諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「我々人類の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」四天王?

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以下の投稿、私のサイトでは「とりあえずメモ」に分類される内容。相応の結論に至ってその内容が相応に普遍的な問題提起を孕んでいる時初めて「いいね」してくれる恐るべき「通人」メンバーの大半にとっては、まだまだ「」の段階にある様で、それほどの反応はまだ得られてません(むしろ想定内の反応で、それを確認出来た事が「ではこの考え方を普遍化していくとどうなるか?」なる探索モチベーションに繋がっていく)。

こういうコミュニケーションこそブログ投稿の醍醐味にして、それを続けられる糧=モチベーションだったりする訳ですが…一方この投稿にはてなブログが関連づけた既存投稿がこれまた凄まじい…

待て待てどうやって「四夷」の次元を切ったらいいの? 本当にその座標軸は直交してるの? さらに実は当初の段階では以下の投稿が筆頭だったのです。

誰が如何なる基準で調整した? しかもとっさに連想したのがこのエピソード。

国際SNS上の関心空間に集う匿名女子アカウントも、大半が「イケメンの下腹部の筋肉は大好物だが恥毛が覗くと我に返って逃げ散る」シャイなタイプだった一方で「太鼓腹が枕にするのに丁度良い。私はパートナーのそれを育てている」と豪語する筋金入りの性癖の持ち主が確実に混ざっていたのを思い出します。やっぱり「異性のみが備える柔らかいもの」には性別を超えた人気が?  正直、各時代における「傴僂で鳩胸」の絶対矛盾を内包する「我々人類の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」を自分一人で明らかにするなんて絶対に不可能なんで、こういう展開は大好物…