諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【天気の子解析】【2020年版第03回】「数学は分かる事はない。慣れたり馴染んだりするのみ」?

f:id:ochimusha01:20200308184146g:plain

BlackY — Tenki no Ko || PV 2 Premiere: 19.07.2019

まさにこの話ですね。

多くの人は単一の無矛盾的な行動規範を与えれば子どもはすくすくと成長すると考えているけれど、これはまったく愚かな考えであって、これこそ子どもを成熟させないための最も効率的な方法なのである。

成熟というのは簡単に言えば「自分がその問題の解き方を習っていない問題を解く能力」を身に付けることである。

成人の条件というのは「どうふるまってよいかわからないときに、どうふるまうかを知っている」ということである。

特に数学についてはこれが言える様なんです。 

 こういう話に繋がってきます。

第一の点は、〈数学の概念は、まったく予想外のさまざまな文脈のなかに登場してくる〉ということ。
The first point is that mathematical concepts turn up in entirely unexpected connections.

しかも、予想もしなかった文脈に、予想もしなかったほどぴったりと当てはまって、正確に現象を記述してくれることが多いのだ。
Moreover, they often permit an unexpectedly close and accurate description of the phenomena in these connections.

第二の点は、予想外の文脈に現れるということと、そしてまた、数学がこれほど役立つ理由を私たちが理解していないことのせいで、〈数学の概念を駆使して、なにか一つの理論が定式化できたとしても、それが唯一の適切な理論なのかどうかがわからない〉ということ。 
Secondly, just because of this circumstance, and because we do not understand the reasons of their usefulness, we cannot know whether a theory formulated in terms of mathematical concepts is uniquely appropriate.

この二つの論点をさらに言い直すと〕第一の点は〈数学は自然科学のなかで、ほとんど神秘的なまでに、途方もなく役立っているのに、そのことには何の合理的説明もない〉ということ。
The first point is that the enormous usefulness of mathematics in the natural sciences is something bordering on the mysterious and that there is no rational explanation for it.

第二の点は〈数学の概念の、まさにこの奇怪な有用性のせいで、物理学の理論の一意性が疑わしく思えてしまう〉ということ。
Second, it is just this uncanny usefulness of mathematical concepts that raises the question of the uniqueness of our physical theories.

新海誠監督映画「天気の子(Weathering With You, 2019年)」に登場する神秘は、ある意味この領域に到達してました。ゴジラやエベレスト山脈と違ってもはや対象化して克服する事すら不可能な、どちらかというと漆原友紀蟲師1999年~2014年)」に登場する「」の延長線上に現れた、さらに曖昧模糊とした存在…

ここからさらに考えて、私なりに到達した結論が「とりあえず、現在取り組んでる数理(Mathematical Thing)については、プログラミング的に表現(Explession)可能になったら自分なりの加算直積可能世界(countable and productable set)の積み上げに組み込めたと考えて先に進む」というもの。要するに、とりあえず自明の場合(Trivial Case)と言い切れる部分を増やしていこうという戦略…

実はこちらの考え方も援用してます。ティモシー・リアリーの精神、未だ死なず?

おそらく、最終的に東京の農業大学に進んで気候変動期の食料問題に取り組む決意を固めた主人公森嶋帆高が選んだのもこのアプローチだったのでは?