今はもうない、とある日韓翻訳掲示板で韓国人と一緒に歴史資料の検討をしてた時期があるんですが、その時韓国人側から「これだけは許せない」と執拗に言われ続けたのが新聞記事における「良鮮人」と「不逞鮮人」の恣意的使い分けでした。まぁ大杉栄と親交のあった朝鮮人無政府主義者などはこれを「太ぇ鮮人」と言い換えて「日本人差別主義者から本気で恐れられてる証拠」と開き直ったりしてた訳ですが、要するに「(する側が認識出来ない)差別」の典型例。…
こうした「反日教育の典型的エビデンス」も韓国人側ニュアンスでは随分違ってて、むしろ「ずっと反共イデオロギー最優先教育に忠実だった老害教師が、容共路線の時代に迎合してターゲットを切り替えただけ(アルフォンス・ドーデ「最後の授業(La Dernière Classe、1873年)」みたいに「切り替えの瞬間」に立ち会った経験者もまだ多数が生存)」と捉えられてました。私がこれまでの投稿で述べてきた「日本人も韓国人も政痴はどうにもならない」は、こうした経験から得てきた結論です。
そう、こうした連中は末期大日本帝国における特高警察が(元来の取り締まり対象だった)反体制的な社会主義者や国粋主義者や無政府主義者を狩り尽くすと、今度は活動範囲を新興宗教団体弾圧や言論統制や国民風俗粛正にシフトしていった様に「狡兎死して良狗烹らる」状況を恐るあまり「無制限に叩いて良い絶対悪」が途切れる事をこそ「人道主義や人類平等の権利への侵害」と捉えてしまうのです。戦前最大のマルクス主義理論家戸坂潤が指摘した「究極の自由主義は、誰かの専制の徹底によってのみ達成される」自由主義のジレンマの典型例…
なんでオタクだけ、表現の自由を守ることに特化してるかと言うと「つぶしに来る人間が内外問わずいるから嫌でも特化せざるを得なくなった」ってことで、「一般の感覚とは乖離する」と言うことが多くなった気がする。
— 鐘の音@C97落ちました (@kanenooto7248) October 31, 2019
「いい漫画と悪い漫画に分けよう」
「あなた方は大丈夫」
とかのやばさにすぐ気づく
「いい漫画と悪い漫画に分けよう」
— 中杜カズサ (@nakakzs) November 1, 2019
「あなた方は大丈夫」
これ、規制側が反対した有名マンガ家へ説得するための言葉として常套だったのだよなあ。2010年の非実在青少年問題のみならず、1991年の有害コミック問題の時も。 https://t.co/O1fpXV98kY
そもそも「絶対安全な表現」なんて存在しないのだよね。言いがかりなんてつけようと思えばいくらでもつけられてしまうので、多くの人がなんと思わないものだったとしても、発言力のある1人が扇動すると、その波がで来てしまう。
— 中杜カズサ (@nakakzs) November 1, 2019
極論ドラえもんでもディズニーでも(海外事例でもすでにあるし)。
前から言ってるけど、最悪なのは男性向けと女性向けのファンが互いに攻撃し合って何も残らなくなることなんだよな(実際「創作物全般が嫌い」で、それを狙っている人はいる)。
— 中杜カズサ (@nakakzs) November 1, 2019
普段一般の人はあまり気にしないところだろうし、非実在条例からもう10年近く経ってるので仕方ないにしても、「女性向けは絶対安全」みたいに、特定のジャンルは絶対大丈夫なんて神話はどこにもない、ってことは歴史を見直して知らせたいところではある。
— 中杜カズサ (@nakakzs) November 1, 2019
それどころか、そもそも戦前から60年代にかけて少女向けコンテンツには「恋愛禁止」なんてという信じられない様な制約があったのです。それどころか偉い文化人の方々が口を揃えて「日本に自由恋愛など根付かない。近年こそ海外文化流入で一時的に浮ついているが、やがて伝統文化に回帰して家同士の関係を重視する見合い結婚の良さが見直される事になる」主張しており、実際当時一斉を風靡した源氏鶏太の「サラリーマン小説(1948年〜1971年)」は恋愛至上主義に宣戦布告して「日本の伝統に立脚する蓄妾制復活の方がまだ未来に芽がある!!」なる持論を展開。山田風太郎「忍法帖シリーズ(1958年〜1974年)」においても恋愛要素は任務の阻害要因としてしか登場せず、概ね当事者はどちらも悲劇的最後しか遂げません。
虫ん坊 2010年05月号::TezukaOsamu.net(JP)
戦争が終わったばかりの昭和20年代前半、東京の大手出版社が紙がなくて思うように本が出せないでいる中、大阪の小さな出版社や問屋が、質の悪い紙を使った赤本をバンバン出してそれが売れに売れていた。そして戦後のマンガ批判も早くもこのころから始まっている。
今回調べた中でもっとも古かったのは、『週刊朝日』昭和24年(1949年)2月6日号に掲載された「“浪華赤本”裏から表から」と題された、出版関係者による座談会記事だった。この座談会の中である小売店主が、赤本マンガには文学のような哲学がない、と語り、手塚の『ロスト・ワールド』(昭和23年)を引き合いに出してこう続ける。「「ロスト・ワールド」にしても、前世紀の話をして文化を織り込もうと思えば織り込める。そういうことを考えずに何でもかでも売らんかな主義でいいかげんなものをつくった。刺激を強くして一部でも多く売ろうという漫画が多かったために漫画はいかんという声が出て来たんです」。出版社の人の意見はさらに辛口だ。「長編漫画も作家が筋を書いて、その筋書によって画家が描くのが本当だと思うのですが、全然小説などに縁のない画家が、出たらめな筋をつけて描いたのが悪かったんだ」。そして最後は「子供に与える美しさがない」とニベもなく斬り捨てる。いや手厳しい(笑)。
*そもそも「原作者と作画者が一緒なのが漫画の下劣なところ」という当時の感覚が垣間見えて興味深い。
しかし手塚マンガの本当の魅力は、実はそんな理性的な部分だけにあるわけではない。その真骨頂は、あえて火に油を注ぐかのように、騒ぎのド真ん中へ自分から飛び込んでいく、そんな熱すぎる情熱にあるのだ!!
先の座談会が載った『週刊朝日』の発売からわずか2ヵ月後の昭和24年4月、手塚は『拳銃天使』を発表する(※奥付記載の発行日であり実際の店頭発売日とは誤差があります)。この作品で手塚は、子どもマンガ初というキスシーンを描いて、赤本マンガを批判していた人びとをさらにヒステリーにおとしいれてしまった。これを読んだ当時の大人たちの反応を、手塚自身の言葉から引用しよう。
「京都のPTAの会長のような人から手紙で、『こんなハレンチな漫画を描く手塚という男は、子供に害毒を流す敵である』という、激しい抗議を受けた。又、共産党員と称する読者から『売国奴、すぐ処罰すべし』という脅迫文も受け取った」(講談社版全集『拳銃天使』あとがきより)。
実際のページをごらんいただくと、そんなに大騒ぎするほどの場面じゃないと思われる方も多いだろう。だけど当時はこれがオトナが卒倒するほどの衝撃シーンだったのである。
何しろ映画では、この翌年に『また逢う日まで』というメロドラマ映画が公開されて、主演の岡田英次と久我美子がキスをするというだけで大変な話題になった。しかもそれもふたりは直接キスをするわけじゃなくて、窓ガラス越しに間接キスをするだけなのだ。いやはや、わずか数十年で日本も変わったものです。と、それはともかく、手塚はこうしたショック療法なんかも使いながら、大人たちのマンガアレルギーを少しずつ改善していったわけだけど、マンガはそれを超える勢いで爆発的に増えてしまった。そのため、マンガ批判の声はおさまるどころかますます高まっていったのだった。
現代人の観点から振り返って興味深いのが「原作者が作画も担当するなんて、もうそれだけで低クォリティ確定だろうが!!」なる漫画家への偏見。その観点が「原作者」梶原一騎や小池一夫の歴史的高評価と表裏一体にあった事を思うと、この種の偏見は思うより長く続いたのかもしれません。そして「(原作者としても作画者としても圧倒的クオリティを誇る)大友克洋の登場がパラダイムシフトを引き起こすという…ゲェ、もう1970年代を通り過ぎて1980年代に入ってるじゃないのぉ…
かつて手塚漫画も焼かれたんだから、
— ふるたか (@furu49144635) November 1, 2019
なんも説得力がないでござる。
毎週殺人事件を起こしてる
大ヒット漫画に文句言わない、ふしぎ。
というか、実はリベラル層はかつて、推理小説と推理小説作家と推理小説ファン層も「殺人犯予備層」のレッテルを貼って焼き尽くそうとしていたのです。
江戸川乱歩×野村胡堂対談「 探偵小説このごろ(1950年)」
野村 どうも日本は探偵小説や捕物帖を目の仇かたきにするね。小泉信三氏から聞いた話だが…イギリスのある有名な首相だよ。政局の動きが思わしくなくて、憂鬱になっていた。ある日とても愉快そうにニコニコしているので、夫人が政局がうまいぐあいに打開されたか、と喜び「どうなさったの? 予算が議会を通ったのでございますか」と聞いたら「いや、嬉しいじゃないか、コナン・ドイルがまた新しい小説を書きはじめたそうだ」といったという話。
江戸川 吉田首相も探偵小説の愛読者なんだそうじゃないですか。
野村 牧野伸顕氏も実に好きだったらしい。ある外交官が外国へいく前に、牧野さんを訪ねて「なにかご注文は?」と聞いたら「面白い探偵小説を二、三冊送ってくれ」といったそうだ。
江戸川 探偵小説は、外国では老人が読んでいる。日本では若いものが読む。まるで反対だ。ぼくは書きはじめてから二十五年になるが、このごろになって、代議士になっているくらいの年輩の人に、「読んでいますよ」といわれるようになった。嬉しくなるね。
野村 吉田首相がわたしの捕物帖を読んでいるというんで、新聞やラジオでずいぶん冷かされて、困ったよ。しかし、おかげで、だいぶ宣伝になってね。そのうちにお礼にいかないといかんな。
江戸川 この前アメリカへいった金森徳次郎氏に会った。アメリカで国会の図書館へ案内された。たいしたライブラリーでね。アメリカの議員さんは、ずいぶん勉強するでしょうねと彼がきくと、「なあに、読んでいるのはフィクション(小説)かデテクティヴ(探偵もの)ですよ」といっていたそうだ。
探偵小説は犯罪の予防薬である
野村 わたしはね、こう思うんだ。探偵小説は盲目的本能の安全弁だと。探偵小説を読んでいる人は兇悪な犯罪はやらない。先生に毒入りウイスキーを贈って殺した東大小石川分院の蓮見。あんな犯罪は一見探偵小説をまねたようで、しかし決してあの犯人は探偵小説を読んでいないね。探偵小説は想像力を養うのに役立つよ。想像力をもっていないということは恐ろしいことで、ああすれば、こうなるということを知らない。だからどんな兇悪な犯罪でもやれる。少年犯罪の多いのも、少年たちが精神的失緊状態になっているためで、オシッコをたれ流すのとなんら違いがない。本能のおもむくままにやってしまうという状態なんだ。想像力を盛んにすれば行為の結果について考えるから犯罪予防になると思うね。
江戸川 むかしはちょっとした手のこんだ犯罪があると、犯人は探偵小説の愛読者にしてしまったりしたものだね。
当時のそういう雰囲気を上手く作中に盛り込んだのが横溝正史「本陣殺人事件(1948年)」。今や貴重な歴史的資料に…
2010年の時は確かそのセリフを都の人が、よりにもよって永井豪先生に言っちゃって先生大激怒されたとか記憶にあります
— 現場猫のおっさん(35) (@OssanBlackRX) November 1, 2019
永井先生はそりゃねえ pic.twitter.com/pKgctDe2ri
— 今泉友介 (@UU30) November 1, 2019
諸悪の根源は、1970年代に入って新左翼/学生運動が衰退して「本当に戦争を戦っていた」最前線世代が「老兵は消え去るのみ。戦争が継続不可能なら我々の出る幕もない」なる判断から次々と自発的に引退していく一方、それまでただ内ゲバの進行とテロリズムの海外輸出プロセスを傍観していただけの第三セクトの連中が「(外山恒一いうところの)究極的には被害者に全財産を遺贈しての自殺か、それの出来ない偽善者として醜く生き存える道の二択となる」反差別主義に染まった上に「白ポスト運動」や「(米国宗教右派の煽動に乗った)公式場面からの黒人追放運動」や「ハレンチ学園弾圧運動」を主導してきた自称日本リベラル層と合流し「過去の学生運動も自分達が主導してきた」なる偽史に立脚する、ある種の「新新左翼運動」を始めてしまった点にあるとも。
もちろん「元祖」新左翼/学生運動が無条件に正しかった訳でもありません。実際それが「家父長制(Patriarchy)の廃止ではなく、自らを家長とする新たな家父長制の建設を望んでいるに過ぎない」と看過した竹宮惠子が運動から離脱して少女漫画界において大泉サロンを創設。当初はバーバラ・ウォーカー(Barbara G. Walker)「失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets、1983年)」流の「家父長制の原型たる家母長制への回帰が人類を救済する」的なウルトラ・フェミニズム系イデオロギーから出発しつつ山岸凉子「日出処の天子(1980年〜1984年)」や吉田秋生「吉祥天女(1983年〜1984年)」を経て魯迅「奴隷と主人が立場を入れ替えても奴隷制はますます強化されるばかり」的覚醒を経て「家父長制も家母長制も結局は権威主義的体制に過ぎす、そもそも権威主義そのものから脱却しなければならない」とする境地に到達。国際SNS上の関心空間に割拠する第三世代フェミニスト集団から「少女漫画こそ私達の聖書」なる発言まで引き出すに至っているのです。