなるかというものです。猫でだったと思いますが、驚いたことに、性能のほどはわかりませんが、一応機能したようです。

もちろん、この配線の入れ替えは、生後すぐでないと意味がありません。人間でも、まぁできないだろうなぁ。仮にできたとしても、「配線を入れ換えてどうだった?」という質問はできません。再度入れ替えるとか無理なので。

では人間は視覚優位ということは、人間の文明に何か影響を与えているでしょうか。これはわかりません。もちろん人間は文字や絵などなど視覚への刺激を多く使っています。それと多分、嗅覚ディスプレイとかを作るよりも紙に書く方が楽ではあるでしょう。でも犬は聴覚か嗅覚が優位だとしても目が見えないわけではないのです。それらが独自に発展した場合、どういう文明を作ったのかは、わかりません。

久しぶりに紐解く“脳の中の身体地図”・・・謎は解けるのか?4章の“脳も運動中”の中の一節がヒット。

“運動プログラム”が前頭皮質の高次領域から低次領域へ,皮質かの構造へと次第に降りてくる…なるほど、自動化ということか。

知的Giftedの抱える困難の要因の一つは,慣れが生じづらいということだ。百ます計算とか漢字の習得を考えたら説明可能だね。暗算が苦手なのは,常にワーキングメモリーを酷使している。繰り返せば自動化でき,低次領域に降りていかない。

だから疲れるわけだ。仕事や学校に行きたくないのは,自動化されていない。こんなものと思って,日常を繰り返せばいいのだが。低次領域でのルーチン生活。でもそれが,難しいのだ。常に高次な領域で葛藤を繰り返す。負け犬の戯言(笑)

疑問を持つことが困難をさらに増強している。そんなものと思えば,小脳だけで活動できる。おいらも指導や訓練やトレーニングの業界にうんざりしているよん。それで子どもが育つというエビデンスはあるのか。支援者の自己満足ではないのか…苦悩する日々。

*そう、この次元では「忘却曲線」問題も絡んでくる筈なのである。

とりあえず、以下続報…