諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】中世(Middle Age)と近世(Early Modern Age)の境界線?

中世イスラム世界を代表する歴史哲学者イブン・ハルドゥーン1332年~1406年)のアサビーヤعصبية 'aṣabīyah)論…英国人歴史家アーノルド・トインビーArnold Joseph Toynbee, 1889年~1975年)が「トゥキディデスマキャベリに匹敵する天才」と褒めそやした人ですね。

  • ハダルحضر ḥaḍar)…十分に文弱化し連帯意識を失った都市住民(過去のバトウ)。
  • バトウ(بدو badw)…強烈な部族的紐帯を保ったままハダルを視野外から脅かし続ける王位請求者達未来のハダル)。

あれ、これってもしかしたら「売れない貧乏純文学作家時代のルサンチマンを込めて、金持ちからしか盗まない義賊を創造したら、大成功して自分も金持ちになってしまい、自分も盗まれる立場になって色々な悪夢に魘される様になったモーリス・ルブランのエピソードと重なってくる?

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亡くなる数週間前に「ルパンが私の周りに出没して何かと邪魔をする」という趣旨の被害届を警察署に出し、そのため警察官が24時間体制で警備し、最期の日々の平穏を守った。

 *昔は「金持ちになったモーリス・ルブランの枕元に深夜ルパンが現れて「じゃあ借りを返してもらうよ」と囁く」程度の理解だったんだけど、最近日本でも刊行された伝記によれば、二人の関係は「本当に大衆文学は純文学より劣っているのか?」みたいな哲学的問いを含む、もっと入り組んだものだったらしい。

ちなみに中華人民共和国歴史観で「辛亥革命(1911年)以前、すなわち秦の始皇帝による中国統一(紀元前221年)から清朝(1644年~1912年)まで全部古代」と断言するのは「その期間の歴史が完全にこの王朝循環説で説明出来てしまう」のを認めた場合。そういえば最近全然目にしてません…今じゃ当局の取締り対象なのかも。

さらなる応用を考えてみましょう。例えばハダル=「(フェニキア商人が創造した)地中海商圏」と置くと、バトウ=「(エトルリア人ギリシャ人、フェニキア人をそれぞれ各個撃破して地中海覇権を獲得したイタリア半島の統一者としてのローマ人」と定まります。

これを初例とするなら…

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  • アラビア半島の統一者としてのアラブ人(7世紀~8世紀)…アッバース朝الدولة العباسية al-Dawla al-‘Abbāsīya, 750年~1517年)開闢によって民族国家から世界帝国に進化した結果、ペルシャ人やテュルク系諸族にも立身出世のチャンスが巡ってくる展開を迎える。またアラブ人の概念自体、次第に拡張されてきた。

  • 中央アジアから次々と南下してくるテュルク系諸族(11世紀~13世紀のセルジューク朝、13世紀~16世紀のマルムーク朝)…(朝廷が征夷大将軍を任じる様にアッバース朝カリフスルタンの称号を授与するシステムにより「バトウのハダル化」の阻止を狙う。そのコンセプト自体は「オスマン帝国によるカリフ制廃止」により一応終焉(ただしその治世末期には「スルタン=カリフ制へ移行しただけ」とか言い出す)。

  • ヨーロッパのフランク人(11世紀末~13世紀)…要するに十字軍運動。当時はまだまだイスラム諸王朝の方が先進国で、全体像を俯瞰すると「無録者に大義名分と起死回生のチャンスを与える」体裁が整ってる間だけ回った様にも思える。次第に肝心の該当者が(より目的に適ってる)東欧殖民に向かう様になったり、戦力不足を王侯貴族や教会の寄付で寄付で運営される騎士修道会で補う様になったり、権力者間のパワーゲーム要素を隠さなくなったりと露骨に営利目的化していき、少なくとも宗教的熱意の対象ではなくなっていった。だが別に完全に消失した訳でもない。当時の劣等感の裏返しで生じた「白人の責務」概念…

  • モンゴル高原の統一者としてのモンゴル人(13世紀~15世紀初頭)…最終的にはイスラム/チベット仏教受容/テュルク回帰などによりバトウをバトウたらしめる部族的紐帯を喪失。比較的静かに歴史の掃き溜めへと消えていく。

    イブン・ハルドゥーンが実際に生きた14世紀オリエンタル(Oriental)=オクシデンタル(Occidental)的状況を分析するとさらに理解が深まる。「日の出の方向=正しい方向」からの連想で「正しい方向付け=オリエンテーション(Orientation)」?

    当時実在したのは迷走しながらまだまだ戦えば充分強いモンゴル/ティムール世界帝国と「バトウがバトウのまま存続する道を探ったエジプトマルムーク政権と、そしてイングランドエドワード1世とフランス王フィリップ4世が最初の1歩を踏み出した「(必要にして十分なだけの火力と機動力を備える常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって賄う)主権国家体制(Civitas sui Iuris)」への移行…実は当時の時点では誰も「進むべき正しい方向」がどっちかなんてちゃんと説明出来ない段階だったのというだけでは?

    実際この後には英仏百年戦争(1337年/1339年~1453年)からのイングランドにおける薔薇戦争(1455年~1485年/1487年)、フランスにおける公益同盟戦争1465年~1477年)/フロンドの乱1648年~1653年)による大貴族連合の自滅が続かねばならない訳で、この辺りを自力で乗り越えられなかった辺りがイタリア・ルネサンスの限界だったのかもしれない。

    日本史でいうと戦国時代から安土桃山時代/徳川幕藩体制を経ての版籍奉還1869年廃藩置県と藩債処分1871年秩禄処分1876年)の流れがスムーズに進行して「フランス郡県制もどき」に移行する流れが存在せず、領邦統合がままならないまま地主と小作人、資本家と労働者間の階級的憎悪ばかりが無闇やたらと高まったイタリアで、その事にブチ切れた「本格派左翼ムッソリーニさんがファシズム運動を始めた大源流なのかも?

何しろ次世代に当たる(セルジューク朝よりアナトリア半島を継承した)オスマン帝国(1299年~1922年)や(ティムール帝国を継承してインドに転戦した)ムガール帝国(1526年~1858年)はもう「(十分な火力と機動力を有する常備軍を中央集権的官僚制の徴税によって養う)主権国家(Civitas sui Iuris)」への成り損ないという扱いになってくる訳ですからね。

この辺りこそが中世(Middle Age)と近世(Early Modern Age)の実に微妙な境界線?