諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「北朝鮮は地上の楽園」と推してきたのは自民党とネトウヨの皆さんで、社民党やマスコミは断固反対する立場だった?

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ネトウヨこそ親北派。そんな確固たる基本的歴史的事実も認められない因循姑息な連中なんて、まとめて日本民族や黒人や東南アジア人やユダヤ人同様、先天性ナチス民族だから、真の人道主義と平等主義を復活させるべく、一斉検挙した上にまとめて「シャワー室」送りにして族滅すべき?

状況がいよいよフランス革命最終曲面に差し掛かった側面も?  

ちなみに冒頭で掲げた「日本民族や黒人や東南アジア人やユダヤ人は先天性ナチス民族」は、ネット上で見掛けた以下の激烈な主張よりの援用。

今こそ本気でナチズムの本質に目を向けよう。

ヒトラー総統は外国人で、ヘルマン・ゲーリング国家元帥は幼少期をドイツ植民地南西アフリカやハイチで過ごしたドイツ帝国外交官の息子。ルドルフ・ヘス指導者代理は中東エジプトのアレキサンドリア在住、リヒャルト・ヴァルター・ダレ糧農業大臣は南米アルゼンチン・ブエノスアイレス在住のドイツ系貿易商の息子、ヘルベルト・バッケ食糧大臣はロシア領グルジア、アルフレート・ローゼンベルク対外政策全国指導者はロシア領エストニアで活躍したドイツ系実業家の息子、ヨアヒム・フォン・リッベントロップはカナダのドイツワイン貿易商だった。

宣伝全国指導者ヨーゼフ・ゲッベルスは歩くのに杖が必要だった身障者、突撃隊幕僚長エルンスト・レームは同性愛者だった。

そう、こうした「内面から届く良心の声」とは無縁の精神的障害者に通常の国民と同じく生命と財産のと表現の自由を許した結果がナチスの差別主義の台頭だったのである。もちろん人道主義と人類平等の精神に敬意を表し、彼らのそれも表面上は守られるべきだが、その一方で実際には同時に誤爆を恐れず彼らへの同情者の親族に対してと同様、裏側であらゆる(定期的な見せしめとしての私刑を含む圧迫がなされ続けるべきであり、決して本当に表舞台において彼らが「普通の人間」として振舞う機会など与えられてはならない。これは日本民族や黒人や東南アジア人やユダヤ人の様な先天性ナチス民族に対する人類の基本的戦略と同じであり、それを疑う事は自らの精神障害を認めるのと同様である。かかる不断の努力を通じて人類はやっと「誰もが笑って暮らしている平等で人道的な社会段階」へと到達するのである。

全体を一気に通読するとあまりの狂気の沙汰にクラクラしますが、偏微分を掛けて個々の要素に分解してみると想像以上にそれぞれが相応の歴史を有する「正義=内面から届く良心の声」に立脚している事実を突きつけられ、さらに胸が詰まるのです。

要するにこの主張に表面上漂う狂気のとりあえずの正体は(これまでの投稿で繰り返し述べてきた様に)「認識対象範囲外を跋扈する絶対他者」を自分がネガティブな感情を抱く多様で多態的な要素全てを単一対象に集中投影していく段階で「鳩胸で傴僂の怪物」といった矛盾だらけの存在が創造される悪魔合体問題と「究極の自由は専制の徹底のよってのみ達成される自由主義のジレンマの併せ技なのです。まずはこうした認識から出発しない限り、この種の狂気の主張から有用な情報を抽出する事など到底出来ません。

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①「ヒトラー総統は外国人…ヨアヒム・フォン・リッベントロップはカナダのドイツワイン貿易商だった」…これ実は実際にナチズムが備えていた重要な一側面の一つ。要するに「オーストラリア=ハンガリー二重帝国の民族同和戦略や、第一次世界大戦敗戦後の迫害によって人種的民族的滅亡の恐怖をより切実に味わった在外ドイツ人のルサンチマンに満ちた激烈な主張が、ワイマール政権の無策に苛立ちつつ適切な打開策を見出せずに居た本国ドイツ人の情緒を射止めた」とされる部分。元来はある意味、南アフリカの冒険商人と国内問題で無策だった本国政治家の癒着がボーア戦争において果たした役割を暴いたホブスン「帝国主義Imperialism: A Study, 1902年)」の延長上において語られるべき内容だが、ドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich, 1871年〜1918年)建国の主要な原動力の一つでもあった「ドイツ民族の人種的民族的滅亡への恐怖」は、さらに「遅れてきた民族」として多数の出稼ぎ労働者や政治的亡命者を出してきた悲劇の時代にまで遡るのである。

ここで全体を読み解く鍵となるのが「日本民族や黒人や東南アジア人やユダヤ人といった先天性ナチス民族」にその存続を脅かされる主体もまた、ある種の人種ないしは民族の様なものとイメージされている辺り。ちなみに、かかる人種/民族間闘争史観が栄えたのは次第に「国家維持に十分なだけの火力と機動力を有した常備軍を中央集権的官僚体制が国民からの徴税で養う主権国家体制羅civitas sui iuris)間の不完全極まる国際協調体制International cooperation system)が歴史の主体に躍り出るに至る欧州近世(Europian early modern period, ~18世紀)と、第一次世界大戦(World War I, 1914年〜1918年)前後にその国際的波及の妨げとなってきた中華王朝オスマン帝国帝政ロシアハプスブルグ帝国(オーストリアハンガリー二重帝国)が相次いで瓦解して国家間の競争が全てと目される総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の狭間ともいうべき19世紀欧州だった。

次第に「終戦争論」へと煮詰まっていく民族論/人種論の源流を遡ると(実に国民の1/10が内ゲバによって殺され、資本主義構築に不可欠な社会インフラが徹底的に破壊され、フランスへの産業革命導入を半世紀遅らせ、結果として大英帝国単独派遣時代を準備したクメール・ルージュの「反近代革命」のマスターピースとしてのフランス革命の遺産としての社会的不安定状態に喚起された、当時なりの「フランス人の苦悩」が急浮上してくる。そしてそれ自体はスペインの哲学者オルテガ(Ortega Y Gasset, 1883年~1955年)が「大衆の反逆(La Rebelion de las Masas, 1930年)」の中で語った様なインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層独特の衆愚的政治判断への不信感へと到達する展開を迎えるのである。

例えばサン=シモン主義の「(ノルマン貴族系不労所得階層に対する)ケルト人復興論」…

例えばゴビノー伯爵の「人種エントロピー」…

カール・マンハイムKarl Mannheim, 1893年〜1947年)も「保守主義的思考Das konservative Denken, 1927年)」の中で(伝統からの一切の逸脱を許さない伝統主義が、大数の法則に立脚して数字的成果の達成を最優先課題とする進歩主義/古典的自由主義の登場に刺激されて物事を総括的に把握しようとする保守主義へと発展した)ドイツ人のゲルマン民族回帰主義の大源流がフランスの政治家/文学者シャトーブリアン(François-René de Chateaubriand, 1768年〜1848年)の掲げた「ケルト民族回帰主義」である事実を認めている。

カール・マンハイム(Karl Mannheim、1893年〜1947年)「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」

保守主義という語にはじめて特殊な刻印を与えたのはシャトーブリアンであって、彼が政治的・教会的王政復古の理念を奉ずるその機関紙を1819年に〈Le Conservateur〉と名づけたときにはじまるのである。ドイツにおいてこの言葉は1830年にはじめて土着した。イギリスにおいては1835年にはじめて受け入れられた。

そのフランス人が(当時の感覚ではドイツ民族を先に滅ぼそうとして失敗した天罰として与えられたとも言える)ナチス占領時代(1940年〜1944年)に編み出した独特の論法が以下の様なものだった。「(ドイツ帝国独立に辛酸を舐めさせられてきたオーストラリア出身のアドルフ・ヒトラーを総統に選んだ現在ドイツの血迷った状況は、フランス革命後の迷走期に血迷ってフランス絶対王政から辛酸を舐めさせられてきたコルシカの下級貴族出身たるナポレオン・ボナパルトルイ・ナポレオンの皇帝即位を熱狂的に歓迎したフランス国民のそれに匹敵する。やがて当然の報いを受けるだろう」。ある意味的中(Hit)した予測ではあったが、ナチス・ドイツ滅亡によって自尊心を回復したフランスのインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層は、その傲岸さ故に(暴力を無制限に用いてまでの)ナチス占領時代の影響の駆逐を主張しつつ、自らの手を汚すのを嫌って実際の遂行過程への関与を否定した結果(実際に第二次世界大戦中、フランス独立運動を戦い抜いてきた)植民地系軍人に政治的主導権暴力の独占権をフリーハンドで譲渡する結果を産んでしまったのだった。せっかくの零落期の反省が全然生かされなかったとも?

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全てが過ぎ去った後の身勝手な反省」に気をつけよ。光と音は空間を伝わる速さが違うから雷光と雷鳴の時間差が生まれる。それについて「雷光こそ雷鳴の原因であり、雷光の出現さえ防げれば雷鳴の出現は予防可能である」なる疑似科学を押し付けようとする人間が現れるからである。

現実には「最初からあらゆる暴力を独占的に行使して思想統制まで敷く独裁者」など存在しない。そうした人物は常に「社会や政治や経済が本格的に破綻して誰にも処方箋が提出出来なくなった状況」において、既に何ら問題解決手段を提示しなくなった既存体制側への(その時点では暴力を独占する側たる)彼らをも巧みに騙したアンチテーゼとして台頭してくる。そう、まさしくシェークスピア史劇「リチャード三世の悲劇The Tragedy of King Richard the Third, 初演1591年)」に登場するグロスター公リチャードの様に。彼の怪物性は最初からその外観に現れていた筈なのに、既存体制側は誰一人としてそれを気にせず、自業自得的に個別撃破されていったのであった。歴史上、何度も繰り返され続けてきたインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層独特の悲劇…

②「宣伝全国指導者ヨーゼフ・ゲッベルスは歩くのに杖が必要だった身障者、突撃隊幕僚長エルンスト・レームは同性愛者だった」…まさしく自らが敵視する「認識対象範囲外を跋扈する絶対他者」に自分がネガティブな感情を抱く多様で多態的な要素全てを集中投影していく段階で「鳩胸で傴僂の怪物」といった矛盾だらけの存在が創造される悪魔合体過程そのもの。ただし、この辺りの抽象的議論に日本人は必ずしもついていけるとは限らない? そう、そもそも「内面から届く良心の声とは無縁の精神的障害者」なる概念上の出発点こそが最大の難関とも。

上掲の文章において、あえて「彼の怪物性は最初からその外観に現れていた筈なのに、既存体制側は誰一人としてそれを気にせず、自業自得的に個別撃破されていった」なる一文を挿入した様に、私自身は必ずしも「自集団の被害に一際鋭敏になっていく分だけ、自集団の加害には一際鈍感になっていく」マイノリティ優越主義を必ずしも全面的に擁護する立場にはない。

しかし同時に「必ず抜け道は存在する筈」と信じる立場でもあったりする。

インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の堕落」についても必ずしも全面的に絶望している訳ではなく、抜け道があるなら大歓迎という立場でもあったりする。

なるほど、この辺りが映画「ジョーカー(Joker)」や、韓国の「江南左派」ボン・ジュノ監督への個人的敵意に繋がっていくのか…完全に理解した?

③「これは日本民族や黒人や東南アジア人やユダヤ人の様な先天性ナチス民族に対する人類の基本的戦略と同じであり、それを疑う事は自らの精神障害を認めるのと同様である」…まさにこうした表現の分析において、機械的偏微分解析は実に役に立つ。

  • 実はかかる言説、2010年代における国際SNS上の関心空間に屯(たむろ)していた匿名Korian系アカウント勢(概ね本国のポリコレ勢から本国SNSより駆逐され尽くしたディアスポラ系か「中身はアメリカ人」の韓国系アメリカ人)が本国SNSにおける「本国の従北派のディベート空間」から拾ってきたと称していたもので、これをもって「韓民族の人種的偏見」と決め付けるには厳密なエビデンス性に欠ける(実際「伝言ゲーム」の過程で相応の誇張が施されてきた可能性が否めないし、そもそも「まだ本国にはこうした後進的連中がいる」と告発したのも韓国系なのをどう考えるかという話)。その一方で、かかる「東南アジア人蔑視の延長線上において黒人やイスラム教徒さらには身障者や同性愛者をある種のヒトモドキとして偏見の極みをもって切り捨てる」態度そのものは、アジア内陸部に未だ深く根差す儒教的伝統主義に準拠しており、政治的判断からこちら側に日本民族が加えられる事自体は十分に想像の範疇だったりする。また、こうした考え方を無条件で受容する保守的な層にとっては「ナチズム=国民党=台湾=中国分離主義」であり、そこからイメージされるのが朝鮮半島ばかりか中国内陸部に巣食う守旧的なインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層である点も言添えておこう。

  • それはそれとして、何とも奇妙なのが(本来はナチスホロコーストの被害者だった筈のユダヤ人まで先天性ナチス民族のリストに名前を連ねている辺り。これは(上掲の匿名Korian系アカウント勢の分析によればイスラエルによるイラク原子炉爆撃事件1981年6月7日)が北朝鮮にもたらした恐怖に由来するもので、迂闊に冷静に「ナチスドイツがユダヤ人に対して遂行したホロコースト南京虐殺大日本帝国による朝鮮半島支配に匹敵する人類最大の犯罪と指摘しながら、同時にユダヤ民族を日本民族や黒人や東南アジア人と同様に人類が人道主義と人種的平等を回復する為に一刻も早く滅ぼし尽くすべき劣等人種呼ばわりし続けるのは、幾ら何でも無理があり過ぎはしないか?」と指摘すると「ほら、馬鹿は本当に馬鹿ばっかりだ!!  貴様も見事に自分が良心の声と無縁な精神障害者である現実をたった今露呈した。世界中からナチスの差別主義者呼ばわりされ、あらゆる財産を奪い尽くされ、妻も娘も輪姦の末に絞殺され、当人も想像を絶する拷問の末に命まで奪われる。それを喜んで遂行しようとしない似非人道主義者も全て同じ目に逢う覚悟をせよ!!」的なヒステリックな反応を返さたという。

  • そう、ある意味「究極の自由は専制の徹底のよってのみ達成される自由主義のジレンマの最終到達地点は、史記における「指鹿為馬しかをさしてうまとなす)」故事の現代版なのであり、そもそも絶対主義的権力の無謬性のみが説かれるばかりとなって、イデオロギー正統性の検証過程自体が「不敬」として忌避される様になってしまうのである。

    そういえばヒトラー総統もまた、当初はキングメーカーとなった諸勢力から「好き放題扱える傀儡」として選出されながら「バッドエンドに向かう方のシンデレラ城効果」によって独善的裁定者としての体裁を整えていったとも。

④「かかる不断の努力を通じて人類はやっと誰もが笑って暮らしている平等で人道的な社会段階へと到達するのである」…こちらの価値観はさらに中世的自助世界、すなわち一族郎党的結束の規模の大きさだけが集団として生き延びる鍵であり、伝統に従って「姥捨」や「障害者の間引き」や「同性愛者の火炙り」が当然の様に行われてきた時代まで遡る。

冲方丁は「微睡みのセフィロト2006年)」の中でこう語っている。「中世とは誰もが笑いながら歌って踊りながら楽しく暮らす世界だった。何故ならもしかしたら心から一体となって楽しんでない?と周囲から疑われた次の瞬間には異端者の烙印を押され一族郎党ことごとく私刑で惨殺されたり、密告で魔女狩りや異端審問に検挙されて火炙りにされてしまう緊張感が常に表裏一体で漂っていたからである」。さらには同時に「Game of Thronesシリーズ」において克明に描かれた様に「領民と領土を全人格的に代表する領主や教区長や都市参事会メンバー」にとっては「誰もが隣人を公敵認定して抹殺する機会をお互いに虎視眈眈と狙い合う陰険な陰謀社会」でもあった。

どうやら「国家間闘争が全てとなった総力戦体制時代」への反動として生じた「反近代イデオロギー」が、そこに至った歴史的経緯を無視して時代を遡り(主権国家間の不完全な国際協調に既にその萌芽が見受けられる近世絶対王政)や(その到来を危惧する「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」や教会領や職人ギルドや都市連合や伝統的地域共同体が排他的に割拠した)中世の「ええとこどり」を目指したのが全ての元凶とも?

ある意味21世紀に入ってから「(主権国家の枠組みが樹立していなかったが故に多様で多態的な諸勢力の均衡状態こそが現実だった」中世や 「そうした対立が関係者全員が損をするだけの破滅的段階に到達しない様に絶対王政が裁定した」近世の枠組みの復興が叫ばれる様になった背景も理解出来るのですが、迂闊に「無分別なええとこどり」を目指すとナチスの再来になってしまうのもまた事実…

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いやむしろ「認識対象範囲外を跋扈する絶対他者」に多様で多態的な不快でネガティブな要素全てが集中投影された結果生まれた「鳩胸で傴僂の怪物」としては、ジャコバン恐怖政治時代に(例え誤爆でも)そう決め付けられる事が即時事実上の「私刑による族滅」の引き金を引いた「オーストリアのスパイ」なるレッテルこそが概念上の起源として相応しいとも。 

ところでこれって(ロシア革命同様)「近世の事象」として捉えるべきなのか「中世の事象」として捉えるべきなのかフランス歴史家の間でも意見が分かれている様なのです。要するに大英帝国大日本帝国の様に「スムーズに中世から近世を経て近代に至る」プロセスを粛々と歩めなかった結果なのですから「中世の残滓」的側面なら確実に残っていた筈という地獄絵図…

そういえば網野史観でも「中世日本に残留した古代の伊吹」に触れてた様な。

まぁこの辺りが「(近代主義としての中世と近世の混同」の起源とも?