ふと思い出した。江戸川乱歩の「怪人二十面相」「黄金仮面」「黒蜥蜴」などのモデルが(モーリス・ルブランが創造した「泥棒紳士アルセーヌ・ルパン」の大元たる)バルザック「人間喜劇」シリーズに登場する「怪紳士ヴォートラン」ではなくE.H.ホフマン「スキュデリ嬢(1819年)」に登場する「金細工師カルディラック」という事を。
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何故か検索すると真っ先に出てくるのがこれ…
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【雑想】「黒騎士現る」?
とり急ぎメモがてら…
今回の投稿の発端は以下のTweet…
「学生運動は実家が太い陰キャの青春ごっこ」問題。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月11日
前から言うとる昨今の「もうひとつの歴史修正」話法が、どのように(善意含めて)構築されてくるか、そしてそれがどのように(善意含めて)「ああ、そういうことだよね」な程度の「共感」を吸引してゆくのか、の練習問題的事案になっとる感。 pic.twitter.com/U3hEZBMtkD
学生若い衆相手になら、初年次演習なんかのお題として好適な気がする。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月11日
(適切な示唆と指導があったなら、だが、為念)
当時も、世間一般その他おおぜい的には「そういうもの」という認識だったところは、確かにあった。それはそうだと思うし、その意味ではそういうその他おおぜい的認識の今様アプデ版でもあるかと。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月11日
だから、その限りでは間違ってもいない、少なくとも。
ただ、その「実家が太い陰キャ」の「青春ごっこ」と概ね思っていた、当時の同じ世間一般その他おおぜいが同時に、機動隊に追いかけられるその「実家の太い陰キャ」をかくまったり、ある時期までは一定の理解も示していたのはなんでなん?といった問いも等価に必要だとおも。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月11日
じゃじゃ馬・跳ねっ返りを歓迎する気風が一般庶民含めて「ある時期まで」はあったのだと思います。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月11日
「若い衆」という存在に対する、世間一般の側からの見方、とらえ方の、「民俗」レベルも含めた、ある定型みたいなものが最終的にその輪郭を崩していった過程があったんだろう、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月12日
老人と子供のポルカ(1970)で「ゲバ」(と「スト」)に対して「ヤメテケレ」と唄っているのでこのときには既に「彼らは弱者の味方ではない」という認識があったと想像します。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月12日
学生運動ピークのリアルな記憶は幼過ぎて皆無なんで。
流行りましたね〜。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年9月12日
レコードが家にあった。https://t.co/Lzwd2O0shE
ゲバルトもストライキも割と早い時期に民衆の支持を失ってたのかなと。想像ですが。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月12日
70年代半ばにはもう確定的ではあったかと。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月12日
ただ、その楽曲をその証拠とするのは、ちと要審議ではあるかと。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月12日
実家が独協のちかくで、デモを二階の窓から見てたのですが「異様」だったというのが、5歳の頃(1969年)の記憶で、近所は冷めてましたね~。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年9月12日
大学と「世間」の距離は、よほど大学と近い特殊エリアを除いて、かなり遠かったと思います。
そういうリアタイの印象は皆無なんです。
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月12日
70年代終わり頃の報道特番で知った感じで。
でも「ハチのムサシは…」は「これはアレのことを歌っとるんだな」とわかりました。(報道特集の安田講堂のシーンのBGMに使っていたかも?)
リアルタイムでテレビで安田講堂放水中継みてて、「だいがくってべんきょうするとろこじゃないの?こわい!」を言い出した幼児に、お父さんは「ああ、あれはバカな学生がやってるだけだからじきにおさまる」と…。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年9月12日
妙に記憶に残っています。
日中のすいてる電車にのるとたまに、あからさまに学生運動スタイルの、メットにグラサンにタオルの怪しい人たちが数人かたまって乗ってたり…やっぱり一種異様でした。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年9月12日
内からと外からで見え方がだいぶ違うんでしょうねえ。
電車や市電で移動してたってあたりもまた、説明してもわかりにくくなっとるかも。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月12日
こんなかんじのひとでしたか? pic.twitter.com/BMiWjPzVET
— lazykitty (@caazzy) 2022年9月12日
現場労働者スタイルではないんですよね。本物の現場の人はそのスタイルではあまり電車に乗らないし。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年9月12日
やっぱりこれが一番近い感じ↓ https://t.co/riX1McLojE
1970年台半ばになると、電車ではみかけなくなったけど、御茶ノ水の駅付近であたりでは、こーいうかっこした小集団をたまに見かけましたねえw。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2022年9月12日
ここに乱入。
一番謎なのが石原慎太郎ら湘南で騒いでた「太陽族」からの流れだったりして。映画「狂った果実」にも「敗戦によって戦前読書階層の権威は地に落ちた」みたいな表現なら出てくるし、推理小説文壇は「アプレゲール」問題に執着してますが、はてさて実際の結びつき方は…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
この投稿につながります。
押井守「今の若い人でゴダールを観た人間ってどのぐらいいるんだろう?たぶん映画監督を目指す人間以外は観る意味はないと思う。一般的な意味での観る価値というか、楽しい時間を過ごそうと思うんだったら観る必要はないです。”同時代の監督”として観るのとは、明らかに受け取るものが違う」 pic.twitter.com/Nzx8wFyH16
— タイプ・あ~る (@hitasuraeiga) 2022年9月13日
押井守「僕が観てたのは高校生の頃だったから、当時の僕は気の利いた映画高校生というかさ、映画青年の前段階という感じだったけど、相当ゴダールにイッちゃってた。あれしかないと思ってた。理解してたかどうかは怪しいけど、その時代精神みたいなものは匂いとして共有はしてた」
— タイプ・あ~る (@hitasuraeiga) 2022年9月13日
押井守「当時はやっぱり”あらゆるものを革新するんだ!”っていう時代だったから。政治運動だけじゃなくて文化もそうだし、映画はもちろんそうであってさ。雑誌も小説もあらゆるものが革新されなきゃならないっていう革命の時代だったから。ゴダールの映画っていうのはそういう気分が横溢してた」
— タイプ・あ~る (@hitasuraeiga) 2022年9月13日
押井守「僕の知ってる若い監督でゴダール観てるヤツなんて一人もいない。ただ彼らがゴダールを知ってても知らなくても、ゴダールがやったことから自由ではないんだよ。確実にゴダール以前と以後で映画は変わったからね。そのことからは誰も自由じゃない。ゴダールの本当の凄さっていうのはそこにある」
— タイプ・あ~る (@hitasuraeiga) 2022年9月13日
ちなみに出典元は『勝つために戦え! 監督稼業めった斬り』という本です(押井守監督が映画監督における”勝敗論”を、キャメロンやヒッチコックやタルコフスキーなど古今東西の名監督を対象に語りまくっています)https://t.co/rRjaXF0BBG
— タイプ・あ~る (@hitasuraeiga) 2022年9月14日
むしろ同時代にそれを知って衝撃を受けた層は「フランスのヌーベルバーグ運動が日本の太陽族映画の影響を受けて始まった」事をちゃんと後世に伝えられないのかもしれません。①そもそも当時のフランス映画に手持ちカメラの概念がなかった。 https://t.co/wUccgdMh0G
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月13日
②アメリカへの南イタリア移民がカリフォルニア海岸の景色を南仏地中海沿岸に接続した様に、湘南の景色をそれに連続させた。③兄と恋人を殺した弟が罰を受ける事なく生き延びる「狂った果実」の衝撃。肝心なのはこの辺り?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月13日
すみません、この話です。確かにゴダールはこうした出発点からさらにドンドン先に進んでいく訳ですが、まずは日本人としてここを抑えないと理解が始まらないという話ですね。 https://t.co/5EzJMwnf5z
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月13日
そう、何度でも戻ってくる原風景…
それはまさに「あの江ノ電の踏み切り」が国際的聖地になっていく物語の始まり。一方日本人の意識はカリフォルニア湾岸の景色に接続された?https://t.co/YWmVba0Yq2
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月13日
あれ?もしかしたら「東京駅→品川→葉山マリーナのヨットハーバー」という経路から品川宿を舞台とする「幕末太陽伝」につながるの?(これまで考えた事もなかった)https://t.co/YWmVba0Yq2
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月13日
元投稿に戻ります。
(レイプが必ずしも犯罪視されない)太陽映画も酷いものですが、横溝正史「三首塔」でもヒロインを手篭めにする悪漢が「アプレゲール青年だし、しかも正体は有名人の隠し子」で許されていて「実家が太い事によって許される範囲が戦前基準スタート」と考えざるを得ない部分も…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
まぁ「君達は焼け跡のキャプテン・オブ・インダストリー」と煽てられて「それが次世代に焼け跡しか残せなかった連中が無反省に口にしてよい言葉か?」と憤る気持ちも分からないわけじゃありませんが…程なく推理文壇はさらに松本清張らの「社会ミステリー」ブームの脅威にさらされる訳で。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
松本清張…やっと左っぽい名前が出てきましたが、この人、戦前からかなりの文学少年ではあったものの(印刷職人一筋で)大学は出てないんですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
北九州の朝日新聞のそれこそ給仕みたいなところから、ですから……
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月11日
岩下俊作(彼とて八幡製鉄所の職工ですが)らの「九州文学」界隈の若い衆らが酒飲んで騒いでるのを横目に、うらやましかったってくらいの「階層」「世代」的「分断」だったようですから。
一方、手塚治虫「鉄腕アトム」シリーズでは「ロボット流し(1960年)」に「学生のデモ行進」が初出。本当に唐突で、当時の日本のインテリ層も彼らが何処から現れたか分かってなかった可能性すら…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
この、突如路上に現れた学生デモ集団が時期的に見て「全学連を率いて60年安保闘争に参戦した第一次ブント」なのは間違いないにせよ、当時の社会ミステリーブームを生き延びたのが松本清張と「三毛猫ホームズ」シリーズくらいなので両者の関係がまた分かりません。https://t.co/9pYknQdHLh
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
後世に伝わったのは、せいぜい「政治記者が寄せた作品などは、そもそも小説の体裁を成しておらずブーム消沈化に拍車をかけただけだった」みたいな断片的情報に過ぎず、それにとって代わる形で早川書房がミステリとSFの分野で仕掛けた未曾有の翻訳本ブームが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月11日
そしてここに新たなる挑戦者が乱入…
『三毛猫ホームズ』シリーズは1978年に開始したのだけれど… pic.twitter.com/SMboWXWQ7P
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
ごめんなさい、そこ「和製クリスティ」と讃えられた仁木悦子「猫は知っていた(1957年)」に続く仁木兄弟シリーズが正解です。https://t.co/T91CHkhMD0
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
最近はそもそも「本格ミステリー冬の時代は存在しなかった」とする立場から「仁木悦子が登場当初は松本清張と同じ社会派ミステリーに分類されてた」歴史自体を否定する言説が目立つ様です。https://t.co/6bpFb97LLk
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
ここでいう「本格ミステリー冬の時代」とは戦前から続く狭量な推理文壇、すなわち江戸川乱歩に「変格」のレッテルを貼って通俗小説やジュブナイル小説の世界に追いやり「戦後五人男」も全員業界外に追放してしまった様なある種の原理主義運動の終焉を意味するのです。https://t.co/edwbYFPanQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
そう「松本清張や仁木悦子の登場が新時代を切り拓いた事」そのものより(明智小五郎や少年探偵団を発明した)江戸川乱歩や、彼が戦後見出した山田風太郎(忍法帖シリーズ)、香山滋(映画「ゴジラ」脚本家)、大坪砂男(「仁義なき戦いシリーズ」に続く「焼け跡ハードボイルド」概念創始者)、…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
島田一男(ブン屋(新聞記者)物開拓者にしてTVドラマ「事件記者」脚本家)、高木彬光(ピカレスクロマン「白昼の死角(1960年)や歴史ミステリ「成吉思汗の秘密(1958年)」「邪馬台国の秘密(1973年)」「ノストラダムス大予言の秘密 (1974年)」作者)ら「変格作家」が排除されてきた歴史の終焉が重要…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
もし「本格派推理文壇」なる存在がそこまで頑なで偏狭で原理主義的でなかったなら(作家囲い込みに成功してたなら)「怪人二十面相」も「明智小五郎」も「小林少年=花崎マユミ」も「ゴジラ」も「忍法帖シリーズ」も「仁義なき戦いシリーズ」も「歴史ミステリ」も日本エンタメ業界に登場しなかった?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
ここにさらに以下の発言がぶら下がります。
>「戦後五人男」も全員業界外に追放してしまった様な
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
→山風と高木彬光は、当時のベストセラー作家でしょうに…。
この辺り、単なる作家個人への評価だけに収まらない「変格推理小説なるジャンルへの侮蔑と抵抗」みたいなややこしい話が出て来るのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
この風景にまさに鬼子の様に降臨するのが坂口安吾…https://t.co/wUQE0nACQA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
坂口安吾は、〈本格推理小説びいき〉ですよ。それこそ貴方が添付した小論にはっきりと出てるでしょうに…。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
>大坪砂男(「仁義なき戦いシリーズ」に続く「焼け跡ハードボイルド」概念創始者)、…
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
時系列がめちゃくちゃ。『仁義~』は飯干晃一のルポが原作で1972年に連載開始。大坪砂男は1965年に逝去。
え?まさか大坪砂男「私刑」とその映画化が後に与えた影響も知らずこの議論に参加してます?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
時系列が逆でしょう?
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
大坪砂男→『仁義~』と云ってるんです。なんで大坪砂男が『仁義~』に続くんですか??
あ、そこは単なる誤字です。すみません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
「大坪砂男の孫」虚淵玄が「じっちゃんの名にかけて!」と冗談めかして引用する「ハードボイルド文学とは泥の大海に蓮の花を探す米国流感傷主義である」なる定式化を1950年代にはもう完成させてたのが大坪砂男の功績ですよ。まぁこういう話も出てきますが。https://t.co/F666lfD1FO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
「推理小説がイデオロギーだった時代」の論争って、完全にエンターテイメント化した現代ミステリーの世界は故意に忘却しようとしてる気がします。https://t.co/XfrsS0lH6M
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
なんかこうあの時代独特の「推理小説が世に認められないのはイデオロギー論争もないからだ」みたいな思い詰め方…https://t.co/zSqrvwy3Ix
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
ここで「戦後五人男」「社会派ミステリ」についてのツッコミ。
仁木悦子は『冷えきった街』のような《ハードボイルド》も書いてるし、大坪砂男はむしろ《変格》の極北ともいえる『天狗』で有名です。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
~細かい錯誤が多すぎて建設的な議論になりませんね。
予想通り「それらの作家の代表作は別」「従って推理小説分野にお前の言ってる様な時代区分は存在しない」路線で来ましたか。逆に「日本のハードボイルド文学受容過程」みたいな観点に立つと江戸川乱歩や大坪砂男のモーリス・ルブランへの言及を経て「メビウス」「ブレードランナー」と繋がるのですが。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
逆に、確かに大坪砂男「天狗」は当時の本格推理派を唸らせた傑作ですがこういう風には以降のジャンルに繋がっていかないのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
あ、これは言い過ぎ。京極夏彦「魍魎の匣」の様な偏執狂的フェティズムの先駆とは見做せそう?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
そして…
>「従って推理小説分野にお前の言ってる様な時代区分は存在しない」路線
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
…何の話をされてるんですか???
「日本のハードボイルド文学はモーリス・ルブラン輸入、大坪砂男「私刑(モーリス・ルブランとの繋がりだと「花屋の娘」)、東映「仁義なき戦い」シリーズなどを経てサイバーパンク文学に行き着く」みたいな物語。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
そういう枠組みで把握してないと「どうして東映は仁義をテーマとする楽園追放の脚本を虚淵玄に依頼したか」みたいな21世紀のメディアミックス展開についていけなくなってしまうのです。で、時々こういう「推理小説」「映画」「アニメ」のクロスオーバーを嫌って相互関係を全面否定する人が現れるので…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
そして…
「日本のハードボイルド文学」の系譜なら、ドストエフスキー→プロレタリア文学→戦後ピカレスクロマン→劇画・映画、という流れが本流でしょう。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
――そもそも大藪春彦の名が出てこない時点で…
あら面白い。そういう系譜の数え方もあるんですね。その考え方ではハメットやモーリス・ルブランを「プロレタリアート時代」と「ブルジョワ時代」に分けたりするんですか?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月14日
考え方の違いといえば、私は自らも推理文壇の重鎮だった横溝正史の歴史観を色濃く受けているのです。①正統派の方法論を墨守するには鉄道や自動車や電話やTVの様な文明の利器導入は慎むべき→むしろ率先して導入。実際松本清張「点と線」はその点でのアイデア勝利。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
②正統派の方法を墨守するだけでは、本家が大量翻訳される時代が訪れたら淘汰されてしまう→実際1960年代から早川書房が仕掛けた「翻訳ブーム」で実現してしまう。坂口安吾の酷評で逆に関心が高まって「刺青殺陣事件」も「古墳殺陣事件」も読みましたが、ああ確かに…https://t.co/TmkhvPcN6G
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
そして…
もし、モーリス・ルブランとハメットを並べ較べるなら、「冒険小説」と「ハードボイルド小説」とに分けるでしょうね。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月14日
私の歴史観だとメディア発展史に従って作家を分類するので①パルプマガジンに掲載されたハメットの短編群②単行本化やトーキー映画化が視野に入ってくる1930年代以降のハメットやチャンドラー作品(成功した作家が裕福になる事についてハメットは断筆、チャンドラーはそれ自体を作品の題材に選ぶ)…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
③ルブランは売れない純文学時代のルサンチマンを「泥棒紳士」アルセーヌ・ルパン」に託した時代、自らも裕福=義賊に狙われる立場となって以降の「愛国冒険家」時代(第一次世界大戦中)、バーネット探偵社など新たなルパンのあり方を模索する戦後期に大別する考え方。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
で、モーリス・ルブランに於ける「ハードボイルド要素」は何処にあるんですか??
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
参照してる資料の範囲が異なるので異なる結論に到達するのは仕方がないのですが①日本にはほぼリアルタイムの速度でモーリス・ルブラン作品が翻訳されており、江戸川乱歩や、大坪砂男や、さらにはGHQにチャンバラ映画を禁じられ「多羅尾坂内」シリーズを立ち上げた東映撮影スタッフが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
「展開の早いアクション活劇」のテンプレートとして採用してきた。この流れと当時の「焼け跡ハードボイルド感覚」の混淆が大坪砂男「花屋の娘」などで直接確認出来るし、彼がアイディアマンを務めた「眠り狂四郎」シリーズなどにも伝承されたと考えられるのである。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
ただ、まぁこれ「日活無国籍アクション映画の展開文法」の大源流みたいな荒っぽい流れなので、もっと本格的なハードボイルド文学の作風を引き合いに出すなら「稚技に等しい」と判定が下るのも仕方がないところ。当時の日本のハードボイルドのレベルはその程度だったという話になってくる訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
②ハードボイルド要素とはちょっと切り口が異なりますが、モーリス・ルブランは「売れない貧乏純文学者だった時代のルサンチマンを結集した「金持ちからしか盗まない義賊」アルセーヌ・ルパン」に、自分も金持ちになってから枕元に立たれる悪夢に悩まされています。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
ハメットもチャンドラーも悩まされたアレですね。「金持ちになってもプロレタリア文学は続けられるか?」という…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
そして…
乱歩が『黄金仮面』にてルパンを引用したのは戦前の昭和五年。戦後のGHQの検閲方針とは別の話。 https://t.co/Ex3Sc0nuVd
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
乱歩は「黄金仮面」を含む講談倶楽部連載の通俗小説について後に「モーリス・ルブランと黒岩涙香を混ぜた感じにやっつけた」と発言してるんですね。https://t.co/YFveSvyHuj
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
だから何??
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
乱歩が『黄金仮面』にてルパンを引用したのは戦前の昭和五年。戦後のGHQの検閲方針とは別の話。日本のハードボイルド文学の系譜とも無関係。
この当時の人間の証言に軒並み出てくる「当時、西洋風のアクション活劇の手本はモーリス・ルブランしかなかった」感については「当時の作品を1作でも鑑賞してください」としか言い様がありません。で、評論家がそれについて一切触れないのは「下賎な内容過ぎるから」https://t.co/sLJ2jlnCVe
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
「ルブランの原作が映画化された」と「当時、西洋風のアクション活劇の手本はモーリス・ルブランしかなかった」とは別次元。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
西部劇も、歌舞伎も、いや、三銃士も鉄仮面もあったでしょうに。御説は全く話になりませんな。
まぁ映画「多羅尾坂内」シリーズは出来上がったのもああいう微妙な感じの作品群なので「それまでチャンバラ映画しか撮った事がなかったので、慌ててモーリス・ルブラン「謎の家」を下敷きに銃撃戦のあるアクション活劇を構築した」という証言を疑うまでもないかと。https://t.co/yxVKo0fHU8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
大坪砂男作品にしても時代を超越した傑作「私刑」に比べて「花売りの娘」については「謎の家」色バリバリの凡作とも考えられるのと同じですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
アラカンの『鞍馬天狗』もご存知ない??
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
話にならないレベルで無知。。。。
あと「伴内」ね。誤字・誤謬が多すぎる。
もういい。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
あなたは、ともに語るに足るレベルに達していない。
いちいち説明してあげるのも馬鹿馬鹿しいわ。さよなら pic.twitter.com/tmsaaUUHRl
「剣豪俳優」嵐寛寿郎、GHQが「チャンバラ禁止令(内容には諸説ある)」を発した時代には仕事がなく「私刑」主演くらいしか演じてないのですね。https://t.co/xPVvOWJFK1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
一方「それでも大衆は娯楽を求めている」という立場に立った片岡千恵蔵は、スーツ姿で日本の家父長制や華族の退廃を叩く米国帰りの「民主主義の使者」金田一耕助(1947年~1961年,毎回クライマックスで犯人と直接対決し物理的にぶちのめす)。https://t.co/6Fs4XQ2iPP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
殺陣なしで御白洲場面にクライマックスを持ってくる定番を導入した「いれずみ判官」遠山金四郎景元(1950年~1962年)、…https://t.co/a2W3TOnzPT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
第1作の原作に選んだモーリス・ルブラン「謎の家(1928年)」を(銃撃戦を含む)アクション活劇のテンプレートに選んだ(従って全作モーリス・ルブランの影響下に入ってしまった)…https://t.co/ZIue9yqigj
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
「多羅尾伴内」シリーズ(1946年~1960年)などを開拓。https://t.co/yxVKo0fHU8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
しかし大映社長から「多羅尾伴内ものなど幕間のつなぎ。今後はもっと芸術性の高いものを製作してゆく所存である。」と宣言されて立腹のあまり東映に移植。https://t.co/SRs5guf1dv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
とはいえまぁ、こうしてGHQ統治下「苦肉の作」として生み出された作劇術は流石に1960年代には通用せず東映TVドラマ「豹の眼(1959年~1960年)」「七色仮面(1959年~1960年)」「アラーの使者(1960年)」「快傑ハリマオ(1960年~1961年)」の世界も終焉。https://t.co/UMjUWobTG6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
しかし当時独特の空気は大藪春彦「野獣死すべし(1958年)」の主人公「究極のアプリゲール」伊達邦彦なる鬼子も産み落としたのです。戦時下全てを奪われ尽くし、悪人ばかりに囲まれた状況から完全犯罪の成就によって脱出しようとするニーチェ的超人…https://t.co/PjqTDzxr7K
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
自らがそれを目指すのでなく「誰にもそう成り果てたい願望がある」と規定して阻害要因を一つずつ取り除いていくスタイルにこそ商業主義的成功の鍵がありました。この作品を「宝石」に掲載した江戸川乱歩は伊達邦彦を「大菩薩峠」の机龍之助に喩えています。https://t.co/m2pIHVC2eh
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
まぁ国際的には「大菩薩峠」というと岡本喜八版な訳ですが。やはりこの時代だと仲代達矢一択?ちなみに三船敏郎が「対峙する正義の剣士」役で登場…https://t.co/WFPGFoLOEW
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
もしドストエフスキー「罪と罰(1866年)」のラスコーリニコフの犯罪計画が完璧で、一切後悔する必要のない成功に終わったら?もし「天才はその天才性を発揮し続ける事で法によって罰される範囲を超越する」なる仮説が自らのケースで証明されるとしたら?https://t.co/NWLXNkOY2b
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
もしハメットが「金持ちはプロレタリア文学をなおも執筆し続けられるか」なんてつまらぬ疑念に囚われて断筆し米国共産党に入れ上げる代わり「赤い収穫(1929年)」の世界観を「さらなる巨悪を無限に倒し続ける」方向で継続する道を選んだら?https://t.co/PuOHHFC6oc
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
未完に終わったチャンドラー「プードル・スプリングス物語(Poodle Springs,1989年ロバート・B・パーカー補筆版刊行)」が、もしそういう物語として書き上げられたとしたら?https://t.co/Kl0j8ijJvW
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
そういう考え方は多くの人を不安にさせると同時に、そういう物語展開でしか救えない少数の個人を救う事になるでしょう。ここに既存の勧善懲悪観に挑戦する大藪春彦的ハードボイルド文学の本質があり、あくまでその線は超えない既存のハードボイルド文学と一線を画すのです。https://t.co/01HK24ctlE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
一方「翻訳ミステリの時代」に入った1960年代日本は「焼け跡ハードボイルド」概念を一旦忘却。ハードボイルドと言ったら「007シリーズ(1953年~1964年)」や真逆の(自由主義圏のスパイと違って性的に放埒でないチェスの名人などが頭脳で戦う)共産主義圏の様な非情のスパイ小説…https://t.co/O863RFiIQS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
一方「翻訳ミステリの時代」に入った1960年代日本は「焼け跡ハードボイルド」概念を一旦忘却。ハードボイルドと言ったら「007シリーズ(1953年~1964年)」や真逆の(自由主義圏のスパイと違って性的に放埒でないチェスの名人などが頭脳で戦う)共産主義圏の様な非情のスパイ小説…https://t.co/O863RFiIQS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
ジェームズ・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす(1934年)」、アイラ・レヴィン「死の接吻(1953年)」、ウィリアム・マーチ「悪い種子(1954年)」、フランソワーズ・サガン「悲しみよこんにちは(1954年)」ナボコフ「ロリータ(1955年)」といった悪漢/毒婦殺人譚なども指す様に。https://t.co/y0KRbZ8bXi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
一方、流行に敏感なこの時期の大藪春彦的ハードボイルド文学は完全にスパイ小説に転身。「次々と美女が登場し、主人公の体の虜になって自己犠牲を惜しまず死んでいく」展開も継承しましたが、オリジナルが映画化を意識してマイルド化していく展開まで追随しなかったのです。https://t.co/8BZRScfgyi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
ちなみに1980年代に角川映画化された大藪春彦的ハードボイルド文学は、ヘイズコード「ギャングやその情夫を決して美化して描きません」条項を逆手にとったハリウッド映画「暗黒街の顔役(Scarface,1932年,リメイク1983年)」の影響を受け…https://t.co/TOYHTcX453
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
揃って主人公が最後、同情の余地が一切ない無惨な最後を遂げる事である意味「大藪春彦的ハードボイルド文学」の成立条件を喪失。最後のハワイ到達を「夢かも」と思わせた映画「チ・ン・ピ・ラ(1984年)」が精一杯という当時の世相に完全に飲まれたのです。https://t.co/AK7RpGEgyt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
まぁ松田優作が「そういう最後」が似合い過ぎる役者だったのも良くなかったかもしれません。https://t.co/y0rjiPR4We
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
面白いのはその途上で起こった事。映画「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」は、ある意味、黒沢明監督が大藪春彦的ハードボイルド文学を目指した稀有の例ですが、何しろ勧善懲悪の人なので三船敏郎演じる「ニーチェ的超人」西幸一を最後に殺してしまいます。https://t.co/FasGP35N6Z
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
その「結婚式に始まり、花婿の暗殺に終わる」物語構造をそのまま継承しつつ「存続する巨悪側」を主人公に据えたのが、フランシス・コッポラ監督映画「ゴッドファーザー(1972年)」。この商業的成功にあやかろうと映画「仁義なき戦い」の企画にGOが掛かるのです。https://t.co/hAfJbF0Oxt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
「悪い奴ほどよく眠る」途中の回想シーンで西幸一が「自分達のルーツは室蘭艦砲射撃と湘南海岸への燃料供給」と打ち明ける事で「戦争に何もかも奪われたアプレゲール性」と復讐相手が終戦直後でも船遊びしていた富裕層(要するに太陽族とその親達)である事を示唆しますが…https://t.co/22UVx4FOFQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
「ゴッドファーザー」でその西幸一に該当する人物は「実力もないのに巨悪に取り入ろうとし、敵わないと暴れたり裏切ったりする本当の人間の屑」で自業自得の制裁で粛清されていきます。それと対比的に描かれる「巨悪であり続ける覚悟を決めた」コルレオーネ家の人々…https://t.co/OfOhYgo3Xa
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
その一方で「焼け跡ハードボイルド」概念を復活させた日本の「仁義なき戦いシリーズ(1973年~1976年)」は独自路線を切り拓き国際的評価を勝ち取った訳です。「焼け跡ハードボイルド文学」と「大藪春彦的ハードボイルド文学」の関係が朧げながら見えてきた?https://t.co/NICfDoHGAe
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
ところで、こうして全体像を俯瞰すると否応なく気付く事が。1960年代に翻訳版が流行した悪漢/毒婦殺人譚って大半が10年前の出版なんですね。で、江戸川乱歩や横溝正史の様な大御所は「学生に翻訳させて」全部リアルタイムで読んで作品に反映させていたと目されています。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
で、これまでその「学生」の正体がよく分からなかったんですが…おや、ここにそうした文豪に直結する「文学翻訳担当学生ネットワーク」みたいなものが…https://t.co/Cy440xbx3J
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
そういえば「1960年代に入るといきなり翻訳ブーム」と言いますが、そもそもゼロから翻訳者が湧いてくる訳ではない訳で、そこには相応の助走期間が…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
ここまでの投稿についての質疑応答。
しょうがねえなあ…
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
>嵐寛寿郎、GHQが「チャンバラ禁止令(内容には諸説ある)」を発した時代には仕事がなく「私刑」主演くらいしか演じてない
そんなことはどうでもいい。『鞍馬天狗』は短筒を使っているという点。チャンバラ映画内に、西洋活劇的要素があるでしょ!?
続く https://t.co/lxxN6WRvTT
で、貴方のツイート。↓↓
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
『駅馬車』に代表される西部劇。大陸のスパイ活劇、戦記もの、『ポチョムキン』…『鞍馬天狗』以外にも戦史もの・戦争報道映画…
山ほどお手本はある。なんで「翻訳小説」から活劇のノウハウを学ぶの??それもン十年前のものを。
馬鹿馬鹿しい。 pic.twitter.com/GYUN5sezfU
この一点だけとっても、貴方はともに語るに値しない。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
しかも、そもそも話題は「日本ハードボイルド文学の系譜」だ。話を逸らし過ぎなんだよ。ちゃんちゃらおかしいわ。
そう確かに戦前日本映画のクォリティや矜持から考えたら、「民主主義の使者金田一耕助(ファッショナルなスーツ姿だが犯人との決着は拳でつける)」も「遠山の金さん(殺陣なし、クライマックスは白洲)」も「多羅尾伴内(原作モーリス・ルブラン「謎の家」)」も全部おかしい。どうしちゃったの当時の日本?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
大映社長が片岡千恵蔵に伝えたかったのもそれでしょう。「こんなの日本映画じゃない。さっさと忘れて先に進もう」。確かに即座にその通り事が運んでいたらどれだけ良かったでしょう? pic.twitter.com/FqBYIOH38m
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
それが「戦争に敗れ、出征したスタッフも大半が戻ってこない」「GHQの完全監視下」「それでも年何本もどんどん制作していかないと娯楽として成立しない」当時の日本映画界の現実。米国ユニバーサル・モンスター映画ですら戦時下では同じ理由でどんどんボロボロに…https://t.co/gwAuLnqqCY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
話を逸らさないで。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
ウィキを貼ってくれたけど、その中には
>モーリス・ルブラン「謎の家(1928年)」をアクション活劇のテンプレートに選んだ
なんて記述はないよね?!?!
私はただひたすら「敗戦直後でGHQ占領下の日本映画制作状況がそれ以前ともそれ以降とも違う事を想像してくれ」と頼んでるだけなのですが。そして、それこそがなさしく大藪春彦的ハードボイルド文学の前提となる「全てを奪われ尽くしたプロレタリアート(アプリゲール)状態」なのだという事を。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
これも分からずハメットの初期短編集を「大藪春彦が褒めてるから良いもの」と傍観してるだけでは、そこに込められた激しい怒りが感じられなければ「アプリゲール」とは「プロレタリアート」とは何か全然分かってない事になってしまうのですよ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
そしてまさにそのカツカツ状態でこそ感じる「ルサンチマン=持たざる者が持てる者に抱く盲目的復讐感情」を自分も「持てる者」になって以降はルブランもハメットもチャンドラーも、いやそれどころかフランク・キャプラ監督を含む南イタリア移民の映画人も維持できなかったと告白しているという事を。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
話を逸らさないで。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
>モーリス・ルブラン「謎の家(1928年)」をアクション活劇のテンプレートに選んだ
ウィキのどこにもそんな記述ないよね??
~もしかして本当に、あなたの根拠なき妄想なの??
まさか本当に「片岡千恵蔵の遠山の金さんが御白洲がクライマックスというお約束を樹立した」と「多羅尾伴内では(モーリス・ルブラン「謎の家」を原作とする)第一作の物語構造がそのままお約束として継承された」が等価で結ばれる事に気付いてない?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
話を逸らさないで。
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
ひとつひとう解決していきましょう。
>モーリス・ルブラン「謎の家(1928年)」をアクション活劇のテンプレートに選んだ
ウィキのどこにそんなこと書いてあるのさ?
書いてないよね??
自分で貼ったウィキじゃん。貼り間違えたのw??
いや、その問題は解決不可能と分かったので次の話題に。確かに大藪春彦的ハードボイルド文学の主人公は「狼は生きろ豚は死ね(全てを奪われたプロレタリアートたる私は全てを持てる帝国主義者全員を搾取する。なおこの呼び掛けに応じない者全員は帝国主義者)」と叫ぶけど…https://t.co/aRZgnvunwx
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
これは大藪春彦独特の画期的発想で、他のハードボイルド文学者はそうではないという事も分かってない?https://t.co/8beTFntrMI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
しかも大藪春彦にとってすら、それはあくまで作中の態度に過ぎず、一般論としては彼を含む大半が賛同しない意見だという事も分かってらっしゃらない?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
なぜ話をそらすの?
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
なぜなんの傍証にもならないウィキを貼るんだろ??
さあ答えて。 pic.twitter.com/trAH0mFKC3
以後、おれのTLに現れたら、何度でも↓↓↓貼り直すぞ。 pic.twitter.com/jUIihSmCyg
— MAXA (@MAXA93404148) 2022年9月15日
「モンティパイソンの黒騎士」の側からはアーサー王が「支離滅裂な事を喋ってるだけのデンパ野郎」に写っているという新たな知見を得ました。本当に勉強になります。 pic.twitter.com/mvlSokDXfp
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月15日
そんな感じで以下続報…
【雑想】「まさかの時に土鬼の自爆兵」?
調べてみたら「土鬼はすぐれた戦士だ。ムダな白兵はいどまんぞ」がオリジナルのセリフでした。過去の記憶の当てにならなさときたら…
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