「スター・ウォーズ/フォースの覚醒(STAR WARS: THE FORCE AWAKENS、2015年)」を鑑賞して「帝国(英国人が拗ねる)やナチス(ドイツ人がむくれる)の悪役抜擢はもう古い。これからの悪のイメージの中核は十字軍、それも騎士道修道会」という戦略を感じました。まぁ呼称からしてファースト・オーダー(First Order)もしくは単なるオーダー(The Order)ですからね。
ジェダイも騎士団(The Order)ですが、あえて「宗教騎士団」を意識すると固有の狂信的イメージが加わります。まぁ影響といってもその程度で、十字軍運動そのものに触れる事はないでしょう。
悪役を演じる映画は、主に東欧やソ連で製作されてきました。そう、東方植民の最前線に立ったチュートン騎士団…そもそも第1作から「ストーム・トルーパーの元イメージの一つ」といわれおります。ドイツ人、そう簡単に逃がしてはもらえない…
同様に「国王と教会の伝統的権威への反逆」を誓ったロマン主義の評価も同様の乱高下を経験しました。ただ、より悲観的で内省的な方向への発展が見られます。まぁ自意識過剰なのはそのままなんですが…
フランス大革命は、哲学的に言えば、社会本位説に対する個人本位説の叛逆であった。ルソーの民約論は、もっともよくこれを証明する、代表的思想である。もとよりこの民約論は誤謬であった。…彼等にとっては、国家と社会とは同一物であった。…したがって彼等の個人本位説は、今日いうがごとき絶対の非社会的でもなく、また絶対の非国家的でもなく、ただ封建制度を基礎とする社会と国家とに対する叛逆であった。…要するに彼等にはまだ、今日いうがごとき真の意味における個人主義はなかったのだ。
当時の新勃興階級たる紳士閥は、封建の旧制度を倒壊するとともに、一面において強力なる中央集権的近世国家の建設に努め、他面において容赦なき紳士閥的個人主義すなわち利己主義の実行に耽った。…近代の個人主義は、この紳士閥社会の事実から当然に起こった、一反動である。
ロマンティズムとは、偉大や、力や、情熱や、歓喜や、自由や、幸福や、または美やの、漠然としたしかし崇高な理想に対する異常な憧憬であった。理想的であり、熱誠的であり、革命的であり、時としては狂気に近いほどの激情的であった。その内的欲望はさらに外的に拡がって、世界を征服し、世界を破壊せんと欲した。しかしこの憧憬も、ついには必然に絶望を、多くの詩人によって歌われ多くの哲学者によって論ぜられた渇望の見たし得ざる悲哀を、生まなければならなかった。文芸の上でのオーベルマン、ルネ、バイロン、レオパルディ、ハイネ、ヴィニー、また哲学の上でのショーペンハウアーなどは、すべてみなこのヴェルトシュメルツすなわち世界苦の苦悩者であった。ロマンティック・ペシミストであった。
かくロマンティズムは、一方にその感情の横溢から悲観説に傾かざるを得ざるとともに、他方にまた、その横溢せる感情を娯まんがために、自らの苦悩を強めてその苦悩を味わわんがために、そしてまたその苦悩を天才のしるしであるかのごとく崇め上げんがために、外に向うことをやめて自己の中に帰らなければならなかった。自己の中に閉じ籠もったロマンティズムは、必然にまた、個人的むら気を尚ばなければならなくなった。むら気は刹那的である。流動的である。
ロマンティズムは、かく悲観的となり個人的となるとともに、さらに哲学上の批評的精神と科学上の観察的精神とおよび芸術上の現実的精神との三重の影響によって、ついにネオロマンティズムと化した。ネオロマンティズムは、ロマンティズムと同じく実感から出て、感情をもって善悪の真偽のそしてまた美醜の標準とする。けれどもネオロマンティズムの尚ぶ実感は、もはやロマンティズムの無邪気なる理想的でもなく、激情的でもなく、叛逆的でもなく、その批評的精神によって自らに対してすらも不信を懐き、経験によって聡明にされ、反省と科学的教養とによって和らげられついにまったく純化された平静と観照との悲観説となり個人主義となった。
これを一言に言えば、ロマンティズムはより多くディオニシエンであり、ネオロマンティズムはより多くアポロニエンである。
ギリシャ悲劇も同様の変遷を遂げました。
- 内省を一切含まない大仰な台詞回しが特徴のアイスキュロス(ここにペルシャ戦役に勝利してペリクレスの民主政治も定着した時期の「高揚感=躁状態」を見てとる向きも)。
- 遺作では遂に「神意に逆らう者は、神罰が下るまでもなくまず内心の不調和に悩まされる」なんて台詞まで飛び出すペシミスティックなエウリピデス(次第に敗戦に向かうペロポネソス戦争の「絶望感=鬱状態」)
しかしニーチェはロマン主義を擁護する立場から「悲劇の誕生(Die Geburt der Tragödie、1872年)」の中で「熱狂への没入を旨とするアイスキュロスの異教的英雄主義が、理性への隷属を旨とするエウリピデスのキリスト教的奴隷主義に穢された」なんて激烈な弾劾を口にします。まさしくバガヴァッド・ギーターの世界…
時はまさに「ロマン主義」と「新ロマン主義」の端境期。マルクスが「我々の感情は自分の本来の気持ちではなく、社会の同調圧力によって型抜きされた既製品に過ぎない。本当の自分だけの気持ちを持ちたければ、まずこの社会をを打倒しなければならない」なんてヘーゲルから内省性を抜いた物騒なバリエーションを生み出したり、ボードレールが「人の心を動かす言葉の裏には普遍的なイメージ文法が存在する」と指摘して象徴主義への道を切り開いたりしたこの時代でした。
全体像を俯瞰してみると案外「どうやってもっともらしい理由をつけて内省による沈着状態から逃れるか」が主題だったのかもしれません。一方、文学の世界は「ハッピーエンドを望む大衆が消費の主体となる」という新たな展開があり、さらにややこしい事になっていきます。
こんな時代に再起を果たしたのが「新ロマン主義」だったという訳で…
ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ(1903年-1912年)」第七巻 家の中(1909年)
*第一次世界大戦前夜のパリで暮らすドイツ人作曲家(ベートーベンがモデル)が主人公の大河小説
宗教的熱意は、宗教のみが有してるものではなかった。それはまた革命運動の魂であったが、この方面においては悲壮な性質を帯びていた。
クリストフがこれまでに見たものは、下等な社会主義――政治屋連中の社会主義にすぎなかったのだ。その政治屋連中は、幸福という幼稚粗雑な夢を、なお忌憚なく言えば、権力の手に帰した科学が得さしてくれると彼らが自称してる、一般の快楽という幼稚粗雑な夢を、飢えたる顧客らの眼に見せつけていただけであった。
そうした嫌悪すべき楽天主義に対し、労働組合を戦いに導いてる優秀者らの深奥熱烈な反動が起こってるのを、クリストフは見てとった。それは、「壮大なるものを生み出す戦闘、瀕死の世界に意義と目的と理想とをふたたび与える戦闘」への、召集の叫びであった。
それらの偉大なる革命家らは「市井的で商人的で平和的でイギリス的な」社会主義を唾棄して、世界は「拮抗をもって法則とし」犠牲に、たえず繰り返される常住の犠牲に生きてるという、悲壮な観念をそれに対立せしめていた。
それらの首領らの過激行為は、旧世界からの襲撃の歯止めとして出撃する辺境警備隊を思わせる何か、カントやニーチェに通底する神秘的戦意、そして(彼らはそんな表現を受け入れてはくれないかもしれないけれど)革命的貴族の突撃としか呼び得ない痛烈な光景を呈していた。彼らの熱狂的な悲観主義、勇壮な生への渇望、戦いと犠牲に対する熱烈な信念は、ドイツ騎士団や日本のサムライなどの軍隊的宗教的理想と同じであるかの観があった。
*「革命的貴族」って一体何を表してるんですかね?
ロマン・ロランは一般にあらゆる戦争に反対し続けた理想主義者として知られていますが、単純な平和礼賛者ではなくファシズムへの対決姿勢を終始崩しませんでした。実際、この文章など第一次世界大戦における浸透戦の英雄で「魔術的リアリズム」の提唱者でもあった武闘派のエンルスト・ユンガーの作品であってもおかしくない好戦的な仕上がり。フランスでは二月/三月革命(1848年〜1849年)以降「王党派(右翼)VS共和派(左翼)」といった既存の境界線が消滅してしまいます。そして共産主義やファシズムやナチズムの様な全体主義も嫌いだけど、同じくらい国家権力に迎合するブルジョワ議会政治や口先ばかりの社会民主主義も嫌いという新たなロマン主義者達が登場して「右翼」に分類される事に。
こう言った流れ全てを併呑した金字塔として「巨人の星(1965年〜1971年)」「タイガーマスク(1968年〜1971年)」「あしたのジョー(1968年〜1973年)」といった梶原一騎原作のスポ根漫画が挙げられます。
60代のブログ奮闘記 : 星飛雄馬とベートーベン
スポ根マンガの端緒は、講談社が「長時間労働慢性化による父親の家庭不在が伝統的家父長制度の存続を危ぶませている」という旗期間を懐く様になり,1930年代に人気を獲得した吉川英治「宮本武蔵」の様な「一つの道を究めライバルとの対決に打ち勝っていく人物を主人公とする物語」を志向した事だった。
その一方で文学青年として挫折した梶原一騎はアレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯(Le Comte de Monte-Cristo,1844年〜1846年)」やロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯(Vie de Beethoven,1903年)」「ジャン・クリストフ(Jean-Christophe,1904年 ~1912年)」といった新ロマン主義作品の世界観を日本に根付かせる機会を狙っていた。
この2つの系譜が合流する事により、スポ根マンガは誕生する。
もちろん戦争の形態そのものがどんどん推移していくので、それに合わせて必要とされる「武人の覚悟」も変遷してきました。
- 「重装槍騎兵(Heavy Shock Cavalry)の密集突撃」から「行動単位が兵士一人ずつにまで分解された散兵陣」へ…狂騒状態で皆一緒に突撃してれば済んだ時代から、各自が孤立して自分の頭で考えて戦わなければならない時代に。そりゃ内省的かつ客観的になるのは当たり前。ちなみに騎士も百年戦争の頃からはしばしば馬を降りて戦う様に。今日のRPGでいう「Tank」の起源?
- 兵の供給源が「軍役を担う領主」から「傭兵」を経て「徴兵された国民」に…騎騎士修道会は、まさにこうした変遷の間に生まれた時代の徒花。「ボランティア(volunteer、自らの意志で参戦した義勇兵。徴募兵(drafts)の対語)」の語源でもある。常備軍の時代に入って軍役から解放されて以降も貴族は将校供給階層として軍事への関与を続けた。ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)?
- 「異教徒との聖戦」から「君主同士の領土争い」を経て「総力戦の時代」へ…バロック建築は宗教的権威が衰退していく時代、壮麗な謁見の間の威圧感でその分を補おうという意図から生まれたとも。その発想自体は時代遅れとなったものの、大規模な閲兵式や観艦式で兵士を鼓舞する伝統は現代なお残る。一方、一般市民にまで敵に対する偏見の極みを叩き込んで扇動する方式は一周して復活?
さて、この流れどこにたどり着いたやら…
いずれせせよビザールでござーる?