まず、大元はこれというのが恐れ入ります…
羊羹は元来は中国料理であり、日本の僧侶が中国から日本へ持ち帰り、現在の小豆を使った日本の羊羹に変化しました。
元々の中国の羊羹は、もし当店で召し上がる機会がございましたら、現物を見ていただければお分かりになるともいますが、形は日本の羊羹とそっくりですが、中身は読んで字の如く羊の臭みのないヒレ肉を使って調理するのです。
一般には小豆を主体とした餡を型(羊羹舟)に流し込み寒天で固めた和菓子である。寒天の添加量が多くしっかりとした固さの煉羊羹(ねりようかん)と、寒天が少なく柔らかい水羊羹(みずようかん)がある。また、寒天で固めるのではなく、小麦粉や葛粉を加えて蒸し固める製法もあり、これは蒸し羊羹と呼ばれる。単に「羊羹」と称した場合は煉羊羹を指す事がある。
煉羊羹は糖度が高いため保存性が高い。そのため適切な状態で保存すれば常温で一年以上の長期保存が可能なものが多い。この特徴を生かして非常食としても販売されているものもある。また、糖度が高く、少量でも高カロリーであり、体内ですぐにエネルギーに変換されることから、スポーツの補給食としても活用されており、専用の商品も開発されている。
その歴史
もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)、つまりは羊の肉を煮たスープの類であった。南北朝時代に北魏の捕虜になった毛脩之が「羊羹」を作ったところ太武帝が喜んだという記事が宋書に見えるが、これは本来の意味の羊のスープであったと思われる。
冷めることで肉のゼラチンによって固まり、自然に煮凝りの状態となる。「羹」の通常の音(漢音)は「こう(かう)」で、「かん」は唐音。 鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律(五戒)により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされる。
唐代に重陽の節句に作っていた「羊肝餅」に由来するともいう(『嬉遊笑覧』)。
日本の文献における「羊羹」の初出は室町時代に書かれた『庭訓往来』の「点心」の記事と言われている。
いずれにしても初期の羊羹は、小豆を小麦粉または葛粉と混ぜて作る蒸し羊羹であった。蒸し羊羹からは、芋羊羹やういろうが派生している。また、当時は砂糖が国産できなかったために大変貴重であり、一般的な羊羹の味付けには甘葛などが用いられることが多く、砂糖を用いた羊羹は特に「砂糖羊羹」と称していた。だが、17世紀以後琉球王国や奄美群島などで黒砂糖の生産が開始されて薩摩藩によって日本本土に持ち込まれると、砂糖が用いられるのが一般的になり、甘葛を用いる製法は廃れていった。
*そう、他の和菓子同様、国際商品としての砂糖の歴史に深く関わってくるのである。「煉羊羹」が日本の歴史に登場するのは1589年(天正17年)で、山城国伏見九郷の鶴屋の5代目岡本善右衛門が、テングサ(寒天の原料)・粗糖・小豆あんを用いて炊き上げる煉羊羹を開発し豊臣秀吉に献上した。鶴屋は徳川頼宣に従って紀伊国和歌山に移り駿河屋と改名したが、その後も改良を重ね1658年(明暦4年)には完成品として市販されている。
江戸時代は煉羊羹全盛時代であり、江戸本郷の藤村羊羹をはじめ、多くの名舗が現われた。一方、初期の製法の羊羹(蒸し羊羹)は、安価な下物(煉羊羹の半値)になり、その一部は丁稚羊羹と称したものもある。また、料理菓子として、煉羊羹を半煉り状にした製法の羊羹もつくられ、後に水分を多くした水羊羹がつくられるようになり、御節料理として、冬の時季に食された。また、この時期には錦玉かん、淡雪かん(メレンゲを寒天で固めたもの)、みぞれかんといったあらたな羊羹も登場した。
*そして「文明開化は砂糖味」だったという…特殊な包装・用途としては、ゴム風船の中に詰めた玉羊羹が1937年に登場している。これは当時、戦場の兵士に送る慰問袋用の菓子として、福島県二本松市の和菓子店「玉嶋屋」が日本陸軍からの指示により開発したものである。戦後も継続して各社から製造販売されている。 その他、割青竹を使用した物や似せたプラスチック製の物、紙またはプラスチック製筒型容器(押し出し容器)、簡便開封可能な紙小箱、カットした羊羹に砂糖をまぶしてキャンディー風パッケージにしたものなどもあり多様化している。
現在では、この他にも食品が練り込まれた羊羹が土産品やお茶請けとして親しまれている。比較的高級な羊羹が切り分けて食べる棹物であるのに対し、一口サイズで小分け包装された製品もある。また、高カロリーであることを活かし、井村屋の「SPORTS YO-KAN」などの栄養補給食品などもある。
国外
戦前〜戦中、満州からジャワ(現インドネシア)に至るまで小城羊羹が広く販売され、戦後、村岡総本舗に、晩年の愛新覚羅溥傑氏が訪れ羊羹を購入している。現在の中国でも天津や北京で、日本のものと同じような小豆や栗を使った甘い「羊羹(ヤンカン yánggēng)」が製造販売されているほか、中国独特のサンザシ、桃、リンゴなどを加えたフルーツ風味のものも製造販売されている。
山楂 shānzhā
— つぶやき中国語 (@tsubuchai) January 25, 2017
サンザシ
サンザシのおやつは中国の定番です。山楂衣糖(サンザシの砂糖漬け),山楂片(サンザシラムネ),山楂糕(サンザシ羊羹みたいなの)等等。甘酸っぱくて癖になります。私も大好き!春節のお土産に頼んでみるのもいいかもよ^ ^ pic.twitter.com/glXpCTUEun
韓国では併合期に入ってきたものがそのまま残っており「양갱(yang-gaeng、ヤンゲン)」と呼ばれる。製法や市場は日本とほぼ同じである。台湾でも併合期に広まったものが羊羹(Yangkuang)として残り、現在も流通している。
そういえば並行して「砂糖漬」の普及がありました。
文献によると砂糖漬は中国で製造された物が、江戸時代の始めに長崎あたりにもたらされ、渡来品として販売されていたようです。
長崎方面に伝わった砂糖漬の技法はその後、関西方面に伝わり大坂を中心として全国的に広まり、江戸では「下り物」の高級菓子としてもてはやされました。 文化文政の頃には贈答用にも盛んに用いられていた様子が伺われます。江戸中期に至って砂糖は一般にも入手できるようになった事から、砂糖漬も広く庶民の手の届く物になっていったようです。
当時は漢方薬などと共に薬種店で売られていたとの記述も残っており、滋養に富む砂糖漬は薬のように扱われていたのではないかと推察されます。また、その当時の砂糖漬の種類は、蜜柑みかんの皮、生姜しょうがなど限られたものであり、その扱い高も極めて少量であったようです。
湿気には弱いが乾燥には強いため、当時湿気を嫌う物をしまっておくちょうどよい場所だった長火鉢の引き出しは、良家のご隠居さんなどがその頃貴重品であった砂糖漬をしまう場所としてよく使われていたと聞いています。
最終的に完成したのは優秀な栄養補給食品…
#どうでもよい知識
— 九郎 (@crow442ne) June 13, 2019
羊羮は保存食
メーカーはとりあえず賞味期限を2年に設定したが「合成保存料を使っているのか!」とクレームが相次いだ為に1年とした
実際には30年は持つ
緊急用の保存食として羊羮が優秀なのは
— 九郎 (@crow442ne) June 15, 2019
イ、栄養価が高く、少量でも満足感がある
ロ、乾パン等と違い水がなくても食べられる
ハ、かさばらず携帯が容易
なので備蓄するのはとてもよいと思います
皆様いいねとリツイートありがとうございます
あまり慣れていないもので少々困惑気味ですがw
大雑把な説明をすると、食品の中で水分は動性があり、この動性により雑菌が繁殖するのですが、糖分には水分を固定化する働きがあり、雑菌が生きていけない環境なんだそうです
— 九郎 (@crow442ne) June 15, 2019
羊羮は糖分が六割を超え、腐りませんが乾燥はします
パッケージを言及している方がおられましたが、実は乾燥防止なんですね
#どうでもよい知識
— 九郎 (@crow442ne) June 15, 2019
余談なんですが、糖分による保湿性は人体にも影響があり、ボディビルダーは糖質カットをして筋肉を浮き立たせますが、肌の保湿性、つまり潤いもなくなるので、炭水化物カットダイエットは肌に非常に悪く美容の敵なんですね
秩父宮親王が登山に持って行った話で登山家では有名で、愛新覚羅溥傑も来日した時に買い求めたとか
— 九郎 (@crow442ne) June 14, 2019
中国の羊の煮こごりが小豆になって現在北京でも製造されているの面白いですね
たかが羊羹、されど羊羹…