諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

世界が変わるのに必要とされる事?

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興味深い投稿を見掛けました。

産業革命以降、科学技術が飛躍的に発展するのは、それが儲かるようになったからだ。有閑階級の趣味にすぎなかった科学は、産業革命によって一夜にして「金のなる木」になった。国家や企業が多額の投資をするようになったからこそ、現代のような科学技術全盛の時代が始まった。

なぜ産業革命がイギリスで始まったのかといえば、当時の世界ではもっとも賃金が高く、かつ、格安の燃料が手に入ったからだ。だから、労働者を機械に置き換えるインセンティブが生まれた。人間の手で水を汲み出すよりも、蒸気機関で動くポンプを使ったほうが利益を出せたのだ。当時はまだ技術的に未熟で、非効率な蒸気機関であったにもかかわらず。

 カナダの歴史家ウィリアム・マクニールは、科学実証主義の起源を16世紀におけるボローニャ大学パドヴァ大学の解剖学部の新アリストテレス哲学、すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」というスタンスに見出します。それに比べると、話を少し単純化し過ぎているかもしれません。

世界を変えるのに必要なもの - デマこい!

マーケティングの界隈では、需要を作るのではなく、潜在的な需要を掘り起こせとよく言われる。当たり前のようにこのセリフを吐く人たちは、それがどれほど破壊的な発言か自覚しているだろうか? この発言にもとづけば、世界を変えたのはiPhoneではなく、iPhoneを欲しがっていた私たち自身ということになる。スティーブ・ジョブズが世界を変えたのではなく、変わりつつある世界にもっとも受け入れられる製品と思想を提供したにすぎないことになる。思想に世界を変える力はない。世界を変えるのは環境的な要因だ。変わった後の世界にもっとも相応しい思想が広まるだけだ。

 戦前、フローベール登場の歴史的革新性に気づいた坂口安吾がそれを読み返し「現代文学では当たり前の表現しか見当たらない」事実を発見してがっかりしています。現代日本でも「手塚治虫大友克洋のどこが革新的だったんだ!? 今じゃ当たり前の表現ばっかりじゃねぇ!? ばっかじゃねぇの!?」と息巻いてる論評をしばしば目にしますね。でもそれこそが「世界を変える発明」が世界を変えた所以。「未来には当たり前となる筈のテクノロジーを今想像出来る人間が勝つ」とアメリカではいうそうです。「自動車がまだ発明されてない世界でアンケートを取ってもより高速に耐える乗り心地の良い馬車に関するアイディアが集まるばかりである」なんて警句も有名ですよね。

さらに裏を返せば「ターミネーター2Terminator 2: Judgment Day、1991年)」の様な展開も有り得る訳です。未来の破滅を予防する為に裏街道へと身を落としたサラ・コナー親子は、なまじ本来の目的を達成したが故に、以降の人生をただの裏街道の人として生きる羽目に陥りましたとさ。めでたしめでたし…

現実世界における歴史展開に至ってはさらに錯綜しています。例えばこれまでこのサイトではこんな人達や集団にスポットライトを当ててきました。

  • フランス貴族オルレアン公…フランス人からは、私邸パレ・ロワイヤルに反体制派論客を匿い、彼らの扇動で私邸の庭に群衆を集め、バスティーユ牢獄襲撃(prise de la Bastille、1789年7月14日)とヴェルサイユ行進(La Marche des Femmes sur Versailles、1789年10月5日)の実働部隊として送り出した人物なのにフランス革命と無関係と思われている。さらに7月革命(1830年)を成功させる為に(それまでイタリアにおいてこっそり育ててきた)炭焼党(イタリア語: Carbonari、フランス語: Charbonnerie)を実働部隊として投入した事実も黙殺され、彼らのうち革命が単なる王統交代に終わった事に不満を抱く共和派が粛清された6月暴動(1832年)も「フランス人愛国者の自発的蜂起」と記憶補正されている。「当時のフランス民衆に自ら革命を起こす能力なんてなかった」と認める事によっぽど抵抗があるらしい。ユダヤオーストリア人作家のステファン・ツヴァイクが「こんなの誰が見たって真犯人明らかじゃん。何とぼけてんの?」という立場から発表したのが評伝「 マリー・アントワネットMarie Antoinette、1932年)」。フロンドの乱(La Fronde 1648年〜1653年)に際して「外国人宰相」マザリン枢機卿を悪役視した様に、神聖ローマ帝国より輿入れしたマリー・アントワネットを「外国人悪女」としてスケープゴートにしたがるフランス人の態度に同じオーストリア人としてとして我慢がならなかっからこれを書いたと冒頭で宣言されている。それを雛形に池田理代子ベルサイユのばら(1972年〜1973年)」が執筆された事から、むしろ日本では「オルレアン公=黒幕」説が広まるという皮肉なオチまでついた。
  • *そもそも日本人は、明治維新が「(当時の一般庶民に自ら革命を起こす力はなかったので)各藩の武士、それも発想が柔軟な下士が主役となった。しかも末代将軍徳川慶喜が上手に負けてくれたから効率よく進行した」事実を割と平然と受け止めており、その延長線上においてツヴァイク流の醒めたフランス革命観の方に「神聖ローマ帝国から送り込まれた稀代の外国人悪女マリー・アントワネットへの激怒がフランス民衆を一斉蜂起させた」とするフランス人の愛国史観よりしっくりきくるものを感じたのだった。その一方でもちろん、明治維新最初期の段階において尊皇攘夷パニックを広げるだけ広げながら内ゲバによって自滅していった水戸藩同様、オルレアン公も自分が何をしでかしつつあるか全く理解していなかった。「革命」なんて案外、そういう人たちが人の都合も構わず勝手に始めてしまうものなのである。

  • 英国都市マンチェスターイングランドを「外国商人に交易を丸投げした単なる羊毛輸出国」から「自国の商人が交易を取り仕切る毛織物輸出国」を経て「工場制機械工業による綿織物の輸出国」へと変貌させた立役者ながら「産業革命を誰が始めたか?」といった議論でその事が論じられる事はあまりない。要するに彼らは何かを始め、それが周囲に模倣される事でイギリスを変えてきたが、不思議と最終的に単独覇者となった事は一がないので軽く見られている。
    *日本人も案外と文明開化から輸出大国に変貌する過程で横浜華僑や神戸華僑の活躍があった事を忘れている。イザベラ・バード女史の「日本奥地紀行(Unbeaten Tracks in Japan、1880年初版)」や「朝鮮紀行(Korea and Her Neighbours、1894年〜1897年)」は同時代人の証言として貴重で、前者がその全盛期、後者が衰退期に該当する。とはいえ「海外との交易が儲かると気付いて以降の日本商人」の動きは悪魔の様に素早かった…

こうして全体像を俯瞰してみると、もしかしたら「商売人が儲かると分かったら動くのなんて当然の話だろ?」とつい話を単純化したくなるのは、私たちが(「悪党」の跳梁が律令制を破綻させた時代から)まさにその原理だけで国を回してきた日本人だからかもしれません。
*確かに日本人も古くから様々な宗教を信仰してきましたが、宗教団体そのものが商売人の筆頭格だったという…イザベラ・バード女史も門前町を訪れて「日本の聖堂はどうして歓楽街とセットになってるのか?」と衝撃を受けている。

ochimusha01.hatenablog.com

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そのせいでイデオロギーの暴走に対する免疫能力が存外低く「過度に中華王朝を理想視する人々」や「過度に西洋思想にかぶれる人々」を出してきたなんて側面もありますが、羹(あつもの)に懲りて鯰(なまず)を吹いてばかりもいられません。というのも「フランスにおける最大の資産家たる我々こそが王位にふさわしい」くらいの事しか考えていなかったらしいオルレアン公はともかく「産業革命当時のマンチェスター人の行動指針」を検討するにはユニテリアン神学について触れる事が避けられないからなんですね。

 ユニテリアン主義(Unitarianism)

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キリスト教で伝統的に用いられてきた三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称。歴史的にはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越性は否定する。

その思想的先駆者はポーランド王国で1556年1月22日に活動を開始し、のちにポーランド・リトアニア共和国で広まったポーランド兄弟団である。彼らはユニテリアンの思想を確立していたが、「ユニテリアン」という用語はしばらくの間使用しなかった。これとは別に、1567年にトランシルヴァニア(当時はハンガリー王国で現在はルーマニア)で「ユニテリアン」を自称する教団が成立している。ポーランド兄弟団はこのあともしばらく「ユニテリアン」の用語を使用しなかったが、これは世の中にトランシルヴァニアでの宗教運動と自分たちの運動とを内容的に混同されることを避けたものと推測されている。

この宗教思想が流入してきたイギリスではしばらくの間かれらは自由思想家や非国教徒として位置付けられ、また合理主義やヒューマニズムの思想を発展させたという説もある。

主に4つの派がある。

聖書的ユニテリアン派(Biblical Unitarianism)…伝統的に用いられてきた三位一体の神学に反し、『神は唯一の位格のみをもつ父なる一体の存在であり、イエスはメシアであり神の子であるが、神その人ではない』と主張するユニテリアン派閥。神の子の解釈は宗派によって異なり、先在する存在(アリウス派)、神のロゴスとイエスという人間の交わりの賜物(セルヴェ派)、イエス聖霊によって満たされることで神の子となった(ソチニアニスム)などと理解される。聖書的ユニテリアン派はトランシルヴァニアで発生した。ルーマニアトランシルヴァニア地方、ハンガリー、フランス、一部のアフリカの国々におけるユニテリアンの主たる神学である。著名な聖書的ユニテリアンにはミシェル・セルヴェ、ファウスト・ソッチニ、アイザック・ニュートンがいる。1840年代から、キリスト・アデルフィアン派がこの伝統の近代的な相続人となった。

合理的ユニテリアン派(Rational Unitarianism)…伝統的に用いられてきた三位一体の神学に反し、『神は唯一の位格のみをもつ父なる一体の存在であり、イエスは神の子ではなく、他者をよりよい生を生きることができるように導いた善良で賢明な人に過ぎない』と主張するユニテリアン派閥。合理的ユニテリアン派の思想は、ポーランド兄弟団による自由主義的な神学から発生した。この説を唱えた人々は、宗教に対しても極めて合理的なアプローチを行い、聖書に記される奇跡の多く(処女降誕も含めて)に関し否定的ないし懐疑的立場をとった。彼らは社会の段階的変革を奉じ、性善説を唱え、ローマ・カトリック教会によって定められたキリスト教の教義の多くを捨てた。合理的ユニテリアン派は、神が創造を行う人格的存在である、と考える点において、神を非人格的存在と考える理神論とは一線を画する。著名な合理的ユニテリアンには、聖職者にラルフ・ワルド・エマーソン、科学者にジョゼフ・プリーストリーやライナス・ポーリング人道主義者にスーザン・B・アンソニーフローレンス・ナイチンゲール 、文学にチャールズ・ディケンズ、芸術にフランク・ロイド・ライトなどがいる。ハンガリーのユニテリアン派にも合理的ユニテリアン主義を唱える者がいる。また、世界で唯一のユニテリアン派高校である、ルーマニア・コロジュヴァールのヤーノシュ・ジグモンド・ユニテリアン高等学校(ヤーノシュ・ジグモンド・ウニターリウシュ・コッレーギウム János Zsigmond Unitárius Kollégium)は、合理的ユニテリアン主義によって教育を行っている。

ユニテリアン・ユニヴァーサリズム(Unitarian Universalism)…組織に入るために要求される公的に定められた信条や信仰規定は存在しない。これはUUが1961年にアメリカ合衆国にてユニテリアン派とユニヴァーサリズム派が合併することで成立しているためである。アメリカ合衆国では、このことをうけて、多くの信徒が「ユニテリアン・ユニヴァーサリスト」(UU)を自認している。今日では、UUの多くは自分がキリスト教徒ではないと考えている(ただし、教義上はキリスト教主流派と重なる部分も少なくない)。キリスト教徒を自認する者についても、どのような教義を信じるかは各信徒の自由に任せられているが、多くの場合、三位一体についてはこれをドグマであるとして拒否されている。UUは彼らを束ねるものとして、教義ではなく、一連の行動原理を奨励するのである。著名なユニテリアン・ユニヴァーサリストにはティム・バーナーズ=リー(WWWの開発者)、ピート・シーガーカート・ヴォネガットクリストファー・リーヴがあげられる。

福音ユニテリアン派(Evangelical Unitarians)…19世紀以来、福音主義運動や、信仰復興運動の一部でユニテリアン派の神学が利用された。福音ユニテリアン派の神学はかなり多様であり、ソチニアニスム(イエスは受胎・出産以前には存在していなかった死すべき人間であり、聖霊に満たされることによって、初めて不死となり、神性をもったとする)的な考え方もあれば、サベリウス主義(イエスは神が具現した者であり、神の代弁者であるが、三位一体の位格の一ではないとする)的な考え方もある。しかし福音ユニテリアンはみな「聖書の唯一性」(Sola Scriptura)への強い信念、そして聖書は神の言葉であり、間違っていないという考えにおいては共通している。キリストアデルフィアン派などは福音ユニテリアン派のいくつかの特性を持っている。他の現代の三位一体を否定する教会、例えばフィリピンに本拠をおくイグレシア・ニ・クリスト(Iglesia ni Cristo)も思想的には福音ユニテリアン派に分類しうるが、これらの教会は、混乱を避けるために「ユニテリアン」を称することを拒否している。エホバの証人も、独特の形であるが、ユニテリアン的(非三位一体)な神学をもつ。

ユニテリアン主義のそれぞれの派は、互いに関連しあいながら発展してきている。歴史的にはアリウス派をその先駆とする聖書的ユニテリアン思想が最も古く、次にポーランド兄弟団を先駆とする合理的ユニテリアン思想である。UUは最も新しい。地理的には、ヨーロッパにおける現代のユニテリアン派の多くは聖書的ユニテリアンか、合理的ユニテリアンであり、アメリカ合衆国とカナダではユニテリアン・ユニヴァーサリズムが主流である。福音ユニテリアン派の大半はアメリカ合衆国かイギリスにある。現在、福音ユニテリアン派を除き、世界のユニテリアン主義の組織・団体の多くは、1995年に創設された、国際ユニテリアン・ユニヴァーサリスト協会(ICUU: International Council of Unitarians and Universalists)に所属している。

これ、どちらかというと天然痘(人間の行動を不当に束縛する伝統的思想)の予防接種としての種痘の様なものと考えるのが早いかも。そういえば日本では、天然痘撲滅成功を受けて1976年以降、種痘が行われていないそうです。でも逆にそれ以前の時代にこれを受けないという選択肢はありませんでした。そういう事だと思うんです。

とりあえずこれだけ押さえておけば次につながりそう?

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まぁ「本番」はアメリカに伝わって「野生化」してからという事で。