ここ数日、突如として以下の投稿へのアクセス数が伸びています。
ある意味、このサイトの出発点みたいな投稿ですね。
①欧州王制時代末期(18世紀〜1859年)
ホブズボーム区分における「革命の時代(1789年 - 1848年)」
1789年7月14日、バスティーユ牢獄の襲撃を発端とするフランス革命が起き、その影響はヨーロッパ各国へ波及した。その後、ナポレオン・ボナパルトの登場、ウィーン体制を経て、1848年革命へと到る。結果、西ヨーロッパでは国民国家が成立し、主権は国王や皇帝のものであるという観念が崩れることとなった。東ヨーロッパの国々も西に追随する形で改革を急ぐこととなる。
当サイトの欧州王制時代末期(18世紀〜1859年)
ホブズボーム区分の「革命の時代(1789年 - 1848年)」に該当。
- 実は英国や日本の様にそれ以前の歴史において体制転覆の可能性が除去され「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」が商業利用の可能性を除いて完全に形骸化した国には存在しなかった歴史段階とも。ただスイスの「分離同盟戦争(1847年)」の様に「なまじ過去に方便によって誤魔化す事に成功した事案が後世、思わぬ形で爆発する」ケースもあるので要注意。
- 当時のドイツ守旧派思想をヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年〜1831年)が完成させ、プロイセン王国出身のカール・マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818年〜1883年)やデンマーク出身のキェルケゴール(1813年〜1855年)がそれへの対抗者として自らを形成していった時代。
このサイトは革命そのものより西欧中心部で進行した「(産業革命受容の妨げとなる)国王と教会の権威に担保された農本主義的伝統の放棄過程」に注目。その後、時代の変遷についていけない革命家が次々と自滅していく渦中において、運動家から理論家に転身したマルクスが「ブルジョワ階層と労働者の対立」に軸を推移させた新たな革命理論を発表した事そのものを重要としている。ただし同時に現れたパラダイムシフトを「マルクス主義=階級闘争論」に限定してもいない。あくまで「(経済グローバル化の最初期に勃発した)1857年恐慌」を契機に、以下がまとめて発表された1859年前後より「全てが数値化されていく世界」の顕現がが加速して紆余曲折を経て現在に至ると考える。
- 「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」とした「上部構造理論の提唱者」カール・マルクス「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie)」。この著作の出版を後援した「社会民主主義の父」フェルディナント・ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle、1825年〜1864年)は後に自らも「普遍精神(Allgemeine Geist)の法的勝利過程」を提唱する「既得権の体系全2巻(Das System der erworbenen Rechte、1861年)」を発表した。
- 「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならないが、他人に実害を与える場合には国家権力が諸個人の自由を妨げる権利が生じる」としたジョン・スチュアート・ミル「自由論(On Liberty、1859年)」。
- ③「進化は系統的に展開する」としたチャールズ・ダーウィン「種の起源(On the Origin of Species、初版1859年)」。
当時大流行した「人間を動員するある種の普遍的象徴体系が実在する」なるドグマは、流石にそのまま後世には継承されなかった。とはいえこうした思考様式がマックス・ウェーバーいうところの「外骨格生物としての社会論(成長速度に合わせた脱皮の繰り返しが間に合わなくなると死ぬ)」、すなわち人間の基本的価値観の源泉として(バージョンアップの都度丸ごと差し替えられるOSのカーネルの如き)実時間の流れを超越したある種の無限ループが存在するという考え方の出発点となった事実もまた揺るがない。そして今日ではむしろ逆に「(現実には価値観の一斉全交換など不可能なので)その部分を運用でカバーしてきた。ではどうやって?」という設問が主流となっている。
②産業革命展開期(1848年〜1914年)
ホブズボーム区分における「資本の時代(1848年 - 1875年)」
フランス第二共和政の成立、またドイツ三月革命の勃発をきっかけに、ヨーロッパは再編されていく。イギリスはパクス・ブリタニカを謳歌し、ドイツとイタリアは国内を統一、ロシアはアレクサンドル2世のもと改革を進めていく。また産業革命の結果、鉄道網の建設やスエズ運河の開通などインフラが整備され、ブルジョワジー階級がヨーロッパ世界を動かすようになる。
ホブズボーム区分における「帝国の時代(1875年 - 1914年)」
ベルリン会議以降、ビスマルク体制によって平和がもたらされた。ブルジョワジー階級が推し進めた資本主義は、その膨大に蓄積された余剰資本の投下先としてアジア・アフリカの植民地を求めた。これが世界の分割を進める帝国主義となり、世界各地でのヨーロッパ列強の対立を招き、第一次世界大戦へ突入していく要因となる。
当サイトの産業革命展開期(1848年〜1914年)
ホブズボーム区分上の「資本の時代(1848年 - 1875年)」と「帝国の時代(1875年 - 1914年)」に該当。とはいえ以下の部分で見解を異にする。
- 産業革命自体は既に18世紀以前から(比較的展開上の阻害要因が少ない)スイスや英米で始まっていたと考える。
- その歴史的流れ自体には絶対王政下フランスも相応にはかろうじて追随していたものの、革命とナポレオン戦争を通じての破壊によって大英帝国に二度と追いつけなくなる大打撃を受ける。ただし復興の過程で樹立された「(産業革命導入上の阻害要因が多い)後進国が産業革命を導入する為の方法論」の導入によって米国やドイツ帝国や大日本帝国(および後世の中国やベトナムなどが)農本主義的伝統から脱し工業国の仲間入りを果たす。
そう考えるとこの歴史区分は時期的にホブスホームの歴史観(マルクス=レーニン主義史観)上の時間区分と重なりつつ、その内容はほとんど別物といってよい。
*特に「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマの担い手が絶対君主から(大量の没落貴族層を吸収した)大衆消費者に移行したという考え方の採用が大きな差分を生み出す結果に。いずれにせよ、どちらの立場も大不況 (1873年〜1896年) を間に挟み、前半は産業革命導入に伴うブルジョワ経済の発展期、後半は大衆消費社会の到来期と見る。その上で大不況 (1873年〜1896年) から列強間における植民地獲得戦争が激化したと指摘する向きもある。最終的に総決算的に第一次世界大戦(1914年〜1928年)が勃発してしまう。
③欧州低迷期(1914年〜1970年代)
ホブズボーム区分における「破局の時代(1914年 - 1945年)」
1914年のサラエボ事件をきっかけとしてヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦が勃発した。大戦は1000万人以上の犠牲者を出し1918年には終戦を迎えたが、その後も火種は残り続け、1939年にはドイツ軍のポーランド侵攻をきっかけとして枢軸国側と連合国側による第二次世界大戦の開戦に至った。戦場は全世界的規模へと拡大しておよそ2500万人の犠牲者を出し、更に1945年には枢軸国側で最後まで残っていた日本に対して人類史上初の原子力爆弾が投下され、ようやく終戦を迎えた。
ホブズボーム区分における「黄金の時代(1945年 - 1973年)」
先の大戦で超大国となったアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営とソビエト連邦(ソ連)を盟主とする共産主義・社会主義陣営によって世界は二分され、東西冷戦時代へと突入した。この対立構造によって経済発展競争や科学技術競争、宇宙開発競争などが起き、1969年7月20日にはアメリカのアポロ11号によって人類初の月面着陸が達成された。様々な変化をもたらしたこの黄金時代は、1973年のオイルショックによって終焉を迎えた。
当サイトの欧州低迷期(1914年〜1970年代)
欧州がベル・エポック時代の水準まで復興するのは1970年代に入ってから。戦後復興もマーシャル・プランに基づく米国資本投下の産物に過ぎなかった。そういう意味で相対的に「米国一強」が定まっていった時代でもある。
ところでこのサイトは当時の時代区分においてはむしろ積極的に與那覇潤「中国化する日本:日中文明の衝突一千年史(2011年)」の以下の時代区分へ乗り換えていく。
- 「効率化」を追求するあまり国家間の競争が全てとなった「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」。
- 先進国においては国家の存在意義がサービス化して以降、そうした動きを下支えしてきた商品生産企業やマスコミが「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマの体現者を志向して敗退を重ねていく「産業至上主義時代(1960年代〜?)」
共産主義全盛期を人類の黄金時代とする(それゆえに21世紀への足掛りを備えない)ホブズボーム歴史区分からの逸脱…
④フロンティア消失期(1970年代〜2000年代)
ホブズボーム区分における「危機の時代(1973年 - 1991年)」
1973年には先進諸国で変動相場制が導入されたが、数ヵ月後には第4次中東戦争の勃発をきっかけとして原油価格の高騰などからオイルショックに陥り、これまでエネルギー源を中東の石油に依存してきた先進諸国の経済に打撃を与えた。それまで好調だった世界経済は地すべり的に停滞へと向かい、経済を含めた社会情勢などが不確実さを増したことから、当時代区分は「地すべりの時代」「不確実と危機の新しい時代」とも呼ばれる。1989年には東欧革命が起き、アメリカ・ソ連両国の首脳により半世紀近く続いた冷戦の終焉宣言も出された。またこの年に起きたベルリンの壁崩壊により、翌年には東西ドイツが再統一された。共産主義・社会主義陣営の敗北によって、最終的には1991年のソ連崩壊へと結実している。「短い20世紀」の概念では、この出来事を以ってサイクルの終了と考えられている。
当サイトのフロンティア消失期(1970年代〜2000年代)
「ソ連崩壊(1991年12月)」を契機とする共産主義経済圏崩壊のあったこの時期、資本主義経済圏もまた成長限界点に到達して苦しめられたのである。
しかしながら、この時代の末期にこそパソコンやインターネットの国際的普及は始まったのである。
エリック・ホブズボーム「20世紀の歴史(1994年)」
世界全体としては1920年にはおそらく35ヶ国かそれ以上の立件主義的な、選挙によって選ばれた政府(ラテンアメリカの共和国をどう分類するかによって国数は変わる)が存在したが、1944年には総計64ヶ国のうち12ヶ国がかろうじて存在しているに過ぎなかった。
戦後には次第に東西冷戦の状況が形成されていったが、1991年のソ連崩壊によって共産主義・社会主義陣営の敗北が明らかとなり、ホブズボームはここに「短い20世紀」の終わりを見る。
アメリカの政治学者フランシス・フクヤマも「歴史の終わり(1992年)」の中で民主主義と自由経済主義の最終的勝利を高らかに宣言している。しかし実は1914年に始まった「戦争の時代」は今なお続いているのかもしれない。少なくともフランシス・フクヤマが預言した「世界中が民主主義国家となって穏やかで平和な時代の到来」は夢物語となってしまった。
さて、我々は一体どちらに向けて漂流しているのでしょう?