諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【HIV禍】映画「クルージング (Cruising,1980年)」がもたらした闇。

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偏見を助長したのは1980年に封切られた、とあるゲイ映画とも。

映画「クルージング (Cruising,1980年)」 - Wikipedia

ウィリアム・フリードキン監督、アル・パチーノ主演のアメリカ映画。原作はジェラルド・ウォーカーの同名小説。タイトルにある「クルージング」は、本来の意味ではなく、ゲイ用語で男を漁る行為を指す。主題歌はウィリー・デヴィルの『イッツ・ソー・イージーIt's So Easy)』。

 ゲイ(ホモ・セクシャル)の男が被害者の連続殺人事件の捜査のため、ゲイの社会、それも黒レザー系のSMゲイたちの中に囮として潜入していった1人の刑事が、ゲイの世界に深入りしてしまったあげく、葛藤しながら変貌していく様をアル・パチーノが演じたサスペンス映画。

ゲイの男を狙った連続殺人事件が発生する。

その真相がニューヨークのゲイエリア"クリストファー・ストリート"にあると踏んだ捜査本部は、新人警官のスチーブ・バーンズに潜入捜査を命じる。

性的にはストレート(ノンケ)のスチーブだったが、捜査を進めるうちに自分の中で何かが変わっていくのに気づく。 

映画本編にはニューヨークのゲイ・エリアとして知られるクリストファー・ストリートの風俗が取り入れられ、エキストラには1600人もの本物のゲイを使った。

フリードキン監督には、ゲイを扱った初めてのハリウッド映画『真夜中のパーティ』の実績があったが、今作はゲイによる殺人描写が印象を悪くするとゲイたちから抗議を受け、撮影現場は混乱に見舞われた。そのため脚本のすべてが映像化できなかったという。

また、ゲイの市民権がなかった当時、一般層からも槍玉に挙げられ、非常に物議をかもす映画となった。

フリードキン監督はエキストラのゲイとはわだかまりがなかったことを挙げ、差別の意図がないことを訴えた。

第1回ゴールデンラズベリー賞の最低作品賞・最低監督賞・最低脚本賞の3部門にノミネート(受賞はなし)。ちなみにこのときの作品部門ノミネートには『13日の金曜日』(1作目)があった。

ところで実はレイザーラモンHGには思わぬ国際人気がありハードゲイHard Gay)は殆ど彼の固有称号と目されてます。そう実はこの言葉、和製英語なので英語圏には存在しないみたいなのですね。

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ハードゲイ(Hard Gay) - Wikipedia

アメリカ合衆国・ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの一角にあるゲイ・タウン「クリストファー・ストリートChristopher Street)」に1970年代後半頃から1980年頃に興った仮装によるムーブメントにおいて、ボディビルをはじめとしたウエイトトレーニング等で鍛えた筋骨隆々とした肉体を誇示し、SMなどの過激な性行為や表現形態、および旧来の男性性に基づく言動などを採り、特に黒い皮革に銀色の鋲や銀色の鎖などをあしらって作られた独特の装束を身につけた男性同性愛者を示す、日本特有の呼称である。

  • 日本国内には「アメリカン・ハードゲイ」が正式名称であるとする説明もあるが、欧米ではこのような男性同性愛者を示すためには別の様々な名称、呼称が用いられていることから「ハードゲイ」という呼称は和製英語のひとつである可能性が極めて高い。
  • アメリカ本国では黒い皮革に銀色の鋲や銀色の鎖などをあしらって作られた独特の装束による仮装だけでなく、本来は労働着であったブルージーンズ、軍隊起源のドッグタグやブーツ、スポーツ用下着(白いTシャツやタンクトップ)の着用、本来は貞操具であったボディピアス、鍵または錠前型のネックレスなどのアクセサリー、クルーカット、モヒカン、スキンヘッドなどの髪型。タトゥなど、現在の日本の若者一般に珍しくなくなったファッション様式も含まれ、こうしたファッションは彼らのファッションによって一般にも定着し、それを元に日本をはじめ諸国に伝わったとされる。
  • これらは第二次世界大戦後のアメリカにおいて、社会に迎合しない反骨精神に満ちた男性性の在り方に共感する同性愛者たちが、ファッションや行動様式を通じて醸成し、同性愛者としてのアイデンティティーの一つとして確立したものである。また、文化様式としては『Leather subcultureレザー・サブカルチャー)』と総称されている。

一説に映画『エクソシスト』で有名なウィリアム・フリードキン監督による映画『クルージングCruising,1980年)』を日本で宣伝する際に、日本の映画配給会社の東映洋画東映洋画配給)によって宣伝のために考案された名称だとされる。その際、女性的な男性同性愛者を表す対語として「ソフトゲイ」という名称も考案されたそうであるが、こちらは現在、ほぼ忘れ去られている。また、これらの語は日本語で男臭い輩を指す「硬派こうは)」を「ハード」、優しくなよやかな輩の「軟派なんぱ)」を「ソフト」として「ゲイ」の前に冠したものであるという。

日本国内において「ハードゲイ」が異性愛者、同性愛者を問わず、ほぼ通用する言葉であるにも関わらず、男性同性愛者の間では「ハードゲイ」というスタイルはもちろん、ゲイプライド(=同性愛者の尊厳の在り方)としては全く認知されず、定着もしなかった。

たとえ当の本人がアメリカのレザー・サブカルチャーと共通する、白いTシャツ、タンクトップ、ジーンズ、革ジャンやブーツなどを着用し、アメリカのレザー・サブカルチャーに由来するアクセサリーを身につけたり、身体を鍛えたり、共通する行動様式を取っていたとしても、自分自身を「ハードゲイ」と自覚して普段の生活を送っている男性同性愛者は皆無に等しい。そのためゲイ用語として実際の会話で使用される機会もきわめて少ない。これは日本の多くの若者がゲイ・ファッションを同性愛者のものとは知らず、その由来についても意識せず、単に海外のお洒落な流行として全く抵抗感なく受け入れている現状と、ほぼ同じことのようである。

お笑いタレント住谷正樹の演じるキャラクター、レイザーラモンHGの元となった出で立ちは、本来が仮装であるから、日本でもゲイパレード、コスプレパーティや、特別な機会、ホームページのイメージなどで稀に見かける程度のものである。

 起源と影響

一説によると、アメリカには1940年代後半頃からすでにこのような同性愛者が存在したとされる。第二次世界大戦中からのオートバイの普及とその乗用コスチュームによるスタイルで、俳優マーロン・ブランドが主演し、暴走族を描いた初の映画『乱暴者The Wild One, 1953年)』での白いTシャツ、黒革のライダースジャケット革ジャン)とブルー・ジーンズのファッション・スタイルがそれに当たり、これを原型および基本としている。特にその衣装が示す色「黒・白・青」は、ハードゲイ=ゲイ・レザーマンたちのシンボルカラーでもある。

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1950年代頃から、このようなスタイルを元に、ポルノ・コミックや絵画を発表し、性器のエロティックなデフォルメや、筋骨隆々とした身体、極端に男性性を強調したコスチュームをまとったキャラクターを登場させ、アメリカの男性同性愛者に大きな影響を与えたゲイ・アーティストに「トム・オブ・フィンランド」がおり、彼によるレザー・ファッションの同性愛者たちの絵画は、戦後日本のカストリ雑誌『風俗奇譚』でも時折、紹介されていた。

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1969年に勃発した「ストーンウォールの反乱」以降、同性愛者の権利獲得のための動きは急進的となっていったが、そのような流れの中で、1970年代後半頃、トム・オブ・フィンランドが描いたキャラクターと同様の男性性を極端に表現したレザー・ファッションでゲイスポットに出かけることは「男性同性愛者は皆女装をする」という、ステレオタイプ異性愛者らの一般認識への揶揄を込めた仮装によるムーブメントでもあったようである。同様異種の仮装には「ドラァグ・クイーン」があり、こちらは女性性を極端に表現したものである。これらは、仮装によるカリカチュアであって「そんな男もそんな女も居ない」というアイロニーに満ちたものだったようで、当の男性同性愛者たちも普段は一般的な男性異性愛者と変わりない身なりで生活を送っていることが専らであったようである。性的に旺盛で無節操であるというイメージは、1979年に製作されたウィリアム・フリードキン監督の映画『クルージング』によって広められた。ニューヨークに実際にあった、マニアックなゲイ達が集う地下クラブでの撮影シーンを含むこの映画の上映にあたり、当時のアメリカの同性愛者の団体から、同性愛者のイメージを悪化、偏向させるものなどとして抗議や上映禁止運動も起こった。しかし、この映画に対する同性愛者団体の動きは、同性愛者の中にもSM愛好者やフェティッシュな指向を持つ者に対して無理解と差別意識があることを浮き彫りにする結果にもなったようである。

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また、ゲイ雑誌『DRUMMERドラマー)』によって1979年からシカゴでの開催が始まった「International Mister Leatherインターナショナル・ミスター・レザー)」コンテストでは、1989年度の大会で、Tony DeBlaseによって設計された『Leather Pride flagレザー・プライド・フラッグ)』が発表された。この旗は、少数者の中のさらなる少数者であるSM愛好者やフェティッシュな指向を持つハードゲイ=ゲイ・レザーマンの尊厳を示すもので、これは現在「黒・白・青」のシンボルカラーのストライプと「赤いハート」の図柄によっている。「赤いハート」は日本では可愛らしい模様と受け止められがちだが、キリスト教文化圏においては専ら「情熱」や、血を流すキリストの「聖心」「受難」のシンボルであり、性的少数者であるハードゲイ=ゲイ・レザーマンたちがかつて受け、また今も受け続けている「受難」をも想起させるものである。なお「インターナショナル・ミスター・レザー」コンテストはその後も毎年開催されている模様である。

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1980年
にはニューヨークの巨大クラブ『The Saint』でハードゲイ=ゲイ・レザーマン達の祭典『The black party』が催され大成功となったが、ほぼ同時期の流れとしてHIV/AIDSが社会的な大問題となっていった。予防方法も不明だった当時の事情に加えて、前出の主な同性愛団体も含めて、ハードゲイ=ゲイ・レザーマンのムーブメントを後押しする状況ではなかったためか、このイベントは以降2006年まで開催されることはなかった。その後2009年現在、『The black party』はThe Saintの人気イベントとして開催が継続されている模様である。

 1990年代に入ると、トム・オブ・フィンランドの作品の展示会が、故郷フィンランド、フランスなどで催され、またニューヨーク近代美術館に所蔵されるなど、彼が描いたキャラクターとその世界観に対する評価はエロティカ、芸術として認知されるようになる。こうしたポルノグラフィに対する社会的評価の逆転には日本の「春画」の前例がある。

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ハードゲイ=ゲイ・レザーマンの好むSM色の強いエロティシズムの表現は、アメリカにおいて「ソドミーSodomy Law)」との絡みもあり、地下ビデオとして製作されるものがほとんどであったが、1994年には、全編この男性性を極端に表現したハードゲイ=ゲイ・レザーマンの生みの親とも言えるトム・オブ・フィンランドの世界観をテーマに、性的指向の多様性を賛美し、ポルノグラフィの有用性を謳ったゲイ・ポルノムービー『ワイルド・ワンズ(The Wild Ones)』が製作される。題名は映画『乱暴者』原題『The Wild One』から採られている。これもまた州法により未公開部分もあるものの、画期的な作品のひとつであることは間違いないようである。

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  • また、そのコスチュームやアクセサリーが「ヘヴィメタル」「パンク・ロック」などのファッションにも影響を与えたとの説もある。ただし、これらファッションやアクセサリーには、ヨーロッパ伝統の馬車具や馬具、貞操具、拷問道具などにその原型を求められる。また帽子や上着などは米国のものよりもヨーロッパの軍服などのデザインに近いものが多く見られるため、これら全てが起源を同じくする「レザー・サブカルチャー」に含まれると受け止めるのは間違いであろう。
  • アメリカ国内他の状況2009年現在、アメリカ本国では「レザー・ゲイメン(Leather gay men)」「ゲイ・レザーマン(Gay leather man)」「レザー・ゲイ(\Leather gay)」「ビーディーエスエム・ゲイ(BDSM Gay)」など様々に呼称され、ホームページ、コミュニティ、解放団体が存在し、ゲイプライドの在り方の一つとして定着している様子である。
  • また、ハードゲイ=ゲイ・レザーマンを描いたトム・オブ・フィンランドTom of Finland)の絵画がニューヨーク近代美術館に所蔵されていることもあり、芸術、文化、風俗の様々な面で評価されつつある。
  • ただし、呼称、名称を含め「ハードゲイ(Hard gay)」という語を日本と同じ意味の言葉として冠した、または使用したホームページ、コミュニティ、解放団体などはインターネット上には見当たらない。

日本のお笑いタレント住谷正樹の演じるキャラクター、レイザーラモンHGについての記事が専らであり、英語版ウィキペディアでは「Hard gay」は彼と彼の演じるキャラクターの説明となっており、彼の演じるキャラクターの固有名詞として扱われている。また「ハードゲイ(Hard gay)」は「一生懸命なゲイ」という意味にも取れるが、住谷正樹の演じるキャラクターには似つかわしくないようにも思える。

1980年代の私はコンテンツ消費者の立場に終始したので「供給者側の心の闇」なんて実際には全く意識していません。でも今から思い返せば、それは確実に存在していとしか思えなくなってくるのです。

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①おそらく私と同世代の人間が「ニューヨークのゲイ・エリアとして知られるクリストファー・ストリートの風俗のあれこれ」を眺めて最初に連想するのは、アメコミの影響が色濃い寺沢武一の「コブラ1978~1984年, 1986~2002年, 2005~2006年)」、および「バタ臭さ」が売りの叶精作画 「実験人形ダミー・オスカー(1977年~1984年, 1989年~1991年)」「オークション・ハウス(1990年~2003年)」、井上紀良画「マッド★ブル341985年〜1991年)」、池上遼一画の「傷追い人(1982年~1986年)」「クライングフリーマン1986~1988年)」といった小池一夫原作の一連の成人誌向け漫画辺りなのである。あくまで憶測に過ぎないが、(山田風太郎忍法帖シリーズ(1958年~1974年)」から夢枕獏サイコダイバー・シリーズ(1983年〜)」の様な伝奇ロマンスに継承された)エログロ&バイオレンスの過剰を求める当時の市場性に筋肉を写実的に描ける絵師が立ち向かうにあたって「ボディビル、レザー・ボンテージ、BDSM、警察もしくはナチス風ファッション」といった組み合わせが処方箋的に有望視されていた時代が確実にあったと推測される。

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そういえば、小松左京が「エスパイESPY, 1967年~)」雑誌連載において、同時期連載の(エログロ&バイオレンスの過剰で知られる)山田風太郎忍法帖シリーズ(1958年~1974年)」を強く意識したと述べている。また「SF小説界のエロ担当は俺と筒井康隆」とも。その発言の時点では「8マン(桑田次郎(現・桑田二郎)画の漫画1963年~1965年, TVアニメ1963年~1964年)」脚本や石森章太郎画の漫画「幻魔大戦(1967年~)」原作を経て「アンドロイドお雪1969年)」「ウルフガイ・スリーズ(1970年~)」「サイボーグ・ブルース1971年)」の平井和正、「魔界水滸伝1981年 - 1991年)」や東京を舞台にヤクザやミュージシャンや美少女や記者の人生が交錯する(そこはかとなく同性愛要素が感じられる)ハードボイルド作品群(1970年代後半~1980年代)の栗本薫、「キマイラ・吼シリーズ(1982年~)」や「サイコダイバー・シリーズ(1984)」の夢枕獏などは視野になかったらしい。というか実際、この発言があったのは彼らのデビュー前だった可能性が高い。

当時の『週刊少年マガジン以下、少年マガジン)』の看板作品で、テレビアニメ化もされた。平井と桑田のコンビで本作が連載されるまでには、次のような経緯があった。

新しいロボット漫画の原作は、コンペティションによって選ばれることになっていた。『SFマガジン』の原稿料の安さに作家専業になることに難しさを感じていた平井も、内田から声がかかると原作料に惹かれ参加し『8マン』を提出。先行する『鉄腕アトム』とも『鉄人28号』とも異なる「変身能力」「加速性能」というオリジナリティが受け入れられて採用された。本作は、平井の漫画原作家としてのデビュー作になる。

  • 平井の原作を元に作画を行う漫画家も、原作と同様にオーディションで決定された。その中には、少女漫画から転向して間もない松本零士もいたが、オーディションであることを知った時点で辞退したという。選ばれた桑田は、講談社の『少年クラブ』で『月光仮面』を連載したことがあり、シャープでスマートな描線だったことから選定された。

8人目の刑事で8マン」というネーミングは、当時TBSで放送されて人気だった刑事ドラマ『七人の刑事(第1期1961年~1969年)』を踏まえたものだった。

  • 8マン』以後も、平井と桑田は『超犬リープ』『エリート』『デスハンター』『鋼鉄魔人』と、コンビを組んで作品を発表している。
  • 連載中に桑田が拳銃不法所持による銃刀法違反で逮捕されたため、連載は急遽打ち切りとなった。打ち切りとなった回(「魔人コズマ篇」最終回。1965年〈昭和40年〉13号)は、連載当時、桑田のアシスタントであった楠高治と小畑しゅんじが代筆している。このため、「魔人コズマ篇」は単行本に収録されることはなく、長らく幻のエピソードとなっていた。ただし、読み切り作品としては、連載終了後も幾度か『週刊少年マガジン』と『別冊少年マガジン』に掲載されている。打ち切り直前の回では東八郎エイトマンであるとさち子が知るシーンがあったが、これが描かれたのは打ち切りが決まる前なので最終回を意識しての展開ではない。

  • 原作の平井は、1968年から1969年にかけて元警官のサイボーグを主人公とした小説『サイボーグ・ブルース』を発表している。これは元々8マンの小説化が転じたものであり、単行本の後書きでは「8マンが打ち切られなかった場合、スーパーロボット技術のルーツである超古代文明遺産の争奪戦になる予定だった」と述べている。

  • 1976年昭和51年)には「魔人コズマ篇」の最終回のみの小説版をSF雑誌『奇想天外』に発表した(後に『ウルフランド』に収録)。

1989年平成元年)から1990年平成2年)にかけて、リム出版より全7巻で完全版の単行本が出版された。このとき、幻となっていた最終回も収録されている。これは、小説版を基に桑田が描き下ろした(代筆版は未収録)ものである。この単行本は50万部以上売れる大ヒットとなり、リム出版は、その余勢を駆って本作のリバイバルブームを仕掛け、実写映画化なども行った。ただし結果的にそれらは悉く失敗、その影響でリム出版も経営破綻した。

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  • 日本におけるレザー=ボンテージ・ファッションに対する印象のややこしさは、ここに「マッドマックスMad Max, 1979年)」「マッドマックス2Mad Max2:The Road Warrior, 1981年)」「マッドマックス/サンダードームMad Max Beyond Thunderdome, 1985年)」と、それにインスパイアされた武論尊原作原哲夫画の漫画「北斗の拳1983年~1988年)」の影響が入ってくる事である。当時のオーストラリアの暴走族は本当に社会悪としか認識されていなかったので、少なくとも第1作においては作中のレザー=ボンテージ・ファッションはあくまで悪の象徴という認識。ただし「妻子を殺され、法の執行者という立場を捨てて彼らに復讐する」主人公も、その「許されない」立場故に同種のファッションで身を包む。そして2作目以降は「(既存秩序が崩壊し)万人の万人に対する闘争が一般化したHardな世界」なので万人がこれ。ちなみに原哲夫は日頃アシスタントに「殺し合う男達の心理的コミュニケーションが理解出来ないなら、二人は恋人同士だと思え」と説いていたという。

  • 当時の感覚でいうと、こうした流れを加速したのが(上掲2作品に比べてレザーファッション感は弱いとはいえジョン・カーペンターJohn Howard Carpenter, 1948年~)監督映画「ニューヨーク1997Escape from New York, 1981年)」に描かれた「重犯罪者達の退廃した悪の風俗」だった。ただそれ自体は当時の場末の風沿街にインスパイアされたHardなアクション映画に普遍的に見られた表現で、どちらが先か良く分からない。そしてそういった派生作品においてこそレザーファッション感と悪の風俗感は融合を果たしていくが、そこにはエロティズムのさらなる強調はあっても同性愛要素の継承はなかったのである。

    「ニューヨーク1997(Escape from New York, 1981年)」 - Wikipedia

    監督をジョン・カーペンター、主演をカート・ラッセルがそれぞれ担当した、近未来SF映画1996年には続編『エスケープ・フロム・L.A.』が製作された。

    オープニングのマンハッタンのイラストはCGではなく、段ボール箱にガムテープを貼りブラックライトを当てたものである。また、冒頭のスネーク・プリスキンがグライダーを使い、夜陰に乗じてニューヨークに侵入を試みるシーンで、グライダーに搭載された暗視野装置のモニタに映し出される風景映像は、ミニチュアをリスフィルムで撮影して光学合成をかけたものである。まだCGに莫大な予算が必要だった当時としては現実的かつ効果的な手法であり、その後しばらくの間は「CGを使いたいが予算がない」という作品で多用されるテクニックとなった。

     ストーリー

     1988年、犯罪増加率が400%を突破したアメリカは、ニューヨーク・マンハッタン島を15メートルの巨大なコンクリート壁で囲み、一帯をまるごとアメリカ最大の刑務所とした。そこには終身刑の重犯罪者たちが集められ、週に1回セントラル・パークに投下される食料の配給以外は全て所内の囚人による自治に委ねられていた。

    エネルギー危機によって米ソが開戦した第三次世界大戦終結しつつあった1997年のある日、大統領専用機がテロリストに乗っ取られ、マンハッタン島内に激突墜落させられる。大統領は脱出用ポッドで機外に逃れたが、救助に向かった強行突入部隊が発見したのはこじ空けられたポッドだけであり、大統領はすでに囚人たちによって拉致され、残されていたのは刑務所周辺を警備する全兵力の撤退を要求する囚人たちの要求書と、切り落とされた大統領の指1本だった。

    大統領は米中ソの三国サミットへ向かう途中で、サミットでは参加国に対し、戦争の原因であるエネルギー問題を解決する核融合技術に関する発表内容が吹き込まれた録音テープを提示する予定だった。

    警察本部長は、元特殊部隊員でレニングラード降下作戦の英雄ながら、武装強盗の罪でマンハッタン島に収監される予定だったスネーク・プリスキンを、釈放を条件に刑務所内に単身潜入させることを思い付く。

    嫌々ながら大統領救出作戦に同意したスネークは、頚動脈に24時間後に爆発する小型爆弾を注入されたうえでサプレッサー付きMAC10を渡され、グライダーで世界貿易センタービルへ着地すると、自ら「ニューヨークのデューク」を名乗って、大統領を人質に取ったギャングのリーダーや、街に蠢く食人者たちを相手に孤独な戦いを開始する。

    恥ずかしくもこの粗筋を読み返すまで気付いてなかったが「レニングラード降下作戦の英雄が零落」といった設定、サイバーパンク文学の旗手ウィリアム・ギブスンWilliam Ford Gibson、1948年~)の短編「ローム襲撃Burning Chrome, 1981年)」の主人公二人組「電脳カウボーイ」ボビイと「端末技術者」オートマティック・ジャックが第三次世界大戦中のロシアへのグライダー降下作戦の生き残り(この時オートマティック・ジャックは片腕を失った)ながらサイバースペース場末のチンピラ・ハッカーに零落している(だがその過去のせいで偶然入手したロシア製攻壁攻略プログラムが操れる)という設定に影響を与えた可能性がある。

    より強い影響が見て取れるのがルーディ・ラッカーRudy Rucker, 1946年~ )のサイバーパンク長編「ソフトウェア(Software, 1982年)」で、この作品においては老境に達した社会的問題児ばかりのヒッピー世代がカリフォルニアに集められて幽閉され、若かりし頃から続けてきた退廃的生活を送りながら「(老いさばらえた肉体の破壊的デジタイズによってのみ達成される)身体仮想化と仮想世界への移住」を夢見ている。ただこの領域においては(サイバーフェミニズムレズビアン文化の流れを受けたウィリアム・ギブスン諸作品の共通登場人物モーリィといった例外を除き)レザー・ファッション要素や同性愛要素はあまり見られない。

  • おそらく差別化の意図もあって荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険シリーズ(英: JOJO'S BIZARRE ADVENTURE, 伊: LE BIZZARRE AVVENTURE DI GIOGIO, 1987年~)」は、あえてレザー=ボンテージ・ファッション路線ではなくバレエ・リュスBallets Russes、1905年〜1929年)路線を採用した。それによって天才舞踏家ニジンスキーがそこはかとなく漂わせる同性愛要素が混入。

②要するに快楽文法的にはBDSM要素も同性愛要素も平等に(通常のリミッターを外した結果、返り値も過剰となる事を期待した)引数に過ぎない。そして当時極限例の一つとして啓示されたのがFrankie Goes To Hollywoodの「Relax(1983年)」だったのである。

1980年にニュー・ウェイヴ・バンドとして結成。グループ名は、フランク・シナトラが音楽界から映画界に進出することを伝える新聞記事の見出しから派生した「都へ出てきて堕落する」というニュアンスの慣用句的隠語に由来する。プロデューサーのトレヴァー・ホーンに見出され1983年にZTTレーベルからデビューした。メンバーはホリー・ジョンソン (ボーカル)、ポール・ラザフォード (ボーカル、キーボード)、ブライアン・ナッシュ(ギター)、ピーター・ギル(ドラム)、マーク・オトゥール(ベース)。ボーカルのジョンソンとラザフォードはゲイであることを公言している。

デビュー曲の「リラックス ()」はSM行為を描写した歌詞内容や排尿音などが問題となり、BBCのほか、多くの国の放送局(NHKも含む)で放送禁止となったが、大ヒットを記録する。バックに使われる強い音は、ホーンが最も強い音と思ったというレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムのドラム音をサンプリングしたものと言われていた(この噂は本人が否定、リンドラムであるとのこと)。 「リラックス」は1980年代を代表するヒット曲としてディスコ系や80's系のコンピレーションCDに収録されていることが多いほか、日本のCMでも使用されたことがある(ヤクルト「レモリア」のCMソングとして使用された際、同社は英国で放送禁止になった曲であることを承知の上、サビの部分だけなら問題ないという判断の下で使用した)。また「水10!ココリコミラクルタイプ」のオープニング曲のほか、映画『ボディ・ダブル』ではこのバンドの出演と共に一シーンのBGMとして使われ、映画『ズーランダー』では重要なモチーフとして使われている。ゲーム「Saints Row: The Third」にも使用されている。2017年には日本のアイドルグループ9nineによって「Why don't you RELAX?」という題名でカバーされている。

次のシングル「トゥ・トライブス(Two tribes, 1984)」は当時の米ソ冷戦と核戦争の危機を歌った曲で、全英で9週連続1位を記録した。またロナルド・レーガン大統領とコンスタンティンチェルネンコ書記長のそっくりさんが土俵上で取っ組み合いをするミュージック・ビデオが話題を呼んだ。

ホーンが作り出す時代の先端を行く刺激的なサウンド、話題性の高い歌詞、ゲイであることをアピールしたセンセーショナルなイメージ戦略によってバンドは一躍時の人となったが、それゆえに「トレヴァー・ホーンの操り人形」「ライブではテープを流すだけで演奏もできない」と皮肉られていた。ミック・ジャガーからは「イギリスのヴィレッジ・ピープル」と評された。 人気は長続きせず、1987年にジョンソンがグループを離れ、バンドは活動を停止した。

なおこの乱交パーティ的イメージを継承したのがPrinceの「Party Man(1989年)」「Get off(1991年)」となるが、ここにはもう「ニューヨークのクリストファー・ストリート」的要素は一切見られない。
 

そういえば当時はこういう訳の分からないものもリリースされていて、この辺りの奇妙なダンディズムが岡村靖幸に継承されていくのである。

結果として浮上してくるのが、こうした次元における「退廃」イメージの大源流が古代エジプト/古代ローマ/オスマン帝国などのエスニックな饗宴にあるという仮説。まさしくH.P.ラブクラフトエドガー・アラン・ポーの影響下から脱するにあたって最も参考になったとするティオフル・ゴーチェPierre Jules Théophile Gautier,1811年~1872年)の「或る夜のクレオパトラ(Une nuit de Cleopatre, 1838年)」の世界…

その「一般人がその快楽を味わうには、莫大な対価を要求される」バランス感覚はクライヴ・バーカーClive Barker, 1952年~Hellraiserシリーズ(1988年~)の様なモダンホラー方面に発展を見せる。


同性愛者である事をカミングアウトしている芝居畑出身のクライヴ・バーカーは、これをタナトス(Thanatos, 死への憧憬)と結び付けて商業利用化しGoth文化の新境地を切り開いた。ただし、ありとあらゆる死の表徴に満ちた当時の代表作「血の本(Books of Blood)シリーズ(1984年〜1985年)」や映画「ヘル・レイザーHellraiser, 1987年) 」原作「魔導士(The Hellbound Heart, 1986年)」にHIVやそれを連想させる設定や描写は一切含まれてない。

一方、シンディ・ローパーCyndi Lauper、本名Cynthia Ann Stephanie Lauper, 1953年~)が「Girls Just Want to Have Fun(1983年)」を、マドンナ(Madonna Louise Ciccone, 1958年~)が「Like a Virgin(1984)」を歌って1950年代~1960年代Girls Comic徹底規制によって「少女もパーティ文化に参加したい」文化を復活させる。

当時なりのバランス感覚でGay Shopにはアン・ライスAnne Rice, 1941年~)の「ヴァンパイア・クロニクルズ (The Vampire Chronicles, 1976年)」や「眠り姫シリーズ(The Sleeping Beauty)」が置かれていた時期もあるという。まさしくトニー・スコットTony Scott、1944年~2012年)監督映画「The Hunger(1983年)」に描かれた「どうして悪い娘に育っちゃいけないか分かるかい?…嘘吐き…卑怯者…そういう悪い娘こそ、本当に悪い大人の格好の餌食になるからさ!」の世界…

Openingに流れるBauhaus (Bela Lugosi's Dead)、繰り返し聞いてると次第に「ベーラ・ルゴシは死んだ」が次第に「(ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ(Dracula, 1897年)」で割とあっけなく殺される尻軽女)ルーシーは死んだ」に聞こえてくる…

  • その一方で日本のコンテンツ供給側には明らかにこの世界に踏み入れたい願望があり、それで以下の様な展開もあったが、大した成功を収める事はなかった。

    沢田研二カサブランカ*ダンディ1979年)」に先行する形でヒットした「勝手にしやがれ(1977年)」。

    山口百恵の「プレイバックPart21978年)」はこの「勝手にしやがれ」のへのアンサーソングと言われている。2番の歌詞に「勝手にしやがれ」の出て行った女性の心情が強く表現されているとされている。

    https://www.youtube.com/watch?v=4Cx8gyCcA7c

    ③その山口百恵が作詞、沢田研二が作曲を担当し出産休暇から戻ったアン・ルイスにプレゼントしたとされるのが「ラ・セゾン1982年)」。基本メロディこそUltravoxNew Europian(1980年)の完全なる本歌取りなのだがアレンジは完全に和風ロックに差し替えられてるし、歌詞世界は完全にフランス退廃風…どうしてこうなった?

    結局「ラ・セゾン」路線は思うほど成功を収めず、アン・ルイスは「(吉川晃司を想定した駄目駄目な年下の不良少年に首ったけの打ダメンズウォーカーの心情を歌った)六本木心中(1984)」によってJ-Rockの中核に組み込まれる事になる。

    逆を言えばこの「欧州的退廃との無縁性」こそが和製コンテンツの国際展開に際して独自の武器となっていくのである。

  • そしてファシズム/ナチズム要素についてはクイーン (Queen, 1971年)の「We Will Rock You(1977年) 」や「Radio GaGa(1984)」が煽ったとされる。

    この流れの延長線上に位置するのがミュージカル映画The Greatest Showman(2017年)」のOpening「The Greatest Show」とも。

    2回目に流れる時との差分が意味深…

 

③一方、実際のクラブ経営者やエンターテイメント業界の人間は、こうした(暗黒面も多分に抱えた)乱交パーティ文化から大衆に受ける要素だけ吸い上げて自らの競争力強化を図っている。例えば欧米へのYMO紹介者としても知られる当時のニューロマンティック文化の旗手ティーヴ・ストレンジSteve Strange, 1959年~2015年)…

  • 当時明らかにUltravoxVisageYMOの様なニューロマンス系と国際的エンターテイメント界は独特の葛藤を抱えていた。

  • 一方、当時のハリウッド映画界は、「Times Square1980年)」「愛と青春の旅立ち(An Officer and a Gentleman, 1982年)」「Flashdance(1983年)」「Footloose(1984)」「Streets of Fire(1984)」といった一連の青春搾取(Youth-exploitation)ミュージカル映画1980年代前半の若者独特のタナトス(Thanatos 死への憧憬)に取り入る事に成功する。閉塞的な田舎町で何不自由ない暮らしを送りながら「ここではない何処か」に憧れる深窓令嬢達。「愛と青春の旅立ち」「Flashdance」では、何か特別な契機でもなければ一生その境遇に縛られたままの労働階級少女がこの役割を担うが、そもそも「Times Square」が両者の邂逅が生み出した奇跡を描く物語なので物語文法的に等価値となる(国際SNS上の関心空間ではスラッシュ=腐女子アカウントは「要するにミック・ジャガーキース・リチャーズの邂逅がローリング・ストーンズを生み出す奇跡」みたいな要約もしていた。そういう考え方もあるのか…まぁKPOPアイドルの卑猥な尻の動きが1970年代ミック・ジャガーのそれに由来する事を突き止めた連中ではある。「エドサリヴァンエルヴィス・プレスリーに引き続いて「その汚い尻を動かすな!!」と警告した。だがミックジャガーの尻は、ミックジャガーの尻は動いてしまったのである。ぶるるるるっ‼ かくしてローリング・ストーンズは2度とエドサリヴァン・ショーに出演することはなかった」。ぶるるるるっ‼)。いずれにせよそこにトリックスター的風来坊が現れて世界観そのものを一変させてしまう。この物語文法を21世紀的に丁寧に再構成したのが河原礫「SAO(Sord Art Online, 2001年~)」「アクセル・ワールド(Accel World, 2009年~)」および新海誠監督映画「君の名は。(2016年)」「天気の子(2018年)」だったとすれば、実際にはそんな風来坊など現れず「でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。だから−−この話はここでお終いなんだ」と冷徹に進行するのが広江礼威の漫画「BLACK LAGOON(2001年~)」双子編と2000年代前半米国の風俗を回顧的に描いた映画「Lady bird(2017年)」で「なら俺自身がそのトリックスターに捨て身で成り果てて次世代に夢を繋ぐ」と決意したのがアーネスト・クラインReady Player One(2011年,映画化2018年)」におけるVR世界OASYS創始者ジェームズ・ハリデーだったとも。いずれにせよ当時の日本文化はそれを直接受容可能なほど成熟しておらず「当時の大英ドラマの主題歌」としてのみ商業的に消費する展開を迎える。

    ところで「でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。だから−−この話はここでお終いなんだ」なる諦観への強烈な返歌としてスェーデンのミステリ作家スティーグ・ラーソンの「ドラゴン・タトゥーの女The Girl with the Dragon Tattooシリーズ(2005年~2007年)」や、英国のミステリ作家トム・ロブ・スミスの「チャイルド44(Child 44)シリーズ(2008年~)」や、(阿部定事件や美人局事件といった日本的文化の影響を宇色濃く受けた)映画「Hard Candy(2008年)」や、フランスフランスのミステリ作家 ピエール・ルメートルの「その女アレックス(Alex, 2011年)」や、映画「マレフィセント(Maleficent)シリーズ(2014年~)」といたUltra Feminism的退廃撲滅キャンペーンに由来する作品群が存在する。

    その一方、当時の日本の若者のタナトス(Thanatos, 死への憧憬)は「暴走族が暴走の果てに事故死して神話化される」世界観に終始した。British Beat(世界中で日本だけが激烈に反応したUltravoxの様なロンドン・パンクとニューロマンティックの中間領域。Visual Rockの大源流)からの延長線上で「誰かが呼んでる、Run a ran a ran a way home」と歌ったヴァージンVSの「星空サイクリング(1982年)」の世界、ロカビリー文化の延長線上で「仲間がバイクで死んだのさ、とっても良い奴だったのに。ガードレールに花添えて、青春アバヨと泣いたのさ」と歌ったチェッカーズギザギザハートの子守歌(1983年)」、そうした多様な実存不安を統合する形で「盗んだバイクで走り出す」と歌った尾崎豊の「15の夜(1983年)」の世界、こうした生々しいルサンチマンの全てを日本なりの青春搾取(Youth-exploitation)=安定して商業利用可能な通念として確立した「ゴールなんてなくていいのさ、星を掴もう」の久保田利伸流星のサドル(1986年)」の世界…

そう、これは「事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」の一環…

とはいえ、どうやら歴史のこの時点(1980年代)に同性愛者と「死に至る病」が決定的に結びつけられた訳でもなさそうなんですが…

まだエイズという新しい病気のことを誰も知らなかった頃に、HIVがサンフランシ スコやニューヨークのゲイ・コミュニティでいかに急速に広まったかは、すでに各種の研究が明らかにしている。性行為感染症STD)の治療を専門とするサンフランシスコ・シティ・クリニックは、B型肝炎の研究に協力する男性同性愛者と両性愛者の血液サンプルの採取を、1978年から行っていた。血液中のHIV検出方法が開発された1985年、研究協力者のうち746人の男性からすでに採取され冷凍保存されていた血液がHIV抗体検査にかけられ、この746人の男性たちも追加検査の実施に同意した。検査データの数理的モデル分析から、彼らのHIV感染率が1978年には6%、1979年には19%、1980年には33%に達していたことがわかった。そして、1985年については実に70%に達したのである。いまでは、男性の同姓間性交が原因のHIV感染は、アメリカの西海岸ではエイズ累積患者数の10分の9を占め、東海岸では5分の2を占めている。

ロ ン・ストールとジェイ・ポールはこう書いている。「70年代のゲイ解放運動が生んだ ひとつの予期せざる産物は、おびただしい数のゲイ専用サウナバスハウスセックス・クラブの出現であった。既存の性行動の限界を突破することはひとつの政治的行為 であって、種々の社会的規範の抑圧から人が自由になったという明確な証明なのだ、とする当時流行していた主張に、これらの店はうまく便乗したのだ。また、こうした性の制度化・商品化の結果、さまざまな性感染症が激増したことに対し、不特定多数と活発に性交渉を行っていた連中は、そんな病気はセックスをすれば当たり前のことで、医者に行けばすぐ治る、と考えてしまった

以下続報…さてこの詩論、何処に行き着くの?