諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「歴史における危機」と経済的破局


ハプスブルグ帝国に組み込まれる事を拒絶して独立したスイスの文化史学者ブルクハルト(Carl Jacob Christoph Burckhardt,1818年~1897年)は、シスマ(Schisma、教会分裂)期(1378年~1417年)に領主化した教皇とその背後でのボルジア家やメディチ家の暗躍、およびフランス王室とハプスブルグ家の介入などで彩られたルネサンス期イタリアの政治史を丹念に分析した上で「権力は、何者がそれを行使するにしても、それ自体においては悪である」という結論に到達。これをローマ帝国滅亡、宗教革命、フランス革命を「歴史における危機(およびそれを克服していく過程)」と見る立場を結びつけていく。

  • ここで断罪されているのはおよそ(領主が領土と領民を全人格的に代表する)農本主義的伝統の事である。*当時それから完全脱却出来ていたのは英国、スイス、オランダ、ベルギー、アメリカくらいだった。

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    一方、経済面を「君主と癒着した宮廷ユダヤ人」や「司教庇護化で高利貸しを営むユダヤ人」との共依存関係に頼ってきたハプスブルグ帝国内の領邦国家においては逆に「経済は、何者がそれを行使するにしても、それ自体においては悪である」といった認識が今だに完全払拭されていなかった。
    *当時の資料に目を通すと「フランスでさえドレフュス事件(Affaire Dreyfus、1894年)事件が起こった衝撃」といった言い回しが繰り返し出てくる。

これでは完全にカール・シュミットいう「政治化」の手の内ではないか。

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 考えてみればこの図式、以下の対立構造にもそのまま当てはまってしまう。

  • 「(フィレンツェ中心に展開した)前期ルネサンスと(ドイツ中心に展開した)宗教革命と(フランス中心に展開した)フランス革命が欧米近代を基礎付けた」とするブルクハルトの歴史認識の延長線上において「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus、1904年~1905年)」の中で「(フランスのポール・ロワヤル修道院に発祥したジャンセニスムでも、ドイツのザクセンに発祥し北欧にも広まったルター神学でもなく、ユグノーとしてフランスから追放されスイスのジュネーヴ市で神権政治を執行した)ジャン・カルヴァンこそが資本主義の起源」と規定したドイツの社会学マックス・ヴェーバーの立場。*彼は資本主義社会を現出させたのは「倹約と蓄財」「勤勉」「時間厳守」といった(カソリック圏では忌み嫌われる)プロテスタント的生活慣習(無意識下で人間の行動を統制する「鉄の檻(Gehäuse)」)とし、その起源をジャン・カルヴァンがスイスのジュネーヴ市で遂行した神権政治下における生活慣習統制に求めた。所謂「欲しがりません勝つまでは」といったスローガンに象徴される思考様式。災害が起こる都度「不謹慎狩り」に邁進する人々が現れる背景でもある。

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    (中世スコラ哲学やイエズス会の反宗教革命運動の延長線上に登場した)スペインのサラマンカ学派や(ユグノー戦争渦中で「国家論(1576年)」発表により王権神授説に基づく中央集権国家樹立を提唱した)フランス人のジャン・ボダンらによる「貨幣数量説(quantity theory of money)」の発見、18世紀ナポリ王国で発展した「国王=宮廷の贅沢と戦争の遂行こそ経済の主体」という絶対王政の現実を直視する政治経済学などに資本主義の起源を見て取ったオーストリア学派ハイエクの立場。
    ①「フランス人経済学者」ジャン・ボダン(Jean Bodin、1530年~1596年)のもう一つの顔ユグノー戦争(Guerres de religion、 1562年~1598年)最中において自らは魔女狩りのバイブル「悪魔憑き(デモノマニア、1580年)」を刊行し異端審問に邁進。当時はエリザベス1世による魔女狩り強化令(1563年、1580年)や(「悪魔論」を編纂させた)ジェームズ1世による魔女狩り強化令(1604年)などに見て取れる様にイングランドも後期魔女狩りの最盛期を迎えている。当時がイングランドにおける国教会体制、フランスにおけるガリカニスム (Gallicanisme、フランス教会のローマ教皇からの独立とフランス国王への従属を強調する立場)の樹立期にあった事と深い関係があると目されている。最近の研究によれば魔女狩りには「(領主や有識者層といった)外部勢力が、伝統的共同体内のトラブルに付け入る形でその半独立状態の解消を目指した運動」という側面があったという。その意味ではこれもまた「絶対王政化=中央集権国家化」に向かう歴史の一側面だった事になる。
    ②【参考】「一円領主(領内の公家領や寺社領を次々と横領していった戦国時代日本の武将)」の手口「武力を笠に着た恫喝によって次々と強引に従えていった」なる一般イメージがあるが、その実態は以外とさにあらず。むしろ得意としたのは(半独立状態を保つ)惣村内における様々な対立関係を煽り、衝突が起こったら素早く介入して検断権を発揮し事態を丸く収める。これを繰り返すうちに次第に領主側の発言権が強まる一方、惣村側も次第に内紛解決に「領主の意向」を利用する様になり、気付くとなし崩し的に独立状態が消失しているという手口だったらしい。
    ③「18世紀ナポリ政治経済学」フランスのコルベール重金主義(Bullionism)、神聖ローマ帝国領邦国家の官房学(Kameralwissenschaft)、スコットランド啓蒙主義(The Scottish Enlightenment)などと相互に影響を与え合う関係にあり、その基本コンセプトはゾンバルトの「恋愛と贅沢と資本主義(Liebe, Luxus und Kapitalismus、1912年)」や「戦争と資本主義(Krieg und Kapitalismus、1913年)」にまで継承されていく。

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まさに宗教戦争。これも完全にカール・シュミットいう「政治化」の手の内。

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こういう側面では中国共産党北朝鮮も随分と煮詰まっている。

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実際の歴史は、こうした対立の行き着く先をまざまざと見せつけてくれる。

  • 古代ギリシャにおいてアテナイAthens)が海上帝国として栄えたのは、アケメネ朝スペルシャの権力がアナトリア半島まで及ぶ様になったのを嫌って逃げ出した現地の商人や工房誘致したから、その繁栄が終わったのはペロポネソス戦争Peloponnesian War、紀元前431年~紀元前404年)でアテナイが軍事的に包囲され、コリントスによって経済封鎖されたのを嫌って逃げ出したからと言われている。その間葡萄畑やオリーブ園を経営する在地有力者は一切工業や商業に関わらず、彼らは外国人の商人や職人を終始見下したままだったという。当時のアテナイ演劇の主題とアテナイ陶器のモチーフに大きなズレがあるのはその為とされる。*一方、勝者となった筈のスパルタも突然の経済的繁栄の継承に翻弄されて自滅。
  • 共和制ローマは、しばしば占領した属州から流入する富(特にエジプトやシチリア等から無尽蔵に運び込まれ続ける安価な穀物)によって滅ぼされたといわれる。*かくして共和制時代のローマ軍団の屈強さを支えた自作農市民は消え去り「パンとサーカスの政治」が始まったという次第。
  • 羊毛輸出国から脱却したイングランドが持ち込む毛織物、ポルトガルが西回り航路で運び込む香辛料、スペインが新大陸から略奪してくる金銀などで栄えたアントウェルペン/アントワープオランダ語: Antwerpen、 フランス語: Anvers、 英語: Antwerp)。実は自由都市ではなくブラバント公領の一部に過ぎず現地住人は商業への関与を禁じられていた。外国人商人達に混じってプロテスタントやユダヤ人の活動が活発となったので八十年戦争(Tachtigjarige Oorlog1568年~1609年、1621年~1648年)の一環としてスペイン軍が1576年に焼き払い、1585年に完全に屈服させたが、この時も外国人商人と手工業者達は一斉にアムステルダムAmsterdam)やイングランドに逃げ去ってしまった。*一方、勝者となった筈のスペインも新大陸からの金銀の無制限流入が引き起こした価格革命に翻弄されて自滅。

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  • フランス絶対王政下ではボルドーが太平洋交易の要、リヨンがフランス工業の要として栄えたが、フランス革命が勃発してジャコバン派が権力を握ると「貧富の格差を広げる悪」としてボルドー実力者は徹底粛清され、リヨンも徹底破壊された。これによってフランスにおける産業革命開始は半世紀以上遅れ、英国に追いつく事が不可能となる。まさしくユグノー追放の二の舞。*これはもう、ただの自滅としか言いようがない。

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  • そして何より(マルクスと同時代人たる)ブルクハルトが生きた時代には、古来より君主や主教がユダヤ人と癒着して蓄財に励み、それによって庶民の不満が鬱積する都度ユダヤ人をスケープゴートとして生贄に捧げてきた神聖ローマ帝国の後継国、すなわちハプスブルグ家支配下のオーストリア=ハンガリー二重帝国が現存していた。ソ連でさえその完全崩壊(Распад CCCP、1991年)まで「いきなりクラーク(富農)階層を粛清して穀物輸出国から穀物輸入国に転落」といったあからさまな失政すら指摘するのが憚られる雰囲気があったくらいである。ブルクハルトがハプスブルグ帝国やオスマン帝国を肯定する声に耐えかね「権力こそ、何者がそれを行使するにしても、それ自体においては悪である」なるアンチテーゼを提唱したとしても致し方ない状況であった。ちなみにマルクスもブルクハルトも、そんなハプスブルグ帝国から独立を果たしたイタリア王国(1861年)やドイツ帝国(1871年)については「また新しい権威主義圏の衛星国が増えた」くらいにしか評価してない。*日本において応仁の乱(1467年~1477年)を契機として中世を迷走させた土地利用権の多重分配状態(所謂「職の体系」)の解体がはじまった様に、ブルクハルトを鬱屈させたこの「歴史における危機」状態は第一次世界大戦(1914年~1918年)敗戦によるオーストリア=ハンガリー二重帝国とオスマン帝国の解体によってあっけなく解消。だがその代償はフランス革命より高くついた。ほぼ全土が戦場となった痛手はあまりにも大きく、欧州が第一次世界大戦前の経済規模に復帰したのは1970年代に入ってからといわれているのである。

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    大北方戦争(1700年〜1721年)に勝利し、スウェーデンからバルト海交易ルートを奪取し、黒海をもロシアの影響下に置こうとしたピョートル大帝(Pyotr I Alekseevich、 モスクワ・ロシアのツァーリ1682年〜1725年、初代ロシア皇帝/インペラートル1721年〜1725年)がその過程で行政改革と海軍創設を断行。貴族に国家奉仕の義務を負わせ、正教会を国家の管理下におき、帝国における全勢力を皇帝のもとに一元化し絶対王政を樹立。これがロシア帝国で、歴代ツァーリが進めてきた西欧化改革を強力に推進し、外国人を多く徴用して国家体制の効率化に努めてきた。バルカン半島中央アジアシベリア方面にも積極的に進出し、フランス革命ナポレオン戦争の時代以降は「滅びゆく欧州宮廷文化の庇護者」としても名を馳せたが、やはりオーストリア帝国オスマン帝国同様、第一次世界大戦(1914年〜1918年)を生き延びる事は出来なかったのである。ロシア革命自体は1917年だが、日露戦争(1904年〜1905年)時点ですでに革命騒ぎがあり、この時米国に亡命した首謀者達が(帝国領内におけるユダヤ人虐待を根に持っていた)ユダヤ人金融家に接触し軍資金を引き出す事に成功したとも。

むしろ逆に、どうして(領主が領民と領土を全人格的に代表する)農本主義的伝統に立脚する絶対王政圏で「経済は、何者がそれを行使するにしても、それ自体においては悪である」という考え方が成立したか透けて見えてくるのが興味深い。そういえば絶対王政下で発展した経済学においては「国王=宮廷が国民から吸い上げた富を全て贅沢や戦争で使い果たしてしまう行為」に「(インフレ進行や貧富格差拡大といった悲劇をもたらす)庶民の経済的発展を抑制する」効能が認められていたという。案外馬鹿に出来ない発想で、実際戦争特需に沸いた第二次世界大戦下の米国でも、戦時国債の大量販売がインフレ進行に歯止めを掛ける役割を果たしていたりするのである。*「父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers、2006年)」や「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー(Captain America: The First Avenger、2011年)」にも出てくる話。


さらに興味深いのは江戸幕藩体制下では真逆のプロセス、すなわち貨幣経済浸透に伴う価格革命(インフレ進行に伴うランツィエ(地税生活者)階層の没落)が放置される一方、庶民経済が同時代の外国に類例が見当たらないほどの規模まで膨れ上がるという未曾有の過程が進行したという事だった。

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