さらっと凄い名言が…
朝から母が「君の名は。の話の意味が漸く解った。だが私は歴史を変えずに彼女の死を抱えたまま生きていて欲しかった。死を受け入れ先に進む気持ちこそ至高」とか言い出して、「この業の深い女から産まれたのか…」と思い息を呑んだ。
— 青っぽい何か (@awoharu) 2016年12月6日
「君の名は」なる世界観の全体像、アニメ化された部分は「21世紀的Love Story」として屈指の完成度を誇ります。しかし実はこれトリミングの問題に過ぎなくて「ヒロインの母親二葉の物語」をトリミングの中心に据えると、突如として「20世紀的Love Story」が浮上してくるノーラ・ロバーツの続編ごとに世代を重ねる歴史物ばりの大仕掛けに…
*新海誠監督自身は、五十嵐大介「魔女(2003年〜2005年)」の影響と述べているが、「臍の緒を切られた瞬間、人間は世界から分離する」としたあのシーンへの完璧なオマージュ場面もあるし、どう考えても同じ二世代物たる「海獣の子供(2006年〜2011年)の影響の方が色濃い?
「20世紀的Love Story」の方の主人公は三葉パパと見る向きもあります。彼が長年闘ってきたのは「私が死んでも代わりはいるから」なんて宮水家の伝統(なんせ名前からして「一葉」「二葉」「三葉」「四葉」)だった辺りが切ない…特に「二葉、全てはお前の計画通りだったのか?」なんてスピンオフ小説あたりの独白辺りがもうね…もしかしたら、彼こそ碇ゲンドウ(20世紀最後のロマン主義的英雄)の後継者だったのかもしれません。
その一方で私の脳内では、こうした展開全体がこうの史代「さんさん録(2004年〜2006年)」の結末に重なって見えるのです。
仙川さん「いつまで見てんのよ!!」
参平さん「まったく、こんな時までにこにこ見てる奴があるか!!」
*「さんさん録(2004年〜2006年)」…こうの史代自身が「断筆まで考えていた私にとって精神的ターニングポイントとなった作品」と言及してる重要作品。おそらくこの作品と「長い道(2001年〜2004年)」がなければ「この世界の片隅に(2007年〜2009年)」が執筆される事もなかったとも。その影響が「夫婦はいくら仲良くしても、いちゃいちゃしてもいいんじゃ」なんて義父母夫婦の台詞に反映した?
*当時、こうの史代を断筆寸前まで追い込んだのは「夕凪の街 桜の国(2004年)」大ブームを受けて「傲慢にも日本人の悲劇ばかり描いて、当時の朝鮮人の悲劇を描かなかったレイシストは一刻も早く一人残らず自殺しろ!!」と、煽った当時の左翼陣営だったとも。
1990年代から2000年代にかけては「(大仕掛けほど喜ばれた)20世紀的Love Story」から「(その忌避から始まる)21世紀的Love Story」の端境期だったのかもしれません。後者について国際SNS上の関心空間上では「まったく日本のアニメ漫画GAMEさえありゃ、もうマリファナ煙草も麻薬もいらねぇや」とまでいわれています。この過程で何かの「純度」が恐ろしいまでに引き上がった感あり?