諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】音楽は戦場では武器となる?

リアリズム(Realism、現実主義)って、一体何なのでしょう…「ある時期正義とされていた事が後世悪と認定され、当時悪とされていた事が正義なる認定を受ける事」?

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それにつけても本物のスコットランドハイランダー恐るべし…

ちなみに日中戦争開戦前夜の上海塹壕戦では「対峙する日本兵厭戦気分を煽る為に」ジャズが大音量で鳴らされ、その一方で日本兵野村胡堂銭形平次捕物控(1931年〜1957年、TVドラマ化1966年〜1984年)」を読み耽っていた為、条件付けからこんな「三味線ジャズの名曲」が誕生する事になったとも。



エドガー・スノーも「アジアの戦争 (The Battle for Asia、1941年) 」の中で、この「あらゆる日本兵が戦場において、まるでバイブルの様に「銭形平次」を読み耽っている」情景を取り上げ「(次第に虐殺と戦争犯罪が時と場所を選ばず日常化していく)当時の日本兵にとって「相応の情状酌量の余地さえあれば、決して人の罪を問わぬ」銭形平次は、まさしくイエス・キリストその人だったのだ」と推察している。

*そもそも「岡っ引きを主人公とする捕物帳」の起源は「私立探偵シャーロック・ホームズ」にインスパイアされた岡本綺堂「半七捕物帳(1917年〜1937年)」であり、その世界観において「シャーロック・ホームズ=半七」は「(公務員そのものではない)私立探偵=岡っ引き」は故に様々な超法規的判断を遂行する。野村胡堂銭形平次が、その側面において「より日本人好みの判断を徹底する事によって、モデルに選んだオリジナルの半七より人気を勝ち得たキャラクター」であった事実は動かない。ならばここでいう「(西洋から外挿された)イエス・キリストの精神」はどう規定されるべきなのだろうか?

*実は「ジャズが敵性音楽とされた」1943年までには随分と間がある。 その間に何があったのかもちゃんと検証されなくてはいけない。

想豫された戦争」と「現実の戦争」は、こんなにも違うのだ?