諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「赤死病の仮面」が闊歩する?

今回はこちらの話の延長線上から。

今こそ日本のインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層はこういう物語を再紹介して世間の教養に対する興味を高めるべきなんじゃないでしょうか?

エドガー・アラン・ポー「赤死病の仮面(The Masque of the Red Death,1842年)」

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 あらすじ

ある国で「赤死病」という疫病が広まり、長い間人々を苦しめていた。ひとたびその病にかかると、眩暈が起こり、体中が痛み始め、発症から三十分も経たないうちに体中から血が溢れ出して死に至る。しかし国王プロスペローは、臣下の大半がこの病にかかって死ぬと、残った臣下や友人を引き連れて城砦の奥に立てこもり、疫病が入り込まないよう厳重に通路を封じてしまった。

城外で病が猛威を振るうのをよそに、王は友人たちとともに饗宴にふけり、やがて5、6ヶ月もたつとそこで仮面舞踏会を開くことを思い立った。舞踏会の会場となる部屋は奇妙なつくりをしており、7つの部屋が続きの間として不規則につながり、またそれぞれの部屋はあるものは青、あるものは緑という風に壁一面が一色に塗られ、窓にはめ込まれたステンドグラスも同じ色をしていた。ただ最も奥にある黒い部屋だけは例外で、ここだけは壁の色と違いステンドグラスは赤く、その不気味な部屋にまで足を踏み入れようとするものはいなかった。

舞踏会は深夜まで続き、黒い部屋に据えられた黒檀の時計が12時を知らせると、人々はある奇妙な仮装をした人物が舞踏会に紛れ込んでいることに気がついた。その人物は全身に死装束をまとい、仮面は死後硬直を模した不気味なものであり、しかもあろうことか赤死病の症状を模して、仮面にも衣装にも赤い斑点がいくつも付けられていた。この仮装に怒り狂った王はこの謎の人物を追いたて、黒い部屋まで追い詰めると短剣を衝き立てようとするが、振り返ったその人物と対峙した途端、絨毯に倒れこみ死んでしまう。そして参会者たちが勇気を振起し、その人物の仮装を剥ぎ取ってみると、その下には何ら実体が存在していなかった。この瞬間、赤死病が場内に入り込んでいることが判明し、参会者たちは一人、また一人と赤死病にかかって倒れていった。

ロジャー・コーマン監督の手になる映画版(1964年)では、赤死病の仮面を被っていたのは(既に病気の侵入が始まっている事に気付いていながら、その事を切り出せずにいた国王自身だったというオチが追加されました。考えてみれば何て深淵に迫る演出…

要するに、今まさに日本のインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層が立ち向かうべき相手は「(恐怖のあまり、その都度慌てて設定される外敵」などではなく(そうやって外側に全て責任転嫁しようとする自らのおぞましき内面構造そのもの」としか思えないのです。

で、こういう話に。

こういう話も。

 この件については、こうした冷静な指摘も出てきましたね。

まぁ、要するにこれ。

 2010年代後半の米国ネットを騒がせた「オルタナ右翼」「オルタナ左翼」問題を彷彿とさせます。あれも今から全体像を俯瞰的に振り返ると、その正体は何の事はない「FACEBOOKを流れる情報なら何でも信じてしまう保守派老害層をからかって動員しアクセス数を稼ぐビジネスおよびそれに対するアナキスト層のお座なりなカウンター行動)」に過ぎなかったのでした。

ここで思い出すのがこの話。

その上で改めて「人を行動に駆り立てる正義とは何か?」についての再検証が必要となってきた感じかと。

これは例の渋谷デモの件ですね。

 それに対してこういう流れもあったという話。

ちょっと出てくる江川紹子女史の話…

何と「ディーブ・スペクターが面白い事を言い出したら世も末」理論に思いっ切り漸近しつつある?

関連してこういう話も。

一方では、マスク買い占めに走る老人達。

 そのもう一方では、こんな物語に再照明の光が当たったり…

で、改めてこういう話に戻ってくる訳です。

こうしてその時代その時代の 「赤死病の仮面」はその背後に隠された素顔を漸近的に曝していくのだ?