諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【黒澤明】【石原慎太郎】【特攻型ムイシュキン】「太陽族」こそ「オルタナ右翼(ALT-Right)」の大源流?

黒澤明監督映画「悪い奴ほどよく眠る(The Bad sleeps well、1960年)」に登場する 西幸一(三船敏郎)と板倉(加藤武)の「義賊コンビ」には二つの謎があります。

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  • どうして彼らのブローカー仕事の第一歩は「軍需工場から盗み出した菜種油を金持ちの別荘地だった湘南に売りに行く事」だったのか。

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  • 板倉の両親が室蘭艦砲射撃で死んだ事にどういう意味が込められてるのか。

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もしかしたら背後にあったのは、黒澤明を駆り立ててきた、とある作品への執着心だったのかもしれません。その作品の名前はフョードル・ドストエフスキー「白痴(Идиот、1868年)」。自らも1951年に舞台を札幌に移して映像化を試みていますが、皮肉にもむしろ海外(特にフランス)で高く評価されたのは、舞台を湘南に移した石原慎太郎原作「狂った果実(1956年)」の方だったのです。

 フョードル・ドストエフスキー「白痴(Идиот、1868年)」

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フョードル・ドストエフスキーが雑誌「ロシア報知(Русскій Вѣстникъ)」に連載したの長編小説。「罪と罰」に続く長編で、他の「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」と共に後期五大長編作品と言われる。レフ・トルストイも本作について、「これはダイヤモンドだ。その値打ちを知っているものにとっては何千というダイヤモンドに匹敵する」と評したといわれる。

  • 題名の『白痴』には2つの意味がある。主人公ムイシュキン公爵が文字通り知能が著しく劣っているというもの(現代ではこの意味での「白痴」は差別的意味に捉えられることもある)と、「世間知らずのおばかさん」という意味である。しかし、作者はどちらの意味においても否定的に描いていない。

  • 若い公爵レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキンは、幼時から重度のてんかん症状により、スイスのサナトリウムで療養していたが、成人して軽快し、援助してもらっていたパヴリーシチェフの死去もあって、ロシアへ戻ることになった。ペテルブルクへ向かう列車中で、ムイシュキンは、父の死去によって莫大な財産を得たばかりだと言うパルヒョン・ロゴージンと知り合いになり、彼が熱を上げていたナスターシャ・フィリポヴナの名を耳にする。

  • ムイシュキンの両親は、既にこの世になく、彼が公爵家の最後の跡取りであったため、遠縁にあたるエパンチン将軍夫人を頼ろうと、エパンチン家の邸宅を訪れる。ムイシュキンは、将軍夫妻とその三姉妹に知り合い、いくつかの印象的なアネクドートを披露するうちに一家の好意を得た。ここで彼は、将軍の秘書ガウリーラ・アルダリオノヴィチ(ガーニャ)が金のために愛のないままナスターシャと結婚しようとしていることを知った。彼女は、まだ幼いころからある資産家の情婦となっており、悪評が付きまわっていたが、実は誇り高い女であった。

  • ムイシュキンも、彼女と会って自分と共通する部分を感じ、ついに自らも求婚する。ところが、彼女は、最初にムイシュキンの善良さに気づきながらも、ロゴージンの元に走る。こうして、2人はライバルとなり、ロゴージンはムイシュキンを殺そうと企てるが、すんでのところでムイシュキンが発作を起こして、人に気付かれたために失敗する。

  • そのうち、将軍の娘アグラーヤも、ムイシュキンに思いを寄せる。ロゴージンを選びながらも、陰ながらムイシュキンを愛していたナスターシャは、ムイシュキンに幸せになって欲しいと思い、アグラーヤに手紙で結婚を勧める。そのうち、アグラーヤとムイシュキンは相思相愛になる。

  • しかし、アグラーヤは、例の手紙のことから、ナスターシャがまだムイシュキンを好きで、ムイシュキンもナスターシャを忘れていないのではないかと嫉妬する。そのうち、遠くへ行っていたナスターシャとロゴージンが戻ってくる。アグラーヤは、ナスターシャとムイシュキンの関係をはっきりさせようと赴くものの、かえってナスターシャとムイシュキンを結びつけることになる。

  • ムイシュキンとナスターシャは、結婚することになる。しかし、ムイシュキンとの結婚当日になって、彼女はまたロゴージンと逃げ出す。ムイシュキンが駆け付けたとき、彼女は、既にロゴージンに殺されていた。ムイシュキンとロゴージンは、かつて同じ相手を愛した者として、ナスターシャの死体の前で生活することを決める。ところが、庭師に家に入るところを目撃されており、その生活は一夜で終わる。発見された時、ムイシュキンは、元の白痴に戻っており、療養の日々を送ることになる。裁判の結果、ロゴージンは、シベリア徒刑となった。アグラーヤが自棄になって望まぬ結婚を急ぐところで、物語は終わる。

ドストエフスキーは、白痴であるムイシュキン公爵を、誰からも好かれる文句なしの善人として描いた。ドストエフスキーは、文句なしの善人である主人公ムイシュキン公爵を造型することにより、そんな人物が当時のロシア社会に現れたとしたら、いかに周囲に波乱を巻き起こすかを描こうとしたという。

黒澤明監督作品映画「白痴(The Idiot、1951年)」

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ドストエフスキーの小説 『白痴』を原作とした日本映画である。監督は黒澤明で、1951年(昭和26年)に公開。原作はロシア文学で、1868年に発表され同時代のロシアを舞台としている。本作では舞台が昭和20年代の札幌に置き換えられている。

  • 亀田欽司(森雅之)と赤間伝吉(三船敏郎)は北海道へ帰る青函連絡船の中で出会った。亀田は沖縄で戦犯として処刑される直前に人違いと判明して釈放されたが、そのときの後遺症でてんかん性の白痴にかかってしまったのだった。

  • 伝吉は、政治家東畑(柳永二郎)の囲い者那須妙子原節子にダイヤの指環を贈ったことから父に勘当されるが、その父が亡くなったので家へ帰るところだった。一方、札幌へ帰ってきた亀田もまた狸小路の写真館のショーウィンドーに飾られていた妙子の写真に心奪われる。

  • 裕福な大野(志村喬)は欽司が帰って来たのを見て、ちょっとあわてた。欽司が父から遺された牧場を大野が横領した形だったからである。その娘である綾子(久我美子)と知り合いになった亀田は白痴の症状はあるものの性格の純真さ善人さから、二人に愛され綾子と妙子の間で激しく揺れ動く。

  • 赤間伝吉が百万円の札束を積んだりしたせいで、晴れて自由の身となった妙子。しかし赤間とはどうしても結婚する気にならず、自分を憐れんでくれるような欽司に惹かれるものの、やはり反発を感じずにはいられない。

  • 一方、大野の娘綾子は欽司を一番深く理解し、欽司も綾子にひかれていたが、妙子の危なっかしい生活振りから目が離せない。

  • 最終的に綾子は妙子に捨て去られた香山と結婚する決心をし、妙子も欽司と綾子とを結びつける様とするが、ついに伝吉は妙子を刺して欽司と対峙。双方とも発狂という結末を迎え、どちらも残りの一生を精神病院で送る羽目に陥る。

  • 妖しく美しい雪のシークエンス、全編に漂う新劇を彷彿とされる演出、室内劇の大胆な切り返しは、黒澤作品の他に類をみない独特の雰囲気を醸し、精緻な内面描写とともに“幻想的リアリズム”と称された。往来する路面電車や馬そり、札幌駅、北大のポプラ並木や中島公園の氷上カーニバル、雪祭りなど札幌の風景も登場する。「蜘蛛巣城(1957年)」に先行して、ソ連セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の影響が指摘される作品でもある。

争議により東宝砧撮影所が使えないため、松竹と芸術映画協会が共同で製作することになり、スタッフも松竹大船の面々が参加、特に助監督についた野村芳太郎は、黒澤のお気に入りだったという。黒澤監督がもともと描いていた製作構想では、全体を一部と二部とに分け、順次公開する予定だった。しかし当初4時間25分であった作品は松竹の意向で大幅にカットされ166分となり、内容もズタズタにされてしまう。結果として封切られた作品はドストエフスキーへの愛情に飲み込まれ、冷静さを欠いた黒澤監督が感情の赴くまま抑制のない物語を展開してしまったかの様にも見える。その原因が黒澤監督自身にあるのか、乱暴な編集のせいなのか、今となっては知る由も無い。

黒澤明監督作品映画「白痴(The Idiot、1951年)」冒頭言

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The Idiot, Akira Kurosawa - rtrspctrs

ドストエフスキーはこの作品の執筆にあたって、真に善良な人が書きたいのだ、といっている。そしてその主人公に白痴の青年を選んだ。皮肉な話だが、この世の中で真に善良である事は白痴に等しい。

この物語は一つの単純で正常な魂が、世の不信、懐疑の中で無残に滅びていく痛ましい記録である。

白痴(1951) - みんなのシネマレビュー

黒沢はストーリーテリングのうまいエンターテイメントにその真骨頂があり、ドストエフスキーのような人間存在そのものを描くような作家とは方向性が全く違う。

それだからこそ、ないものねだりで、こういうものを手がけてみたかったんだろうな、と思わせる作品。

特に、溝口や小津という黒沢の先輩格の巨匠が人間存在に迫る作品で高い評価を得ているので、そのまねをしてみたかったのでしょう。自分にもそういうものが作れるんだということを証明するために。

でも見事に失敗しました。

この掲示板に投稿された興味深い要約

男女入り乱れての息つまる心理戦。見えにくい心の動きを窓、吹雪、積雪、風、樹などの背景や仮面、悪魔像、服装、蝋燭などの小道具、そしてライティングで豊かに表現する。構図もビシビシ決まる。映画の技術教科書のような映画。

  • 妙子=絶対不幸者で魔性の女。少女時代から愛人生活。金で売られそうになる。綾子は自分にないものすべてをもっていると思っていた。

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  • 綾子=恵まれた環境で育ったお嬢さん。気分の起伏が激しい。妙子に嫉妬する。

    http://etalage-playhouse.up.n.seesaa.net/etalage-playhouse/image/_hakuchi-1-web.jpg?d=a1

  • 亀田=聖者。善の象徴。戦犯となり死刑直前から奇跡的に生還するが後遺症で癲癇発症。純粋すぎて嘘がつけず、心に思ったことをそのまま口にする。他人の心を見抜く力、直観力に優れている。

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  • 赤間=俗人、悪の象徴。妙子に恋をし、結婚を阻むためお金を出す。恋敵の亀田を殺そうとする。

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①戦争の副産物といえる、珍奇な聖者亀田。彼は一瞬で妙子の不幸を見抜き、彼女の心をとらえてしまう。妙子の傷を癒したい一心で、結婚を申し込む。妙子は亀田はあまりに純粋すぎて、汚れた自分にふさわしくないと考え、綾子と結婚させようとする。

②綾子の心は揺れ動くものの、最終的に亀田との結婚を承諾。妙子は亀田が結婚したら、自分も赤間と結婚するつもりだった。しかし綾子は亀田が本当に自分だけを愛しているか知りたくて、亀田と共に妙子と対面、感情が噴出し、絶縁宣言をする。

③妙子は嫉妬する綾子を見て、亀田にはふさわしくない女と確信し、亀田に自分を選ぶか綾子を選ぶか迫る。亀田は戸惑うばかり。綾子は家を飛び出し、雪中をさ迷い、倒れて高熱を出す。妙子はその場で失神。

④嫉妬に狂った赤間は妙子を独占するために妙子を刺殺、精神を病む。亀田は精神は破綻する。純粋な心の鏡は欲望を曇りなく映し出す。亀田の純粋すぎる精神を媒介に、各人の欲望が増幅され、凶器となって跳ね返ってきた。全員が破滅するというショッキングな結末。純粋すぎる心はこの世に存在することは許されないのか?

純粋すぎる心というのは得てして人を傷つける。原作に共鳴して純粋な心で映画制作した監督も又打撃を受ける。フィルムは短縮され、客は入らず、批評も散々、会社から馘首を宣言される。落胆甚だしく電車にも乗らず、徒歩で家まで帰っ監督を待っていたのが羅生門グランプリ受賞の報せだった。本人は映画祭に参加していることも知らなかったのに。奇跡はある。

石原慎太郎原作の日活映画「狂った果実(1956年)」

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原作は石原慎太郎の短編小説。1956年(昭和31年)、文芸雑誌『オール讀物』7月号に掲載。単行本は同年7月10日に新潮社より刊行された。同名のタイトルの映画作品も同年7月12日に公開された。

  • 夏久・春次兄弟のキャラクター設定はフョードル・ドストエフスキーの小説『白痴』に登場するレフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン公爵とパルフョン・セミョーノヴィチ・ロゴージンのそれから取った。本作に登場するシーンもあちこちの作品から拝借していた(そのため、映画の撮影時に石原裕次郎が「ここはあの作品の○○のシーンだな」などと撮影現場で度々口にしていたという)。

  • 執筆は葉山町にある旅館の離れで行い、原稿用紙100枚の小説を8時間ほどで仕上げた。石原慎太郎によれば「主人公2人の設定を決めれば、あとは楽なものであった」という(いずれも慎太郎自身が自らの小説『弟』の中で明らかにしている)。

あらすじは以下。

  • 夏の逗子海岸で、大学生と高校生の兄弟二人が、ヨットやボートで遊んでいる。兄の夏久は、太陽族と呼ばれ、享楽的で不良っぽい。反して弟の春次は、かたくて純真なタイプで、女性にもうぶである。

  • あるとき、二人は恵梨という美女と海で知り合う。春次は彼女に惹かれ、真剣な思いで次第につきあうようになる。ところが別の日に横浜のクラブで恵梨を見かけた兄の夏久は、彼女に夫がいたことを知る。

  • 春次との浮気を正当化する恵梨だが、夏久は弟に言わない代わりに自分と浮気するように迫り、強引に抱きしめ関係を持ってしまう。恵梨は春次に心はあるものの、夏久の魅力、肉体にも惹かれていく。

  • あるとき夏久は、弟を出し抜いて恵梨をヨットで海に連れ出し、弟も夫も捨てて俺についてくるようにと迫る。恵梨を奪われたと知った春次は、二人が乗ったヨットをモーターボートで徹夜で探す。とうとう二人が一緒のところを見つけた春次は、ヨットの周囲を無言で何度も回り続ける。兄は、お前の勝ちだと言い、恵梨は、春次の名前を呼んで海に飛び込む。しかし春次はボートで恵梨をはね、ヨットに体当たりするのだった。

1956年、日活により映画化・公開(太陽族映画)された。石原慎太郎が同名の原作小説を書き始める段階で日活から「映画化したい」という話があり、慎太郎が弟・裕次郎の主演を条件に承諾したという。慎太郎自身が脚本も手がけている。

  • 当初、日活側は裕次郎を弟の春次役に起用し、兄の夏久には三國連太郎を起用しようとしたが「役回りが年齢的に自分に合わない」という理由で三國が辞退したため、慎太郎はある結婚式でたまたま見かけた1人の少年のことを思い出した。それが津川雅彦であり、最後には「彼でなければ駄目だ」という慎太郎の強力な推薦により春次役での出演が決定、裕次郎は夏久役に回った。ちなみに、津川の芸名もこの作品に出演した時に慎太郎が自らの小説『太陽の季節』のメインキャラクター「津川竜哉」から命名した(いずれのエピソードも慎太郎の小説『弟』に詳細が書かれている)。

  • 石原裕次郎の実質的なデビュー作品であり、裕次郎は本作で一躍スターダムに上り詰めた。後に結婚に至る北原三枝(=石原まき子)との初共演もこの作品であった。

  • 太陽族ブームを当て込んでの企画であったため、強行スケジュールでの撮影となる。監督に起用された当時新人の中平は、この作品で、一躍注目を浴びることになった。

  • また中平康監督の代表作であるのみならず、フランソワ・トリュフォーから高評価されたことから、フランスのヌーヴェル・ヴァーグへの影響も指摘されるなど、映画史の上でも重要な作品となっている。

  • 本作出演時の裕次郎ギャランティの金額がクイズ番組の問題で出されたことがあり、2万円であったという。

  • なお、『海浜の情熱』というタイトルで海外でも上映されている。

この作品で一躍スターになった裕次郎は、翌年公開された『嵐を呼ぶ男』で銀幕のトップスターの地位を確立した。これによって、日活映画は、生真面目な文芸映画や純愛ものの作品から、アクションものに路線が変わっていく。また、松竹なども、優男が出てくる作品、女性のメロドラマなどが、急速に人気を失っていった。一人のスターの登場によって、映画界の様相が変化したと言われている。

そして、こうした全体構造が浮上してくる形に。

  • 黒澤明監督にとって「善良過ぎる人物が発狂に至る物語」の第1作は「静かなる決闘(1949年)」となる筈だった。しかしGHQ介入によって、最後に発狂するのは「醜い現実の象徴」中田進(植村謙二郎)となり、彼に心身ともに追い詰められる青年医師・藤崎恭二(三船敏郎)はその試練を生き延びるという「真の聖者誕生譚」に改変されてしまう。

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  • 1951年にはドストエフスキー「白痴(1868年)」の映像化を試みたが、今度は松竹にズタズタに編集されて訳のわからない作品にされてしまった。それでも完全なる惨敗が回避されたのは、三船敏郎原節子といった役者陣の熱演と「幻想的リアリズム」と評価された映像美があったから。

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  • すると彼が始めて「善良過ぎる人物が発狂に至る物語」を完全に自らの望む形で発表出来たのは「生きものの記録(1955年)」が最初という事になる。それまでの作品では「戦争による人格破壊」が念頭に置かれてきたが、この作品では「(1954年におけるビキニ岩礁での水爆実験成功を発端とする)原水爆に対する神経症的恐怖」を下敷きとしたが、今度は記録的なまでの興行不成功という結果に。

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  • ところが、同じ主題を扱った石原慎太郎原作映画「狂った果実(1956年)」は太陽族ブームもあってサクッと国内で成功したばかりか、海外でも高評価を獲得。黒澤明がこの時期、「純真な泥棒」捨吉(三船敏郎。原作の泥棒ペーペルに該当し。「羅生門(1950年)」の多襄丸(三船敏郎)にもそのキャラクター性の投影が見られる)の破滅を描く「どん底(1957年)」の制作を手掛けたのは、これに対する対抗意識からだったかもしれない。
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  • 「悪い奴ほどよく眠る(The Bad sleeps well、1960年)」にこうしたテーマ展開のバリエーションを見てとる事も不可能ではない。ただしこの作品の登場人物の多くは「純粋な善の象徴」ムイシュキンの側面と「醜い現実の象徴」ロゴージンの側面を持ち合わせていて、その要素だけで押し切るには錯綜が酷い。そこで「ハムレット見立て」が導入されたのではあるまいか。

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  • 「影武者(1980年)」「乱(1985年)」に至っては黒澤明は「俺が(そしてその分身たる主人公が)ムイシュキンだ!!」状態に突入。

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それにしても、石原慎太郎原作映画「狂った果実(1956年)」はどうして国際的成功を収める事が出来たのでしょうか?

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  • 古典演劇のルールをことごとく破ったヴィクトル・ユーゴーの戯曲「エルナーニ(Ernani、1830年)」登場が大事件となった様に、フランス芸術界は、しばしば既存の作劇文法への執着が閉塞感を招き、乱暴な形で突破口を開こうとする試みを誘発する。フランス映画界の場合は「太陽族映画(1955年〜1956年)」が手持ちカメラを乱用したり、名作からのランダムな場面引用ばかりで構成される滅茶苦茶な内容でありながら、ちゃんと映画として成立している事そのものに衝撃を受けたのだった。そして、その衝撃がジャン・リュック・ゴダール監督作品「勝手にしやがれ(À bout de souffle / Breathless、1959年)」「気狂いピエロ(Pierrot Le Fou、1965年)」を生み出す原動力となっていく。

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  • フランス文化とロシア文化の接触は19世紀初頭まで遡り、パリではプーシキントルストイドストエフスキーゴーリキーの様なロシア文豪作品もリアルタイムで読まれてきた。ただ実は「追い詰められて発狂していく内省的な結末」より「自分が追い詰められている事を自覚できず暴走し(周囲を巻き添えに)自滅していく壮大な悲劇」を好む。一応そうした側面は「羅生門」の多襄丸、「どん底」のペーペル / 捨吉、「マクベス/蜘蛛巣城」のマクベス/鷲津武時などにも見てとれないでもないが、「狂った果実」の春次の方が(結末の予想不可能性も含め)「特攻型ムイシュキン」としては完成度が高かったので諸手を挙げて歓迎され、ヌーベルバーグ映画の基本フォーマットに一つとして取り入れられていったのだった。
    *対して英国人は「マクベス=蜘蛛巣状」「リア王=生きものの記録・乱」「ハムレット=悪い奴ほどよく眠る」という見立てに執着。まぁ「(多種多様なソースが魅力のフランス料理の世界に対して)工業製品としてのカレー粉やウスター・ソースを生んだ国」という事なのかもしれない。
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  • そして何より「地中海沿岸の風景やアメリカ西海岸と湘南の風景の重ね合わせ」という部分が大きい。「東京アンダーワールド(Tokyo Underworld: The Fast Times and Hard Life of an American Gangster in Japan、1999,年)」「東京アウトサイダーズ(okyo Outsiders - about foreign criminals in the Japanese underworld、2009年)」の著者ロバート・ホワイティング(Robert Whiting)もカリフォルニア州出身で現在は鎌倉在住だったりする。
    *実際、国際SNS上の関心空間におけるファン層は吉田秋生海街diary(2006年〜、2015年)」や浜弓場双原作アニメ「ハナヤマタ(2014年)」までチェックしている。出発点はあくまで「太陽族映画」なので「シケた展開だぜ。忍者に憧れてパルクールの達人になったアメリカ娘と、居合抜きの達人の大和撫子が湘南の地に足を踏み入れても喧嘩一つ起こらないのか?」などと冷やかされなgらではあるけれど。黒澤明は下手な意地を張らず「湘南物」を一本撮っておくべきだった?

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これは完全に黒澤明監督にとってはアウェーの世界…その一方で狂った果実(1956年)」にさらなる現代性を見てとる向きも存在したりします。

映画「狂った果実(1956年)」冒頭の状況説明的場面

日系人青年の平沢フランク(岡田眞澄)が留守を預かる湘南のヴィラ(別荘)に集まった若者達(大学生くらい)は、全員暇を持て余しているようだった。

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 滝島春次(津川雅彦「(カード賭博に興じてる連中に対して)他に何かすることないんですか?」

平沢フランク「お前達が単なるヤクザだって言ってるんだよ」

平沢フランクの取り巻き「けっ、何言ってやがる。ヤンキー・ゴー・ホームさ」

春次「もっと他のことすりゃ良いじゃないか」

平沢フランクの取り巻き「他にって何よ?」

滝島夏久(石原裕次郎)「考えてみると、その他ってのがねぇのよ。インテリどもは色々理屈を行ってみせるけど、言葉の紙屑みてぇなもんでさ。そんなのどんなに飾られて綺麗でもよ、結局あの熱帯魚(水槽の中のネオンテトラ)みてぇにもろいものさ。見ろよ、こうやって泳いでてもよ、ちょっと水が濁ったり冷えたりすりゃじき死んじまうじゃねえか(灰皿の吸い殻を水槽の中に落として春次を驚かせる)」

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夏久「昔と違って、今の俺たちがそんな上品な思想に溺れてられるかってんだ。話すにしても、考えるにしても、もっとぴりっとした言葉が欲しいじゃないか」

平沢フランクの取り巻き「学校の教授どもの話を聞いてみろよ。節気一陽(これからが新たなる季節の始まり)。昔はあれで通ったかもしれねえが、今じゃ時代錯誤の世迷い事じゃねえか」

平沢フランクの取り巻き「ふざけるのもいい加減にしろよな。"諸君は今の時代のCaptain of industry(英国産業革命を牽引した新興産業階層)である"とか抜かしやがる。サイレント映画の時代じゃあるめぇしよ、ソ連中共のいる今時によ、良くそんな見果てぬ夢を追ってられるもんだよな」

平沢フランクの取り巻き「ああいう奴らが、日本を代表する学者や思想家で通っているんだ」

夏久「大人達が俺達にそっくり受け渡そうとする考え方や感じ方を見てみろよ。俺達にピンとくるものが一つでもあるかよ」

平沢フランクの取り巻き「まったくお手上げだね。俺たちは俺たちに合ったやり方で生きてくよ」

春次「じゃあ、今のそれがそうだっていうのかい。ただ、だらだら生きているだけじゃないか」

夏久「だらだらだと? これでも精一杯なんだぞ」

春次「結局、兄貴達のやってる事はただの出鱈目だよ。結局兄貴は、自分で自分のやろうとしていること、良く分かってないじゃないか。だから退屈なんて言うんだ。兄貴たちみたいなのを太陽族って言うんだ。僕はそんなのは嫌だ!」

夏久「それじゃ、他に何をすりゃ良いんだ?」

春次「何って」

夏久俺たちが、思い切ったことをしたくても、正面切ってぶつかる何があるんだよ?」

フランクが人から奪った女で、春次を坊や扱いする道子(東谷暎子)「要するに退屈なのよ、現代ってのは」

夏久「そうだよ、そうなんだよ。その退屈が俺たちの思想ってもんで、その中から何かが生まれるかもしれない」

道子「そうよ、そうなのよ。ところでお腹空かない?飯にしよう!」

話はこの後「女といっても雑魚ばっかりだ。大物はいないかね。水族館で見たホウボウみたいな、まばゆいばかりで棘のある女がよ」という女談義に進展し、夏久と春次の兄弟は「魔性の少女」恵梨(北原三枝)に翻弄される形で破滅へと突き進んでいく。

 これって、まさにある意味、アメリカのオルタナ右翼Alt-Right)の供給母体たる「絶えず冗談を飛ばして自分をHighに保とうとしてるが、その実何も信じてないニヒルな若者層」を中心とする中道右派そのもの。リベラル層の偽善と同じくらい、伝統的保守層の世迷言が嫌い。一応トランプに投票したが、大統領令の乱発によって伝統的保守層に媚を売ったり、何もかも急に変えようとしてる姿勢を必ずしも評価してない彼らそのものとも。
*もちろん「ファッションだけ真似た偽物も沢山混ざっている」という部分も重なると思われる。

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Communicants, Crazed Fruit (Kô Nakahira, 1956)

なんたるお気楽ご気楽。世間はそんなに甘く無い!!」と切り捨ててしまうのは簡単です。でもそれって戦前「(1930年代におけるフランク・キャプラ監督のスクリュー・コメディ大ブームなどの影響を受けた)小市民映画」を軍国主義者と社会主義者が声を揃えて弾劾した景色と重なります。
*この表現には誤解もあったので訂正。

*どどのつまり共産主義軍国主義も最後は「最終戦争論」に到達してしまう。

 

そのフランク・キャプラ監督ですら大戦中は「なぜ我々は戦うのか(Why We Fight)シリーズ7本(1942年〜1945年)」を手掛けざるを得なくなり、国際的にリベラル層はこれを「享楽主義に対する人道主義の勝利」とか礼賛してきた歴史もあったりします。そうやって「リベラル層=偽善者」という定評は次第に固まっていった側面も。まぁ、まずそれは1950年代アメリカにおいて(赤狩りの名を借りたインテリ狩りだった)マッカーシー旋風やアイゼンハワー大統領( 1953年〜1961年)の大躍進という形で現れ、「太陽族登場」という現象それ自体が、その影響の一環に過ぎなかったとも。
*「太陽族登場」…どう考えても実体としては、直前まで「アプレゲール(après-guerre)」と呼ばれてた若者層が「何もかも戦争のせいに出来る時代」が終わってしまったので、そのままスライドしたとしか思えない。ところが、例えば当時発表された横溝正史作品などを読み返しても「彼らには怒るの権利があり、責めてはいけない」みたいな同情論ばかりでそうした分析は一切行われていない。むしろ黒澤明監督映画「野良犬(1949年)」の様に「例え振り払えないとしても、悪は悪として切り捨てていかないと、正義が存続出来ない」と厳しく迫る作品の方が例外という辺り、現在アメリカにおいて毎回の様に暴動や近隣商店街略奪を伴うデモさえ「彼らには怒るの権利があり、責めてはいけない」と擁護するマスコミやリベラル層が本格的に追い詰められつつある景色と重なってくるのである。

マッカーシズム/赤狩り

そういえばこの時代のアメリカの若者の「顔」は東海岸へのレタス輸送を試みるカリフォルニア州の農家を描く「エデンの東(East of Eden、1955年)」、ロサンゼルスのグリフィス天文台(Griffith Observatory)を国際的に有名にした「理由なき反抗(Rebel Without a Cause、1955年)」、テキサス年代史的側面を有する「ジャイアンツ(Giant、1956年)で知られるジェームズ・ディーン(James Byron Dean、1931年〜1955年) でした。
*これらの物語が全て「西海岸」を舞台とした事も、その熱狂的人気の秘訣の一つだったかもしれない。アメリカ経済の中心が東海岸から西海岸に推移していく時代でもあったのである。

you're on wings

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Femme Fatale

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ディーンは撮影時23歳。10代だった共演者たちは彼を慕い、不良グループの一員を演じた18歳のデニス・ホッパーもその一人だった。ホッパーはディーンから「見せびらかそうとするな、ただやってみろ」とアドバイスを受けたという。ディーンはニューヨークのアクターズ・スタジオでメソッド演技を学び、『理由なき反抗』でも台本上にない即興の演技も数多く披露した。ディーンより少し先に脚光を浴びたマーロン・ブランドアクターズ・スタジオ出身であり、当時の彼らはアメリカ映画に新風を巻き起こしていた。格闘シーンでは本物のナイフを振りかざす。机をたたく場面では拳を痛めるまでたたき続ける。ふりではなく、演じるために本物の感覚を追求するアプローチは既存の演技に慣れていた俳優たちにとって新鮮だっただろう。不良少年役に本物のストリートギャングを起用するキャスティングも斬新だった。

  • 主人公は50年代ロサンゼルスの中流家庭の高校生たち。家族と引っ越してきたばかりの17歳のジム(ジェームズ・ディーン)は、路上で泥酔して警察署に連行され、そこで夜間外出で保護された同じ歳頃の少女・ジュディ(ナタリー・ウッド)、子犬を銃で撃った少年・プラトー(サル・ミネオ)と知り合う。午前3時に始まり、翌日同時刻に終わる24時間の物語だ。

  • ジュディがつるんでいる不良グループのリーダーに挑発され、校外学習で出かけたプラネタリウム館でのナイフ沙汰、夜の断崖でのチキン・ゲーム、とジムは無鉄砲な暴走を繰り広げる。その合間に挟み込まれるのが、3人それぞれの家族との関係だ。

  • 優柔不断な父と勝ち気で人前でも平気で夫を怒鳴りつける母にいら立ち、父の不甲斐なさに荒れ狂うジム。ジュディは、自分が成長するにつれて以前のように愛情を示さなくなった父に不満を募らせていた。といっても、きれいな家に両親と暮らし、関心を持ってもらえるその状態の何が不満なのか? と思ってしまう。現代人にとって説得力があるのは、生まれて間もなく父親が出奔し、母親もほとんど家に寄りつかず、メイドと暮らすプラトーだけだろう。両親不在の寂しさを募らせ、あっという間にジムやジュディに依存していく姿は痛々しくもリアル。演じた当時15歳のミネオは、本作でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。

  • ギリシャの哲学者・プラトンから名をとったプラトー(Plato)には同性愛者という裏設定があった。初期の脚本には彼がジムにキスしようとする場面があったが、当時の風潮がそれを許さずカットされた。だが、監督のニコラス・レイはもちろん、ディーンとミネオもこの裏設定を心得ていた。ディーンはミネオに「俺がナタリーを見るような視線で、俺を見ろ」と演技指導したという逸話もある。

映画の終盤、空き家に逃げ込んだジムたち3人が束の間じゃれ合うシーンの心から楽しげな様子は演技に見えない自然さで、はしゃぐほどに彼らに共通する寂しさが透けてみえる秀逸な一場面だ。ディーンは映画の公開約1か月前の1955年9月30日に交通事故死した。当時17歳にして、ディーンやレイ監督、そしてホッパーまでも手玉に取っていた小悪魔なナタリー・ウッドは1981年に水死、60年代の時点で同性愛者だとカミングアウトしたサル・ミネオは1976年に強盗に襲われ刺殺されている。現実世界における3人の非業の死が、本作をより伝説的なものにさせているのかもしれない。

船戸与一「神話の果て(1985年)」

アメリカ合衆国の政治を左右するのは民主党でも共和党でもない。大統領がどっちの党から選ばれるかなどほとんど重要ではない。問題はどっちの地域から選ばれるなのだ。

第35代大統領J.F.ケネディ(任期1961年~1963年)が暗殺されてからワン・ポイント・リリーフのG.フォード(任期1974年~1977年)を除いてL.ジョンソン(任期11963年~1969年)、R.ニクソン(任期1969年~1974年)、J.カーター(任期1 1977年~1981年)、R.レーガン(任期1981年~1989年)と全て南部諸州から選出されている。

アメリカ合衆国を建国以来支配してきたのはシカゴからボストン、ニューヨークに到る東部エスタブリッシュメントだったが、今やそれは南部諸州にとって替わられた。政治、経済、文化を含めた壮大な権力移動(Power shift)が完了したのだ。南カリフォルニアからテキサスを経てノースカロライナに到る南部諸州を支えているのは農事産業、軍事産業、電子技術産業、石油・天然ガス産業、不動産・建設産業、観光・レジャー産業で、これらは六本の柱(Six pillars)と呼ばれている。
*「六本の柱(Six pillars)」…ギリシア語の「プロナオス(pronaos、寺院正面) )」を起源とするポルチコ(イタリア語:Portico)様式玄関が起源。そのうち6柱式は古典ギリシャ時代の紀元前600年〜550年頃からペリクレス時代(紀元前450年〜430年)の間に正統派ドーリア様式として定着し、ギリシア諸都市の南イタリア植民を契機としてエトルリア人にまで広まり、古代ローマに継承され、ボンベイ再発見(1748年)を契機として広まった新古典主義建築の影響でユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンやアメリカ合衆国議会議事堂の正面玄関に採用された。最近はあまりこれを南部諸州の「六柱」とする表現は見ない。

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  1. その後アメリカ大統領はテキサス州出身のG・H・W・ブッシュ(1989年〜1993年)、アーカンソー州出身のビル・クリントン(1993年〜2001年)、同じくテキサス州出身のG・W・ブッシュ(2001年〜2009年)と南部諸種出身者がが続いてきたが、最近ハワイ出身で東部イリノイ州上院魏委を経たバラク・オバマ大統領(2009年〜)が就任し、このパターンが崩れた。実際ブッシュ大統領の賛成派と反対派の論争には確かに「東部エスタブリッシュメント VS 南部諸種」の代理戦争みたいな側面も見受けられる。

  2. ケチャップをたっぷりかけたポテトフライやトマトソースを乗せたピザをヘルシーな野菜と言い切る農政の横暴」とか「国を貧しくしてまで続けてきた戦争で儲けたのは軍事産業だけ」とか「製造と組み立てを外国にアウトソーシングする様になった電子技術産業」とか「サウジアラビア王家と癒着しつつイスラム過激派の資金源となっているラディン・グループと親しいブッシュ一族」などについてアメリカ国内からすら批判される様になったのも南部諸州弱体化のせいかも。そういえばハリウッド映画もクリエイティブ面ではオーストラリア勢やヨーロッパ勢の力を借りる機会が増えた。

  3. ニューヨーク起源のFacebookが西海岸に移転してきたのを記念して「The Social Network(2010年)」なんて映画を撮っちゃう辺りにも劣等感すら感じる。その一方で若者層はニューヨークに残ったTumblrに奪われちゃうんだから世話はない。その結果最近は「南部諸州文化はダサい」がトレンドに? 映画「The Great Gatsby(2013年)」も舞台はニューヨークだった。
    *でもPizzaはイタリア料理で「鰻を食う文化」を温存してきたのもニューヨークのイタリア系。彼らはどちら側にもいる。

そういえば一昔前までパニック映画といえばロサンゼルスばかり襲われてたけど、最近はニューヨークばかり襲われてる気がする。

ちなみにその前年の1954年にはJ・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて」をカリフォルニア州教育委員会が問題視し、学校や図書室から追放する事に成功しています。東海岸文化VS西海岸文化?

J・D・サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye、1951年)」

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RedLipstick Resurrected

高校を放校となった17歳の少年ホールデン・コールフィールドがクリスマス前のニューヨークの街をめぐる長編小説。口語的な文体で社会の欺瞞に対し鬱屈を投げかける内容は時代を超えて若者の共感を呼び、青春小説の古典的名作として世界中で読み継がれている。

ホールデンは社会や大人の欺瞞や建前を「インチキ(phony)」と唾棄し、その対極として、フィービーやアリー、子供たちといった純粋で無垢な存在を愛し、その結果、社会や他者と折り合いがつけられず、孤独を深めていく心理が、口語的な一人称の語りで描かれている。

その翌年には「理由なき反抗(Rebel Without a Cause)」が流行語になったというのですから、アメリカ青少年の反抗心は抑えつければ抑えつけるほど酷くなっていったとも。そういえばニューヨークを舞台にポーランド系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人の少年非行グループが抗争を繰り広げる「ウエスト・サイド物語West Side Story、舞台初演1957年、映画化1961年)」なんてのもありました。
*動物行動学者コンラード・ローレンツが「この物語の登場人物は全て動物的本能に従って行動するのみで、人間らしさが欠如している」と批判している。「純真無垢さ」の意味が変わってきたのである。

また1950年代は国際的にバイク普及期であり、特に映画「The Wild one(1953年)」は中西部出身のマーロン・ブランドをスターダムにのし上げ、バイクとレザー・ジャケットを不良のマスト・アイテムの一つに伸し上げた事で知られています。
川内康範原作「月光仮面(1958年〜1959年)以降、日本のTV覆面ヒーローがバイクを乗り回す様になったのもこの時代の影響。

マーロン・ブランドは当時シェークスピア史劇にも出演しているが目立ちすぎて浮きまくりだったらしい。

革ジャンの流行には、当時の人気歌手で南部出身のエルビス・プレスリーElvis Presley, 1935年〜1977年)の影響もあった様です。

*1950年代のアメリカでは音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っており、当時のロックンロールのヒットソングも黒人の曲を白人がカバーし、そのカバー版が白人向けの商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。たとえ同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルースに、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されることが常識だったが、プレスリーは、このような状況にあって黒人のように歌うことができる最初の白人歌手として名を馳せたのである。当時の日本のリベラリズムが「黒人を同じ人間扱いする方がレイシズム」という考え方を継承したのも致し方ない状況ではあった。
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またプレスリーの存在はロカビリー(rockabilly)という音楽ジャンルと切り離して語れません。これは1950年代初期のアメリカ南部、メンフィスなどの地域において、黒人音楽のブルースから生まれたロックンロールと白人音楽のヒルビリーやカントリーが融合して生まれ、主に白人アーティストにより1954年からの数年間を中心に流行したた音楽ジャンルで、やはり全米の不良少年達や不良少女達を熱狂させました。
*1950年代当時のロカビリーは、ビル・ヘイリーやエルヴィス・プレスリーらの人気シンガーがブームの牽引役だったが、やがてそのウッドベースによるダイナミックなスラッピングベースもエレキベースに取って代わり、鋭い切り口は1957年ごろには削られてしまう。そしてエルヴィス・プレスリーの兵役、ジェリー・リー・ルイスのロリ婚スキャンダル、バディ・ホリーエディ・コクランの相次ぐ死去、1960年からのツイストブーム、ソフトでドリーミーな大人受けするポップミュージックの台頭などにより人気が廃れてしまう。70年代末から80年代前半に流行したネオロカビリー(Neo Rockabilly)をネオロカと略す様にピュアロカと訳す事もある。

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*ただこうした流れが日本に本格的に広まるのは「太陽族ブーム(1955年〜1956年)」が終焉し「アロハに角刈り」というファッションが廃れて以降となる。

こういう鼬ごっこがジョン・アップダイク「A&P(1963年)」の時代を過ぎても続き、1960年代後半に入ると突如としてヒッピー運動などの形で全国規模で爆発。
*そういえば「ここは西海岸じゃないんだ」なる「A&P」の決め台詞、「パラノーマン ブライス・ホローの謎(ParaNorman、2012年)」にも出てきた。全体的に東海岸の方が歴史が古い分だけ閉鎖的なイメージがあり、反抗もより顕著で目立つ形を取るしかないのである。その辺りの構造はむしろ英国に近いとも。
ジョン・アップダイク 『A&P』

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こういう状況に「太陽族」のさらなる源流を見てとる事が出来そうです。様するに根底にあるのは「傷つきやすい純粋無垢さ」に特別な価値を見つけようとするセンチメンタリズム。そして、この部分がドストエフスキー「白痴」との思わぬ接点になってくるのかもしれません。

*その一方で日本の学校教育の場ではどんどん「大学生」が戦前の様なエリートではなくなっていきます。「太陽族」は、その登場前提ごと歴史の掃き溜めに放り込まれていく事になったのです。

そして以下に続く…