諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】改めて「ディズニーランドの暴力」の必然性について。

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以前「ディズニーランドの暴力」と「国家社会主義ドイツ労働者党NSDAP:Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiにおけるヒトラー独裁の成立過程」についてこんな投稿をしました。

藪から棒に「ディズニーランド存続を支える暴力」とは一体何事でしょう? ここでは例えば「ファンタジー・ランドのヘビー・リピーター達が盛り上がり過ぎて人類にはもうこれだけで十分。ウエスタン・ランドとかいらないとか言い出し、焼き討ちの準備を始めた人々がたちまち何処かに連れ去られて二度と戻ってこないであろう独特の雰囲気」の醸成を指しています。

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①ディズニーランド側にしてみれば全ての来訪者が慎重なマーケティング戦略に従って慎重に選び抜かれた顧客な訳で、そんな勝手な振る舞いを許されない展開自体はあくまで健全な資本主義精神の自然な要請の一環に過ぎません。しかも暴力なるもの、一旦実践に移されたら必ずしや報復合戦によって場を荒らし訪問客を減らすもの。「かかる不穏な発想自体を観客自身にも禁忌タブー視させる雰囲気の醸成によって未然に防ぐ」のも重要なマーケティング戦略の一環。

  • ソレル「暴力論Réflexions sur la violence、初版1908年)」でいうところの「支配階級の上からの権力フォルス)」。この観点からは「被支配階級の下からの闘争」が「暴力ビヨランス)」と呼ばれる。

②これは権力論的にも理に適った判断といえましょう。

  • ルイ14世が遺書の中で明言している様に、元来王権なるもの直接対話の可能性が全く望めない対立勢力の調停役として抜擢される事が多い。クビライ・ハーン(Qubilai qaghan、1215年〜1294年)が取り組んだとされる「モンゴル世界帝国」構想が成功した背景にもこれがあった。

  • 逆をいえば国王なる存在、そうした内ゲバをあえて放置して双方自滅を誘ったり、偏った介入によって敵を減らして味方を増やす王権伸長戦略に打って出る時もあるが、現実はあくまで厳しい。あえてその路線に踏み切った日本の室町幕府の歴代将軍も例外なくその全員が暗殺などによる悲惨な末路を迎えている。

  • フランス王家が外交革命(1756年)によってハプスブルグ家との因縁を解消したのは好戦的なプロイセンとの対決に決着を付ける為だったが、これも自然解消するとフランス国民の階級的憎悪が(もはや唯一の勝者として君臨する様になった)フランス国王をそれを取り巻く宮廷貴族に集中する様になりフランス革命が勃発してしまう。

  • ナチスドイツにおいても戦時下ヒトラー独裁が無制限に進んだ一方、敗戦後にヒトラーナチスに対する敗戦責任の皺寄せが徹底して遂行される展開を迎えた。そう、ヒトラーナチスは絶対悪だったというより、まさにこの原理によって自らそう認定される展開を招き寄せてしまったのである。

そう「各ランドが内ゲバによって荒廃し、シンデレラ城の権威性ばかりがむやみやらと無制限に高まっていく」状況の到来など、ディズニー・ランド運営側にとっても訪問客側にとっても全く望ましいものではありません。まさにその観点から、すなわち大袈裟にいうなら「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」としたジョン・スチュワート・ミル古典的自由主義、およびこれに先行して樹立された「参加者全員に与えられる権利が真に平等なら、自由主義が本質的に内包する究極の自由主義は先制の徹底によってのみ達成される絶対主義的ジレンマの顕在化は数理的均衡によって未然に防がれる」としたコンドルセ侯爵の多数決原理に基づいて「ディズニーランド存続を支える暴力」は運営側だけでなく観客側からの承認の獲得にも成功するのです。

ところが最近のツイフェミはこの矩を超えてきた?

この指摘、以下の展開と併せて考えるとより深刻な展開に…

 そして…

 肝心なのは「常に数理的収束の方向を見極めながら議論を進める」事かもしれません。さもなくば「個々の問題の絶対的裁定者」が期待され「太陽王ルイ13世絶対王政」や「ヒトラー総統独裁」が再来してしまうのです…