“All bad precedents begin as justifiable measures(どんな悪しき前例も、最初は正当な方法として始まったのだ)” - Gaius Julius Caesar
Faoi móidh bheith saor - ‘’Nymphs of the sword’’, painting by Gordon...
構造主義社会学成立に強い影響を与えたソ連の昔話研究家ウラジミール・プロップも「御伽噺に登場する悪は大抵の場合、時代遅れとなって弊害しかもたらさなくなった過去の正義である」と述べている。本当だろうか?
- ウラジミール・プロップが指摘する「時代遅れとなって弊害しかもたらさなくなった過去の正義」は概ね人身供儀とか葬り去られた土俗的信仰などを指す。*ここで重要なのは、正義というのが登場した瞬間から「人を特定の振る舞いに導く強制力を備えた権威主義的存在」なる側面を備えている点。またフランスに亡命したドイツ人詩人ハイネは(様々な意味で開明的な西ヨーロッパの人々と異なり)ドイツ人や北欧人が近代に足を踏み入れてなおこの世界から完全には足を洗い切れていなかったと指摘する。
- 蛮族の襲来で多くの領土を失った東ローマ帝国。その中枢は自ら定めた原理原則の墨守によって蛮族と自分達の間に一線を架そうとした。*その一方で実際に蛮族達の世界に足を踏み入れ、適応主義に基づいてキリスト教秩序の回復を試みた伝教師達もいた。彼らが(後に東方正教会と決別する)西ローマ教会のイデオロギーを基礎付けたともされるが、宗教革命時代の反宗教革命運動は東ローマ帝国/東方正教会のそれに酷似する。
- その真逆でむしろ蛮地の慣習を積極的に受容し続ける事で世界に普遍性をもたらそうとする動きがあった。3世紀ペルシャに勃興し4世紀から5世紀にかけて西はイベリア半島、東は中華王朝にまで到来したマニ教、バラモン階層が仏教に反攻の狼煙を上げた初期ヒンドゥーの発展と密教の登場、ササン朝やクシャーン朝の宗教的寛容主義、ケルト的キリスト教と最初期修道会運動、そしてアッバース朝イスラム帝国で最初の公式教学に選ばれたヘレニズム文化の影響色濃いムタズィーラ神学にスーフィズム(イスラム神秘主義)…*大変興味深い事にこの系列の試みの多くが同じ原理原則に到達した。すなわち「正しい術式で神に迫れば世界そのものが変えられる」という信念。後の「プログラムがCPUを介して接続デバイスを操作する」というコンピューター概念の起源とも。
- 中世イスラムを代表する歴史哲学者たるイブン・ハルドゥーンは「強い部族的紐帯を武器とする辺境の蛮族は都市に攻め上がって文明化によって軟弱化した支配者を打倒するが、新たな支配者となると自らも文明化によって軟弱化して倒されるのを待つだけの存在へと変貌していく」という循環史観を提示した。また遺産を子供全員が均等に相続すると代を重ねるごとに衰退に向かう。こうした問題を回避する為にノルマン貴族や北フランス諸侯などは長子相続制を採用し「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」に基づく権威主義体制を構築。しかしノルマン貴族は「間に合わなかった」とも。さらには十字軍運動終焉後のテンプル騎士団やドイツ騎士団の末路も悲惨だった。*しばしば「封建制」と和訳されるフューダリズム(Feudalism)の下部構造。これ自体が西洋中世封建制というより、さらなる安堵を求める領主の気持ちに国王や教会などが付け込む形で発展したのが西洋中世封建制と考えるのが正しい模様。騎士だけでなく商人や職人の間にもそれなりの形で伝播し、少なからぬ状況で経済発展を阻害してきた。
- 直臣による中央集権化を志向する国王と既得権益を剥ぎ取られまいとする大貴族連合の利害衝突。この問題は戦争の主役が国王の擁する常備軍に推移し、貴族が軍役から解放されるに連れて深刻化し、貴族が将校や官僚の供給階層として認められるにつれ沈静化していった。リベルタン(Libertin)という跳ね返りを出しつつつも。*欧米の勢力争いではしばしばこれに教会が絡むが、誰が勝っても領民はそれだけでは得をしない。スイスの歴史哲学者ブルクハルトが指摘する「権力は、何者がそれを行使するにしても、それ自体においては悪である」の概念に最も適合するのはこれとも。
- 大航海時代到来に伴って欧州経済中心地の地中海沿岸から大西洋沿岸に推移。この時、大西洋沿岸の人口急増が食料価格を高騰させ、それに便乗する形で農場領主が急増した。しかし(玉蜀黍や馬鈴薯や隠元豆といった新大陸から伝来した作物の栽培が普及した事もあって)食料価格は次第に低落化し、損分が領民に皺寄せされ続けた結果奴隷制と見まごうばかりの搾取体制が現出する事になった。*所謂「再版農奴制」。大航海時代の余波以外にも「常備軍が主力となって軍役から解放された領主が辿った道」という側面もあったらしい。この辺りの事情は明治維新まで軍役から解放されなかった武士と異なる。ちなみにカリブ海中心に栄えた奴隷制砂糖産業も砂糖価格の急落によって相似した経過を辿っている。
- 科学万能主義(Scientism)。これも一時期はアメリカを中心に世界中から絶対正義として信奉されていた。*最近では「非科学的なものを一切否定する方が非科学的」なんて言い回しまで広まっている。
- 産業革命の進行は大不況時代(1873年〜1896年)を通じて「(産業革命をもたらした)大量生産能力は(庶民の消費者化などによる)大量消費に支えられねばならない」という原理原則を人類に突きつけた。*もちろん、それが正義だった時代も確実にあった。しかし「時代遅れとなって弊害しかもたらさなくなった過去の正義は現在の悪に転じる」という原理原則に例外は存在しない?
最近では最後の問題が一番頭が痛い。
- 果たしてこれまで消費者の行動に指針を与えてきたスノビズムは、こうして訪れた大量生産/大量消費の時代をどこまで生き延びる事が出来るのだろうか?
- コモディティ化による価値観の平準化は、最後には消費者の消費欲にトドメを刺してしまうのではあるまいか?
さらにはそもそも「人類はそろそろ何でも正義と悪に分類する悪癖から足を洗うべき」とする考え方まである。ポリティカル・コレクトネス(PC=Political Correctness)を巡る議論では「あと人類に残ってるのは何?」という究極の指摘まで飛び出す。