諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【オイラーの原始棒/円/球面(Euler’s primitive stick/circle/spherical surface)】カンブリア爆発期(Cambrian Explosion、5億4200万年前〜5億3000万年前)以降、生物が背負った「原罪」?

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日本の諸都市が天災によって幾度も壊滅的損害を受けながら復興を果たしてきたのは、それに必要なノウハウが常に同じ国内の別の場所に温存されてきたから。ところが独立によって宗主国との関係が断絶しており、それを契機に独立国としての崩壊が始まったハイチの大震災(2010年)においては話がそうは進まなかったのです。

リスボン地震(1755年11月1日)に際して「人類の文明構築方法が間違っていた証。以降我々は一切の技術集積を放棄して原始時代へと回帰すべき」と断言した「(如何にもスイス人らしい究極のアナキスト」ジャン=ジャック・ルソーにいわせれば「(たった一度の天災で国家の形態が一瞬で保てなくなってしまったハイチの善良で無辜な人々」が国際人道的に正しく健全で「何度全面崩壊の危機に直面しても不思議と不死鳥の様に蘇ってくる」日本こそが不気味で不健全な絶対悪の象徴という事になります。

これぞまさしくフランス革命期におけるロベスピエールら急進共和派、ひいてはその影響を強く受けたカンボジアにおけるポルポト派(クメール・ルージュ)の主要イデオロギー

ところが人類は、この立場に立脚すると三角関数はおろか微積分の概念の駆使すら禁止される立場に追い込まれてしまうのです。

①任意の観測原点「」を設置する。この時点ではまだ何も起こってはいない。

②何かが観測されると、対象「」を起点に「オイラーの原始棒/円/球面Euler’s primitive stick/circle/spherical surface)」が現出する。

③そしてこのあらゆる座標系の原風景に、想定上観測原点より半径分()あるいは半周分(π)離れた先に極限値−1」が想定される。

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まさしくカンブリア爆発期(Cambrian Explosion、5億4200万年前〜5億3000万年前)における「視覚とそれを処理する脊髄」獲得そのものが原罪だったと宣言するが如き暴挙。なにしろこの世界観において観測側の主観は何かが観測される都度再構成されていくのですが、その都度ここでいう 「(観測側の主観の中にのみ存在するオイラーの原始棒/円/球面Euler’s primitive stick/circle/spherical surface)」は(あらゆる胎生動物が胎内における発育過程で自らの歴史の進化プロセスを繰り返す様に)球面の状態から円盤の状態への回帰を強制され続けるのです。あたかも量子力学の世界観において観測対象が自由に粒子の状態と波の状態を往復する様に…
*「量子力学の世界観」…まさしく、こちらこそが「観測対象の状態変化は観測側の主観の中においてのみ存在する」なる発想の本家。

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①N(分割数)=1の時、観察対象の広がり(Expanse)、すなわち観測原点「」からの視界(Perspective)は、とりあえず観測原点「」から距離「」先で任意の観測点と接する「半径πの円盤」と映る。これはまさに古代メソポタミア地方(チグリス・ユーフラテス川流域)や、エジプト王朝(ナイル川流域)やフェニキア人交易圏(地中海・黒海沿岸全域)や、ギリシャ人植民圏(ギリシャ半島中心にアナトリア半島イタリア半島や南仏まで含む)や、古代ローマ帝国地中海・黒海沿岸に加え中東進出を企てる)や、イスラム文化圏といった地中海沿岸地域を「文明圏」とし、これを「未開人が跋扈する辺境地帯」や「大海の向こう側にある世界の果て絶えず滝の様に海水が流れ続けており、その向こう側で大海蛇(Giant Sea Serpent)が獲物が落ちてくるのを待ってる)」を同心円状に配置した正距方位図法azimuthal equidistant projection)めいた古代地図の背後にあった地理感覚そのもの。

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②Nが増大するにつれ、それは急速に観測原点「」を観察対象「」を中心に覆わんとする半球へと成長を遂げていく。実際には「半球」というより「3/4球」という感じ。そもそも複利計算式(1+1/N)^Nがベースになってるくらいだから、出足の伸びは物凄くグイグイ迫ってくる。かくして大航海時代以降「人類未踏の地」は急速に縮退し、20世紀に入ると南極やチョモランマ山渓、さらには深海や宇宙といった僻地に限定されるまでに至る。

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③Nが十分に増大すると、それは観測原点「」を覆う全球としか映らなくなるが、それでもなお決して極限値−1」に到達する事はない。かくして「人類の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」は海底で眠る巨大怪獣や流星に付着して地球に到達する流行病、不可視の次元より襲来するフランク・ベルナップ・ロング「ティンダロスの猟犬The Hounds of Tindalos、1929年)」における使役動物、さらには電波や放射能の類似物といった特殊な形態でしか存在し得なくなる。

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胎生生物は胎内で自らの進化過程を繰り返す」といいますが、あくまでそれぞれの生物の進化時点が最終到達地点になるという話ですね。