諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【サヨナラ2010年代】完全に「魔女化」してしまったパヨクに再生の道はあるのか?

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どうして、この辺りのギャップがなかなか埋まらないのか?

 例えば、こんな議論にもその一環が…

要するにパヨクは、その歴史の最初からただ単に「現実に即した当事者側の声を一切無視し、勝手に想像した被害者像を押し付ける事で状況のイニチアシブを濁ろうとし、肝心の当事者から拒絶される」状況を終始繰り返してきただけかもしれないのです。確かにそういう「我々の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」として「絶対他者に対する黙殺・抵抗・混交・受容し切れなかった部分の切り捨てのサイクル」に参画してきた側面も完全には黙殺出来ません。しかしながら、その主張のうち傾聴に値する部分が現実社会に受容されるにつれ「煮詰められた残り滓」ばかりになっていった現実の歴史もやはり直視しないといけない段階に差し掛かっているのではないでしょうか。

つまり、今まさにパヨクが問われているのは「ソウルジェムが魔女を生むなら、みんな死ぬしかないじゃない!あなたも…わたしも!」と叫んで無理心中を図った「魔法少女まどか☆マギカ・シリーズ(2011年~)」における巴マミの魂の叫びを、どう超克するかという話なのですね。

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  • 考えてみればこの問題、ドイツ農民戦争Deutscher Bauernkrieg, 1524年)は切り捨て、アウクスブルクの和議Augsburger Reichs- und Religionsfrieden, 1555年)は勝ち取ったルター派の延長線上に「個人の魂しか救わないフォイエルバッハ神学が現れ、それを批判的に継承したカール=マルクスKarl Marx, 1818年~1883年)が「現実のプロテスタントを救わねばならない」と言い出した時点から抱えてきた爆弾とも。そう、彼はそう叫びつつロンドンに亡命する事で未だ「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」の精神的拘束下にあるドイツの現実のプロテスタントから逃げ、フランスに産業革命をもたらしたサン=シモン主義の実績を全面否定しつつ「俺ならもっと上手くやれる」なる完璧なまでに空想科学的立場から自らの階級闘争史観を構築して後世に残したのである。

    歴史上の最大の皮肉、それは資本主義国家として相応の成功を収めつつ現存する「鄧小平時代(1977年~1997年)以降の中国」や「ドイモイ政策Đổi mới / 𣌒𡤓, 1986年採用後のベトナム」が「マルクス原理主義を放棄してサン=シモン主義に回帰した」結果そうなった様にしか見えない辺り。そう、結局最終的に勝ったのは「結局フランス革命は破壊に終始しただけだった。次世代の我々は創造に着手する」と豪語した「シャルルマーニュ大帝の末裔サン=シモン伯爵(Claude Henri de Rouvroy、Comte de Saint-Simon, 1760年~1825年)だったのかもしれないのである…

    ちなみに、ここでいうサン=シモン主義とは簡潔に要約すると、最終的には「馬上のサン=シモン皇帝ナポレオン三世在位1852年~1870年)の手によって「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的権威体制」の拘束力が弱い英米やスイスやオランダでは自然に導入が進んだ産業革命を、その拘束力が強固な国がこれを克服しつつ自力導入するのを助けるソリューション・パッケージ(Solution Package)として編纂された処方箋集(Prescription Collection)の様なもの。

    発明国フランスばかりか(ユンカー階層出身のビスマルク宰相の主導下「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的権威体制」の残滓が解体され「法実証主義的世界観に基づいて十分な火力と機動力を有する常備軍を中央集権的官僚体制による徴税で養う」主権国家に推移したドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich, 1871年~1918年)や(版籍奉還(1969年)」「廃藩置県と藩債処分(1871年)」「秩禄処分(1876年)」といった一連の政策により江戸幕藩体制を跡形もなく解体し、マルクスがサン=シモン主義を学んだ教科書「今日のフランスにおける社会主義共産主義(Der Socialismus und Communismus des heutigen Frankreiches, 1842年)」の著者ローレンツ・フォン・シュタイン(Lorenz von Stein、1815年~1890年)に留学した伊藤博文(1841年~1909年)が直接師事した大日本帝国(1868年~1945年)、さらには(ワロン人が自力産業革命導入の為にはオランダ王国からの独立が必須と考えた)ベルギー王国や、(南北戦争(American Civil War, 1861年~1865年)において北軍が南軍に勝利し「統一国家」となったばかりのアメリカ合衆国や、(ポルトガルより立憲君主国として独立したブラジル帝国(1822年~1889年)の次の政体として成立したブラジル合衆国1889年~1930年、ただしこの国が採用したのはサン=シモン主義そのものではなく(その王政や帝政を容認する姿勢を嫌って)袂を分かった元弟子オーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年~1857年)の思想)が、それぞれ自力で産業革命を導入するに当たって参照した政治的経済的イデオロギーとなる。特に日本の場合、(部族連合を解体し、朝廷を頂点に抱く中央集権国家へと移行する為の処方箋集ともいうべき)律令制導入に次ぐ1000年ぶり2回目の海外製ソリューション・パッケージの導入でもあった「黒船頼り」っ振りが特異であり、日本人が正面から向き合うべき「日本的現実」はまさにここにあるとも。

    要するにこうした歴史展開を無限に永劫回帰を続ける平面的な「回転木馬のデッドヒート」としてしか認識し得ないか、ある種の立体的螺旋上昇運動、すなわち上掲の「絶対他者に対する黙殺・抵抗・混交・受容し切れなかった部分の切り捨てのサイクル」と受け止めるられるかこそが、パヨクと本格派左翼(カール・マンハイム(Karl Mannheim、1893年〜1947年)「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」いうところの、自らのイデオロギー実証主義科学の範囲内に留めようと模索し続ける進歩主義)の峻別点となるのである。
    平面的世界認識= 「回転木馬のデッドヒート
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    X軸(Cos波)
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    Y軸(Sin波)
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    立体的世界認識=「絶対他者に対する黙殺・抵抗・混交・受容し切れなかった部分の切り捨てのサイクル
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    XY軸(円弧)

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    ZX軸(Cos波)

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    ZY軸(Sin波)

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    プログラム参照元

  • これまでの投稿において私は、カール=マルクスの「経済学批判Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」における「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎないと疑ってかかれ」なる社会自由主義流懐疑を、「大数の法則」に立脚したジロンド派の数学者コンドルセ伯爵(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年~1794年)の確率論的進化論を同じ数学者として継承したジョン・スチュアート・ミルJohn Stuart Mill、1806年~1873年)の「 自由論(On Liberty, 1859年)」における「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならないが、他人に実害を与える場合には国家権力が諸個人の自由を妨げる権利が生じる」なる古典的自由主義流信念を対比させ、さらには両者を統合する超越的概念として同年発表されたとしたチャールズ・ダーウィンCharles Robert Darwin, 1809年~1882年)の「種の起源On the Origin of Species、初版1859年)」における「進化は系統的に展開する系統進化論を採用してきた。

    国王や教会の伝統的権威と、それへの無限闘争を誓った政治的ロマン主義対消滅に終わった後のイデオロギー的空白を埋めたのは、まさにこの新たに現れた対立構造だったのであり(1859年革命=近代を前期と後期に分ける峻別点)、かくして近代法における「法令不遡及の原則」の採用が政治的経済的イデオロギー上における「絶対他者に対する黙殺・抵抗・混交・受容し切れなかった部分の切り捨てのサイクル」に対比される展開を迎える。

    人がある行為を行おうとする場合には、その行為時の法令を前提としているのであるから、その行為後の法令によって予期したものとは異なる効果を与えられたのでは法律関係を混乱させ社会生活が不安定なものとなる。

    特に刑罰法規不遡及の原則については大陸法英米法どちらにおいても採用された原則であり、フランス人権宣言第8条に既にその原型が存在する。またアメリカ合衆国憲法第1条第9節ドイツ連邦共和国憲法第103条2項市民的及び政治的権利に関する国際規約自由権規約15条にも同様の定めがある。

    これについて本格派左翼なら一時期「永遠革命家=ヨーロッパで最も危険な男」と目されたオーギュスト・ブランキLouis Auguste Blanqui、1805年〜1881年)が「真の革命家は未来永劫、勝利の栄光と無縁であり続ける。何故なら既存体制の転覆は概ね、以降の反体制派を狩る新たな敵の登場しか意味しないからである」と語ったとされるエピソードを相対的に意識すべきであろう。
    残念ながら「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的権威体制」がより濃厚に根付いた地域においては、かかるサン=シモン主義的処方箋すら救済とは成り得ず、現在の政治的経済的国際協調秩序への合流に先立って、帝政ロシアや東欧諸王朝は共産主義国化、オスマン帝国は世俗化、中東諸国はアラブ社会主義の段階を経るしかなかった。あえてこれを総称するなら「マルクス主義瘡蓋(かさぶた)」となる。

もっと言いたい事はあるけど、とりあえず理論面での総括はこの辺で一区切り。要するにこの投稿の段階までの自分なりの立脚点の再確認…

以下続報。

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