諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「究極の反知性主義」それはニヒリズム?

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リチャード・ホフスタッターが「アメリカの反知性主義(Anti-intellectualism in American Life、1963年)」で本当に言いたかったのは、要するに「エリート=インテリ=ブルジョワ階層である事」と「本当のエリート=インテリ=ブルジョワたる事」のギャップを突いてくるのが反知性主義という事です。

そして、それは元来「カソリック聖職者である事」と「本当のカソリック聖職者たる事」の矛盾を突いたプロテスタントの立場に由来するとしています。
*極限まで遡ればそれは(あくまでカソリック運動の枠内に留まり続けた)エラスムスの信仰刷新運動と(周囲を囲む在野勢力に求められるままそれを分離運動に発展させた)ルターの宗教革命の決別にまで遡るが、この時点における対立は所詮、在野勢力間の対立の投影に他ならず、アウグスブルグの宗教和議(Augsburger Reichs- und Religionsfrieden、1555年)で吸収可能な程度に過ぎなかった。そして「檄文事件(affaire des placards, 1534年)」によってパリからユグノーが追放される展開さえなければ「宗教革命家」カルヴァンが誕生する事もなかったのである。ドイツ同様、フランスにおいても王侯貴族にとっては「ユグノーカソリックか」など所詮、在野勢力間の対立の投影に過ぎなかった事を忘れてはならない。

とはいえプロテスタンティズムの立場とて、うかうかと安心はしてられません。「福音のみ」とするその立場だって「福音さえいらない。理性からの命令だけあればいい」とする理神崇拝者からの攻撃を常に恐れ続けなければならないからです。そもそも漸進主義(rradualism)と急進主義(radicalism)の戦いに際限などあろう筈もないのです。
イスラム教学の発展史もこれと似ている。まずは先進的なヘレニズム文化やペルシャ文化の本格的摂取を目論んだムウタズィラ神学が台頭し、これを聖典への挑戦とみなしたハンバル派がコーランの校正を徹底的に行い、ハディースを編纂。そして「コーランハディースに書かれている事のみが正義である」とするワッハーブ運動が始まり、そのうち時代遅れの急進派がサラフィー・ジハード主義(Salafi jihadism)へと変貌する。

要するに反知性主義(Anti-intellectualism)の本質はニヒリズム(英: Nihilism、独: Nihilismu)なのではないでしょうか。「神は死んだ」と叫んだだけのニーチェはまだ甘かった。その生涯全てを革命運動に捧げながら「革命の成功などない。成功した途端、別の革命から倒すべき敵として認定されるだけだから。永遠に続く反逆の継続だけが革命の本質である」とし、ありとあらゆる革命理論を冷笑して受容しなかったオーギュスト・ブランキ(Louis Auguste Blanqui、1805年〜1881年)の決意と比べたら「所詮は行動の人ではなかった」の一言でおしまい。まさしく船戸与一のハードボイルド小説にでも登場しそうな究極のActivistといえましょう。その彼でさえ自らの行動を天体の永久運動と重ね合わせて正当化していたのは有名な話。オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』書評:阿部重夫発行人ブログ:FACTA online
ニーチェとて別に「神」を完全に殺し得る(mortal)存在としてしかイメージしていなかった訳でもない。「ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra、1885年)」の中で彼は無心論者達が驢馬を神に見立てた祭祀を続ける様を活写する。「ああ所詮はお遊びさ。だがどうしてもこれまでは手放せないのだ」。まさしくフランス革命の到達点とも言われる「最高存在の祭典(La fête de l'Être suprême、1794年)」そのもの。そもそも挑戦すべき対象なくして挑戦者は存在しない。カール・シュミットの政治哲学も「政治家が真っ先にやらねばならないこと、それは挑戦すべき対象の設定である」と述べている。急進主義なるもの、あくまで自らが世界の中心たる太陽として君臨する事は出来ないのである。

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そして不思議にも、このエベレスト無酸素単独登頂競争にも似たブランキ流ニヒリズムは「反知性主義者はエリート=インテリ=ブルジョワ階層である事と、本当にエリート=インテリ=ブルジョワ階層たる事のギャップを突いてくる」と警告したリチャード・ホフスタッターの立場と重なってくるのです。まさしくThinkerの立場そのもの。

そもそも漸進主義(gradualism)と急進主義(radicalism)の対立はあくまでカール・シュミットの「敵友理論」がいう根本的前提などではありません。所詮は速度と内容に関する解釈の違いに過ぎないので、頻繁に人が行き来しますし「若いうちは急進主義(radicalism)、年を取ったら漸進主義(rradualism)」みたいな経年変化だって認められます。所詮は相対的尺度があるのみ。境界線などどこにも引かれていないのですから。そうとでも考えないと「スペンサーの社会進化論の誤解としての淘汰主義の時代(金鍍金時代:1865年〜1893年)」「古典的自由主義の時代(進歩主義時代:1890年代〜1920年代)」「社会自由主義の時代(ニューディール政策を実施したフランクリン・ルーズベルト大統領の任期:1933年〜1945年)」と時代を重ねてきたアメリカ近代史の時代区分そのものが理解不可能となってしまいます。
*ただまぁ、実は宗教革命期に政治的都合に合わせてコロコロとカソリックプロテスタント(ユグニー)の立場を入れ替えてきた欧州王侯貴族達よろしく「転身」を果たしてきた米国のエリート=インテリ=ブルジョワ階層の不誠実は、ホフスタッターの警告虚しくヒッピー運動や公民権運動の洗礼を受けたとする見方もあったりする。まぁ贖宥状販売で宗教革命の原因を生んだホーエンツォレルン家も、その後プロテスタントに改宗してプロイセン王統を経てドイツ皇統に収まった。バイエルンの敬虔なカソリック教徒の皆さんはこの事を今でも許してないといわれてるし、ナチスが台頭期にその住民感情を利用されたという話もある。「うまくやってきた事」そのものが憎悪と攻撃の対象となるのはよくある話とも。

ここではむしろ「それなら真の意味での知性(intelligence)とは何か?」が問われるべきなのかもしれません。それについて坂口安吾は「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」と述べています。自分の立場が急進主義(radicalism)/活動家Activist側だろうが、漸進主義(gradualism)/思索者(Thinker)側だろうが、拝聴しなければいけない言葉といえましょう。