こういう考え方もあるのか…
陽菜が「お天気お届け」を続けるうちに体に異変が起こり、ついには日常から消えてしまう。あれ別の「お仕事」のメタファーだと思うと、「天気の子」実は大変に恐ろしい映画であることに気付いてしまった。(これは、気付きたくなかったな・・・)
— Shuuji Kajita (@s_kajita) August 8, 2019
体が透明になる=君の名は。の大ヒットで作品についてのさまざまな評価と監督像が一人歩きすることのメタファーであるという解説を読みましたが、そういう解釈もありですね!
— tsukio (@tsukio6) August 9, 2019
前者の指摘については、真っ先に高橋葉介「もののけ草紙(初出2007年〜2010年)」戦後編を想起しました。「出征先で人間でなくなった存在の帰還」や「人外に身を売る過程で人間でなくなっていく女達」をコスミック・ホラー的味付けで描く2000年代的名作のひとつ…そう「願いと引き換えに美しく消え去る」道が潰えていく時代の流れの一環…
そして2010年代に入ると「人身供儀への忌避感」はアンビバレント色を強めつつ、さらに高まって行くのです。
そういえばこんな考察もある模様…
【⚠️ネタバレ注意】
— +α/てと😈@C96・三日目参戦 (@tetogamesx) July 31, 2019
天気の子の小ネタや裏設定と考察 pic.twitter.com/81Q73SPPNU
何この天気の子の考察、すげえ #天気の子 pic.twitter.com/Ms9uULjXB5
— えんじぇる😇 (@mpfv5) August 3, 2019
やっぱり出たか「須賀の亡妻明日香は天気の子の先代だった?」説…
*物語中にこの考察を完全に肯定する材料も否定する材料も存在しない。そもそもそう描かれてる事自体がある種のトラップかもしれない…
こうした文化史上の畝り自体はあまりにも複雑怪奇で、ざっと概要を抑えるだけで今年一杯かかってしまいそうです。かかる統括抜きに2020年代には進めないというのが現在の私の立場なのです…以下続報。