諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「模倣」は単なる反復でなく螺旋を描きながらの上昇運動?

今から思えば、そもそも1980年代ポストモダン文化における「既にこれ以上新たなオリジナルは発明されないであろう」なる感傷的ドグマ自体が、以下のムーブメントが射影(Projection)の中心となった時期における一時的直積(Temporary Producted Result)に過ぎなかったといえましょう。

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実際には当時文化の終焉など一切起こっておらず、むしろ良きにつけ悪きにつけ坂口安吾堕落論1947年)」の背景にあった「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるフランス式行動主義が主導した時代だったという側面すら存在した時代といえましょう。

そして(体制側や商業主義側に取り込まれるのを恐れるあまり)実際の行動が一切起こせず、反体制的自尊心を守り抜く為に冷笑だけを続けた怠惰な連中だけがそのムーブメントに乗り損ね、21世紀に守旧派として取り残される展開を迎えたとも。ある意味生存バイアスの最も残酷な側面とも…

かかる無残ながらも美し過ぎるレクイエム、そして「最良解の一つが極東日本で抽出されて生き延び続けていた」衝撃…

例えばアクション・シーンの進化史とかも、ジョン・ウー監督Ballet Timeから始まってこんな展開ですからね。

言いたい事はまだ色々あるけど、とりあえず以下続報…