諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】金縛りを科学する?

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かつては幽霊やインキュバスなどの仕業とされていた金縛りですが、近年では金縛りが「神経」に関連するものであると、理解が進んでいます。研究者らによれば金縛りは、一般的に体が休息状態にあるが脳が覚醒状態にある「レム睡眠」が阻害されることにより生じるとのこと。臨床心理学者のBrian Sharpless氏は、レム睡眠時には人々が夢を見る一方で、「夢の中と同じように体を動かさないために」筋肉がマヒするとしています。このレム睡眠中の特徴が金縛りの原因となっていると、研究者らは考えているそうです。

金縛りを覚えるのは通常、数秒から数分といった時間であり、その間に人々は鮮やかな幻覚を見ます。金縛りを経験した185人を対象にした調査では、全体のうち58%が何かが同じ部屋にいることを感じたほか、22%が実際に見知らぬ誰かを見たと報告しています。また、金縛りに襲われている人々は胸に圧迫感を覚えることがあり、まれに金縛りを心地よいと感じる人がいるものの、多くの人々は不安な感情を覚えます。

ボストンのベス・イスラエル・ディコネス・メディカルセンターで睡眠の研究を行っているDaniel Denis氏は、「レム睡眠中には恐怖や記憶にとって重要な扁桃体が活発な状態になります」と述べています。脳が恐怖や強い感情を覚えているのに、自身の周囲にそれを説明するものがないという状況に対し、幻覚を見せることで対処している可能性があると指摘しました。

三遊亭圓朝が 明治期に創作した落語「真景累ヶ淵(1853年)」を連想させます。

三遊亭圓朝「真景累ヶ淵(1853年)」 - Wikipedia

明治期の落語家・三遊亭圓朝が江戸時代に流布した「累ヶ淵」の説話を下敷きに創作した落語(怪談噺)。圓朝の代表作の一つとされ、古典的評価を得ている。以下を組み合わせた、全97章から成る。
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  • 前半部分:旗本深見新左衛門が金貸しの鍼医皆川宗悦を切り殺したことを発端に、両者の子孫が次々と不幸に陥っていく。
  • 後半部分:名主の妻への横恋慕を発端とする敵討ちの話。
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1859年(安政6年)の作。当初の演目名は『累ヶ淵後日の怪談』。1887年(明治20年)から1888年明治21年)にかけて、小相英太郎による速記録が『やまと新聞』に掲載。1888年に単行本が出版された。「真景」は当時の流行語だった「神経」のもじり(漢学者の信夫恕軒が発案者)。

三遊亭圓朝「真景累ヶ淵(初演1859年、新聞連載1887年〜1888年、単行本化1888年)」冒頭

今日より怪談のお話を申上げまするが、怪談噺と申すは近来大きに廃すたりまして、余り寄席で致す者もございません、と申しますのも幽霊というものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。それ故に久しく廃っておりましたが、今日になって見ると、かえって古めかしい方が、耳新しい様に思われます。これはもとより信じてお聞き遊ばす事ではございませんから、あるいは流れ違いの怪談噺がよかろうと云うお勧めを頂きました。

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その昔、私どもは幽霊というものは有ると存じておりましたから、何か不意に怪しい物を見ると、おお恐い、変な物、ありゃ幽霊じゃないかと驚きましたが、ただ今では幽霊がないものと諦めましたから、とんと怖い事は御座いません。狐にばかされるという事はないから神経病、天狗に獲われるという事もないからやっぱり神経病と申しまして、何でも怖いものは皆神経病におっつけてしまいますが、現在開けた偉い方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが現れればアッと叫んで尻餅を突くのは、やっぱり神経がちと怪しいせいで御座いましょう。ある物識りの方が「いやいや西洋にも幽霊はある。決して無いとはいわぬ。必ずあるに違いない」と仰ると、私どもは「ヘェ左様で御座いますか。幽霊はやっぱり有りますかな」と申します。また他の物識りの方が「なに決して無い。幽霊なんていうものがある訳ない」と仰りますと「ヘェ左様で御座いますか。無いというのが本当でげしょう」と(太鼓持ちの様に)どちらへも寄らず障らず、ただいうなり次第に合わせて済ませます。ところが大昔に断見の論というのがありまして、これは今で申す哲学の様なものなのですが、この派の論師の論には「目に見えないものは無いに違いない。どんなものでも眼に見の前に有る物でなければ有るとはいわせぬ。例えどんな理論があっても、眼に見えぬ物は無いと同じである」と説きました。すると釈迦が現れて「御前がいうのは間違っている。そもそも、あくまで無いものは無いと云いたがる方が迷っている」と仰りましうてますます訳が判らなくなりました。「ヘェそれでは有るが無いで、無いが有るなので御座いますか?」と訊ねると「イヤそうでもない」と仰ります。つまりどちらが確かかまるで分かりません。「釈迦という/悪戯者が世に出でて/多くの人を/迷わすかな」と申します狂歌もあるくらいで、私どもは何所へでも智慧のある方が仰る方へついて参るだけなのですが、つまり悪い事をせぬ方には幽霊なんて決して御座いませんが、人を殺して物を取る様な悪事をする物には必ず幽霊が有りまして、これがすなわち神経病と申しまして、あたかも幽霊を背負っている様な振る舞いを致します。

*「断見の論」…当時の歴史的制約を熟慮すると、多種多様な怪異と共存する日本文化を嫌って「全ての怪異の原因は狐狸の類であり、一刻も早く全てを駆逐し尽くすのが望ましい」とした江戸時代儒学者による長期的キャンペーンを想起させる。あえて釈迦の時代に関連付けるなら「(全てを焼き尽くす)炎のみがこの世界を構成する唯一無二の実在(永遠不滅の存在)」なる教義を掲げ、釈迦に「我々はその前提に立つ説法しか受け付けない合理主義者」と豪語した拝火教信徒あたりが該当するのかもしれない。

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*「釈迦の悪戯」…中庸の精神を奉ずる立場から、釈迦はトールキンの様に「所領や金銀財宝への執着心」を悪としただけでなく「(その反動としてDの)清貧を理想視して執着し続ける態度」をも悪とした。要するにそれへの熱狂的没入そのものが新たな倒錯的快楽の源と成り得る苦行が「解脱(あらゆる原生的束縛からの解放)」の障害となる事を指摘しての発言だったが、苦痛と快楽が表裏一体である事を認めた上で幸福の最大化を追求するエピキュロスの快楽主義やストア派の禁欲主義の延長線に生じた欧米的功利主義を知ったばかりの明治期日本人には物足りなく思えてきたとも。ちなみに(江戸幕藩体制からの開放が存在不安をもたらした士族や農村共同体を中心に)キリスト教への改宗や新興就航が流行したのも19世紀後半の特徴であった。

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例えばアイツを殺した時にこういう顔付きで睨んで死んだが、もしや俺を怨んでやがったか、といった想いが胸に残って幽霊がこしらえられましたら、それこそ何でも怪しい姿に見えます。また執念の深い人が生きながら幽霊と化す事も御座います。もちろん幽霊は死んでから出ると相場が定まっておりますし、私も一度も本当に見た事は御座いませんが、生きながら出る幽霊というのが随分と居るそうなので御座います。執念深さとは恐ろしいもので、よく婦人が嫉妬の為に散し髪で仲人のところへ駆けていく著中で巡査に出くわしても、少しも目に入りませんから突き当たる弾みにかぶりつく様な事も起こります。また金を貯めて大事にしていると念が残り、その金を取った人間に取り憑くなんて事もある様なのです。

これが表現(Expression)の正しい発展の仕方?