諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【1960年代と1970年代の狭間】「寅さんの正体は実はゾンビ」?

今はもう誰も「1969年反動」事件なんて覚えてない様です…

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東大安田講堂陥落(1969年1月、大学側より依頼を受けた警視庁機動隊が学生運動家のバリケード封鎖を粉砕。同年の東大受験は中止)が陥落すると学生運動家達からバイブルの様に崇められていた「白土三平の忍者漫画」が一気に人気を喪失し「近未来における人類破滅を暗示するジュブナイルSF小説」も紙面から消え、その空隙を埋める形で以下の様な20世紀一杯続くロングセラー作品が目白押しとなる。
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  • 「アニメ版サザエさん…突然打ち切りになった「白土三平忍者アワー」の後番組としてスタート。

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  • 藤子不二雄ドラえもん(原作1969年〜1996年)」…それまで掲載されてきた「人類の滅亡を暗喩するジュブナイルSF小説」に代わって児童誌の顔に。
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  • 山田洋次監督作品「映画版男はつらいよシリーズ全48作(1969年〜1995年)」…「今の人間の感覚には合わない」と弾劾され絶滅寸前だった伝統的任侠物のパロディとして製作されたTV版(1968年)が思わぬ反響を呼んで映画化が始まった。
    *ちなみにTV版の最終回で渥美清演じる寅次郎は死んでしまったが、それを惜しむ声が殺到したのが発端となっている。

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こうした展開に飽き足らない若者層は益々映画館に足を向ける事に。しかしその数は必ずしも映画業界側を納得させる規模ではなかったとも。

 まさしく「人は失って初めてその大切さに気づく」の世界…

そういえば1960年代には(松本清張の社会派ミステリー、山田風太郎の忍法帳シリーズ、源氏鶏太のサラリーマン小説などに気圧されて)一旦完全に「時代遅れ」となって忘れ去られた江戸川乱歩横溝正史の作品がある種のノスタルジー性を伴って再発掘されるのもこの時期なんですね。ネクロノミコンの謎の二連節「That is not dead which can eternal lie /And with strange aeons even death may die邦訳は「そは永久に横たわる死者にあらねど 測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの」「久遠に伏したるもの死する事なく怪異なる永劫の内には死すら終焉を迎えん」「永遠の憩いにやすらぐを見て、死せる者と呼ぶなかれ果て知らぬ永劫ののちには、死もまた死ぬる宿めなれば」辺り)」みたいなもの?

お茶の間を賑わせる物語の主役が一気に「非情な追っ手に終われ続ける抜け忍」や「終戦争が勃発してしまった時間線から逃げてきた未来人」から「サザエさん」や「寅さん」や「ドラえもん」に代替わりした状況が何を意味するのか、当時の学生運動家達はまだまだ全然何一つ気づいていませんでした。そして時代は1969年から1973年にかけてのそういった人々の境遇の変化にスポットライトを当てた山本直樹「レッド(2006年)」の世界に突入していくという…

古代の死生観においては人間は死ぬと魂魄が分離し「(元来天与のものたる」が(記憶を含めた)人間としての有り様から解放され「上界への帰還」を果たすのに対し「(ある意味、人間としての有り様の受け皿そのものというべき」は役割を終え、生前の楽しかった記憶の回想だけが唯一の慰めになると考えられていました。

もしかしたら、蘇って戻ってくるとしても…