横山光輝「バビル二世(1971年~1973年)」「その名は101(1977年~1979年)」の世界も遠くなりにけり?
そういえば小松左京「エスパイ(1967年~)」なんてのもありました。1974年の「ユリゲラー緊急来日」によるブームに合わせ映画化もされています。
それにつけても当時のコンピューター概念の粗雑さときたら…
70年代超能力、「科学が未熟なので我々はまだ人体についてよくわかっていないが、実はまだ計測できていない凄い能力が秘められてるのかもしれない」っていうSFなんだけど、今となっては「脳は通常時30%しか使われてない」って定説すら嘘だったとわかってしまったので、超能力の神秘は淘汰されたんだよ
— パルボナちゃん🔮冬コミ4日目西B38a (@parubona) 2019年12月12日
こういう論理があるから、人類は宇宙に行けばニュータイプになれるみたいなSFが出来たんだよなあ。
— たちばなしゅう (@shoetouchbanner) 2019年12月12日
今ではニュータイプはマンガのヒーローでしかなくなってしまった。悲しい。
「実現可能性」を考慮する以上、超能力ってのは現実の物理現象に準ずるものだと思われた。物体移動とかテレパシーとか。でもそのくくりはナンセンスなので、受け手のインパクト重視の能力バトルものになった。
— foxhanger (@foxhanger) 2019年12月12日
実はジョジョ第三部の初期スタンドは比較的古典的な「超能力」に沿ってる。
— 葛西伸哉(HJ文庫『封印魔竜が〜』2巻10月1日発売!) (@kasai_sinya) 2019年12月12日
念動&アポーツ、パイロキネシス、念写。 https://t.co/A6Ai0YTOhZ
スタンドは超能力描写の新境地だとは思われる一方
— pppopx (@pppopx) 2019年12月12日
「あいつがウンと唸ると他の人には見えない筋骨隆々の親父がぱっと出てきて俺をグーパンでオラオラオラと殴って」
「~他の人には見えない小さい軍隊が一斉射撃して俺の顔に小さい穴がぷつぷつぷつ」
吾妻ひでおの発想(妄想)としか思えないのですが
そしてデビッド・クローネンバーグ監督の「スキャナーズ(Scanners、1981年)」に行き着くという…電話回線を利用しての超能力によるコンピューター・クラッキング!!