以下ははてなブログのアクセス解析が教えてくれた「意外と検索に引っ掛けられてる投稿」の一つ。
ちなみに、アメリカで「シンゴジラ」が放映されると国際SNS上は予想通りの展開に。
あくまで人数的にはごく少数ですが国際SNS上のフォロアーさんの間では「鎌田君(kamata-kun)は私!!」的発言さえ、ちらほら。まぁ元々「ハリー・ポッター」でヴォルデモート卿(Lord Voldemort)の過去が明かされた途端「トム・リドル (Tom Marvolo Riddle)は私!!」発言をしていた層なんで「絶対やってくれる」と信じていた次第。まぁしばらくすると消されちゃうんですが…
- そもそも匿名アカウントの溜まり場たる国際SNS上の関心空間は、Facebookみたいな実名連絡網上では「良い娘・妻・母」を演じてる女子のストレスにとって良い捌け口となっている。そして「良い子を演じる必要性からの解放は、悪い子を演じる必然性からの解放をも意味する」と気づいたりする。
*まさしく安部公房「罰がなければ、逃げるたのしみもない」の世界。
- そして「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」と信じる行動主義者になる。これまでの投稿では坂口安吾の言葉として紹介してきたけど、アメリカでは学校で詩人ウォルター・ホイットマン(Walter Whitman, 1819年〜1892年)の言葉として教わるらしい(米国人気ドラマ「Bleaking Bad」でも引用があった模様)。
そして子供からそうする自由を奪う大人の偽善を嫌う様になる。彼女達には虚淵玄の「どうして悪い子になっちゃいけないか……嘘吐き、卑怯者、そういう悪い子供こそ、本当に悪い大人の格好の餌食になるからさ!」みたいな本気の言葉しか通じない。
*だから「鎌田君は私」発言という次第。ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill、1806年〜1873年)が「自由論(1859年)」で掲げた理念、すなわち「諸個人の自由を妨げる事が正当化されるのは、他人に実害を与える場合だけに限られる」に明らかに違反している以上駆除対象となるのは不可避だが「どんなに拒絶されても、どんなに嫌い抜かれても、善悪の彼岸を超越してただひたすら成長を目指す」その姿勢そのものに対する敬意はあくまで忘れないのである。
- こうした行動主義は絶えざる対価を払いながら「絶対に守らねばならない正義」とか「本当に近づいてはいけない悪」を明らかにしていく。こう書くと物凄く格好良い事をしてるみたいだけど、実際に下される「裁定」の大半は「可愛い服だけ着て、お菓子だけ食べて、漫画を読んだりゲームだけして毎日を過ごしたい」とか「黒人のロリショタ禁止(ガチで発育が早いので軽く小学生低学年の領域に突入)」とか「イケメンの尻は隠されるべきではない(全ての筋肉は神に照覧される為に存在する)」みたいな脱力系。まぁ常に「新たな知性と倫理を紡ぎ出す」事に汲々としてたら息が詰まるし仕方がない側面も?
*興味深い事に「(善悪の彼岸を彷徨った)トム・リドルは私」「ヴォルデモート卿は選択肢を誤った私である」発言の流行は、見事なまでにGoth人気の凋落と連動した。この動き、おそらく多くのSNSが公式に「自殺教唆と痩身症扇動に傾倒するアカウントは厳罰に処す」と発表してる事とも無関係ではない(SNSには本当に自殺や痩身症を誘発する力があるとされる様になった為)。その基準だと例えばアトラス「ペルソナ3(2006年)」や「劇場版 魔法少女まどか マギカ[新編]叛逆の物語(2013年)」の「自殺」場面や、湊かなえ「少女(2009年)」みたいな作品が完全アウトとなる。日本のLove Storyアニメでしばしば 「カップルが揃って河に落ちる」場面にも割と批判的で「カナダなら5秒で死に至る」なんて名言が生まれたりしている。日本人は割とこの方面に無頓着過ぎる?
割と想像以上にハードボイルドな世界に生きてます。
彼女達が国内外問わず国際SNS上でゴジラ(Godzilla)的存在と認識されてるのは、大義名分さえ立てば動員単位があれよあれよと言う間に4桁、5桁、6桁と増大していくからで、良い意味でも悪い意味でも個人主義的な男子にそれだけの集団行動力はありません。それもこれも海外では絶えず「女の子は女の子らしくネット活動の全ての活動をFacebookなどの実名SNSに限定して大人の完全管理下に置かれるべき」とか「女は男に屈服して初めて人間になる」みたいな論客の攻撃に曝され続けているからで「むしろ彼らの存在が彼女達を育てた」みたいな意見まであるくらい。
実は2011年にアメリカ議会にSOPA(Stop Online Piracy Act)を撤回させた主勢力の一つで、当時はワシントンポストなどの大手メディアに「Untouchable」とか書かれてました。アメリカのメディアが極力触れない様にしてるのは当時のトラウマもあっての事なのですが、和製コンテンツの国際的ファン層の溜まり場でもあり、海外でも人気の製作者の多くが明らかに意識してるのに国内では一切報じられないのはちょっと不思議な気がします。
「Serial experiments lain(1998年)」「灰羽連盟(Ailes Grises、2002年)」の安倍吉俊や「東京喰種(Tokyo Ghoul、2011年)」の石田スイみたいに直接絡んだ経験のある猛者までいるのですが、割と普通に「私達は光と影の様な関係。迂闊に交われば破滅が待つだけ」とか説教されてました。このサイトの貴重なネタ元の一つでもありますね。