諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【オイラーの原始量】「中枢神経なくば痛みなし」?

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あらゆる空間認識能力の原風景としての「オイラーの原始量Euler's primitive sweep)=観測原点をすっぽり包む全球型スクリーン」の起源そのものは、おそらく目と視覚情報を処理する脊髄を備えた左右相称動物が放射相称動物より明確に分離したカンブリア爆発期(5億4200万年前〜5億3000万年前)まで遡ると推定されています。

そして、まさにここが「動物」と「それ以外の生物」の境界線だとする新説が…

ベジタリアンの私が、ホタテはヴィーガン食だ、という主張を初めて耳にしたのは、サステナビリティを重んじるブルックリンのシーフード・レストラン〈Greenpoint Fish & Lobster Co.〉でランチをしていたときだった。魚介のタコスや日替わりのカキを提供するこの店は、ヴィーガンの人気店にはふさわしくないように感じるかもしれないが、オーナーのひとり、ヴィニー・ミルバーン(Vinny Milburn)によれば、ホタテなどの二枚貝を目当てに来店するヴィーガンの常連客は非常に多いという。彼らは、科学的根拠をもとに、倫理と環境保護の観点から、二枚貝を食べる理由を正当化しているそうだ。「二枚貝には中枢神経がないので食べても問題ない、と考えているようです」とゼネラルマネージャーのピーター・ジュソラ(Peter Juusola)は説明した(彼はホタテ好きなヴィーガンの名前を出すのは控えた)。

カキやホタテなどの二枚貝は〈フィルター・フィーダーfilter feeder)〉と呼ばれ、植物プランクトン、藻、さらに生物の死骸や排出物などの〈デトリタス〉を食べることで、生息地の海水を浄化する。カキは、ほとんどが天然ではなく養殖だ。ミルバーンによれば、カキ養殖業者と沼地でクランベリーを栽培する農家の違いは名前くらいだという。両者とも〈〉から育ち(養殖業者が仕入れるカキの幼生も〈種〉と呼ばれる)、水中で収穫され、消費者のもとに届けられる、と彼はカキの殻を剥きながら説明した。

ただし、ホタテはカキとは少し異なる。生息地の水を浄化するのは同じだが、ダイバーの手によって、もしくは熊手のような〈けた網〉で海底から引き揚げるというホタテの収穫方法は、周囲の生態系に害を与える恐れがある。この事実を知れば、倫理的理由からホタテを控えるヴィーガンが増えるかもしれないが、同時に、作物の栽培だって付近の生態系に害を与える恐れがある、というまったく別の(もっともらしいが的外れな)反論が生まれる可能性もある。ただ、幸いなことに、ホタテ漁そのものが環境破壊につながるわけではない。

きちんと管理された漁場で獲れた魚介類を食べれば、様々な面で環境にプラスになります」とメイン州のホタテ卸売業者〈Downeast Dayboat〉のトグ・ブラウン(Togue Brawn)は主張する。「ホタテが育つのに必要なエネルギーは、牛、豚、鶏に比べてはるかに少なく、何もしなくても育ちますし、家畜と違ってメタンガスも排出しません。ホタテは海底でじっと動かず、プランクトンを濾過摂食しているだけです」。ホタテの食べ物はすべて海中にあるので、餌は与えなくていい、とブラウンは言明する。

今回取材したシェフのうち数人は、ホタテなどの二枚貝を食べる行為が植物を採って食べるのと変わらない、と信じていたが、同時に、ヴィーガン食をあえて定義づけようとはしなかった。二枚貝甲殻類が痛みを感じるか否かについては、決定的な証拠はまだないが、そもそも貝や甲殻類には「脳がない」とジュソラは指摘する。彼は指でホタテの動きを真似しながら、ホタテが開閉するのは神経による反応で、痛みや危険を感知しているからではない、と主張した。いっぽうブラウンは、貝が痛みを感じるかどうかは断言できないという。この分野については、まだ充分な研究がない。しかし、彼女によれば、ホタテの死が「一瞬」なのは確かだという。ホタテは間違いなく生きているが、知覚があるとは考えにくいそうだ。

海洋生物の体内の仕組みを熱心に研究してきた専門家ですら、ホタテなどの二枚貝が痛みを感じるか否かを、完全には証明できていない。広範な研究はまだされておらず、あるとしても充分な研究ではない。「二枚貝の動きは限られているので、痛みを感じたとしても、何の役にも立たないはずなのです」とクイーンズ大学ベルファスト校(Queen's University in Belfast)の動物行動学名誉教授、ロバート・エルウッド(Robert Elwood)博士は説明する。つまり、ホタテなどの二枚貝は、外部からの刺激によって殻を閉じて身を守るので、痛覚があっても進化上の利点にはならない。「ホタテは、危なっかしい動きで、必死に天敵のヒトデから逃げているようにみえます。しかし、これは気配への反応です。ホタテが組織の損傷に反応するかわかりませんが、たとえ反応したとしても、痛みを感じる証拠にはなりません。侵害受容体による反応の可能性もあります。何のメリットもないなら、痛みを伝達する神経系をつくるために、わざわざエネルギーを費やす必要はありません

例によって大喜利状態に。

そういえば「」はある模様? 一般に「天敵=ヒトデ」の接近を補足する為に発達したと考えられていますが、用途がそれだけなら脊索を発達させる必要はなかった?

ちなみに「痛み」自体は昆虫も感じないそうです。なるほど、それは「危険を学習し回避する能力」が生存確率に結びつくかに関わってくる?

時代の変遷という意味で以下の投稿も思い出しました。

人類の認識上のパラダイムシフトが加速してる?