諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「人形系美少女」から「引き篭もり系美少女」へ。そして「異類婚や彼岸と此岸の交流が不幸しか生まない」物語文法の崩壊へ

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人形をめぐる物語の起源は古代まで遡ります。

しかし1980年代初頭よりAI研究やパソコン普及の盛り上がりを背景に日本独自の全く新しい動きが始まるのです。

*実はP.K.ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(Do Androids Dream of Electric Sheep?、 1968年)」とリドリー・スコット監督映画「ブレードランナーBlade Runner、1982年)」におけるレプリカントのヒロインの扱いの相違が著し過ぎた事から国際的に予測されていた方向性だったとも。

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  • ある一人暮らしの男のところに、世間知らずのドジっ子娘が押しかけてきて…」というステロタイプな展開から始まる柴田昌弘「フェザータッチオペレーション(1982年〜1987年) 」。実は彼女は交通事故で植物人間化しており、その肉体を扱っているのは別荘の地下に埋設されたメインフレーム群(普段持ち歩いてるスポーツバッグが中継器)。それにはゼロから学習アルゴリズムを通じて形成された彼女の人格シミュレーターの他に開発者足る祖父の人格を転写した人格シミュレーターや、隙あらば人類史杯を狙う人工知能も稼働しており、秘密をつけ狙うライバル企業や自社社員との激しい戦争が続く。一方、同時期連載の「ラブ・シンクロイド(1981年〜1986年)」には「地球人の意識が異星人に乗っ取られて現地の義体(シンクロイド)に封入される」という設定が登場。
    *「ラブ・シンクロイド(1981年〜1986年)」…ハーレム物と思わせておいて中身は人がどんどん死んでいく革命譚だった。

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  • 桂正和電影少女(ビデオガール、1989年〜1992年)は、ピュア(純粋)な心の持ち主にしか見えないレンタルビデオ店の貸し出す特殊なビデオテープから少女(ビデオガール)が実体として現れ、恋に悩む少年を助けるという物語。

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    系譜的にはどちらかというとTV系サイバーパンク
    *ただし「TVの中に入り(Jack-In)ネットワークを伝う」のでなく「TVの外に実体が現れる(Jack-Out)」ケースは珍しい。
    元来ヒーロー物やSFを好む桂は恋愛漫画の執筆に当初はあまり乗り気ではなく、せめてもの抵抗としてありがちな恋愛漫画を避けることを画策。少年誌の恋愛漫画のお約束だった「主人公の表情と間で考えや気持ちを読み取ってもらう」方法を避け、その逆に「細かくリアルに心理描写を描き出す」方法で女性読者にも共感を与え「男なのになぜ女の子の気持ちがわかるのか」と尋ねるファンレターが届いている。教育評論家の斎藤次郎はこうした心理描写を「少女漫画顔負け」と評しラブコメディとしてちゃかさずに恋愛を描いた本作を「少年誌初の『恋愛漫画』」と表現した。しかしリアリティ追求は行動のリアリティにも繋がり、男女交際の当然の帰結としてベッドシーンといった過激な性描写へと繋がっていく。ただし「キスまで」という少年誌的な制約は厳しく「裸を出さずにエッチに描く」事でリアリティのある展開を際どく達成。それでもこうした描写はたびたび問題とされ、単行本に収録される際の修正・単行本発行後の修正(3・5・6巻では初版と重版で異なる部分がある)・山口県での第3巻の有害図書指定と、当時強まっていた漫画に対する表現規制のあおりを直接受けた。こうした「裸体描写を抑えながらも過激度を上げる」というギリギリの表現方法は、以降も桂作品である「エム」や『I"s』などにも継承されていく。

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  • 「ある一人暮らしの男のところに、世間知らずのドジっ子娘が押しかけてきて…」という冒頭部分は継承しつつ青年誌向け下ネタに特化した新谷かおる「ぶっとびCPU(白泉社,1993年〜1997年)」が登場。32ビットCPUの普及を背景にMicrosoftがWindows3.1を発表したのがこの時期で、パソコンとインターネットの本格的普及が本格化した。

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  • コンピュータープログラムしか能がない駄目高校生のプログラムが風変わりな雷事件で実体化する赤松健「A・Iが止まらない!(1994年〜1997年)」。

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    ①主人公はアメリカのコンピュータ会社に勤務している両親が残したスーパーコンピュータを悪用 (?) し、フィードバックシステムによって自分自身を進化させるプログラム、すなわち人工知能(A・I)をプログラミング。それ自体はコンピュータのディスプレイ経由でしかコミュニケーションを取れないという点を除けば、普通の女の子と全く同じように会話をすることが出来る代物だった。(唯一普通の女の子と異なるとすれば、女の子とまともに話すことが出来ないひとしが、それとだけは会話が出来ることくらいだった)。実体化後はオプションプログラム(OP)と呼ばれる特殊能力(プラグインに相当するアプリケーション・プログラム)を用いて様々な場面で主人公をサポートする。

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    ②難波サーティ(No.30)は主人公に創られた30番目の A・I プログラムで、C言語(OSはMS-DOS)によってプログラミングされている。主人公が本当に好きで彼と話すことを好んだ最初のプログラム。基本的には優しく言葉遣いも丁寧だが、当初は世間知らずの天然ボケで、それがひとしに問題をたびたび導く。当初はひとしに対して献身的であったが、現実世界に現出した当初は自動販売機と会話して無料でモノをせしめたり、ATMを不正に操作して金額を書き換えたり、食事をまるで絵を描くように作るなどの強烈な(一歩間違えれば犯罪の)大ボケをかまして主人公を振り回すのがデフォルトの展開だった。ストーリーが進むにつれ感情性が豊かになる一方、些細なことで頻繁に主人公を殴り飛ばす様になる。また最初は味覚を持たなかった上に料理をさせると絵の具や洗剤などあらゆるものを使っていた。その為に主人公は味覚プログラムを改めて設定。

    20メガバイトのハードディスクが6万円で売っていたり、「こないだ1Gに増設したばかりでしょ」という台詞があったりするが、今のニューラル・ネットワークはかなり単純な構造のものでも200メガバイトくらい、AlexNetに至っては1GBくらいある(そのせいでRasPiに乗らない)ので、この時代に本格的なAIを作ることが出来なかったのも当然だわなーと思えてくる。

    難波トゥエニー(No.20)は主人公に創られた20番目の A・I で、アセンブリ言語によってプログラミングされている。初めての成功品だが、快楽主義者の上に豪快な性格の持ち主で「面白そうだから」という軽い気持ちであらゆるモノに手を出し、遂には(まだインターネットが整備されていなかった時代の為)ネットワーク回線を駆使してアメリカ軍を乗っ取り、世界征服まで企んだ為に一旦はディスクに封印された。サーティが解放してしまい、落雷事故で実体化。

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    難波フォーティ(No.40)は主人公が実体化モジュールをほぼ完成させた後に作った新型A・Iで、C言語アセンブリの両方を使ってプログラミングされている。開発最終設定の際にトゥエニーとサーティが、彼(彼女?)の性別と性格について大喧嘩。2人してキーをデタラメに叩きまくった為、男と女の2つの性の人格を持った二重人格となった。なお2つに分かれているのは人格のみで、体そのものは第二次性徴期前の女性型に固定されている。基本設定年齢は(登場当初において)12歳。男性の人格と女性の人格は両方とも子供らしい性格。一方の性の単語を言ったときに人格上の性別が切り替わる。すなわちフォーティが男のとき、女になりたいなら「女」と言う。逆もまた同様である。「妹が欲しかった」サーティの提案した性格が選ばれた男のフォーティはいくぶん潔癖症で、少し神経質。「弟が欲しかった」トゥエニーの提案した性格が選ばれた女のフォーティは快楽主義的で少しエッチ。ただし初登場後はただの子供っぽい性格に修正された。当初より実体化モジュールを装備・安定起動させる事を目的として開発されたバージョンだった為、サーティやトゥエニーよりも高出力のパワーを扱えるように設定されており、以前の A・I 用オプションプログラムの発展型であるハイパーオプションプログラム(HOP)の使用も可能。

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    少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:AI止ま編(1/2)
    少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:AI止ま編(2/2) 

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  • こうした世界観を継承しつつも「男にとって都合良い女性型ロボットが存在する世界には、女にとって都合良い男性型ロボットも存在する」なる設定の追加で男女不平等感を解消し「なまじ人型だと感情移入し過ぎて悲しい思いをする」といった要素を駆使して「受動的に王子様の救済を待ち続ける囚われの姫様」の物語を完遂したCLAMPちょびっツ講談社,2000年〜2002年)」。ちなみにクライマックスにおける「貴方は人間でない相手を愛せますか?」「はい」なる変態問答は諸星大二郎栞と紙魚子シリーズ(1996年〜2008年)」を経て宮崎駿監督「崖の上のポニョ(2008年)」へと継承されたとも。
    *しかも国際的なCLAMP人気を背景にこの作品は海外で相応の人気を獲得。

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また1990年代後半に入ると「人形系」の綾波レイに加え「引き篭もり系美少女」というジャンルが立ち上がり、その人気がインターネットを通じて海外まで広がります。
*国際SNS上での動きで興味深いのは「お菓子だけ食べて、漫画だけ読んで、ゲームだけ遊んで暮したい系女子」の支持も結構集めてる辺り。

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新世紀エヴァンゲリオン(TV版1995年、旧劇場版1996年〜1997年)」の綾波レイはさらに複雑な設定を背負っていた。だだし実は「ぶっとびCPU(1993年〜1997年)」も「Serial experiments lain(1998年)」も「ちょびっツ(2000年〜2002年)」も人口ヒロインの正体は世界の破滅に関わる「セカイ系ヒロイン」だったのである。

この流れを「女を閉じ込めておきたい男の独占願望」と単純化する訳にはいきません。「出不精なインドア派女性」との共犯が成立しているからです。しかも彼女らは本当に閉じ込められている訳ではなく、ネットワークを通じて外の世界とつながっていたりもします。

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①2000年代後半に入ると「異類婚や彼岸と此岸の交流が不幸しか生まない」物語文法が崩壊するという新たな展開が見られた。

  • 「愛人(AI-REN,1999年〜2002年)」「愛しのかな(2006年〜2009年)」の田中ユタカと「ディスコミュニケーション/夢使い(2000年〜2004年)」「謎の彼女X(2006年〜2014年)」の植芝理一が奇しくも興味深い事を述べている。2000年代後半は「Sexで終わるプラトニック・ラブストーリー」や「幽霊の成仏で終わるゴースト・ラブストーリー」を許さなくなっていった時代なのだと。
    *「異類婚や彼岸と此岸の交流は必ず不幸に終わる」なる伝統的物語文法が完全崩壊したのもこの時期。そして「AIそのものの進歩というよりAIに対する人間側の受容態度の進歩が重要」とか「寿命も特性も異なる種族の共存について真摯に取り組む」といった新しい傾向が芽生えてくる。

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  • 谷川流涼宮ハルヒシリーズ(2003年〜)」も次第に「世界の存続危機」を主題として扱わなくなり、美水かがみらき☆すた(2004年〜)」かきふらいけいおん!(2007年〜2012年)」といった「日常系作品」に合流していく。

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②それと対比的に「痛みによって生きてる実感を回復する系作品」の低調が続いてきたが、これが恒久的トレンドかはまだ不明。というのも「罰がなければ逃げる楽しみもまたなくなる」という内的理由から、2010年代に入ってから再建の風潮もあるからである。
*ただし求められる「痛み」の種類は確実に変貌しつつあり、例えば「助かりたければ革命を起こすしかない」系の追い込み方は完全NGとなった。それで「Hunger Game」と「進撃の巨人」が一気に見放されている。 

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③その一方では、志村貴子青い花(2002年〜2013年)」「放浪息子( 2002年〜2013年)」や浅野いにおおやすみプンプン(2007年〜2013年)」「うみべの女の子(2009年〜2013年)」といった2010年代に入ってから国際的にカルト的人気を獲得する作品も多くがこの時期に発表されている。

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どうやら根本的な部分で身体意識そのものに変化があった様だ??