諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】五味川純平「戦争と人間」の世界と「総力戦体制時代」前景の狭間

最近、今更ながら五味川純平「戦争と人間(1965年〜1982年)」を読んでます。

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*「五代家の家長」由介(滝沢修)と軍国主義に染まった長男英介(高橋悦史)の喧嘩の場面に遭遇するにつれ「ああ五代家ってクルップ家がモデルだな」と思わざるを得ない。戦後の戦争裁判では両者の戦争責任分担が問題となり、しかも連合軍側の対応は準備不足が祟って滅茶苦茶で、クルップ家は最終的に無罪放免を勝ち取る。まだ最後まで読み切ってないけど「戦争と人間」はそういう部分まで描いているんだろうか?

戦争と人間

山本監督の構想では第四部はその耕平が東京裁判に参加する中国代表にくっついて帰国するところから始まり、東京裁判を描くことでそれまでの経緯をふりかえって描くものになっていたらしい。原作者の五味川純平東京裁判で小説を締めくくる構想を持っていたので、それと連動したものだろう。

しかし原作者自身、妻を失い病で声を失うなど苦難が続き、東京裁判については天皇の責任を問わなかったことを理由として最終的に小説では描かず、当初の構想とはだいぶ異なる結末となっている。

僕も原作を最後まで読んでみたが、小説の後半、とくに太平洋戦争の展開あたりから物語のメリハリがなくなって史実の羅列みたいになってゆき、敗戦と共に唐突に終わってしまった感が否めなかった。あるいは映画の中途半端な「完結」が原作者の意欲にも影響を与えたのではないか、と推測してしまうのだ。

当時の統計的数字に立脚して「ファシスト軍国主義者は、やっていい事と悪い事の区別もつかなくなるのか?」 と果敢に斬り込んでいくスタンス、存外現代性がありますね。「生き延びてこそ立つ瀬もあるのに、彼らはそれを敗北主義として退けた。馬鹿か?」なる切り口自体には、思想の左右を問わず現代日本人の心の奥底に訴える力がある様に思われますが、いかがでしょうか?
*「企画院だって結局、騙されて利用されただけだったじゃないか」なんて鋭敏極まる突っ込みには返す刀もない。それに比べて映画版(1970年〜1973年)ときたら…(以下自粛)。

 おそらく「ナショナリズム=臣民意識の高まり」には「必然性と難易度が高まるほど強まる」なんて特徴があるのです。

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  • ドイツ人は割と(ノーベル賞作家ギュンター・グラスを筆頭に)「ドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich、1871年〜1918年)成立以前のドイツはバラバラの地域に過ぎず、その統合問題が第一次世界大戦(1914年〜1918年)後も精算されていなかった事が戦間期全体主義化につながった」という歴史的展開に自覚的。
    *「戦間期全体主義」…実はこの流れ自体はヴァイマル共和政が主導したもので、ナチスはその結果生じた大統領内閣(Präsidialkabinett)制(日本史でいう「超然主義内閣」)を乗っ取ったにすぎないと考える。有名なカール・シュミットの政治哲学も、元来はナチスでなくこの大統領内閣制を擁護する為に発表されたものだった。

  • 日本人もまた、同様の状態を「(部族連合状態から律令制採用と朝廷成立に至った)古墳時代(3世紀〜7世紀)」及び「大政奉還(1867年)、王政復古の大号令(1968年)、戊辰戦争(1868年〜1869年)、版籍奉還(1869年)、廃藩置県(1871年)、藩債処分(1872年)、秩禄処分(1876年)、士族反乱鎮圧(1874年〜1877年)、自由民権運動(1874年〜1890年)と続く)江戸幕藩体制解体期」に経験している。
    *前者は中華王朝の存在感、後者は欧米列強の存在感に圧迫された結果でもある。

  • アメリカも19世紀に入ってから国内分裂に悩まされ「南北戦争(American Civil War, 1861年〜1865年)」を経験。しかもこの問題、現在なお尾をひく。

  • ただしこれらは全てあくまで内政問題。それに便乗して遂行された海外侵攻を正当化するのは、また別ロジックとなる。ヒトラーの場合「全欧州に分散するドイツ系移民の救済」を大義名分に掲げ、実際(英国を除く)欧州制覇には成功した。それでは、軍国化した大日本帝国の場合は?
    *「また別ロジック」…良くも悪くもここがまさに「ファシスト軍国主義者は、やっていい事と悪い事の区別もつかなくなるのか?」の部分。

こういう時にしばしば持ち出されるのが「総力戦体制期(第一次世界大戦(1914年〜1918年)〜1970年代)の時代だったから仕方がない」というロジック。

国際的には以下を結びつけて一つの時代区分と考える仮説も存在する(総力戦体制論)。

  • 欧州先進諸国が第一次世界大戦(1914年〜1918年)期の総力戦で被った痛手の大きさは、当時激減した自由商品貿易が総生産額に占める割合が1970年代までそれ以前の水準に復帰する事はなかった」という統計的事実…日本の戦国時代でいうと「小氷河期到来に伴う全国規模での略奪合戦の激化」。

  • この時期における「万国の労働者が国境を越えて連帯しようとする世界革命志向と各国も成立した労働者主導主導型政権が政府の力で市場を制御下に置こうとする国家主義志向の衝突」…日本の戦国時代でいうと一向衆などの惣村土一揆の全国ネットワークと各地国人一揆の対立と共働。

  • 世界恐慌発生に伴って1930年代に進んだブロック経済化」…日本の戦国時代でいうとスケールメリットを追求する小田原北条家の様な新世代戦国武将の台頭と楽市楽座による御用商人選定過程。

  • 「冷戦発生に伴う世界の二分化」…日本の戦国時代でいうと織田信長包囲網の構築と挫折。

そしてこの仮説では現在を「既にその軛から脱しているが、次に目指すべき体制が見つかってない過渡期」と考える。

 しかし実は大日本帝国の場合、時代が少しズレているんです。本格的に「総力戦の時代」に差し掛かる以前に既に①江戸幕藩体制解体期(1867年〜1877年)②日清戦争(1894年〜1895年)③日露戦争(1904年〜1905年)と、三度も総力戦に近いストレスを耐え抜いてきた実績があった訳なんですね。
*ただし、その「後遺症」のせいで1916年に来日したタゴールから警告を受ける展開に。

問題がじわじわと表面化してきたのは、寺内「ビリケン(非立憲)」内閣(1916年10月19日〜1918年9月21日)の時代となります。
寺内正毅 - Wikipedia

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こうした一連の事件の発端を遡ると…

 つまりどういう事かというと…考えてみれば第一次世界大戦前後って、以下の国家がまとめて消失してるんですね。

そして時期を同じくして、当時を騒がせた「破格の人々」も消えていきます。

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  • ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(在位1888年〜1918年)…三国干渉(1895年)や日露戦争(1904年〜1905年)の背後で暗躍。第一次世界大戦(1914年〜1918年)には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(ハプスブルグ君主国)や青年トルコ」エンヴェル=パシャオスマン帝国同盟して参戦。本国の革命によって亡命に追い込まれる。
    オスマン帝国の第一次世界大戦参戦

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  • 「妖怪」袁世凱日清戦争(1894年〜1895年)や辛亥革命(1911年)の背後で暗躍。実は義和団の乱(1900年)勃発の直接の原因を生み出した主犯でもある。1916年から1917年にかけて中華皇帝に即位した後に悶死。

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  • 「怪僧」ラスプーチン…1903年〜1905年頃よりロシア皇帝に接近したカリスマ的祈祷僧。1916年に暗殺される。実際に帝国にどんな影響を与えたのかは不明。
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  • 大日本帝国武断派寺内正毅・長谷川好道)憲兵政治によって朝鮮総督府を牛耳り、陸軍懸案の「(朝鮮に駐留する)二個師団増設問題」を通す為に第二次大隈内閣(1914年〜1916年)を解散に追い込んで自ら超然内閣の首相に収まり、秘密予算を私物化して軍閥割拠下の中国において策動。米騒動(1918年)や3.1.事件(1919年)の「弾圧」責任をとらされる形で更迭された。
    *「朝鮮総督府を牛耳る」…当時の新聞は「長州閥による朝鮮植民地化」と表現している。

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 要するに「総力戦体制時代」なるもの、まず新時代についていけない国や人の脱落こそが序章だったかもしれないという事なんですね。
*そういえば大隈重信山縣有朋も大正11年(1922年)に亡くなってしまう。確かに一つの時代が終わったというべき?

次の10年は「大成金」アメリカと「成金」日本の時代。

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  • 実は当時の日本は著しい経済成長を遂げていて、国内総生産は明治18年(1885年)から大正9年1920年)にかけて3倍に成長し、1911年には不平等条約完全撤廃に成功し、大戦景気に沸いた第一次大戦後には債務国から債権国へ、輸入超過国から輸出超過国へと転換。

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  • 一方アメリカはいわゆる「狂乱の1920年代」へと突入。

そして張作霖爆殺事件(1928年)から始まる五味川純平「戦争と人間」の時間へと接続していく訳です…