諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「蜘蛛の待つという戦略」と「蜜蜂となる戦略」

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はてなブログアクセス解析によれば、私のブログは時々「蜘蛛の待つという戦略」なるキーワードでWEB検索に引っ掛かっている様です。対象はこの投稿。

 おそらく検索した当事者にとっては明らかに関心対象外の話題。逆検索を掛けてみたら、こういう話題が引っ掛かってきました。

我が家には、2種類の蜘蛛がいます。

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1種類目の蜘蛛は、家の外に大きな蜘蛛の巣を張り、飛んでくる虫をからめ取って捕獲する蜘蛛です。蜘蛛と聞いて誰もが想像する蜘蛛です。

  • この蜘蛛、ただ闇雲に蜘蛛の巣を張っているわけではありません。ちゃんと計算して、虫がよく飛んでくる場所を選んで蜘蛛の巣を上手く張ります。

  • 虫の習性を理解しており、その習性を利用して捕獲します。その習性とは、『明るいところに集まる』というもの。

  • 夜の街灯や、家の窓に虫が張り付いてますよね?あれは、光に集まるという虫の習性なんです。

  • そして、その習性を理解している蜘蛛は、街灯の周りや家の窓の近くに、蜘蛛の巣を張ります。そうすれば、光に集まってきた虫が、そこに蜘蛛の巣があるとは知らず飛んできて、蜘蛛の巣に引っ掛かり、からめ取られるのです。

  • 蜘蛛は、虫が飛んでくるところに巣を構え、後はひたすら待つのみ。そのまま放置していれば、勝手に向こうから飛んできて餌にありつけるのです。

一方、もう1種類の蜘蛛は、家の中にいる蜘蛛。自由に飛び回り、常に徘徊しています。この蜘蛛は蜘蛛の巣を張りません。蜘蛛の糸は出すのですが、それは、高いところから移動したりするときに使うぐらいのものです。

  • 家の中を部屋から部屋へ移動し、室内いにいる小さな虫を捕獲します。この蜘蛛も虫の習性を上手く利用して虫を捕獲します。

  • 人の住む家には明かりがつくのはもちろん、食物も豊富にあります。その上住み心地もよく、虫にとっても、快適なんです。

  • 明かりがついていれば、ドアや窓が開いた隙に室内に入り込み、家中を飛び回っては、食べ物を探して回ります。特に小バエはよく見かけますよね。

  • そうやって、人が住んでいる室内に虫が集まるということを理解しているこの蜘蛛は、部屋の中をパトロールするように自由自在に駆け回り、飛んでいる虫を上手に捕獲します。

  • もし、この蜘蛛が室内に蜘蛛の巣を張って、飛んでくる虫を捕まえようと思っても、ほとんど捕獲することはできないでしょう。

  • 飛んでくるのを待つのではなく、自ら虫が集まるところに行って、餌を捕獲します。

この2種類の蜘蛛の獲物を捕獲する戦略は、そのままビジネスにおいて『顧客を獲得する戦略』に当てはめることが出来ます。 

関西学院大学を卒業後、1955年、早川電機工業(現・シャープ)に入社。取締役、常務取締役、専務取締役を経て、1986年、第3代社長に。

社長就任後は世界に先駆け液晶ディスプレイ事業を立ち上げ、ビデオカメラの「液晶ビューカム」、電子手帳の「ザウルス」、液晶プロジェクターの「液晶ビジョン」など、次々とヒット商品を生み出した。

座右の銘は「考動」。考えに考えて迅速機敏に動くという意味で、本人の造語という。掲出も、そんな辻氏らしい言葉といえる。

シャープは今、経営再建の途上にある。液晶事業への巨額な設備投資を進めたものの、リーマンショック液晶テレビの売り上げが落ち込み、その一方で中国や韓国の家電メーカーの台頭で価格競争に巻き込まれ、シェアを落としたのが原因といわれる。

決して前途は明るいとはいえない状況が続いているが、日本を代表する家電メーカーとして、それまでになかった商品を次々と生み出してきた同社だ。蜜蜂のように自ら求めて動きまわり、ぜひともかつての好調さを取り戻して欲しいものだ。

性的共食いから自己犠牲まで、奇怪な性癖をもつクモ。そしてこのたび、新しい研究によって、メスの交尾器を破壊するクモがまた発見された。

自分が確実に父親になるために、オスが競争的な繁殖戦略をとることは、クモの世界ではごく普通に見られる。交尾のあとでメスに化学物質を渡してほかのオスへの魅力を減らすオスもいれば、メスの交尾孔をふさぐものすらいる。

だが、今回の研究を行った京都女子大学の中田兼介教授によれば、メスの交尾器の破壊は最近になって見つかった行動だという。

「私とキタコガネグモダマシのチームは、オスが確実に父親になるためのこれまで知られていなかった戦略を別々に発見していました。おそらく、この戦略はコガネグモ科では広く行われているのでしょう」と中田氏は言う。
*研究者の名前が「中田氏」という辺りでのけぞったのは秘密。

もしかしたら、例えば「角川商法」の解析あたりには、こうした観点の導入が不可欠かもしれません。

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角川文庫 - Wikipedia

角川源義が社長の時代は岩波文庫新潮文庫に伍する文庫として「文芸路線」を掲げ、夏目漱石森鴎外芥川龍之介など近代日本文学のほか『源氏物語』『平家物語』など古典を収め、外国文学でも多くの古典作品を揃えていた。しかし父角川源義の死去により角川書店社長となった長男・角川春樹は、社長に就任した1970年代後半から「大衆路線」へと大きく路線を変更。

自社が発行する小説を原作に映画を製作。大規模な宣伝で映画と書籍の相乗効果を狙うメディアミックスが話題となった。この方法は現在も踏襲されており、海外の映画のノベライズが代表的(但し、映画化などに合わせて「大衆路線」とは一概に言えない傾向の文学作品が刊行されることもある)。

1993年8月29日に角川春樹が麻薬事件で逮捕され、弟の角川歴彦が後継社長に就任した頃から、大衆路線を維持しながらも、かつて出版していた古典作品の復刊が行われ、若干の古典回帰が図られて現在に至っている。
*逮捕直前には角川春樹当人が自ら監督・脚本を手掛けた「REX 恐竜物語(公開1993年7月3日)」を「ジュラシック・パーク(Jurassic Park、日本公開1993年7月17日)」と同格の存在と見せ掛けるのに成功していた。こうした大衆動員力に「国民国家間の競争」に基調を置く総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の衣鉢を継いだ「商業至上主義(1960年代〜1990年代)」の典型的足跡を見てとる向きもある。

 そういえば1980年代を席巻したマイケル・ジャクソンとかデビッド・ボウイの様なカリスマ系アイドルにも独特の「捕食者(Predator)」っぽい雰囲気がありました。


角川商法と重なってくるのは平井和正石ノ森章太郎幻魔大戦(原作1967年〜、アニメ化1983年)」荒俣宏帝都物語(原作1985年〜、映画1988年)」あたり? 大友克洋Akira(原作1982年〜1990年、アニメ化1988年)」や士郎正宗攻殻機動隊(原作1989年〜、アニメ化1995年〜)」の世界観とも重なります。伊藤計劃虐殺器官(Genocidal Organ、2007年)」「ハーモニー <harmony/> (2008年)」辺りに継承されていった流れとも。
*ある意味、次第に「捕食する側」と「捕食される側」の関係が錯綜して迷走していく様が凄まじい。

こうした「20世紀的時代層」とインターネット普及によって広まった「20世紀的時代層」の狭間に存在した徒花が「新世紀エヴァンゲリオン(TV版1995年、旧劇場版1996年〜1997年)」だったとも。

トラフイック向上によって次第に現在支配的な「マルチメディア系インターネット」への置き換えが始まるのが2000年代後半以降。その間にも様々な動きがあった事が見て取れます。

*そして国際SNS上の関心空間では遂に「Milking」なる概念が登場。これは「自分の見たいタイプのコンテンツにお金を落とし続ける事によって、消費者はその路線の淘汰の一助となり得る」といった考え方。実に怖いのが、SNS経由で他者動向が概ね把握可能な辺り。かくして「無駄金」を使いたくない人々はどんどん「(最初から「集票」が期待出来そうにない)将来性のないコンテンツ」には次第にお金を払わなくなっていく。

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さて、ここで改めて「エンターメント業界における蜘蛛や蜜蜂は何を捜し求めてきたのか?」という話題に立ち還らないといけません。一言で言えばそれは「(低エントロピー状態をもたらしてくれる)距離のパトス(Pathos der Distanz)」だったのではなかったでしょうか?

ニーチェの用語。彼によれば人間類型は,強さと弱さ,偉大と卑小,高貴と低劣などに応じて2分されるが,前者が後者に身を引下げるのではなく,あくまでも後者に距離をおき,わが身を保持しようとするパトスのこと。人類の向上もこれによってのみ期すことができるとされ,したがって同情をきびしく退ける貴族主義的思想が展開されることになる。

  • 例えば「権威主義父親と反抗的息子の対峙」「貧富格差の実存」といった伝統的対立図式は立派な低エントロピー状態の一種。梶原一騎はこれに立脚する形で「巨人の星(1966年〜1971年、アニメ化1967年〜1979年)」「タイガーマスク(1968年〜1971年、アニメ化1969年〜1971年)」「あしたのジョー(1968年〜1973年、アニメ化1970年〜1971年、1980年〜1981年)」といったスポ根物を発表したが、前者は1980年代に入ると。後者はさらに1970年代に入ると次第に「風化」を余儀なくされていく。

  •  産業革命導入期、英国においては「砂糖入り紅茶と白パン」、日本においては「白飯」が労働者から勤労意欲を引き出したが、世代を重ねてそういう食事が当たり前のものになると「関心の多様化」が始まった。そしてさらに彼らを「大量生産・大量消費時代の消費者」として動員する為に「Fish & Chips」「牛缶」の様な商品が開発されていく。

  • 日本において卵が庶民でも毎日食べられる様になり、ドミグラソースやホワイトソースのルーや特農ソースが大量生産される様になった1960年代はTV普及期とも重なっており、スポーツ観戦の習慣が根付いた事が「スポ根ブーム」登場の前提となった。またビニールやプラスティックの様な加工の容易な素材が登場して玩具の「現物再現性」が高まり始めるのもこの時期とされる。

  • こうした「(消費者を消費行動に誘う)物欲を刺激するメソッド」の充実と(「国民国家間の競争」に立脚する総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の衣鉢を継ぐ)商業至上主義時代(1960年代〜1990年代)の加速が1980年代から1990年代初頭までを彩ったが、バブル崩壊(1991年3月〜1993年10月)を契機として同じく「風化」を余儀なくされる。

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それでは本当に一見どうしようもないほどエントロピーが高まってしまった状態(擬似熱力学的死状態)に辿り着いてしまったら、どうしたらいいのでしょう? そのヒントは案外「ドミグラスソースの味の画一性に成長限界を見出したフランス料理は(煮詰める前の)フォンド・ボーに立ち返った」といったエピソードあたりに隠されているのかもしれません。

もう一つの施策が「ロングテイル・キーワード」を探すというもの。

ビッグワード

検索ボリュームの大きいキーワードをビッグワードと言います。例を挙げると、「お茶」、「化粧品」、「ビール」など、検索ボリュームの大きい1単語でのワードが分類されます。

スモールキーワード

一方で検索ボリュームの小さいキーワードをスモールキーワードと言います。ビッグワードと比べてボリュームの小さい「掛川深蒸し茶」、「無添加化粧品 通販 」などが分類されるかもしれません。

ニッチキーワード

競合が少なく、検索ボリュームがそれなりにあるキーワードをニッチキーワードと呼びます。ニッチキーワードは上位表示への難易度は低く、競合となるコンテンツが現れるまでは安定した集客を行う事ができます。

ロングテールキーワード

ロングテール理論は、2004年10月に米WIRED誌の編集長だったクリス・アンダーソンによって提唱された理論です。

Amazonのような膨大な商品を取り扱うウェブサイトの場合、売上の中心になるのは、ミリオンヒットした書籍からの売上ではなく、年に一度程しか売れないニッチな書籍が全体の8割りを占め、残りの2割りがミリオンヒットやミドルヒットした商品で売上が構成されています。横軸に商品名(書籍名)、縦軸に売上を示したグラフでみると、長い尻尾(テール)のように見えることから「ロングテール理論」と呼ばれるようになりました。

このロングテール理論をウェブサイトのアクセスキーワードに当てはめたのがロングテールキーワードです。Amazonのは各ページニッチキーワードで上位表示されているため、各ページの集客数は少なくてもウェブサイト全体の集客数は膨大なものになります。もちろん、集客するキーワードは購入につながりやすい商品名などの絞り込みのされたキーワードのため、目標達成志向(コンバージョン)も高まります。一つのキーワードの集客数は少なくても、多くのページを異なるキーワードで最適化し、集客する方法をロングテールSEOと言います。

 要するに適切なジャンル分けによって、安定した参照が期待可能な新たな「ニッチキーワード」を抽出しようという考え方ですね。「蜘蛛の待つという戦略」でも「蜜蜂となる戦略」でも採用可能な考え方です。

なんかこれ「狐と狸の化かし合い」めいた世界観ですなぁ…