諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「日本型警備保障サービス」なる巨大隙間産業① 分岐点は「機械式警備」導入?

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これまでの投稿から次第に「国民国家にしか恒常的に提供不可能な)軍事力や警察力」の意味合いって「例外処理(Exeption Handring)」の一種として規定可能じゃないかと考える様になってきました。

完全な秩序崩壊状態下ではもはやそれに頼るしかないのですが、市民社会が余裕を持てる様になると次第に他の選択肢も現れてくる…当然ナショナリズムの望ましい持ち方も、それに合わせて変化していく…そもそも「国民国家」成立以前の世界はどう回っていたかというと…
*欧州史だと「鎧で踏ん張る衝撃槍騎兵の密集突撃全盛期=十字軍 / 大開拓時代(11世紀〜13世紀)」なんてややこしい時代が挟まってたりするけど、ここではとりあえず置く。軍事・治安維持サービス甘受の代償が「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」の需要だった恐るべき時代…さらにそれ以前の時代に遡ろうとしても蛮族やヴァイキング(北方諸族の略奪遠征)の流入に歯止めが効かず、既存秩序の拠点が「ザクセン辺境伯神聖ローマ帝国皇統)」「パリ辺境伯(フランス国王の先祖筋)」「ウェセックス王国イングランド国王の先祖筋)」くらいしか残ってなかった「建築史上の暗黒時代(9世紀〜10世紀)」の厚い壁に阻まれてしまうのみという…

  • 空海は「華厳経(4世紀頃、中央アジア(西域)で成立)」について「顕教の最高峰だが、そこに辿り着く方法が示されてない(その為の密教である)」というスタンスをとっていた。
    空海と真言密教

  • 「華厳教学」の世界観のモデルは、おそらく当時中央アジア(西域)に割拠していた多民族帝国あたり。それは原則として「その時最も有力な騎馬民族がその武力を背景に交通の安全を保証し、交易を栄させてアガリを掠める」シンプル極まりないシステムで、長らく「最初から完成形で別に発展の余地などない」と考えられてきた。
    *今日なお地域によっては「テュルク(支配階層たる軍事貴族。しばしば交代する。概ねトルコ系遊牧民)とタジーク(地方行政を官僚供給を担う定住民。概ねイラン系で不変)の二重支配状態」の痕跡が残ってるくらいで、古代よりずっとこの状態が保たれてきたと目されています。

  • 16世紀以降、次第にこうした前近代的体制は「多数の火器を装備した常備軍を擁する主権国家間の協調体制」に駆逐されていく。その一方で欧米世界は最終的に所謂「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」を迎える展開に。
    *おそらく前世代最後の多民族帝国がモンゴル帝国(1206年〜1634年)やティムール帝国(1370年〜1507年)、新世代最初の多民族帝国が(兵制を改めて以降の)オスマン帝国(1299年〜1922年)やサファヴィー朝(1501年〜1736年)、そしてムガール帝国(1526年〜1858年)といった位置付け。

そしてまさにこの「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」の終わり頃より、当時騎馬民族が多民族帝国で果たしていた様な「(国家の軍隊や警察に拠らない)現地活動を安定させる為の治安維持任務」が、現代社会にふさわしい(すなわち国民国家の軍隊や警察の守備範囲を超えた範囲をフォローする)サービス産業として蘇る展開に。しかもそれは貪欲に最先端技術を取り入れ続け、前人未到の領域に踏み込む展開となったのです。かくして一般に「民間警備保障会社」と呼ばれる隙間産業の歴史は始まったのでした。

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とはいえ、まだまだ「国民国家の管轄たる)軍隊や警察の治安維持活動がまだまだ適切に行き渡ってない地域」での活動は、しばしば「傭兵の新形態」と揶揄される民間軍事会社と守備範囲重なる部分が少なくないとも。

民間軍事会社 - Wikipedia

その一方で、どうやら「日本型警備サービス」は、発想が根幹から異なる様なのです。

毎日新聞「英国に浸透する日本型警備サービス・セコムのすごさ」

英国の警備会社を1991年に買収した後、初の日本人社長として2001年に赴任した竹澤さんは、日本型サービスの導入に本格的に取り組んだ。カメラを設置して24時間の遠隔監視を行い、希望する顧客からはカギを預かって、異常があれば警備員が即座に確認に向かう。日本では当たり前のきめ細かなサービスは、英国では画期的だった。

だが、コストがかかる分、価格競争では当然不利になる。本社からたった一人で乗り込んだ竹澤さんに、英国人幹部らは「アイデアはすばらしい。だが、英国のやり方は違う」と抵抗した。

この違いは一体、如何なる歴史が生み出してきたのでしょうか?

田中智仁『警備業の社会学―「安全神話崩壊」の不安とリスクに対するコントロール』(2009年、明石書店)の第1章「警備業の社会史」要約

田中智仁の分類によれば、公権力をもたない警備業による警備活動はセミフォーマル・コントロール(Semi-formal Control)」に分類される。

  • 「フォーマル・コントロール(Formal Control)」…警察などの公権力を有する警備活動
  • 「インフォーマル・コントロール(Informal Control)」…地域住民らによる私生活上の警備活動

警備の起源は、洞窟生活時代にまで遡る。野生動物や他部族や自然環境から身を守る為に既に「巨大な落石を入り口に配置」「入り口に火を灯す」といった方法が用いられていた。その後は人類の発達に伴って武器や防壁などで対策を取られていく。古代都市が建設される頃には外部の侵略防止のために城壁が築かれ監視塔が設置され人間による監視が行われた。

  • 警備業の萌芽とされるのは、中世フランスにおける大聖堂参事会での警備活動であるとされる。当時の市民には夜警奉仕義務があった。

  • ピンカートン探偵社は世界最古の警備会社とされる。
    *業務としての警備は欧米発祥。米国では探偵社から、英国では保険業から発展したとされる。

日本では11世紀末頃に藤原氏が摂津、和泉、近江の名手らを「大番舎人」として編成し毎月に10日ほど上京させ宿直・警衛の奉仕をさせていたとされている。また白河天皇が御所の北に置いた「北面武士」は身辺警護の起源とされる。
*中華王朝における「山寇・海寇対策」と重なるが、前方後円墳国家(3世紀〜5世紀)末期のヤマト王権は、近江地方や東海地方などを中心に在地勢力を連続的に懐柔して交通網の安全を計っていた様である(大規模な前方後円墳でなく小規模な円墳や方墳が交通の要所に沿って並んでいる)。ある意味最も原始的な警備体制とも。

  • 江戸時代における町奴の中でも有名な幡随院長兵衛は「口入、人足廻し、元締め、割元」といった現代で言う人材派遣のような商売をしていたが、その中には豪商の依頼で邸宅の警護を行ったり、参勤交代の大名の警護役などとして派遣していたことから警備業の特色も有していた。
    *(軍事目的の為の)家臣団維持義務がアウトソーシングされていく流れの一環。

  • 江戸幕府が末期に至るまで国策として鎖国を継続したことに加えて、明治維新後も島国という地理的条件により他民族の流入が緩やかであったことなどもあり、日本の治安は内乱期を除けば比較的高かったとされる。そのことが「水と安全はただ」の言葉に象徴されるように、日本人の安全に対する意識が軽薄になりがちな要因となっていることが考えられる。
    *そもそもその期限を室町時代の惣村に遡る日本の伝統的集落は、それ自体が自警機能を備えていたという側面も。
  • 昭和初期は各企業とも「自警制度」をとり、定年退職した社員を守衛として再雇用していた。自警制度は社内の事情・人員に明るい人物が務めるため非常に効率的であった。そのため第二次世界大戦前は警備会社というものが存在することはなかった。

  • 日本の警備業の礎となったのはGHQの日本進駐とされる。GHQは民間ビルを強制的に借り上げ日本統治の拠点とした為、ビルの警備が必要となった。当初は連合軍の兵士が警備を担当していたが、自前兵力の維持を図るため日本人への委託を検討。職業安定所を通じて募集し4000人近くの元日本兵等が雇用された。当初は制服もなく腕章一つで業務に当たっていたが、1950年に制服・階級章制度を導入しガードスクールを開校。その後GHQが撤退し警備職員も免職されたが、警備業の普及に大きな影響を与えた。

  • 日本で初めて警備会社が誕生したのは1962年とされる。同年3月23日に神戸市で「日本船貨保全株式会社(現:大日警)」が創業。港湾警備を主体としていた(現在も東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、関門港等、港湾関係警備業務が主体である(他施設、雑踏、機械の陸上関係も当然行っている)。検数・検量・検査業務を行っている社団法人全日検とグループ企業である)。

そして翌年には「日本警備保障株式会社(現:セコム)」が起業する。

【セコム】昭和8年(1933年)4月1日、後にセコム創業者となる飯田亮が東京市日本橋区馬喰町(後の東京都中央区日本橋馬喰町)に、酒問屋を経営する父・紋治郎の5男として生まれる。
*岡永は1884年(明治17年)、東京・日本橋馬喰町で醤油・味噌・酒の小売業として創業。「良質の日本酒」が市場から消え去ろうとしていた戦後の高度成長期にの昭和50年(1975年)に「日本名門酒会」を発足させたりしている。

【セコム】昭和37年(1962年)7月、飯田亮が独立して学生時代以来の「飲み友達」であった戸田壽一とともに日本警備保障株式会社を設立し代表取締役社長となる。

  • 昭和36年(1961年)、浅草の鳥鍋屋で飯田が戸田と欧州帰りの別の知人と3人で食事した時に知人が「欧州には警備を業務とする会社がある」と教えてくれたのが会社創設の契機となった。決断には30分とかからなかったという。

  • 事実上、日本初の警備保障会社で創業時点の社員は2人のみ。当初は、巡回警備や常駐警備といった人的警備がサービスの主体だった。

  • 社名は“警備”に(日本で初めての事業なので)頭に日本をつけて“日本警備”にし、さらに最後に“保障”をつけて「日本警備保障」としたもの。最後の“保障”という二文字には安全保障の“保障”と“補償”の思いが込められている。 現在、一般的に使われている「警備保障」もこの時の造語に由来する。

  • 最初の契約は、ほぼ創業4ヵ月後の10月24日、東京都千代田区麹町の旅行代理店との巡回契約だった。飯田が「"商い"は"飽きない"に通じる。根気が必要だ」とがむしゃらにセールスに歩き、飛び込み訪問を押し通した結果だったという。

  • 次第に契約数は増えていったが翌年になっても12~13件、社員も8名ほど。契約が増えると必要な人数だけ社員を採用し、飯田自らが教育するスタイルだった。ただ当時の事務所はビルをエレベータで最上階まで行き、そこからさらに屋上へ出て非常階段みたいなものを上ったところにあったので警務士を希望してくる人があっても、ドアを開けずに回れ右をしてしまう事が多く「必要を売る会社に無駄はない」という貼り紙を出した。社員には受けなかったがマスコミには大受けで、その頃より向こうから取り上げてくれる様になったという。

  • 昭和38年(1963年)4月、初めて常駐警備の契約を取得。東京・晴海の国際展示場の警備だったが、当時はそれほど立派な建物も建っておらず、一面野原で、自動車ショーなどは青空展示状態であった。警備詰所もなく、キャンプ用テントで寝泊りして対応。東京港に近く、契約がスタートした春先は、雨が降ると寒さに震える有様だった。なお、この年から伊勢丹デパートの常駐警備もスタート。

【セコム】昭和39年(1964年)10月東京オリンピック開催

  • 昭和38年(1963年)暮れ、東京オリンピック組織委員会から警備の依頼を受ける。内容は、代々木の選手村を工事や整備の段階から警備して欲しいというものだった。
    *飯田は、大きな仕事ではあるけど期間が短い。社員を相当多く増やさないといけないが、オリンピックが終了後、増やした社員に見合う仕事を確保できるかがまず心配になったという。

  • 同年12月10日、東京オリンピック組織委員会と正式な契約を締結。警備を開始した当時の選手村には取り壊す予定の米軍住宅も約400戸ほど残っており、泥棒や子ども、アベックなど不法侵入者に手を焼いたという。あまりに広大なので、自転車を使って巡回。

  • 昭和39年10月10日、東京オリンピックが開幕し、10月24日に幕を閉じる。無事、無事故で会期を終えたことで、組織委員会から感謝状が贈られた。

  • この東京オリンピックを経て、社会から高い評価と信頼を得たのが飛躍の契機となる。

【セコム】日本警備保障をモデルとしたTBSドラマ「東京警備指令 ザ・ガードマン(1965年4月〜1971年12月)」が放送されて大ヒットしたことから、一気に知名度も上がる。

東京警備指令 ザ・ガードマン - Wikipedia

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  • 番組制作にあたり、モデルとなった日本警備保障に提示されたタイトルは「東京用心棒」だったが、飯田亮が「自分たちは『用心棒』ではない」として、逆提示したタイトルが「ザ・ガードマン」だったとされる。自社をモデルにされるにあたり、飯田は番組の脚本について「汚い言葉遣いを禁止する。女性とは絡まない。酒は飲ませない」の3条件を出したといわれている。

  • 最高視聴率40.5%を記録し、JNN全国視聴率調査においても昭和40年(1965年)、昭和41年(1966年)と2年連続1位に輝いた。この番組で和製英語である「ガードマン」という言葉が少しずつ世間に広まるも、依然として守衛が一般的呼称として用いられ続ける。

  • TBSの看板番組として大人気を博すも、破廉恥なシーンや金品強奪・違法薬物絡みの殺害シーン、犯人との銃撃戦などが子供の教育上悪影響を及ぼすとしてPTAと地婦連は子供に見せたくない番組として抗議を強め、その結果徐々に視聴率が低下し、大映の倒産も相まって昭和46年(1971年)のクリスマスを以って放映終了となる。

  • 本放送終了後に地上波で再放送が行われた時期もあったが、現在では放送禁止用語となった言葉が劇中で頻繁に使われている事が多数あり、特に番組開始初期は精神異常者の犯罪を多く扱っていたため、今後の地上波での再放送は難しいものと思われる。ただし2000年代からはTBSチャンネルファミリー劇場などのCS衛星放送で再放送が行われている(著作権や肖像権の関係で放送されなかった回もある)。

昭和40年(1965年)には「綜合警備保障(コーポレートブランドは「ALSOK」)」、翌昭和41年(1966年)には「東洋警備保障(現:東洋テック)」「セントラル警備保障」「全日警」と「業界の雄」とも呼ばれる大手企業が続々と創業。創業間もないセントラル警備保障ビートルズの来日公演の警備を担当し警備業界にとっても大きな業績となった。

綜合警備保障(Sohgo Security Services Co., Ltd.) - Wikipedia

特に金融機関の警備に強みを発揮してきた。主力の機械警備を基とし、ATMコーナー営業管理システム、ATMの障害対応から警備輸送、多機能ATMの運用などにより金融機関のニーズに応えている。その他、常駐警備/身辺警護/情報リスク管理サービス/防災・ビル運営管理サービス/個人向けホームセキュリティ/タウンセキュリティ/各種みまもりサービス/防犯・防災・救命機器等の各種販売/防犯コンサルティング/防災設備点検/電話対応/電報の取扱いなど、様々なサービスを提供している。

売上金を即座に入金できるオンライン入金機等を販売し、一般小売店のレジの配金作成、現金輸送、売上管理と金融機関の輸送以外の業務も積極的に行う。近年ではコンビニ店内(コンビニATM)やパチンコ店内のATM管理なども受注している。

【セコム】昭和41年(1966年)6月、日本初の企業向けオンライン・セキュリティシステム「SPアラーム」を開発。全国に拠点展開を進めながら、企業への普及を図る様になる。

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  • 開発に取り組む事にしたのは、まず第一にこのまま巡回警備や常駐警備だけで拡大して契約先が増えれば、将来社員は10万人、20万人になり、管理しきれなくなるのが目に見えていた事。第二に当時は高度経済成長期にあり、急激に人件費が上がっていたので、人的警備だけでは高いサービスになってしまい顧客層が限られてしまう見通しが出てきた事、第三に異常の監視、情報の伝達といった機械で出来る事はセンサーなどに置き換え、判断力や機動力、処置力といった人間しか出来ない事だけ人間がやる方が人間の尊厳を守る上でも正しいと考えたからだという。

  • 昭和41年5月より本部装置を設置して営業を開始。第1号契約は、東京・池袋にある銀行の支店だった。

  • 警備開始当日の6月20日、飯田は、4名の社員を呼び「今日から機械警備を実施する。1人はこの機械(本部装置)を見ていろ。他の3名は緊急要員だ。ここに赤ランプがついたら、ご契約先に異常があった印だから、すぐ現場へ行かなければならない」と指示をし、各社員が業務についた。

  • 現在ではオンライン・セキュリティシステムを中心としたサービスは、法人約102万件、家庭約118万9,000件、合計約220万9,000件(2016年12月31日現在)の規模にまで成長している。

1967年9月綜合警備保障も「綜合ガードシステム」を開始して機械警備産業参入。

  • この時期以降の所謂「全共闘時代」では大学紛争の激化した大学や争議中の企業などからも需要があった。これを契機として1969年に「国際警備株式会社」(注※国際警備保障とは別会社)や「極東警備保障」(現:セノン)が創業。

  • また三億円事件(1968年12月10日)の発生により銀行員が現金を輸送するのは危険という認識が広まり後に現金の輸送は第3号警備業として警備員が行えるようになった。

  • 1970年にはよど号ハイジャック事件が発生。空港の警備体制に大幅な見直しを求められ、その結果「空港保安警備業務」等の分野に新たに新規参入する企業が増加した。

【セコム】昭和44年(1969年)、「SPアラーム」が当時日本社会を震撼させていた108号連続射殺魔事件の犯人逮捕のきっかけとなり、その有効性が一躍社会に浸透する展開となる。

  • 4月7日午前1時20分、東京地区管制本部(現・東京中央コントロールセンター)に、「SPアラーム」契約先「一橋スクール・オブ・ビジネス(渋谷区千駄ヶ谷)」から異常信号を受信。管制から現場急行を指示された東京地区巡回機動隊の中谷利美隊員は、急きょビートカーで現場に駆けつけ、外周点検で犯人が建物に侵入中であることを確認。通行人に警察通報を依頼し、建物内部に入ってみると、カウンター越しに、事務所の中のロッカーや机の引き出しがあちこちあいていた。

  • カウンターの向こうをライトで照らしてみると、男がうずくまっていた。犯人に機先を制して誰何したが、犯人は立ち上がり、中谷隊員にピストルを向け発射。中谷隊員はとっさに叩き落しましたが、この時、右ほおに軽い痛みを感じたという。あとで弾がほおをかすめてかすり傷を負ったことが判明。

  • この後、あとから到着した隊員も加わり、二人は犯人と格闘となりましたが、犯人は再びピストルを拾い上げ、暗夜に乗じて明治神宮の方へ逃走。

  • 午前4時27分、都内全域に緊急配備が出された約40分後に犯人は逮捕された。その人物は前年の10月から、東京、京都、函館、名古屋の各地で、4人をピストルで射殺し、広域手配をされていた19歳の少年だった。

  • 4月8日の新聞各紙は1面で大きく事件解決を紹介。社会面では「SPアラーム」のことを詳しく説明し「事件知らせた新兵器」などと報じた。この日から本社には、問い合わせの電話が鳴り止まないぐらい電話がかかってくる様になる。

  • この功績に対して、この年の9月21日から27日まで、西独(当時)・ミュンヘン市で開催された国際警備連盟総会でも、満場一致でゴールドメダルが授与されている。

【セコム】昭和46年(1971年)、飯田は箱根の富士屋ホテルでの支社長会議において「機械でやれることに人手を割くのは、人間の尊厳を損なうものだ。従って巡回警備は廃止する。常駐警備も増やさず大幅に値上げする。今後の営業はSPアラーム1本で行く」という一大決心を発表。

  • 巡回警備サービスの契約件数は既に前年末までに2,000件に達っしていたが、「SPアラーム」は500件に過ぎなかった。

  • 翌日以降、各地域の責任者は巡回警備サービスのご契約先に対して、SPアラームへの契約変更をお願いして回ったが、予想通り解約になるなど強い抵抗があった。しかし地道な努力を続けた結果、同年末にはSPアラームの契約は5,000件を突破。一方、巡回警備サービスは急速に縮小していく。

  • 現在の国内177万件を超えるオンラインセキュリティシステムの基盤は、この時に築かれたのである。

昭和47年(1972年)、警備業法が制定され「警備業について必要な規制を定め、もって警備業務の実施の適正を図ることを目的とする(警備業法第一条)」と定められる。

  • 業界規模拡大に従って、次第に悪質な警備業者・警備員による不当事案(労働争議への干渉・介入、制服が警察官に酷似していたことから、警備員を警察官と誤認した人が届けた拾得物を横領したなどの行為等。「特別防衛保障」による無法・狼藉は有名)も多数発生する様になっていく。

  • これらのことを踏まえて警備業法および関連諸規則等は制定後も何度か改正され、現在に至っている。

  • 日本初の警備会社が創業してから法律が制定される10年間は警備業は自由営業であったが、同時に業者間の交流といったものはなく、業界団体も皆無であった。法律の制定と同時に「全国警備業協会連絡会」が設立され業界団体が整備された。

【セコム】昭和48年(1973年)8月1日、当時アメリカにおいて最も先進的といわれたハンティントン・ナショナル銀行と「無人銀行システム(ハンディバンク・システム)」による安全システムを相互提携。

  • 無人銀行システムは、ハンティントン・ナショナル銀行が世界で初めて考案・開発したもの。ミニコンピュータで運用し、預金、払い出し、振替、返済など通常銀行業務の80%以上を処理する。年中無休の24時間営業が可能で、場所も百貨店、スーパーマーケット、空港、ドライブインなどにも設置できるので便利な仕組みとして、この年の3月にアメリカで第1号店舗が設置されたばかりだった。

  • この提携は、昭和49年(1974年)4月1日に、「CDセキュリティパック」の発売として結実。日本初のCD(キャッシュディスペンサー、現金自動支払機)の安全管理システムとして高評価を獲得する展開となり銀行ATMコーナーの自動化(HANKS)に先鞭をつける事になった。

【セコム】昭和50年(1975年)3月1日、東京・晴海のコントロールセンターで、世界で初のCSS(コンピュータセキュリティシステム)が稼動を開始する。

  • 前年の昭和49年(1974年)6月24日、東京証券取引所市場第二部に上場を果たす。この時期までにほぼ全都道府県に拠点を開設し全国体制が整備されてきた。

  • それまでは四六時中、管制員が契約先の異常点滅ランプを監視していたが、異常発生と同時に管制卓のモニターに発生時刻、異常内容とご契約先情報が自動的に表示される体制となり、安全性と効率性が飛躍的に向上。これにより、その後のオンラインセキュリティシステムの契約が急速に増大していく。

  • セコムと新興他社のホームセキュリティー契約を比較すると、セコムは拠点(DP)の数が日本一だが、警備員一人あたりの受け持つ施設数も800〜1500物件と、他社とは群を抜いて日本一である(新興他社は、警備員1人辺りの受け持つ物件数は100件〜200件程度のところが多い)。さらに警備員の担当業務も警報対処の他、駐車場やATM障害対応等多岐に渡る。従って、拠点の数が多くとも、緊急対処(拠点で待機する警備員が異常発生現場へ駆けつける展開)が早いとは一概には言えない。セコムの場合、日本国内約200万件の警備契約対象物件に加え、駐車場、ATM等の障害、レクサス等車両検索対応等、膨大な障害対応物件数を2830箇所の緊急対処要員待機拠点で対応しているのである。

  • またこの方面における熾烈な開発競争は同時に大阪で開催された日本万国博覧会(Japan World Exposition、1970年3月15日〜9月13日の183日間)や、札幌オリンピック(1972年2月3日〜2月13日)によって培われてきた大規模イベント警備ノウハウとの決別を意味したという指摘もある。

昭和51年(1976年)頃三菱重工爆破事件をはじめとした連続企業爆破事件が発生し警備業者の設立が活性化。またビル建設ラッシュとも重なったため工務警備も活況を迎えた。

  • 1977年、セントラル警備保障アメリカ合衆国の企業と業務提携し多国籍展開が本格化していく。同年4月1日にはハイジャック防止法が施行、空港保安警備業務をはじめとした警備業の需要がさらに高まった。

  • 1978年には制服警官女子大生殺人事件をはじめとした警察不祥事で警察の不信感が高まったことも警備業にとって追い風となった。

【セコム】昭和52年(1977年)7月東京電力関西電力中部電力との合弁で、原子力防護専門会社、日本原子力防護システムを設立。

日本原子力防護システム - Wikipedia

1977年に原子力関連施設の安全を守る専門会社として、セコム・東京電力関西電力中部電力が共同出資して設立。主に核燃料輸送警備業務、発電所における防護システム設備の設置と維持管理、そして防護要員を配置した人的警備業務の3種のサービスを提供する会社へ発展し、現在ではデータセンターなどの原子力関連施設以外の分野にも進出している。

【セコム】同年10月、安全機器を自社生産するセコム工業を設立

大手警備サービス会社の中で警備用機器を製造する子会社を持つのはセコムだけだ。製造業は土地や生産設備などを保有する負担が重く、機器の開発・製造のために独自のノウハウを持った従業員を雇用し続けなければならない。他の警備サービス会社は電子機器メーカーに警備用機器を外注するのが一般的だ。

なぜセコムは製造子会社を持っているのか。その理由はセコムの歴史にある。

警備員が現場に常駐する手法がまだ主流だった1966年、セコムは機械による警備サービスを始めた。オフィスビルや商業施設に警報音が鳴る装置を付け、異常を感知すると警備員が駆け付けるようにした。労働集約型とされてきた警備業のイメージを一変させた。

契約件数も増え続けたが、問題もあった。機器が誤作動してしまい、必要もないのに警備員が現場に向かうという事態が頻発したのだ。とはいえ、センサーの感度を低くすれば、異常を見過ごしてしまう危険性がある。

製造元である電子機器メーカーに改善を何度も求めたが、メーカーの担当者は警備の現場をほとんど知らないため、要望がなかなか通らない。機械警備がまだなじみがない存在だったこともメーカーが本気にならなかった理由だった。

それならばと、1977年に当時の取引先だったOKI系列の機器メーカーを買収した。これが現在のセコム工業だ。

【セコム】昭和56年(1981年)1月、日本初の家庭用安全システム「マイアラーム(現セコム・ホームセキュリティ)」を開発・発売。遂に一般住宅用の機械警備が実用化が始まる。

綜合警備保障 - Wikipedia

ALSOKも1988年に「タクルス」を発売して一般家庭向けのセキュリティシステムに参入。2004年11月には「ホームセキュリティ7」を発売し、これまでのホームセキュリティ価格の約半額の月額4000円台を実現した。

以降「ホームセキュリティX7」やインターネット回線に対応した「ホームセキュリティα」などの新商品を開発し提供している。近年ではタウンセキュリティ(区域内全世帯にホームセキュリティを導入し、その区域内に警備員が24時間常駐し、常に住宅部・共用部等の巡回・警戒・対応等を行う街全体を警備 する体制)も展開している。

2012年には年齢やライフスタイルに合わせた商品・サービスを提供する個人向け新ブランド「HOME ALSOK」を立ち上げ、Web警備遠隔操作や画像確認サービスなどを新たに搭載した「HOME ALSOK Premium」や、空き家管理サービス「HOME ALSOKるすたくサービス」などの提供を開始。翌年の2013年には、ストーカー対策を目的とした女性限定サービス「HOME ALSOK レディースサポート」、賃貸住宅向けセキュリティシステム「HOME ALSOK アパート・マンションプラン」、高齢者向け緊急通報システム「HOME ALSOKみまもりサポート」もラインナップに加わり、社会や時代のニーズに応じた商品・サービスを提供している。

携帯電話を使用した駆けつけサービス「まもるっく」もあり、依頼を受けたガードマンがGPS位置検索により出動する。

昭和57年(1982年)、警備業法が改正され、国家資格として警備員指導教育責任者とともに機械警備業務管理者が設けられた。

  • 1970年代から1980年代にかけての電子技術の進歩による信頼性の向上などもあり、機械警備が一気に普及したのを受けての対応。

【セコム】昭和58年(1983年)12月、日本警備保障株式会社よりセコムに社名を変更

【セコム】昭和59年(1984年)KDDI前身の一つ第二電電(DDI、現・KDDI)立ち上げに関与。

セコム - Wikipedia

この為にココセコムはKDDIおよび沖縄セルラー電話の各auのネットワーク(CDMA2000 1xRTT)を使用している。

また成田国際空港のターミナルセキュリティを始めとする国内主要企業や施設などに常駐警備員または機械警備による警備業務を提供し、コンビニATMや銀行ATM等においても運営・管理の一部を担う。

警備・防犯機器等の研究開発等も積極に行なわれ、天井走行型巡回装置や、貴重品輸送ガードロボット、介護補助ロボット、屋外巡回監視ロボット、貴重品取扱店向け防犯煙幕発生装置、厨房ダクト設置型自動消火システム、据え置き型強化液消火器、インターネット用電子認証等がある。 

*1985年の通信自由化に始まる携帯電話の歴史にも最初から噛んでいる。

【セコム】昭和61年(1986年)12月人工知能等の基盤技術の研究を行うセコムIS研究所を設立

セコムIS研究所で行っている主な研究としては、セコムが提供する数々のサービスを支えるネットワークと計算機技術、防犯カメラの映像を高度に活用する画像処理技術、セキュリティ分野や介護福祉分野で人間をサポートするサービスロボット技術、サービスと受け手をつなぐヒューマンインターフェース技術とそれらを支えるセンシング技術、医療・福祉を支援する技術、リスクマネジメントに関する研究などがあります。

例えば、画像処理技術。現在、防犯カメラは価格も安くなり、店舗、オフィス、商店街など様々な場所に設置されています。しかしながら、カメラの設置台数が増えるにつれて、その画像の情報は膨大になり、その全てを人間が目で見て何かを判断することはますます難しくなっています。

防犯カメラが設置されること自体でも一定の抑止力は発揮されますが、さらなる安全・安心のためには、何かが起こることそのものを防ぐことが求められます。そのために、セコムIS研究所では、防犯カメラで撮影された画像の中から、リアルタイムにコンピュータがその場の状況を把握する技術の研究を行っています。その場の状況を的確に把握することができれば、警備員がすぐに駆けつけて現場を詳細に確認し被害の拡大を防ぐ、といったことも可能になります。

防犯カメラの画像から状況を把握するための技術として、通過するだけで人物の認証が可能な「ウォークスルー顔認証」、複数の人が行き交う場所で人がどこに移動しているのかを常に把握する「トラッキング技術」、人がその場所で何をしているのかを知る「姿勢推定技術」などの研究をしています。

セコムIS研究所では、これ以外にも情報セキュリティ分野でなりすましなどの犯罪を防ぐ認証技術や、セキュリティ機器などが安全に情報をやりとりするための無線通信技術、安心な医療を提供するための診療情報の分析など、多岐にわたるフィールドで社会との接点を密に保ちながら、お客様に喜ばれる新しいサービスや商品の中核技術を世の中に先駆けて創ることに全力で取り組んでいます。セコムグループがめざす「社会システム産業」を実現すべく、セコムならではの研究を今後も行っていきます。

【セコム】平成3年(1991年)6月、無菌調剤室を備えた調剤薬局を開設し、在宅医療サービスの一つとして、自宅で点滴治療を受ける患者へ薬剤供給するサービスを開始

【セコム】平成10年(1998年)7月、日本初の画像センサー利用のオンライン画像監視システム「セコムAX」を開発・発売

「セコムAX」が"セキュリティの概念を革新したシステム"と言われるゆえんは、「画像センサー」にあります。

これまでのセンサーは、扉や窓の開閉や破壊、人間の体温などで侵入者を検知し、異常信号をコントロールセンターに送りますが、画像センサーは侵入者のみを検知し、画像と内蔵のマイクで拾った音声をコントロールセンターに送ります。

このように、コントロールセンターでは異常発生と同時に侵入状況を画像と音声で正確に、そして迅速に把握できるので、現場に急行する緊急対処員への指示も迅速・適切に行うことができ、警察への通報も早くなります。

「セコムAX」は夜間無人時だけでなく、営業中など有人時でも「非常ボタン」が押されれば、画像と音声がセコムに送信され、迅速・適切に対処します。

このとき獲得した画像センシングによって侵入者を検知するという技術は、以後のオンライン画像監視システム「セコムIX」、屋外巡回監視ロボット「セコムロボットX」、通報ボタンを使わずに強盗などの異常を自動検出する「インテリジェント非常通報システム」などに生かされています。

この画像センシング技術は日本はもとより世界的にも例がなく、発売から14年たった現在も追随するシステムは現れていません。

【セコム】2001年 3月、移動する人物・車両向けセキュリティサービス「ココセコム」を開発・発売
セコムの【ココセコム】|GPSによる外出時の防犯・安全管理、車・バイクの盗難対策に

セコムの提供する、GPSによる位置情報提供および現場急行サービス。車、ペット、子供など、目的の対象に専用の端末を携帯させることにより、電話やホームページでいつでも対象のいる位置を確認できる。また、緊急の際には、セコムの緊急対処員が現場へ急行する。

【セコム】2005年10月、日本初の屋外巡回監視ロボット「セコムロボットX」を発売

広大で死角の多い敷地内への不法侵入を監視するには、警備員による巡回警備では多くの人員が必要となります。また、監視カメラでは膨大な数のカメラが必要で、高コストになることから、警備員と監視カメラの機能を併せ持ったロボットを開発することにしたもので、次のような機能を持っています。

https://www.secom.co.jp/isl/research/ps/report01/img3.jpg

  • 広大な敷地を効率的にかつ俊敏に走行…あらかじめプログラムされたスケジュールに従って、決められたコースを人間の歩く速度で巡回しながら監視。不審者を発見したときは、管制室からの遠隔操作で巡回コース以外でも人が小走りで走る速度(時速10km)で走行し、追跡します。

  • 死角や危険箇所も確実に監視…固定カメラや人の目では死角になる場所や人が立ち入るのが危険な区域も、昼と夜で自動的にモードが切り替わる360度全方位カメラと、20m先の人の顔を識別できるズームカメラを使って確実に監視します。

  • 威嚇によって犯罪を抑止…不審者を発見したときは、管制室からの遠隔操作で音声威嚇・ライトの点滅・搭載の発煙装置による威嚇を行い、犯罪を抑止します。

  • 人や車の出入りを監視…施設の出入り口に配置することで、出退勤の社員や来訪者、登下校の生徒、車両などの監視を行い、人や車のナンバーを画像で記録します。

このように、「セコムロボットX」は広大な敷地を効率的に巡回するだけでなく、暗闇でも人影を見逃さない高い能力を持っていることから、常駐警備員と共に広い敷地を持つ工場やショッピングセンター、学校、遊園地などで、不法侵入の防止と犯罪の抑止に貢献しています。

セコムが培ってきたセキュリティのノウハウと、IS研究所が積み上げてきたセンシング技術、画像処理技術、メカトロニクス技術、マンマシーンインターフェース技術の研究成果が凝縮された「セコムロボットX」。セキュリティの分野でも「実用的なロボット」であることを証明しました。

【セコム】2010年8月、セコムトラストシステムズが最高クラスのセキュリティを完備した「セキュアデータセンター」新館を開設、サービスの提供を開始

セコムは2000年12月からインターネット社会の「安全・安心」を支えるため、物理的セキュリティと情報セキュリティの両面で最高クラスのセキュリティを誇る「セキュアデータセンター」サービスを提供してきました。

そして、昨年グループ入りした株式会社アット東京(本社:東京都港区、社長:中村 晃)が保有するデータセンターを含め、総床面積23万㎡を越える国内最大規模のデータセンター事業者として、質の高いサービスを提供しています。
*2012年10月、国内最大規模のデータセンター事業会社であるアット東京を連結子会社化。

今般セコムは、東日本大震災や今後発生が予測される南海トラフ地震を背景に、ますます旺盛な需要に応えるため東京、大阪の2拠点に、さらに新たなデータセンター(合わせて最大1,500ラック)を開設します。特に大阪への進出により、アット東京を含めた首都圏のお客様のバックアップニーズに対応可能となるとともに、セコムのデータセンターサービスを関西圏のお客様へも提供できることとなります。

今回開設する「セキュアデータセンター」は保有するデータセンターとネットワークで接続し、これまで同様にセコムが独自に提供する「情報セキュリティサービス」や「BCP・災害対策サービス」などの各種サービスをご利用いただけるようにすることで、データセンター事業のより一層の業容拡大と価値向上を図ってまいります。

今後もセコムはデータセンターを各種サービスの中枢機能である"サービスセンター"と位置づけ、社会にとって不可欠な、高付加価値と安全性を持つ新たなサービスを創造し、「安全・安心」で「快適・便利」な社会の実現に向け、邁進してまいります。

*まさにインターネットのトラフィック増大に歩調を合わせての進出といって良い。

【セコム】2010年9月、通報ボタンを使わず、強盗を自動検出する「インテリジェント非常通報システム」を発売

報道資料 2010年度版 - 8月31日 - セキュリティ(防犯・警備)のセコム

2009年中の強盗事件の認知件数は4,512件で、2008年中に比べ5.5%増加(警察庁調べ)しています。犯罪強要物別にみると、刃物類を使ったケースが全体の35.8%と最も高く、そのほかにも銃器や刀剣類が使われることもあり、凶悪化していることが伺えます。

また、オフィスや店舗、金融機関などで発生している強盗事件は、従業員数が少なくなる閉店間際や深夜に起こることが多いなど、さまざまなケースがあります。従来の強盗対策のセキュリティシステムでは、異常に気づいた職員や店員が警察に通報、セキュリティ会社への非常通報ボタンを押すなど、人による操作が必要であり、状況に応じて訓練どおり操作を行うことができず、通報が被害発生後になってしまうケースもありました。そこで、社員・店員・来客者の安全性の確保ができる、より効果的な防犯対策が求められていました。

このたび開発したセコムの「インテリジェント非常通報システム」は、セコムが得意とする画像処理技術や音声処理技術を用い、弊社のオンライン安全システムと接続することで、操作を必要とせず、強盗の早期自動検知と早期対処を可能にしました。

本システムは、弊社が提供するオフィスや店舗の侵入異常検知や火災監視などをトータルに提供するオンライン安全システムや、店舗内に異常が発生した場合に遠隔で画像監視を行う双方向遠隔画像監視システムと組み合わせることで、オフィスや貴金属店、コンビニエンスストア、金融機関など、金庫や重要物のある施設に、よりハイグレードなセキュリティを提供できると考えています。

【セコム】2011年12月、日本初の写真や身分証明書などの情報を預かる「セコム・ホームセキュリティ G-カスタム」を発売

報道資料 2011年度版 - 12月14日 - セキュリティ(防犯・警備)のセコム

「セコム・ホームセキュリティ G-カスタム」は、ご家庭内に設置されているホームセキュリティシステムの操作盤、ホームコントローラーをこれまでのボタン操作式からタッチパネル式の10.4型カラー液晶モニターに変更。そして、センサー、ライト、監視カメラ、無線機が一体となった「センサーライトカメラ」をホームセキュリティに付加することで、カメラが撮影・録画した映像をホームコントローラーで確認できる「ホームモニター機能」を搭載しました。

また、東日本大震災で起きた、家族の写真や身分証明書、服用中の薬の情報などがなくなったことで大変困られました。こうした個人情報や重要なデータの流出・紛失を教訓に、今後このようなことが起きないよう、お客様の個人情報をセコムの情報系グループ会社であるセコムトラストシステムズ(株)が運営する「セキュアデータセンター」でお預かりする、「データお預かり機能」を開発。

さらに、セコムの情報セキュリティのノウハウを使い、セコムグループやセコムが提携する企業によるさまざまなサービスを安心してご利用いただける「オンライン便利機能」もホームセキュリティに付加しました。このほかにも、生活をより豊かにしていただける機能として、「セコム・ホームセキュリティ G-カスタム」を導入されているご家族間でデータセンターに預けた写真や伝言メモを共有できる「データ共有機能」や、

「伝言メモ機能」、ホームコントローラーをフォトフレームにできる「フォトフレーム機能」も新たに追加しました。

「セコム・ホームセキュリティ G-カスタム」は、従来のホームセキュリティの基本機能である防犯、火災監視や救急通報(オプション)といった防犯・防火や救急サービスに加え、離れて暮らすご家族間で情報共有できるサービスなどを付加した画期的なホームセキュリティシステムです。セコムは今まで以上に、お客様により「安全・安心」で、そして便利で快適な暮らしを提供していきます。

【セコム】2013年4月、大手介護事業会社2社と協業し、高齢者救急対応サービス「セコム・マイドクタープラス」を発売

セコムはこれまで、セコム・ホームセキュリティのユーザー向けの救急通報サービスとして、ペンダント型端末を使う「マイドクター」や、携帯電話機能を併せ持つ端末を使う「マイドクタープラス」などを展開してきた。

しかしこれらの端末は、ユーザー自身が握ったり、ストラップを引っ張ったりという操作が必要だった。同社社長の中山泰男氏は「高齢者が転倒した時や、脳梗塞心筋梗塞といった急変時は、端末を操作できない状況にある。今回発表したマイドクターウォッチは、センサーを組み込んだウェアラブル端末をユーザーに装着してもらうことで、そういった状況を自動で検知し、救急通報を行えるようにした」と語る。

明らかに「機械警備」 導入辺りから別次元に突入した感があります。

機械警備 - Wikipedia

警備員・守衛や用務員を置かず、代わりに警備対象施設にセンサーを設置して建造物侵入や火災等の異常を機械で察知し、その発報を遠隔地で受信し、警備員が現場へ急行し初期対応をとる形態の警備業務のことを指す。

  • 法的には、警備業法第2条第5項に「警備業務用機械装置(中略)を使用して行う第1項第1号の警備業務」(「第1項第1号の警備業務」とは、いわゆる施設警備業務)として定義されている。

  • 警備業務用機械装置とは、上記にあるセンサーおよび受信機のことであるが、受信機は警備対象施設の外部(通常は警備業者が設置する基地局)に置かなければならない。 受信機を警備対象施設の内部に置くと、それを監視する警備員も施設内部に常駐することとなり、機械警備業務ではなく通常の常駐警備業務とみなされる。 機械警備業務とは、あくまで警備員が警備対象施設外で待機し、異常発生時のみ車両等で現場へ急行する形態の警備業務である。 大手は最古参にして業界最大手のセコム(旧日本警備保障)、そしてライバルのALSOK(綜合警備保障)などである。夜間無人になる公共施設などに広く普及しており、特に学校と金融機関の普及率が高い。目的としては、侵入者を退散させるのではなく、異常を早期に発見・通報し被害の拡大防止をはかるダメージコントロールが基本姿勢である。

  • 近年は機械警備の普及により、施設内に警備員を常駐させる形態の警備業務は減少傾向にある。これに伴い、建造物の設備(貯水槽の満水、減水、および銀行のATMコーナーの自動開店、閉店など)を警備会社が遠隔で監視、制御する例も増えている。また、防犯用機器と電気錠の施錠、エレベータの停止階の制御、照明や空調装置の停止等を連動させている例もあり、これらも機械警備の分野の一つである。

  • 尚、近年では一般に浸透してきた一般住宅用機械警備、所謂「ホームセキュリティ」も一号警備業務に含まれる。(機械警備の部類)

機械警備に関する努力義務(警備業法)…警備業法によれば、機械警備業務を実施するにあたっては、警備会社がセンサー等で異常発生を覚知してから遅くとも25分以内に警備員を現場に到着させ、もしくは速やかに都道府県警察に通報して司直の介入を仰ぐことが「努力義務」として規定されている。これは、あくまでも努力義務ではあるが、この努力義務を怠った結果として、現場への警備員の到着が極端に遅延したために盗難等の犯罪被害が拡大した場合は、警備会社が民事上の責任を問われることもありうる。

センサーの進歩

初期からあった防犯用センサーは、窓や扉の開閉を感知するものであった。

  • 当時はセンサーの種類が少なく、信頼性を高めるためには、ほぼ全ての窓や扉にセンサーを設置する必要があった。そのため保守に手間がかかり、例えば学校なら、設置箇所も、家庭科室と保健室やコンピューター室と校長室や職員室など、貴重品の置いてある場所に限られ、一般の教室には設置しないことが多かった。

  • 少し遅れて現れたセンサーとしては、窓を叩いたら、振動で感知するといったものがあった。しかし、窓にボールが当たる、地震が来るなど、どのような振動でも感知してしまい、警備業者はその誤報の多さに苦しんだ。しかし、このセンサーの失敗は、後に圧電素子を利用した改良型ガラス破壊センサーの開発へとつながっていく。改良型は、ガラスが破壊される際の振動(他の振動とは周波数で区別)だけを感知できるもので、旧型と比較して大幅に誤報が減り、広く利用された。

その後、侵入犯の巧妙化に対応して、機械警備も、精密化していく。

  • 機械警備業者は、センサーの死角を減らし、かつ、誤報も減らすために試行錯誤を繰り返した。その過程で作り出された失敗作のセンサーには、風が吹くだけで感知してしまうものや、近くで音が鳴っただけで感知してしまうものさえもあった。

  • 現在、最も広く利用されているセンサーの一つとしては、赤外線センサー(受動型)がある。これは廊下の天井などに設置し、下を温かいもの(赤外線を出すもの)が通過したら、センサーが反応するもので、侵入者の体温を感知しようとしたのである。このセンサーは人間の体温という隠しようのないものを感知することで他のセンサーの盲点をカバーできるため、機械警備の信頼性を向上させるために大いに役立った。しかし、これにしても、鼠が通過してもセンサーが感知する、ファックスが送信されてもセンサーが感知するなど、誤報による警備会社の不必要な出番を却って増やす結果にもなっており、現場の警備員には嫌われている。

警備会社は、機械警備と併用して、夜間数回契約先を巡回するなど、機械警備で不足している点は人手で補うという対策をとっており、これはセンサーの信頼性が高くなった現在でも行なわれている。

 全体像を俯瞰してみると、意外と「妖精のイメージの変遷史」と似てる気もします。
*もしかしたら偶然の空似ではなく「宗教に吸い上げられなかった信心/実存不安への対抗策が独自発達してきた結果」みたいな展開構造が相似してるせいかもしれない。そもそも発想の根幹にあるのはどちらも「近隣に不気味な場所があって脅かされるのが怖い」とか「暗闇怖い」みたいな本能的原始感情だったりするし。

さて、私達は一体どちらに向けて漂流しているんでしょうか…