諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【20世紀と21世紀の狭間】「悲観的ガイア仮説」や「セカイ系レッテル貼り」の起源について。

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世界的にカリスマ的人気を誇る「漫画家」荒川宏画伯には「原稿執筆スケジュール調整により出産/育児休載を回避した」物凄いエピソードがあります。これで女性作家と認識されるのが遅れたという側面も。その一方…

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逆に女性(というより妊娠経験者?)でないと絶対に描けないと誰もが確信したSF漫画が白井弓子WOMBS(2009年〜2016年、2010年第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作、2017年第37回日本SF大賞受賞作)」…何しろ主人公が転送兵異生物の子を孕んで空間跳躍力を備えた妊婦兵士)。「腰を落とせ…まずは安定感。大地に根を下ろせ。絶対に転ぶな。次に腹を守る。一にも二にも腹を守る。貴様らの汚いツラを守ろうとするな。腹なくして転送兵なし。さもなくば死である。そいつを体に叩きこめ」ですよ…「軍曹、こんなんじゃ生理が止まってしまいます」「貴様らはここで生理を迎える予定はないはずだが?」「月経じゃなく、卵胞期から排卵を経て黄体期に至る周期の事です。移植が出来なくなりますよ」「ほぉ、一丁前に私を恫喝するか。ここは母親学級ではない。貴様らはこのウェイトベストより重い体を引き摺り、銃弾の雨の中を転送ポイント求めて這いずり回る存在だ。母性保護は産科でやれ!!」ですよ…まさかロバート・ハインライン宇宙の戦士Starship Troopers,1960年)」やジョー・ホールドマン終りなき戦いThe Forever War,1972年〜1974年)」から、こんな亜種が発想し得るだなんて(涙目)…しかもそこから「座標空間へのアクセス」の話に…そう「青は藍より出でて藍より青し」。この作品はちゃんと21世紀にも通用する本物のハードSF作品でもあるのです…

途中過程の高揚感はともかく、この作品の「最後には結局何処へも辿り着かない」悲壮感は(大友克洋AKIRA( 1982年~1990年)」や巴啓祐「神の獣 (1992年)」辺りを大源流とする五十嵐大介海獣の子供2006年〜2011年,劇場版アニメ化 2019年)」や劇場版アニメ「GODZILLA三部作通称アニゴジ、2017年〜2018年)」と重なってきます。アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood, 1960年代後半~1970年代前半)に引続いてリベラル層を熱狂させた「怪奇オカルト・超能力・UFO」ブームとそれを巡る陰謀論1979年における月刊ムー刊行の原動力となる)や「(冷戦時代の緊張感と絶望感を継承した悲観的ガイア仮説」の最終到達点…

ならばその起源は何処にあったのでしょう?

  • 手塚治虫鉄腕アトム(1952年〜1968年)」の発想の起源は、おそらく監督フリッツ・ラング、脚本テア・フォン・ハルボウのSF超大作映画「メトロポリスMetropolis, 1926年製作/1927年公開)」に登場するアンドロイド反乱煽動者マリアにインスパイアされた「(ロスト・ ワールド(1948年)、来るべき世界(1951年)と列記され手塚初期SF三部作を構成する)メトロポリス(1949年)」に登場するロボット反乱煽動者ミッチィ(両性具有の人造人間)にまで遡る。

    一方、その外観は米国産コミックの「スーパーマンSuperman、1938年)」にインスパイアされた米国産短編アニメ「Mighty Mouse(1942年〜1961年) 」の影響を色濃く受けている。ちなみに米国産コミックはパルプマガジン文化(20世紀初頭〜1950年代)への対抗馬として台頭し「フライシャーのスーパーマンSupermanシリーズ1941年〜1943年)」の様な映画館向け連作短編段階を経てTVドラマの世界に進出。蹴散らされたパルプマガジン連載短編側は単行本刊行の世界に活路を見出し、その結果としてSF/冒険物長編ハードボイルド文学クトゥルフ神話アンソロジーといった個別ジャンルが派生する展開を迎える。
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  • 黎明期魔法少女アニメ1960年代)には「鉄腕アトム」アニメ化(1963年〜1966年)同様、「滅びつつある少年少女向け月刊雑誌文化からの最後の反撃」という側面があった。赤塚不二夫ひみつのアッコちゃん1962年〜1965年)」は米国映画「奥様は魔女I Married a Witch、1942年)」、横山光輝魔法使いサリー1966年〜1967年)」はアメリカの人気ドラマ「奥さまは魔女Bewitched、1964年〜1972年)」をインスパイア元として掲げる(赤塚不二夫は「おそ松くん(1962年〜1969年)」のインスパイア元として米国映画「一ダースなら安くなる(Cheaper by the Dozen, 1950年)」を掲げてもいて、当時の映画業界とTV業界の格式格差問題を彷彿とさせる側面も。1960年代は同時に「面白ければ何でもアリ」の東映のTVドラマ参入や第一次特撮ブームがその障壁を形骸化させていく時代でもあった)が、どちらも「(その姿勢が東京オリンピック熱と少年誌におけるスポ根ブームを取り込んだ女子スポーツ物なるジャンル新設に繋がった側面もある少女向けコンテンツの恋愛御法度主義」なる時代遅れのレギュレーションに従っていたのはそういう事情から。いや本当に当時既に「時代遅れ」だったのか? 何しろ当時を風靡した源氏鶏太サラリーマン小説(1948年〜1970年)にしても、山田風太郎忍法帖シリーズ1958年〜1974年)にしても本当に自由恋愛を「(真っ当な日本人には元来無縁な舶来の人の精神を堕落させ悲劇的最後に追いやるおぞましい何か」としか描いていないのである。「妾契約の方が遥かに人間として健全」とまで断言した源氏鶏太はともかく、山田風太郎作品は次第に「だが本当に?」と疑問符を挟む方向に向かうが、全体として「そう信じたがる大人達」が多数派を占めていた時代だった事実は動かない。
    *この価値観の延長線上において秋田書房月刊少年チャンピオン連載の横山光輝「その名は101(1977年〜1979年)」の銀鈴は非業の最期を遂げる展開に…そういえば1950年代の月刊少女雑誌「少女」「少女クラブ」における少女漫画家としてそのキャリアを開始しC.L.ムーア「ノースウェスト・スミス(Northwest Smith)シリーズ(1933年〜1940年)」日本語版の挿絵も手掛けた松本零士も、案外完全にはこの手の伝統的価値観を後々まで引き摺っていく。

    その一方では既に当時の少女漫画の世界では「舞台が海外やファンタジーやSFの世界なら問題ないでしょ?」なるハッキングが始まっていた。初太刀に該当するのが宝塚ミュージカルにインスパイアされた手塚治虫リボンの騎士(講談社少女クラブ版1953年〜1956年、なかよし版1963年〜1966年、少女フレンド版1967年)」や(同じ少女雑誌でも付録ならチェックも甘かったバグを突いた石ノ森章太郎龍神1957年)」「きりとばらとほしと1962年)」、トキワ荘出身の紅一点だった水野英子星のたてごと1960年、神話世界に擬したラブ・ファンタジー)」辺り(特に「龍神沼」の制作過程を解説した秋田書店「マンガ家入門(1965年)」に邂逅して描き始めた女性漫画家が少なくない)。二の太刀となったのが、「ローマの休日Roman Holiday、1953年)」や「麗しのサブリナSabrina、1954年)」といったオードリー・ヘップバーン主演作品人気を踏み台に海外名画の翻案なる方便で(海外を舞台とした)恋愛ドラマや学園ドラマの導入に着手した女性漫画家達「後追い」故に集英社系雑誌の方が力を入れた側面も)。そして遂には「ベルサイユのばら1972年〜1973年)」や「キャンディ♥キャンディ1975年〜1979年)」といった完全オリジナル大作まで登場するに至る。その「リボンの騎士」内においてすら(尾崎紅葉金色夜叉(1897年〜1902年)」において原作者の意図を尽く破壊し続け遂には未完に終わらせた「毒婦」赤樫満枝や、そのさらなる原型とされるバーサ・M. クレー「女より弱き者(Weaker Than A Woman)」の毒婦マリアの衣鉢を継ぐ悪女ヘケートの扱いについての変遷があったりもしている。ヘップバーン人気にあやかったとはいえ「毒婦ホリー・ゴライトリーが八面六臂の活躍を見せる「ティファニーで朝食をBreakfast at Tiffany’s, 原作1958年, 映画化1961年 )」には手が出せなかったとか、そういう時代制約も存在した。

    東郷裕「金色夜叉」と「嵐が丘」

    おそらく日本でちゃんと等身大の姿でホリー・ゴライトリーが描かれたのは「P.S.元気です、俊平1980年〜)」における女子大生桃子、「東京ラブストーリー1988年〜)」における「アフリカからの帰国子女赤名リカ辺りから。毒婦概念の更新自体は既に「ルパン三世原作1967年〜、アニメ化1971年〜)」の峰不二子や 「うる星やつら1978年〜1987年)」のラム主に1巻時点=1970年代版)や「銀河鉄道999原作1977年〜1981年)」メーテルの頃から始まっているが「まだ早すぎてコンセプト貫徹が望めなかった」もどかしさが漂う。

    *しかもこれに続いた時代のトレンドが「不良少女の可視化」ときてる…

    普通に「悪女でも貞女でもない等身大の女性」が描かれる様になっていく一連の流れの中で意外と重要なブレイクスルーとなったのが(村上龍限りなく透明に近いブルー(1978年)」の衣鉢を受けた吉田秋生 河よりも長くゆるやかに1983年〜1985年)」だったとも。(「少女による少女のための少女小説家の元祖」吉屋信子の衣鉢を継いだ氷室冴子も「コバルトシリーズ少女小説」という枠内でかなりの健闘を続けた時代だった。

    吉屋信子新青年」にまで連載を持ってた?

    *「学園物」のさらなる大源流を探ると散文小説の起源にまで行き着いてしまう。

  • 大友克洋は「童夢1983年)」が週刊マーガレット(1962年〜)に創刊号から連載されてきた石ノ森章太郎さるとびエッちゃん(1962年〜1964年)」、「AKIRA1982年~1990年)」が光文社の月刊少年雑誌少年(1946年~1968年)において江戸川乱歩少年探偵団」シリーズ(1949年〜1960年。戦前(1936年〜1940年)に講談社の月刊少年雑誌少年倶楽部(1914年〜1962年)」に連載されたシリーズの続編。ちなみに光文社はGHQ公職追放で「少年倶楽部」を追われた編集メンバーが創設した会社)や手塚治虫鉄腕アトム」と並ぶ目玉連載だった横山光輝鉄人28号1956年〜1966年)」にインスパイアされて生まれたと語っている。また産経新聞記者として工業関係の取材経験のあった横山光輝は「最初は大きくしかできず、それから小さくなる」と考え、手塚治虫鉄腕アトム」を意識して鉄人28号を大型ロボットにしたと述懐しており、この流れが特撮巨大ロボット物や週刊少年ジャンプに連載された「マジンガーZ1972年〜1973年)」を嚆矢とするスーパーロボットアニメといったジャンルの新設に繋がる。

    大友克洋はまた宮崎駿監督リドリー・スコット監督同様、仏国人漫画家メビウス(Moebius)の影響も色濃く受けたが、その作風は一言で言うと「パルプマガジン系コンテンツの単行本化」の延長線上に現れた英国人作家J.R.R.トールキンホビットの冒険The Hobbit, or There and Back Again、1937年、映画化2012年〜2014年)」「指輪物語The Lord of the Rings、執筆1937年〜1949年、初版1954年〜1955年、映画化2001年〜2003年)」や米国人作家アーシュラ・K・ル=グウィンゲド戦記Earthsea, 1968年〜2001年)」といったハイファンタジー系作品への熱狂、及びカウンターカルチャーブーム(1970年代)を追い風にその反動として急成長を遂げたTV系サイバーパンク文学有り得ない形での混交といった内容だった。仏国メタル・ユルラン誌 (Métal Hurlant) やその米国版ヘビー・メタル誌Heavy Metal)が当時の展開拠点…

    ここでいう「輸出元の本国では有り得ない形での混交が輸出先では起こる」感じ、例えば和製マカロニウェスタン音楽に(ギター・オリエンテッドグループサウンズのおまけについてきたオルガンサウンドが普通に馴染んでる景色と重なってくる。

  • またこの時期には「冷戦による突然の世界滅亡の不安」が世界中に蔓延しており、これまで述べてきた様な悲観的ガイア仮説はまさにここに由来する。

    SFマガジン1961年11月号 巻頭言

    僕はおセンチな平和主義者や平和教の狂信者では決してありません。歴史における力の要因を、いざとなれば正義も蜂の頭もない物理的衝突に発展する力と力の均衡を、そしてこれをエネルギーとして駆動する歴史の残酷さをむしろ信奉しているくらいなのですが、それでも貴方達同様に家族、すなわち恋人や妻や子供や自分自身がむごたらしく死に絶えていくのを恐ろしく感じるのです。

    そしてふと思うのです。この恐怖こそが、もしかしたら人間性も歴史も変えて我々を絶望から救うのではないかと。その結果として人類は初めて一種次元の違った未来へと突入するのではないかと。この壁さえ乗り越えてしまえば次の「ピリオド(周期の終わり)=クリシス(クライシス)」が到来し改めて人間性の壁を破らねばならなくなる数百年後や数千年後にまで生き延びられるのではないかと。その片鱗を目の当たりにする為には、少なくともあと40年や50年は生きねばなりません。ああ生きていたいな、生きていたい。みんなで力を合わせて原爆実験反対運動に協力しましょう‼︎

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    終末戦争によって静かに滅んでいく世界における男二人と女一人の恋模様を描いた映画「渚にて (On the Beac、ネビル・シュート原作1957年、スタンリー・クレイマー監督の手になる映像化1959年)」を模倣した東宝スペクタクル映画「世界大戦争(1961年)」の公開年。公開直前にベルリンの壁が構築され、翌年にはキューバ危機が起こる東西冷戦激化を背景に理不尽な運命に翻弄される平凡な小市民を描いた。

    山田風太郎忍法帖シリーズの一昨「外道忍法帖1961年〜1962年)も、最終場面が長崎への原爆投下で終わっている。江戸時代初期(背教者フェレイラが登場する辺り遠藤周作「沈黙(1966年)」と採用 時期が重なる)の長崎を舞台にシリーズ最大数伊賀15人・甲賀15人・大友15人)の忍者が繰り広げた忍術合戦が人類にとって望ましい形で終わらなかった為。世界中の関心が核戦争勃発の恐怖で占められていた状況の傍証。

    興味深い事にこれを契機に松本清張らが仕掛けた「社会派ミステリ・ブーム(1957年〜1960年代)」に陰り(より正確に言うと推理物としての面白さに欠ける便乗企画の淘汰)が生じる一方、未曾有の翻訳小説輸入時代が到来。海外SF/推理小説を扱う早川書房の大躍進が始まる。そして東京オリンピック( 1964年)前後よりTVが急速に家庭に普及し、ブランド舶来品への関心も増して「日本初の青年週刊誌平凡パンチ(1964年~1988年)が創刊される。

    漫画家モンキー・パンチハンナ・バーベラ・プロダクション制作の短編アニメ「トムとジェリーTom and Jerry, 1940年〜)」にヒントを得てルパン一味と銭形警部の追っ掛けっこを基本ストーリーラインと定め(そういえばアニメ版「魔法使いサリー(1966年~1968年)」のOPに登場する猫もTom Catっぽい)、VOGUE(1894年〜)などの海外ファッション雑誌からの峰不二子のキャラクターや御洒落アイテムを仕入れ続けた「ルパン三世Lupin the Third, 1967年〜)」はまさにこうした時代の落とし子とも。

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    ただ宮崎駿監督は、その性格の根底にそこはかとなく感じられる「没落したフランス貴族の自由人(Libertin)っぽいニヒリズム」が嫌いで「あらゆる面白い事に参画したがる情に厚いイタリア底辺っぽい人間中心主義(Humanism)」に差し替えたと証言している。
    *正確には宮崎駿監督は(モンキーパンチが OKを出した)大隅正秋前監督のルパン像、すなわち「しらけ世代の人物」で「祖父の多くの財宝を受け継ぎ、大邸宅に住み、物や金でアクセクせず、倦怠(アンニュイ)をまぎらわすためにときたま泥棒をし、場合によっては敵対する相手を手にかける事にも躊躇しない」で「飄々としていながら時にニヒルで、どこか暗さがある」という設定について「富裕の倦怠を紛らわすために泥棒をする退廃したフランス貴族の末裔から、常にスカンピンで何かオモシロイことはないかと目をギョロつかせているイタリア系の貧乏人への変化」を起こしたと語ってるらしい。

    そしてモンキーパンチ画伯がそうやって国際見識を広げながら描き続けてきた結果が以下。

    ところで米国TVアニメ黎明期には芸術路線に拘り過ぎたウォルト・ディズニー・スタジオが脱落し、上掲のハンナ・バーベラ・プロダクションランキン・スタジオ・プロダクションUPAを加えた辺りが御三家として君臨していた。UPAというとピンとこない人が多いと思うが、日本のデザイナー柳原良平がその画風に影響を受けて1958年昭和33年)に「サントリーのマスコットキャラアンクルトリスをデザインしてたりする立派な「時代の顔」。部分的には赤塚不二夫作品ら「大人向け漫画キャラに共通する省略風味」全般に影響が感じられるとも。

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    赤塚不二夫の漫画「天才バカボン原作1967年〜1978年、アニメ化1971年〜)」は米国における「黄金の1950年代」や日本の高度成長期を支えた強烈な自己肯定感の批判的パロディとして成立。例えば「辛子工場でゴミクズの様に使い潰される労働者」をコメディタッチで描く不条理劇などで一世を風靡した。時期的には「大声が文字の形の石になって飛んでいく」「輪切りの肉」「マンモスの群れの突進その結果、人間が踏みつぶされてペラペラになる)」「テッコンキンクリート」などの定番ギャグを後世に残した園山俊二の漫画「ギャートルズ原作1965年〜1975年、アニメ化1974年〜)」がブームとなった 時期とも重なる。

    やつらの足音のバラード

    なんにもない なんにもない
    まったく なんにもない
    生まれた 生まれた 何が生まれた
    星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた

    星には夜があり そして朝が訪れた
    なんにもない 大地に ただ風が吹いてた

    やがて大地に 草が生え 樹が生え
    海には アンモナイトが 生まれた

    雲が流れ 時が流れ 流れた
    ブロントザウルスが 滅び
    イグアノドンが 栄えた
    なんにもない 大空に ただ雲が流れた

    山が火を噴き 大地を 氷河が覆った
    マンモスのからだを 長い毛が覆った

    なんにもない 草原に かすかに
    やつらの足音が聞こえた
    地平線のかなたより マンモスの匂いとともに
    やつらが やって来た
    やって来た
    やって来た

    こうした文明批判をあえてシリアスタッチで描いたのが、永井豪デビルマン1972年〜1973年)」や横山光輝マーズ1976年〜1977年)」となる。どちらも原作は悲劇的結末を迎えるが、アニメ版「デビルマン」はあくまで当時のTVコードに従って「あえて人類を滅ぼす側から寝返った正義のヒーロー贈り物の馬の口を覗くな!!)」として描かれた(アニメ版「マーズ」に至ってはさらに壮絶な改変が加えられる展開に)。むしろこの時掲示された「もはや人類は滅びた方がいい」なる強烈なメッセージは富野喜幸監督作品伝説巨神イデオンSpace Runaway Ideon、TV版1980年、劇場版1982年)」や庵野秀明監督映画新世紀エヴァンゲリオンNeon Genesis EVANGELION、TV版1995年〜1996年、旧劇場版1996年〜1997年)」に継承される展開に。
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    ちなみにヴルック・シールズ主演で話題になった映画「青い珊瑚礁The Blue Lagoon, 1981年)」も実はこの系譜で、島で育った無垢のカップルは「救出されても世界戦争に動員されるだけ」と考え最終場面で自殺を遂げる。時期的に見て「新左翼/ヒッピー運動の失敗がもたらした絶望感」も反映されていそうである。スピルバーグ監督映画E.T. (E.T. The Extra-Terrestrial、1982年)」において無垢な子供しか人間として正しい振る舞いをしないのも同種の真理の反映。実はTVアニメ「未来少年コナン1978年)」の原作たる米国小説家アレグザンダー・ケイSF小説残された人々The Incredible Tide, 1970年)」もそういう物語だったが、宮崎駿監督はそのまま映像化する事を拒絶し、明るいハッピーエンドで終わらせている。

    それにつけても…「人間も地球の一部だから許されるも許されないもない」と楽観的に捉えるか「人間の様な存在が存続を許される筈がない」と悲観的に捉えるか以前にガイア仮説(Gaia Hypothesis)そのものが強烈な宗教性を帯びてる気がしてきました。まぁ実際「ガイアの声=人間の心に内側から届く良心の声」そのものですからねぇ…

  • この時代にアメリカン・コミック(以下アメコミ)が歩んだ道の困難さも、少なくともそのうち幾ばくかは上掲の様な実存不安の偏在で説明出来そうである。

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    アメコミの顧客は第二次世界大戦開始前まで子供が主だったが、戦争中には安価な娯楽として大量生産され出征中の兵士に配られて客層が拡大。終戦後はアーチー・コミックに代表されるティーン・ユーモアウォルト・ディズニーのキャラクターが活躍するファニーアニマル・コミック動物漫画)、SF、西部劇物、ロマンス、風刺ユーモア漫画などが加わる。
    *要するにパルプマガジン市場が本格的に淘汰され併合されていった。ビキニ・アーマーやビキニ宇宙服が最後の抵抗のシンボルとなった時代…

    *日本だと復員兵がウィスキーの味を覚えて戻ってきた流れに対応? ちなみに現地では銭形平次ばかり読んでいて、エドガー・スノーが「日本人のバイブル(情状酌量の余地がある犯人は捕縛しない銭形平次の慈悲の心に縋っている)」と揶揄している。

    さらに(暴力表現と流血沙汰を多数含む作品で著名なECコミックの成功を受けて)1940年代後半から1950年代前半にかけて恐怖漫画実録犯罪漫画が台頭すると、政治家や規制活動家がアメコミそのものを標的に「犯罪や少年非行、薬物使用、学力低下の原因」として非難する様になった。

    ここに「スーパーヒーロー物の根底にはサディズムと同性愛嗜好がある」なる考えに取り憑かれた精神科医フレデリック・ワーサムの悪名高い著書「無垢への誘惑Seduction of the Innocent 、1954年)」が登場し少年非行に関する上院小委員会の関心を引き寄せてしまう。その結果モラル・パニックが発生し、学校や保護者グループによる公的な漫画の出版禁止運動が遂行され、漫画本の焚書を行う市まで現れたのである。
    *同時に標的とされ、実質上完全に撲滅されてしまったのが「女子の夜遊びや不純交際を煽っている」と弾劾されたGirls Comicの分野だった。当時この方面の売れっ子作家だったフランク・フラゼッタに転身の機会をもたらした側面も。

    こうして急速な衰退を経験したアメコミ業界では、ナショナルDCコミックス)やアーチーに代表される出版社が同年にコミックス倫理規定委員会を設立。「現存するコミュニケーション・メディアの中で最も厳格な規制」を目標としたコミックス・コードComics Code)の試案を起草し、速やかにコミックス・コード認可シールを販売店の漫画に行き渡らせた(ECコミックは試行錯誤の末、風刺雑誌『MAD』に専念する道を選んで漫画出版事業から撤退。とはいえ実はこの『MAD』は、規制を逃れるため、雑誌形式に変更された漫画本であった)。
    *日本で焚書運動の引き金を引いたのはTV番組や漫画における「実銃を構える」二丁拳銃ヒーロー達で、1960年代にはこれが「玩具みたいな武器を携帯する少年探偵」に置換されていく。ただしここでの妥協は高くついた。結局「子供向けに止まる」宣言をした月刊少年雑誌は、そうした制約を有さない少年向け漫画週刊誌に淘汰され、跡形もなく消滅していくのである。

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    その一方で1950年代中旬より連続テレビシリーズ「スーパーマンThe Adventures of Superman)」のヒットを追い風に白銀時代Silver Age of comic books)と呼ばれる第二次スーパーヒーローブームが始まる。そして1961年には原作者兼編集者のスタン・リーと作画家兼共同原作者のジャック・カービーがマーベル・コミック用に「ファンタスティック・フォー」を製作。その第1話では、人間的な欠点や恐怖心、内なる悪の心を備え、口喧嘩をしたり借金などの心配をするスーパーヒーロー達の自然なスタイルが導入され「スーパーヒーロー堅物の社会改良家達」なる既成概念を打ち壊したのだった。読者層も作品のテーマ性の深さを味わう大学生にまで広がったが、マーベル作品の配給は競争相手であるナショナルに委ねられており、1960年代の終わりまでマーベルが生産可能なタイトル数は限られていたのである。そうしたゴタゴタもあって1960年代後半から1970年代前半にかけて(既存生産網や流通網に頼らないアンダーグラウンド・コミックスが急増。その大部分が当時のカウンター・カルチャードラッグ・カルチャーを反映した若者向けで、それ以前の漫画には見られなかった自由闊達で無礼千万なスタイルを謳歌する様になる。

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    既存出版社はコミックコード委員会の規制緩和(1971年)を遂行し、かかる新市場を狙ったアクションに着手する。「コナン」「カマンディ」「ジョナ・ヘックス」「スワンプシング」「ゴーストライダー」「ドクター・ストレンジリバイバル)」といった非スーパーヒーロー作品やスーパーヒーロー境界作品が人気を博し「適切な」アメコミを目指して「スパイダーマン」で薬物乱用問題、「グリーンランタングリーンアロー」シリーズなどで重大な社会問題を扱う試みに着手。オリジナル版回帰で「よりダークなイメージ」に戻されたバットマン、新聞記者からテレビレポーターに転職しクリプトナイト設定から解放されたスーパーマン、超常能力を一時喪失したワンダーウーマングウェン・ステイシースパイダーマンのガールフレンド)ら人気キャラクターの非業の最期。そして1975年前後には遂にマーヴェル・ヒーローズにウルヴァリンが加わる。これがいわゆる青銅時代Bronze Age of comic books)の展開…

  • 一方、1970年代に入るとそれまで「芸術映画にかまけ過ぎてTV進出が遅れたウォルト・ディズニー・スタジオが、むしろ芸術路線を貫く事によって「おしゃれキャット(The Aristocats,1970年)」「ロビン・フッドRobin Hood, 1973年)」「くまのプーさん劇場版 (The Many Adventures of Winnie the Pooh, 1977年)」「ビアンカの大冒険The Rescuers, 1977年)」を連続成功させて劇場にアニメ・ファンを戻す。これに刺激されたかハイ・ファンタジー長編アニメ大作を志向する動きが現れたが次第に行き詰まって破綻。結局、ハンナ・バーベラ・プロダクション下請けとして「海底2万マイル20.000 Leagues Under The Sea,1972年)」、ランキン・バス・プロダクション下請けとして「ホビットの冒険The Hobbit,1977年)」「王の帰還Return of The King,1980年)」「フライト・オブ・ドラゴンThe Flight of Dragons,1982年)」「最後のユニコーンThe Last Unicorn,1982年)」を受注してきた日本のトップクラフトだけが残り「風の谷のナウシカ原作1982年~1994年, 劇場版アニメ1984)」「天空の城ラピュタ(1986年)」を制作しながらスタジオ・ジブリが創設される展開を迎える。
    *そして結局「ホビットの冒険」や「指輪物語」の完全映画化は21世紀に入ってやっとスティーブ・ジャクソン 率いるニュージーランド映画陣によって達成されるのである。

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    その一方で1990年代に入ると世代交代がスムーズに進んでなかったハイファンタジー文学やコンピューターやインターネット技術が急速に普及していく最中に知識更新を怠っていたサイバーパンク文学の停滞が始まってしまう。

    それは同時に「ニュー・アカデミズムの時代」終焉の始まりだったとも。ソーカル事件Sokal affair, 1995年)を待つまでもなく、既にその寿命は尽き始めていたのである。

    ちなみに海外の日本アニメ/マンガファンの間で悲劇的ガイア仮説というと「発動が防げなかった」代表例が鬼頭莫宏なるたるShadow Star、1998年〜2003年)」、「ギリギリ発動が防げた」代表例が岡本倫エルフェンリートElfen Lied, 2002年〜2005年)」となる様である。
    *未読の人もいると思うので、あえてネタバレ覚悟で暴露しておくど「なるたる」の結末は「マーズ」エンドのさらに上、すなわち「人類が主人公の手によって滅亡から救われた途端、それまでの破壊の責任全てを主人公に押し付けて処刑しようとしやがったので、やむなく自衛措置としてリセットボタンが押された」というもの。一方「エルフェンリート」の結末は「ヒロイン=人類殲滅マシーンが主人公とのキミ=ボク関係ゆえに主人公(および彼が生きている世界)が殺せず、逆に主人公に殺される道を選ぶ」というもの。さてセカイ系認識論ではそれぞれどういう解釈になるの?

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    多くの評価軸において針が振り切れるほどセカイ系設定を満たしているにも関わらず、不思議とその筋の論者が触れたがらないのは、おそらく「(キミやボクにも内在する現実の残酷性から目を背けるのが物語展開上の主目的」なるネガティブなレッテル貼りを根本的に受け付けない構造の作品だから。悲観的ガイア仮説の発動を防ぐには全く別のロジックが必要で、曲がりなりにもそれに到達する事こそがこの種の物語文法の主目的であるにも関わらず、その現実から目を逸らし続けてきたのは一体どちらの方だろう?
    セカイ系の世界経験を巡って

それにしても「何処にでもその名前が現れる手塚治虫横山光輝宮崎駿といった方々の特異点振りが恐ろしい…ところで、実は特異点ならさらにもう一人存在するのです。その人の名は秦豊吉1892年~1858年)。舞台演出家、翻訳家、随筆家。日劇の創出者。1892年に東京日本橋に生まれ、1858年64歳で亡くなります。

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丸木砂土ペンネームで「世界艶笑芸」など性風俗に関する著作を数多く残す。
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大正6年(1931年)から昭和7年(1932年)まで三菱商事に勤める傍ら、ゲーテファウスト」やレマルク西部戦線異状なし」を翻訳。またフリッツ・ラングメトロポリス (1927年)」原作となるハルボウの同名小説(1924年産業革命の成果を謳歌する富裕階層と彼らに奴隷として酷使される労働者階層の対立を描く)の翻訳も手掛けている(岩波文庫の先駆けとして流行した円本の一つ改造社「世界大衆文学全集第十五巻(昭和3年(1928年)11月初版)」として刊行)。

*要するに和製コンテンツがドイツ文化の影響を色濃く受ける様になった遠因の一つとなった人という事。特に原作「メトロポリス」翻訳なくして手塚治虫の漫画「メトロポリス」なしとも。

  • 円本」…大正15年1926年から(関東大震災(1923年)の痛手により倒産寸前だった改造社が刊行を始めた『現代日本文学全集』を口火に、新潮社世界文学全集」、春陽堂明治大正文学全集」、平凡社現代大衆文学全集」などが続々と出版した一冊一円の全集類の俗称、総称。庶民の読書欲にこたえ、日本の出版社に製本から販売までのマスプロ体制を確立させ、また執筆者たちをうるおした。
  • その呼称は出版社側の命名ではなく1925年大阪,1927年東京に初登場した市内1円均一の「円タク」から、派生したと考えられている。1円といったら当時、大学出の初任給の約2%に相当したが、それを廉価とセールスポイントに出来たほどそれまでの本は高価だった。
  • 昭和2年1927年)前後から月に一冊ずつ配本して,昭和5年1930年)過ぎにブーム終焉を迎える。解約者も出て売れ残りが投げ売りされ、皮肉にもその結果として余裕のない階層も『円』本を買えるようになった。昭和2年1927年)の岩波文庫創刊もこのムーブメントに触発された結果だった事が同文庫巻末の岩波茂雄名の『読書子に寄す』で明らかとされている。
  • また昭和3年1928年)における河合肇・大山郁夫監修の「マルクス主義講座」「レーニン著作集」発表に便乗した改造社マルクス・エンゲルス全集20巻1928年~1930年)」は、これらを小脇に抱えて街を練り歩き、これ見よがしに読む「マルクスボーイ・レーニンガール当時の流行語)」を大量出現させ、戦前日本共産党内における講座派と労農派の内紛にまで影響を与える事になる。

昭和8年1927年)、東宝入社。日劇ダンシングチームを育て、日本に新しいショービジネスを根付かせる。

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  • 時はまさしくレビューショー黎明期。「エロ・グロ・ナンセンス」の時代…そういう時代性を受けて江戸川乱歩通俗小説(1929年〜1939年)では勤労婦人カフェ女給レビューダンサー女優、深層令嬢といった「人の嫉妬を集める女性」が次々と連続殺人鬼の餌食に。

戦後、公職追放に遭う。その期間中もステージプロデュースに情熱を燃やし、ストリップショーの草分けといわれる「額縁ショー」を大ヒットさせた。

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東宝に復帰してからは重役として和製ミュージカルを手がけ、越路吹雪などの一流スターを育てている。
*日本最初のTV放送は1953年受像機発売は前年の1952年からつまり要するにTV放送開始とか「(1960年代に入ってから本格化する)映画業界とTV業界の因縁」最初期に立ち会ったかもしれない人。

  • ここで「宝塚とのコネクション」という話が出てくる。そもそも宝塚支配人に「レビューダンスだけではそのうち飽きられる。ミュージカルに力を入れるんだ」とアドバイスした人でもあったとは。まさしく秦豊吉なくして「リボンの騎士」もなし…

  • 越路吹雪に関しては、過去投稿において彼女の持ち曲「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me, 1960年)」とアニメ版「うる星やつら」ED曲「心細いな1982年)」を関連付けて語っている。

    ①アニメ版「うる星やつら」は当時としては珍しく南方系の曲調を採用してるが、これって日本音楽でいうところの「1960年代以前のダンスホール音楽」への回帰では?②「実はずっと日本にいた」日系米国人ヘレン笹野に歌わせてるけど、これも1960年代、版権問題クリアの為にでっち上げた「偽洋楽」っぽい。③「ラストダンスは私に」と「心細いな」は元来、歌い手が男でも女でも完全可換だが「うる星やつら」の世界観でこれが成立する為には「イケメンを見つけると自分も浮気する」幼なじみの三宅しのぶの場合のみで、そういう有様だと当時のレギュレーションで人気ラブコメとして成立するのは難しい(上掲の悪女基準参照)。そこで「うちはインベーダー侵略者だっちゃ」と自称するラムちゃん一旦は去ったのに戻ってきた理由として「読者アンケート結果」と答えるメタ回が存在する)が乗っ取り工作を掛けてくる訳だが…さて、何処まで計算尽くだった?

もちろん最後のはあくまで何のエビデンスもない憶測なんですが…富野由悠季監督が初代ガンダム(1979年)について「この作品以前の地球にはインベーダーの宇宙人との戦いしかなかった」と語ってて、実際「うる星やつら( 1978年~1987年)」はその登場の仕方も自称も地球での居場所の確保の仕方も「インベーダー」そのものだったりとか、2006年より刊行されている再版本のコメントで原作者の高橋留美子画伯が「ラムは私の恩人です」と述べる一方で「ラムは私が描いたキャラでもっとも理解できないキャラでもあるんです。私から一番遠い存在かもしれないですね」と話していたり、アニメ版で監督を務めた押井守1983年の対談で「ラムという娘は一年半監督をやったけど、結局よくわからない」と話すと対談相手の宮崎駿が「ラムは女のウラミがこもったキャラ、女の復讐」と答えてたりとか、最近「ヴェノム=ラムちゃん」が浮上してきたりとか、本当に調べれば調べるほど謎が増えていく不思議キャラ…

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むしろ「彼女との邂逅確率」を到達不能e^-1=(1-1/N)^N(N面体をN回降って特定の目が出ない確率)=0.3678794…と置き、それに対してどういうアプローチが図られてきたか履歴をまとめる方が有意義とか? ちなみに「彼女との邂逅距離(直線距離を直径2と置いて円周移動による増分を求める)」を到達不能e^1=(1+1/N)^N(N回刻んで接近を図る漸近アプローチ)=2.718282…と置く事も出来ますが…そもそもこの計算どうして「符号が正だと距離近似イメージ、符号が負だと確率近似イメージ」になるのか理解出来てなかったりして…

もちろん「ラムちゃんとの邂逅距離(確率)で考えるなんてキモい」と考える人もいるでしょう。そういう人はディズニー映画の「ピンクの象(1940年)」と「ズオウとヒイタチ(1977年)」で試してみましょう。理論上ほとんど同じ結果を迎える筈です。ちょっと試しただけでも滅茶苦茶SAN値削られたので、私自身はやりませんが…
*あくまで推測ですが、おそらくこいつが「ウォルト・ディズニー画伯に巣食ってたヴェノム」の正体。「晩年はウオッカに浸したドーナツが朝食だった」って、まぁ四六時中んなのと向かい合って暮らしたら誰でもそうなるって?

ちなみにネットで検索したら入門用にはThe Beatlesの「Yellow Submarine」辺りが丁度良いという話も。で、次に試すべきは「Lucy In the Sky With Diamonds」とか? いずれにせよこの手のダイブは「絶対座標を握ってる人の高い所からのナビに従って与えられた相対座標に従って動く」くらいでないと安全な観光にはなりません。と、さりげなく冒頭の伏線回収。白井弓子「WOMBS」って要するにその「絶対座標を握って高い所からナビする人」を「その惑星座標空間からの声胎児の声最も捉えやすいのが妊婦」 と置いたシミュレーション小説なのである。

そういえばこれも同類と話題になってました。

 もちろん実際に突き止めたいのは「その座標系における無限遠」というだけの話。とりあえずそれについて考え抜く方が、なまじの「悲観的ガイア仮説」や「セカイ系レッテル貼り」にハマるよりずっとマシと明らかになってきた辺りで以下続報…