実は「冒頭の親族会議の場面が辛い」と聞いて怖気付き、まだ未視聴なのですが…
何時迄も逃げ回ってはいられないという気分に…
話題の「来る」、例の祓いシーンの何が素晴らしいかと言うと、国内外の宗教者や霊能者が"何気ない日常"から各々のルーティンで徐々にスイッチを切り替える描写がある事です。あのスイッチは我々宗教家は大小差はあれど皆が持っているかと思います。そしてその多くは「着替え」がソレに当たります。→
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) 2020年8月6日
そういった意味で言えば、カッコいいと人気の柴田理恵演じる逢坂セツ子は"常にオン"である印象を受けます。一方で松たか子演じる比嘉琴子は明確にオンオフが見て取れます。
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) 2020年8月6日
どちらが良い悪いという事ではなく、祈祷の類においては「腹を決める」という瞬間が必要だという話です。
もちろん「着替え」がソレに当たるというのは、私が接した方々から感じた現場の肌感覚でしかありませんので悪しからず。
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) 2020年8月6日
また同じく素晴らしいのは「結局正体が見えない」事で、つまりは祓いの対象が「概念」であるという点です。そしてそれを共通認識として各宗教がそれぞれの役目を全うする姿が描写
されているのが非常に良いのです。
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) 2020年8月6日
柴田理恵が松たか子の祓いを「神も仏も関係なし。使えるもんは全て使う」と評価した事からも、あの手この手、あらゆる角度からのトライが随時仕掛けられている事が分かります。
着地点こそイメージはしているであろうものの、時と場合によってはケリをつける立場が
松たか子ては無かった可能性もあった事でしょう。
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) 2020年8月6日
と、いった具合に語り尽くせぬ名シーンでありますので、どうか皆様アマゾンプライムから是非ご覧下さい。
そして最後に
あの場に法華の修法師がもしいたら、どう展開が変わっていたのか、なんて想像も面白かったりなんて言ってみます。
一体どんな映画なんだ、これ…