諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【三体】「年が明けたら本気出す」予定?

今年はもう掘り下げるのを諦めた劉慈欣「三体2006年)」についての話題…

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 私の感想は以下の通り。 

劉慈欣「三体2006年)」を読みました。最初はウィリアム・ギブスン辺境Hinterlands)」的展開かと思ったけど、読後感としては虚淵玄脚本のTVアニメ「翠星のガルガンティアGargantia on the Verdurous Planet、2013年)」や劇場版アニメ「楽園追放 -Expelled from Paradise-2014年)」の内容をさらにHard Drivenした感じ?

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①そもそもフランスにおいては絶対王政の樹立過程で地方に分立する(大貴族連合や教会勢力や職業ギルドといった)在地有力者集団が王権国王とその直臣達)の暴走を掣肘する伝統的構図が崩壊し、中央集権にインテリ=ブルジョワ=政治的エリート体制が集団知性として対峙する啓蒙思想英: Enlightenment, 仏: Lumières, 独: Aufklärung)がこれに置き換わる。こうして「(絶対君主から大衆消費社会の大衆に継承されていく究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマと、あえてこれに依存して保身や自らの立身出世の為に役立て様とする社会自由主義が対峙する構造が表面化してきたのであった。

②ある意味、欧州啓蒙主義をそのまま継承した共産主義圏において「(当時共産主義社会を技術的停滞に追い込みつつあった神人同形論Anthropomorphism/アントロポモルフィズム)」が暴走。ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムが「ソラリスの陽のもとにSolaris,1961年、映画化1972年、2002年)」の中でその対極的存在、すなわち「人間の思惑が一切届かない神秘的存在」として惑星ソラリスを設定。この発想がストルガツキー兄弟の「丘の上のピクニック/願望機1977年)」における「異星人の足跡が発生させた神域」設定などに継承されていく。

③こうした作品群はアーサー・C・クラーク幼年期の終りChildhood's End、1953年)」や「2001年宇宙の旅2001: A Space Odyssey、1968年)」にインスパイアされる形で主に共産主義諸国で執筆され(ドラッグを捨て「脳を再プログラミングする道具」コンピューターに入れ込んだ)1980年代以降のティモシー・リアリーの「元ヒッピーベトナム反戦運動の一環としての徴兵忌避でカナダに移住した)」ウィリアム・ギブスンなどへの働きかけを通じてによってTV系サイバーパンク文学ブーム開始に大きな影響を与えている。

ただし正確な科学的知識に裏付けられていなかったので次第に時代遅れとなってインターネット普及が始まった1990年代以降は衰退。そのまま後世の再読に耐え得るのはJ.P.ホーガンやルディ・ラッカー程度となり、前者の「仮想空間計画Realtime Interrupt、1995年3月、邦訳1999年)」が河原礫「ソードアートオンラインWebへの連載開始2002年〜、刊行開始2009年〜)」シリーズ、「未来からのホットラインThrice Upon a Time、1980年)」が「Steins;Gateシュタインズゲート、2009年〜)」シリーズの基本的世界観に強い影響を残した。

翠星のガルガンティア」や「楽園追放 -Expelled from Paradise-」を連想したのも、こうしたSF文学における「我々の認識可能範囲外を跋扈する超越的存在としての絶対他者離れ」のトレンドに位置付けられそうだから。背景に良い意味でも悪い意味でも人類のセルフイメージとしての想定範囲の拡大が…

戦前希代のマルクス主義者として知られる戸坂潤1900年〜1945年の発言

自由主義はあまりにも容易に絶対主義へと転化してしまう

自由主義はその多様性と不安定性ゆえに眼前の歴史的事実に対応すべく政治的に選ばれる可能性のある論理候補には残れない

民主主義が無力なのは大衆が訓練を受け一枚板に組織されていないから。彼らが力を得るにはさらにその組織が特定の時代精神の体現者として編纂される必要があり、この段階に至って初めて民主主義は本来の力を発揮する

現代人なら「それはもはや民主主義でなく全体主義なのでは?」と考え込まざるを得ない側面もある発言。実際、同時期の大日本帝国においては右翼軍国主義)と左翼社会主義者)が共闘して小津安二郎の小市民映画を叩いたりしている。

それにつけてもヘーゲル、彼自身の生きた19世紀前半のドイツにおいてすら「絵に描いた餅」に過ぎなかった時代精神Zeitgeist)概念が、まさか20世紀前半の大日本帝国末期において現実の血肉を得るとは想像だにしていなかった事だろう。

逆を言えば、こうした動きは第一次世界大戦特需を背景に日本に本格的に根付いた古典的自由主義Classical liberalism)が引き起こした(大恐慌到来を契機とする日本民族の存続危機感の高まりに便乗したに直面した)必然の反動だった様にも見て取れるのである。

与謝野晶子 母性偏重を排す(1916年)

私は人間がその生きて行く状態を一人一人に異にしているのを知った。その差別は男性女性という風な大掴おおづかみな分け方を以て表示され得るものでなくて、正確を期するなら一一の状態に一一の名を附けて行かねばならず、そうして幾千万の名を附けて行っても、差別は更に新しい差別を生んで表示し尽すことの出来ないものである。なぜなら人間性の実現せられる状態は個個の人に由って異っている。それが個性といわれるものである。健すこやかな個性は静かに停まっていない、断えず流転し、進化し、成長する。私は其処に何が男性の生活の中心要素であり、女性の生活の中心要素であると決定せられているのを見ない。同じ人でも賦性と、年齢と、境遇と、教育とに由って刻刻に生活の状態が変化する。もっと厳正に言えば同じ人でも一日の中にさえ幾度となく生活状態が変化してその中心が移動する。これは実証に困難な問題でなくて、各自にちょっと自己と周囲の人人とを省みれば解ることである。周囲の人人を見ただけでも性格を同じくした人間は一人も見当らない。まして無数の人類が個個にその性格を異にしているのは言うまでもない。

一日の中の自己についてもそうである。食膳に向った時は食べることを自分の生活の中心としている。或小説を読む時は芸術を自分の生活の中心としている。一事を行う度に自分の全人格はその現前の一時に焦点を集めている。この事は誰も自身の上に実験する心理的事実である。

このように、絶対の中心要素というものが固定していないのが人間生活の真相である。それでは人間生活に統一がないように思われるけれども、それは外面の差別であって、内面には人間の根本欲求である「人類の幸福の増加」に由って意識的または無意識的に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。

与謝野晶子 激動の中を行く(1919年)

巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。

しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。

雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。

私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。

2-5-c7マルクスボーイと人格的自由

琴>耳学問ですが、キルケゴールが単独者の実存の立場を強調したとうかがったことがあります。罪を背負ったまま、神の御前にただ一人立つ単独者の実存ですね。
西田幾多郎>そうなんです。悪に染まり、罪を犯すのも覚悟の上なんです。自由意志を貫くためには、神の掟にも逆らい、親に逢えば親を殺し、師に逢えば師を殺さなければならないかもしれません。無門慧開の『無門関』という禅書にそういう思想が書かれているんです。本当に殺せというのではなくて、全ての既成の考えや、決まりや体制に囚われないで、生きないかぎり仏法は悟れないということです。本当に人格的な自由というものがあり、自由意志によって生きるということなら、正義を貫くために監獄や軍隊を恐れていては何もできません。

琴>あら幾多郎さんまで主義者のような事をおっしゃって、そういえば先生のお弟子さんにはマルクスボーイがおられるとか聞きましたわ。

西田幾多郎>マルクスボーイもいれば、近衛文麿のような将来の首相候補もいます。マルクス主義者たちはむしろ、経済的な生産力や生産関係に人間の観念形態は限定されてしまっていると説く決定論の立場に立っています。自由意志とか人格の自立の立場を見失っています。だから彼等が起こす革命で出来る権力は、人間の人格的自由を容認するとは思えませんね。

終戦直後の焼け跡状態下で坂口安吾がフランス行動主義より援用する形で流行させた「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なる概念とも連続性が存在します。

ある意味世界史的には第一次世界大戦1914年〜1918年)前後に「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制いわゆる中世封建体制)」の最後の牙城となってきた中華王朝紀元前221年〜1912年)やハプスブルグ君主国Habsburg Monarchy, 1526年〜1922年)/オーストリアハンガリー二重帝国独: Österreichisch-Ungarische Monarchie または Kaiserliche und königliche Monarchie, ハンガリー語: Osztrák-Magyar Monarchia, 1867年〜1918年)やオスマン帝国Ottoman Empire, 1299年〜1922年)や帝政ロシア1721年〜1917年)といった多民族帝国が軒並み崩壊し、国家間の競争が全てとなった総力戦体制時代1910年代後半〜1970年代)末期より次第に国際的に急浮上してきた「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される絶対王政的ジレンマの先取りと位置付けられるムーブメント?

戦時体制 - Wikipedia

近現代の戦争において、国家が戦争遂行を最優先の目標として、その達成のために各種の政策を行うことをいう。対立概念は平時体制(へいじたいせい)。

フランス革命戦争期のフランスでは、史上初の国民総動員体制をもって恐怖政治のもとに戦時下の非常処置がとられた。戦時体制下においては、軍需物資の生産を極大化するために企業や国民が組織化されて動員が図られ、しばしばその目的の障害となる国民の私的領域である人権やプライバシーの抑圧が伴う。

第二次世界大戦では、日本は1938年の国家総動員法制定、1940年の大政翼賛会および大日本産業報国会の結成により、世界経済から孤立していたソビエト連邦の戦時共産主義政策をモデルケースとする戦時体制の確立をした。しかし航空機の生産機数や粗鋼生産量など各種の指標を見ても、日本はアメリカ合衆国ソビエト連邦はおろか、イギリスやナチス政権下のドイツにも及ばず、経済政策としては成功したとはいえない。 ただしもともとの生産目標値が平時比較で過大すぎた面もあること、また世界恐慌の影響からいち早く回復した日本は、戦時体制移行直前期の時点で、相当高水準な生産量に達していたためこの時期との比較においては他国より低い値になっているのも事実である。

しかしながら、経済統制の手法は戦後の経済政策にも生かされていく。企業構造や財政システムなどにおける日本特有の要素は戦時体制を淵源とするものが多い。戦後の日本の社会体制に対しても、戦時総動員体制に起源を持つものを指して「戦時体制」ということがある。

国家総力戦に勝つためには、戦時体制によって、国家のあらゆる物的・人的資源を最大限に動員し、活用する必要があるので、徴兵され戦地に送られた男性に代わり、女性がその穴埋めとして、労働現場で働くことになる。それにより、性的役割分業という社会常識の変更と偏見の是正と、女性の技能習得と社会進出が進み、第二次世界大戦後の女性の地位の向上につながったという面がある。

総力戦体制論

危機の時代1919年〜1939年)」と呼ばれる戦間期には、19世紀的な階級社会から、社会成員を均質化させてヒトやモノを効率良く動員する20世紀型システム社会への転換が起き、戦後日本社会のベースが作られた。思想の領域では、自由主義的な言論が封殺され、時局迎合的なナショナリズムの主張が発言力を増した一方で、社会論や文化論など多方面への萌芽が生じ、今日につながる問題に取り組んでいた。

そういえば日本において、かかるジレンマの大源流をアヴィニョン捕囚1309年〜1377年)時代に世俗領主化したローマ教皇やイタリア・ルネサンスに求めるブルクハルトCarl Jacob Christoph Burckhardt、1818年〜1897年)の「イタリア・ルネサンスの文化Die Kultur der Renaissance in Italien, ein Versuch, 1860年、初訳1974年)」や、ヴェルナー・ゾンバルトの「恋愛と贅沢と資本主義Liebe, Luxus und Kapitalismus、1912年、初訳1987年)」が訳出されて広まったのはそれ以降の時代、とどのつまり交通/通信インフラが世界中をある程度まで網羅する様になり、国家が主に公共サービスの担い手としか意識されなくなった時代に商品供給企業やマスコミが、それまで(暴力的手段を国家が十分に独占している状態を法源とする法実証主義に基づいて、相応の火力と機動力を備えた常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって賄う主権国家羅civitas sui iuris)が占めていた立場を継承しようとした商業至上主義時代1960年代〜????)に入ってからでした。

ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義(Liebe, Luxus und Kapitalismus、1912年)」 - Wikipedia

同時代に書かれた、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus,1904年~1905年)」が、経済発展の要因を「プロテスタント的禁欲主義と聖職意識と貯蓄欲」にもとめているのに対して、この著書では恋愛、特に姦通や売春などとそれに関連する奢侈、贅沢に求めており好対照をなしている。

例えば、宮廷で行われるパーティとそこで繰り広げられる恋愛、その為に用意されるドレスや豪華な贈り物といった、あらゆる贅沢品は海外の植民地で生産されており、それを取り扱う商人が新たなブルジョアジーとして台頭し、やがて金銭により官位を得ることにより新貴族となる。それが大都市を形成し資本主義の発展につながるということである。

中世にも奢侈はあったが、近代における奢侈は屋内的、即物的で消費的要素が強い。本書では特に女性の消費行動に注目し、衣服や装飾品に限らず、住居や食事なども分析の対象としている。 本書は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と対をなしながらも、両書とも経済発展を文化的・社会的側面から考察しており、経済学や社会学の研究者から文献としてよく取り上げられている。

同時代にはむしろバーバラ・ウォーカーのフェミニズム民俗学やカール・ポランニーの経済人類学の方が流行していました。要するに完全に瓦解してしまった科学的マルクス主義イデオロギーの後釜を探す必要があったのです。そして当時の「自称有識者主にヒッピー世代)の多くが辿り着いたのが、日本に「失われた20年」をもたらしたデフレ経済肯定論だったのです。「破滅にしか向かわない発展や進歩より、緩やかな衰退の受容と共有を」。ただしこの時点で(それまでマルクス主義経済が主軸に掲げてきた)プロレタリア階層への救済意識は完全に消え失せてしまいます。

こうした流れはフランスのアカデミズムの世界における、ある種のメタ・レイシズム再評価と完全に同期していました。ゴビノー伯爵やニーチェが傾倒した「距離のパトスPathos der Distanz)」の維持を渇望する独特の貴族主義的世界観…

この間、共産主義国ながら経済成長を続けた中国やベトナムは(マルクス経済学のさらなる大元ともいうべきサン=シモン主義に従った国家建築を遂行してきたと目されています。実際、劉慈欣「三体2006年)」に横溢する「ポジティブな科学至上主義Scientism)」はまさにその体現。

ところで西洋社会において科学主義なる言葉に伝統的にネガティブなイメージを植えつけてきたのは一体誰だったでしょう? 全体像を俯瞰すると行き過ぎた暴走もそれを諫める動きも主として「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制いわゆる中世封建体制)」崩壊やナチス台頭の影響で英米への移住を余儀なくされたオーストリアや東欧の「時代に乗り損ねた従ってそれまで近世以前の古臭い因習に拘泥されてきたインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層に属してきた有識者」から出てきたのです。

源氏物語における末摘花の変貌」という奴ですね。著者の心境変化の影響を受けて初登場時は「零落して時代遅れの生活を営む道化」に過ぎなかったのに、次第に「どんどん軽薄化する宮廷生活の節操のなさに対する外的批判者」へと格上げされていく流れ…20世紀末SF文学における「我々の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者としてのエイリアン」ジャンルの流行にも、間違いなく同種の心境の投影が存在したのでした。

共産主義化して以降の中国やベトナムにはこの種の階層が存在しなかった事が幸いした側面が確実にありました。サン=シモン主義のドグマ (dogma)たる「破壊の後には創造が続かねばならない。それもそれまでインテリ=ブルジョワ=政治的エリート層を占めてきた不労所得者集団ではなく実際の社会の担い手自身の手によって」が、まさに実践されてきたのです。

こうしたアーサー・C・クラーク/共産主義的不可知論系SFのメイストリーム系譜に対し、劉慈欣「三体」は同じアーサー・C・クラークでも「宇宙のランデヴーRendezvous with Rama、1973年刊)、そして2000年代に入ってから暴走する欧米リベラリズムへの反対に回ったマイケル・クライトンの影響が色濃く感じられるのが特徴。

というか「宇宙のランデヴー」自体に「まさかこれこそが出発点?」としか思えない記述があったりします。

ラストシーンは、地球の科学者が感じた予感として「ラーマ人は何ごとも、三つ一組にしないと気がすまない。」という有名なフレーズで締めくくられる。

とはいえ「エイリアンの異進数」問題自体はH・G・ウェルズ宇宙戦争The War of the Worlds、1898年)」の映像化作品に登場する「三つ目宇宙人」から、テッド・チャンのSF短編小説「あなたの人生の物語Story of Your Life、1998年)」に登場する「7本足宇宙人」まで相応に歴史あるガジェットなんですね。
*実際「3体人」も三つ目である可能性があったりして。1巻では彼らについての身体状態への描写が慎重に避けられてる辺りが怪しい…

そもそも、こういう「人類の認識対象範囲外を跋扈する絶対他者としてのエイリアン」や「僻地や科学最先端の現場に突然変異的に現れ、その初期条件の圧倒的不利にも関わらず文明破壊能力を備えた大怪獣やゾンビ・ウイルス」なる概念の登場そのものが、人類の科学技術史と密接に関与しているという…

その一方で歴史的に有名な制御不能問題を持ち込んだ辺りが「三体」の新しさ…それから、中国文明が上掲の様な西洋世界の展開と全く異質な歩みを続けてきたギャップを「(歴史上の諸概念を滅茶苦茶に混ぜ合わせた異世界シミュレーションゲーム」なるガジェット導入で軽々とクリアしてのけた剛腕振りにも感心した次第。

実は後者「モンゴル帝国イスラム文明と中華文明をニヒリズムで屈服させていく統治過程」なんぞに対応する側面もあるのですが、著者は意図的にこの手口を採用したのでしょうか? まぁこの辺り続編でどういう扱いになるのか見ないと分からない側面も。

で、こういう作品に来年以降からどうアプローチする予定かというと…現段階では展開予定表と参照予定サイトのリストのみが存在する状態。

年が明けたら本気出す!!