そもそも「歴史修正主義を許すな!!」と連呼してる側に統一した歴史観って存在するのでしょうか?
エターナル総書記【忌中】 on Twitter: "いつどこで使うんだこれ… https://t.co/wZnPVUEEgO"
そもそも「今でもマルクス主義は科学的と信じているか否か?」という質問にどう答えるかが最初の踏み絵となりそうです。
そして、もう一つの踏み絵が「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマをどう受容してるか。
*「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマ…父親がイタリア・ファシズムの英雄で、当人は共産主義者だったボローニャ出身のパゾリーニ監督が遺作「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma、1975年)」で示したある種の思考停止ポイント。
ところで2014年2月に朝日新聞が慰安婦問題について訂正記事を掲載するまで、国際SNS上において盛んに英語で「実は実際に死亡が確認されている50万人の慰安婦など氷山の一角に過ぎない。実際の総数は、どう少なく見積もっても2000万人は下らない。全く人間扱いされてなかった慰安婦の平均寿命は2週間未満で、日本兵の暴行に耐えかねて死亡すると証拠隠滅の為に解体され、食べられる分はすべて食べ尽くされた事実が検証によって明らかとなっている。有名な零戦だって文字通り慰安婦から搾り取った脂肪で飛んでいたとされている」とか「日本人なら誰でも知ってる事で、この事実を隠そうとする日本人を決っして生かしてはおかない良心的日本人組織も実在する。だから我々も日本人は見掛け次第容赦なく殺そう。そもそも身障者や日本人の様な人食い人種や黒人や東南アジア人を同じ人間と考える様な人間こそがレイシストである。日本人日本人を国際正義は日本人が全財産を差し出し、最後の一人まで収容所で苦しみながら死に絶えるまで決っして人類平等の理念を実現する事はないだろう」といったプロパガンダを展開していた連中から仕入れた思考様式があります。
- 人類には、万人に対して良心が内側から命じる唯一無二の純正かつ絶対間違いのない歴史観というものが存在する。
*しかもそれは年々「進化」し続けていく。大日本帝國の慰安婦や南京虐殺事件の犠牲者の総数が毎年確実に増えて行く様に。とはいえ流石に「2000万人」はビビった。流石に「良心的な人々」さえ「有り得ない数字だ。きっと200万人の打ち間違いに違いない」と「冷静な」突っ込みを入れたくらい。
- これに逆らう人間は全員絶対悪だから、国際人道主義的に決っして同じ人間扱いしてはならない。ただひたすら偏見の極みを持って配偶者でも親兄弟でも抹殺し尽くさねばならない。その程度の覚悟も出来ない様な似非人道主義者はみんな同類に分類され、同様に嬲り殺しにされる運命を免れ得ない。
犯罪者には言葉だけでは通じないから警察という暴力装置で取り締まってる。ネトウヨや歴史修正主義によるヘイトも犯罪にすべき理由。
— spark (@Yonge_Finch) 2017年2月23日
scattered concepts;, ■2.なぜ共産主義国では大量虐殺が起こるのか? ...
なぜ共産主義国では大量虐殺が起こるのか?
岩田氏が「正義が人を殺す」という、その典型例が、共産主義である。共産主義の研究書『共産主義黒書』では、いくつかの資料をもとに、共産主義によって合計約1億人が殺されたと報告している。その内訳は:
ソ連:2000万人、中国:6500万人[a,b]、ヴェトナム:100万人、北朝鮮:200万人、カンボジア:100万人、東欧:100万人、ラテンアメリカ:15万人、アフリカ:170万人、アフガニスタン:150万人、その他政権についてない共産党:1万人
我が国でも連合赤軍あさま山荘事件で、10人以上がリンチにより殺害されているが、このごくごく一部と言える。また我が国の近隣にはいまだ北朝鮮や中国など共産主義国があるので、他人事ではない。
これだけ世界中の共産主義国で同様の虐殺が起こっている以上、これは共産主義が持つ構造的な問題と考えざるをえない。
資本家による労働者の搾取をやめさせるという「正義」を追求する共産主義が、なぜ結果的にこれだけ多くの人を殺すという逆説が生み出されるのか。その悲劇を繰り返さないためにも、政治哲学が解明すべき重要研究課題である。
■3.「最低百人は絞首刑にすること」
共産主義がどのように大量虐殺を招いたのか。その一例として、岩田氏は、史上初の共産主義国家ソ連を作りあげた革命家レーニンが、クラーク(豊かな農民)の虐殺を命じた手紙を紹介している。
__________
クラークは最も野蛮で、最も粗暴で、そして最も残忍な搾取者である。これらの搾取者は、民衆が欠乏に苦しむさなかに裕福になった。・・・人を陥れるこの蜘蛛のような奴らは、戦争によって貧困化した農民や、腹を空かせた労働者を犠牲にして肥えてきた。・・・
この吸血鬼のような奴らは貧しい農民を何度も隷従させながら、地主の土地をみずからの掌中に収めてきたし、今もそうしつづけている。こんなクラークに対して容赦のない戦争を! 彼らを死に至らしめるのだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そしてレーニンは次の4つの指令を出す。
__________
知られる限りのクラーク、金持ち、吸血鬼を、最低百人は絞首刑にすること(市民たちの目に触れさせるために、必ず絞首刑でなければならない)彼ら(クラーク)の名前を公表すること
彼らの所有する小麦をすべて奪い取ること
昨日の電報通りに人質を指名すること。吸血鬼のクラークどもが絞め殺されている姿、そしてその末に死んだ屍体を、数百キロ四方の市民たちの前に晒し、みなが恐怖に震え、何が起こったかを理解し、叫び声を上げるような方法で行わなければならない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■4.新たに創り出された「正義」
共産主義は資本家階級の搾取を「悪」とし、そこから労働者階級を解放することを「正義」とした。したがって資本家階級を弾圧し、虐殺し、彼らの冨を奪うことは「正義」になる。
人を殺傷したり、冨を奪うことは、古来から常識的に悪とされてきたのだが、共産主義はその常識を覆して、虐殺が「正義」となる理論を生み出したのである。
この点はヒトラーのナチズムとそっくりである。ヒトラーはある演説で、こう言っている。
__________
ユダヤ人は血を吸うヒルとして国民に取りつき、屍をつたって商売と政治に入り込むのである。・・・万国の労働者よ団結せよ! というべきではない。戦いの叫びはこうでなければならない、万国の反ユダヤ主義者よ団結せよ!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄レーニンは資本家階級を敵としたが、ヒトラーはそれをユダヤ人に変えただけである。そしてレーニンが資本家階級を大量虐殺したように、ヒトラーはユダヤ人を大量虐殺した。
■5.全体主義という「暴力機構」
資本家階級の敵視など、特定のイデオロギーを全国民に強制し、個人の自由や人権を無視する政治体制を広く「全体主義」と言う。
たとえば共産主義者が、資本家階級を敵視して、その生命や財産を奪おうとすれば、当然、資本家階級は防衛のために立ち上がらざるをえない。それを打倒して、共産主義者がイデオロギーを強制しようとすれば、階級闘争が発生することになる。
世界各地で、合計1億人が殺害されているのは、こうした全体主義が本質的に持つ暴力機構が、どこの国でも働いてしまうからである。
全体主義の暴力機構は、政権をとってからも止むことはない。全体主義研究の古典とも言われる『全体主義の起源』で、著者ハンナ・アレントは、こう指摘している。
__________
全体主義的独裁は足場を固めてしまうや否や、イデオロギー教義とそこから生まれた実際上の嘘を本物の現実に変えるためにテロルを使う。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄この一例として、スターリンは革命後も、敵対したり、自分の地位を脅かしたりする可能性のある人々を粛正し続けた。その中にはスターリンとともに革命を成し遂げたかつての同志もいた。
しかし歴史書にかつての同志の活躍が記されていると、不都合なので、スターリンはあらゆる歴史書の改竄(かいざん)を行った。同志と一緒に映っている写真からも、彼らの姿を消した。
全体主義者は政権をとった後も、一層、徹底してイデオロギーと自分の権威・権力を守るために、嘘を重ね、テロを続けていかねばならないのである。
*そもそも歴史的に見て人肉食文化の伝統は大陸の方がはるかに根強いわけで(しかも飢饉が頻発するせいで、いまだに北朝鮮では払拭されてない)、彼らが「日本人こそ古来からの人食い人種(我々は断じてそうではないから文明人)」と妙に力を込めて力説する場合には、ある種の責任転嫁の心理が働いてると見るべき。
当時の国際SNS上の韓国系アカウントは、こうした投稿に対して冷静に「(日米と韓国人の離間をも狙った)北朝鮮か東北軍閥の後援を受けた朝鮮族」みたいな分析をしてました。全体像を俯瞰すると「こんな滅茶苦茶な論法、日本語で展開しても韓国語で展開してもお里が知れるので英語圏で展開してみたが、やっぱり通用しなかった」という印象。実際、吃驚するほどこうした主張は(少なくとも表面的には)世界に通用しなかったんです。
*やっぱり通用しなかった…最大の皮肉は、KKKの主旨とかに賛同する白人至上主義者などから「いずれにせよ劣等民族同士が互いに殺し合ってその数を減らす事は世界平和に貢献する」なんてコメントまでもらって、一定の評価を勝ち取るのに成功した事。ここで興味深いのが、そうした思考様式が「男尊女卑は黒人固有文化の一部だから絶対に否定してはならない」とか言い出して一般黒人層から見切りをつけられた「Nation of Islam残党=Black Lives Matter運動の恥部とまでいわれている黒人至上主義者層」の思考様式と表裏一体の関係にある事。米国では、この問題が(白人の知的障害者をそうしたメンタルのチンピラ男女が襲撃した)Facebook拷問Live事件をCNNが必死に擁護し続ける事によってある種のモラル・ハザードの極限状態を現出させる展開に。流石に、日本のマスコミやリベラル層はまだここまでは腐り果ててないと信じたい?
*これ割と士郎正宗「攻殻機動隊1.5 MINES OF MIND(1995年)」の世界でもある。
タレ流されたウイルスがいつまでもネットワーク上を漂ってハタ迷惑というお話なのだが、迷惑なのはウイルスだけに限らない。単に古い情報や間違った情報、デッチあげ、悪意ある扇動情報や悪意のない扇動情報(これがもっとも悪質か?)も充分にハタ迷惑だ。見分けるのが困難な分、ウイルスよりも危険だと言える。自分に見える範囲の現実と照らし合わせて、皆さん気をつけましょうね。
そして、この問題「イスラム原理主義とは何か?」という問題にまで発展していきます。どうしてそうなるか理解するには、まずイスラム文化圏では「スンニ派古典思想」がイスラム原理主義の対語とされているという事実を認識しないといけません。
テキサス州のダラスでお会いした方に、かつてイラクで日本の会社の社員としてビジネスに携わり、その後米国に移住して飲食店などを経営していらっしゃる方がいました。
その方が経営されている店の一つにお招きいただき、たっぷりおもてなしいただいたのですが、ご一緒にお出ましになった奥様が、イラク人。で、私がイスラーム思想について研究しているというと早速話が弾んだあとに、奥様と日本人の夫との間での、数十年繰り返されてきたと思われる宗教論争が始まりました。
これが実に面白い(と言っては悪いですが)。
日本の相対主義的・不可知論的な宗教・倫理・世界観と、イスラーム教の啓示の絶対性と哲学の論理を組み合わせた「絶対に正しい」とされる論理との間で、延々と行き違いが続くのです。
私も同様の行き違い・堂々巡りを繰り返す「対話」を、学生の頃にアラブ世界に出向いて、向こうの学生たちと夜を徹して議論していた頃に嫌という程体験しましたので、ご夫婦で一生続けておられるのを見ると、なんだか微笑ましく感じて、思わず忍び笑いをしてしまいました。
そして、イラク人の奥様が、真のイスラームを分かっていない(と感じる)夫に理解させようとする内容と論理が、まったくガザーリーがこの本で論証する内容とそのための論証方法と、同じなんです。
それはもちろん、ガザーリーが啓示と理性の対決で、イスラーム教徒の立場からは必然と見える論理を、行き着くところの極限まで考えたからであり、現代の議論はそれをなぞって、繰り返しているのです。
現代の人々が直接ガザーリーを読んで真似しているというよりは、啓示という観念を護持したまま哲学的論理を取り入れれば、自ずから可能な結論は似てくるため、ガザーリーが考えたことが自然と繰り返されるのですね。ガザーリーがたどり着いた結論と、結論に至るための論理的過程は、啓示と理性の間に必然的に立ち上がる問題に対する、ガザーリーの結論です。ガザーリーはこの共通の問題について、最も先の先まで考えた人であった。だからのちの時代の人はガザーリーの論理を直接知っているか知らないかに関わらず、同じようなことを言うのです。
啓示と理性の間での、啓示の優越性への信念や、啓示が理性と同じだけ合理的であると当時に、理性では到達的できない超越した絶対の真理を備えている、という信念、これらは「穏健派」であれ「過激派」であれ、共通しています。
啓示と理性の間に価値の優劣がなく、平行線上にあるということは、奥様は決して受け入れず、神が示した真理である啓示と、人間が考えたにすぎない誤謬を含むものとしての理性を、優劣をつけて理解している。このことは穏健派が自信を持って穏健派でいるために不可欠の基盤です。しかし究極的には過激派が武力・強制力を持って真理を地上に実現させようとする時に、この明確な真理への信念と、優越性の観念が、正統性を与えることにつながってしまう場合がある。それが難しいところです。
*イラク人の奥様が述べているのはまさしく「神の英知そのものが無謬だだとしても、現世に流出する過程で誤謬が累積していき、遂には対立する正義や悪といった矛盾まで生じる」としたガザーリーの流出論=スンニ派古典思想そのもの。で、これがイスラム穏健派の基本的立ち位置という次第。*「ゲティスバーグの戦い(Battle of Gettysburg、1863年)」帰還兵にして、明治初期に松平春嶽を藩主に戴く福井藩のお雇い外国人として廃藩置県の現場に立ち会った歴史の生き証人にして 宣教師でもあったW.E.グリフィスが「ミカド(1915年)」に興味深い事を記述している。「(「お天道様は騙せない」といった素朴な信仰に支えられた)天然状態の日本人は(まるで「内なるイエス・キリストの声=良心」がその行動を律するキリスト教徒の様に)極めて善良な存在である。だが何故かキリスト教に改宗すると(手段を選ばず周囲の人間に改宗を迫る様な)狂人に変貌してしまう事がある」。どうやら「確信を得た良心」には、こうした困った人格変容を引き起こす効果もあるらしいのである。
そもそも「穏健派」とは普遍的に「人類には、万人に対して良心が内側から命じる唯一無二の純正かつ絶対間違いのない価値観が存在する」なる前提を否定するところから出発するのかもしれません。これ英米圏では「サウジアラビアのジレンマ」とか呼ばれています。
*「サウジアラビアのジレンマ」…イスラム圏全体では「スンニ派古典思想の全面否定者」にして「(ビン・ラディンら)イスラム原理主義者の最大供給国」として悪名高いサウジアラビアこそが(テキサス石油富豪などと癒着のせいで)絶対に入国規制対象とならない悪循環。実はこの問題に関してはオバマ政権や米国民主党も駄目駄目で、それに激怒した米国人が大統領選でトランプ候補に投票した側面もあった。それにも関わらず、やっぱり例の「イスラム諸国7カ国からの入国を禁止する大統領令」でもサウジアラビアは措置対象外となり、さらなる絶望感が広まった感触も。
What Are You Really Afraid Of?, Twice in one day. I feel so dirty now. :-(
ここで興味深いのが「オルタナ右翼(Alt-Right)は、ハーレクイン・ロマンスのシーク物についてどう考えるべきなのか?」という設問。まぁ実際には(恐ろしさのあまり、少なくとも表面的には)完全沈黙を守った訳ですが…
*「完全沈黙」…これどう考えても「オルタナ右翼そのもの」というより、その供給母体たる「絶えず冗談を言い続ける事で自分をHighに保ってるが、その実何も信じてないニヒリスト=ゲッベルス・タイプの若者層」がネット上では女子アカウントの尻に敷かれてるせい。とどのつまり私もその一員なのだが、目の前で生々しく感じられる、あの「この一線を一歩でも踏み越えれば、逃れ得ない確実な死が待つのみ」感ときたら、本当に尋常じゃないのである。
シリーズ名として独立はしていませんが、最近一勢力を築いているのが、いわゆる「シークもの」。中近東を舞台にした作品です。
欧米の人にとっては「アラビアのロレンス」みたいな風俗ってエキゾチックで憧れなんでしょうか。巨万の富を持つ架空の小国の王子というような設定が多い。砂漠とかラクダといったそれっぽい風景もさることながら、民族の名誉を重んじ、誇り高く情熱的なヒーローの性格づけが人気の秘密のようです。
*実はハーレクイン社が競合他社に圧倒的差異をつける原動力となったジャンル。試しに何冊か読んでみたけど、とにかく絶対に話が「宗教上のギャップ」とか「一夫多妻制の容認」といった領域にもつれこまないのが特徴。
ハーレクイン作品でのシークとは、アラブの王子様のこと。日本のコアな読者には「シークもの」が大人気!エキゾチックな容貌とありあまるオイルマネーという魅力もさることながら、ハーレクインでは「シークで外科医」とか「ポロ選手で、競走馬の牧場も経営」など、兼業型のスーパー・シークも多く登場します。
アラブの王子であるシークは文化の違いから尊大な一面があり、いつも自信たっぷりで周囲の人々をひれ伏させるような圧倒的魅力を漂わせています。そんな強引で男らしいところが日本の女性読者をときめかせるのです!
*あれ? いつの間にか「日本でも人気ジャンル」という話に…
日本人って妙なところで恐ろしく勘が鋭い一方、思い切りが悪くて京都アニメーション「Free!(TVアニメ2013年〜2014年、劇場版2015年)」エンディングで仄めかして国際的話題を攫ったり、椎名橙「それでも世界は美しい(Still world is beautiful、2009年)」アニメ化(2014年)に際して「砂の皇国」編の直前で寸止めしてみたり…
現実の世界は、かくも本当に「板子一枚下は地獄」感が半端ないのです。
さて、この投稿にも、やっぱり「全部気の狂ったネトウヨ特有の、現実を全く直視してない典型的妄想じゃん。日本人の面汚し。日本健全化の為に一刻も早く自殺しろ!!」みたいな突っ込みが入ってしまうんでしょうか?
はっと。あれはもしかして「馬鹿の捨て奸(すてまがり)」なの?
欧米ではこの画像が話題になってました。
まず幼少時からの反体制姿勢の刷り込みがあって「リベラル層」が再生産されていく…世界はこの図式に震撼した訳ですが、日本人は割と無頓着?