何度でもリツィートだ。どうせフォロワー数の削減操作されてるんだし。そんなに私が怖いのかね?まぁ、この先政府にたてつく時は国連をバックにするからね。昔の警視総監も奴の友達だし。甲状腺の件では水俣病の時のようにごまかしはきかないからね。見てろそのうち、ひっくり返してやるからね。 https://t.co/OTecB48GJJ
— おゆうさん (@ikarostayuu) 2017年6月25日
日本もそろそろ国際トレンドに従って「急進左派と中道左派の分裂が進行して前者が急進右派、後者が中道右派との合流を果たしていく」流れに差し掛かりつつあるのかもしれません。要するに「現状肯定派(漸進支持派)」と「(諸派に分裂して「内ゲバ」を繰り返しつつ現状肯定派(漸進支持派)壊滅作戦では共闘する)現状懐疑派」が対峙し合う状況への確実な推移。
①前者の紐帯の中心は「(第三世代フェミニズムに典型的な形で見られる様な形での)多様性の尊重」、後者の紐帯の中心は「(宗教右派と共闘する道を選んだウルトラ・フェミニズムに典型的に見られる様な形での)他人の自由に対する非寛容」とも。
②そもそもこうした歴史的流れには確実に、科学的マルクス主義が説得力を失って左翼陣営が「民族左派」「環境左派/人権左派」「反戦左派」みたいな極左と極右のキメラが雨後の筍のごとく台頭した20世紀後半の展開が生んだ当然の帰結という側面が存在したりする。
「共産主義圏の解体」とは、要するにその全盛期に徹底的に弾圧された「極右思想」の復活でもあったのである。
「民族左派」…ソ連を中心とする冷戦時代の共産主義圏は帝政ロシアやハプスブルグ君主国やオスマン帝国といった多民族帝国の解体の産物。「(分離主義の温床となる)民族主義」は科学的マルクス主義の主導する輝かしい国民統合過程を阻害する「克服すべき旧悪」という認識だった。
*そもそもここでいう「民族主義」の起源は(欧州二月/三月革命(1848年〜1849年)に便乗しての)これらの地域におけるナショナリズムの高まりだった。そこにこの問題を複雑化させた元凶も潜んでいる。桃太郎は犬、猿、雉をお供に鬼ヶ島に向かいました。
— 社畜昔話 (@mukashi_sya) 2017年6月25日
人間は人件費が高いし、同じ種族で固めると労働組合を作られてしまうからです 。
「環境左派/人権左派」…共産主義諸国は、独自の国家運営形態を追求する過程でカール・マルクスがフォイエルバッハから継承した「人間解放論」を切り捨て、代わりに当時米国資本主義を主導していた「タイラー主義」などを採用。その結果切り捨てられた「公害問題の深刻化」「(先住民の土地簒奪といった)マイノリティーの人権侵害」に拘泥する事など、その全盛期には決して許される事ではなかった。
*実際「環境左派/人権左派」は今日なお「ポルポト派がカンボジアでベトナム系市民に対して遂行したホロコースト」や「チベットやウイグルにおける中国共産党の横暴」については黙殺を続けている。まぁ所詮は「キメラ」だから仕方ない?「反戦左派」…これはさらに根深い問題で、その病根は欧州における社会民主主義勢力が第一次世界大戦遂行に協力し、彼らの現実主義を嫌ったソ連やコミンテルンが「社会ファシズム」のレッテルを貼った時代にまで遡る。その結果イタリアでは(共産党から「そのイデオロギーが社会民主主義に毒され過ぎている」として追放された)ムッソリーニが逆に共産主義勢力に勝利し、ドイツでは「ヴァイマル共和制からナチスへの政権交代」に当たって(スパルカタス団残党や革命的オップロイテといった)急進左派や共産主義勢力が協力し、その後切り捨てられるという番狂わせが起こったのである。
*歴史全体を俯瞰してみると彼らの台頭そのものが「軍靴(全体主義)の足音」に他ならなかったという皮肉。日本における福本イズム同様に「(何が正義か決定する)党争をこそ現実の政治的課題解決より優先すべきである」としたカール・シュミットの「例外状態」政治哲学が、ナチスでなく(大統領内閣制に推移した)ヴァイマール共和制を擁護する為に発表されたという絶望感…
③要するに共産主義圏崩壊には「自由主義/資本主義圏を壊滅させる為にバラ撒いてきた戦略的プロパガンダ」に自ら感染する形で進行したという側面も存在したという次第。
ほんとサヨク、オモチャを遊んでは放り投げ、遊んでは放り投げの子供みたい。最後まで面倒みろってw
— みちアキ (@tmichiaki) 2017年6月25日
中核派がある意味で駄目になったのは、いってよければ1970年の華青闘による日本の新左翼の告発に屈したことではないか。華青闘は、世界革命を掲げる日本の新左翼を「ナショナリスト」だと批判した。むろん華青闘告発にはいろんな見方があるが、現在の中国の覇権主義の尖兵だったといえなくもない。
— 千坂恭二 (@Chisaka_Kyoji) 2017年6月25日
革命の思想は、どれほど精緻で緻密な理論になろうとも、本質的にカテキズム的な様相を持つように思う。その意味で、進歩や保守の思想よりも革命の思想は反動の思想と裏返し的な双生性を持つかもしれない。また、そこが革命の思想の、研究や評論との決定的な違いだろう。
— 千坂恭二 (@Chisaka_Kyoji) 2017年6月25日
この展望のない閉鎖的なグローバルな現実において、ある種の希望は、今、東京都内を日々走っている外山恒一君の九州ファシスト我々団の東京遠征の街宣車ではないか。その活動は、ユーモアとイロニーのアジテーション・テロであり、その影響力はまだ僅かなものだが、それゆえにまたその存在は力強い。
— 千坂恭二 (@Chisaka_Kyoji) 2017年6月25日
*別に外山恒一の意見を全面肯定する気持ちはないが「1970年代後半から1990年代前半にかけての新左翼と旧左翼の野合ブームが現在のリベラル層の閉塞感を生み出した」とする指摘には相応の鋭さが存在する。
これがある種の「政治的ニヒリズムの横行」である事実は動かない?
- 欧州においてそれは概ね「(若者に全ての犠牲を皺寄せする形で理想の老後を過ごそうと目論む)老害層」と「(彼らが墨守しようとしている制度矛盾に全てを奪われつつあるとして激怒している)憤青層」の世代間対立という形をとりつつある様に見える。
都民ファーストはかなり行きそうだけど、世代の違いが出てるのが興味深い。都民ファは中高年齢層を中心に26.7%、自民は30代以下の若年層を中心に25.9%。/都議選JNN世論調査、都民ファーストと自民が激しく競る https://t.co/JXzJu5GwBR
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2017年6月25日 - アメリカにおいては「一見昔を懐かしむメディア・リテラシーの低い連中を(思想の左右に関わらず)派手なアジテーションやフェイク・ニュースなどで大量動員して喜んでいる様に見えるが、その実当人は何も信じてないゲッペルス・タイプの扇動家の台頭」と「彼らに玩具として弄ばれる事を拒絶し政治的不活性を維持する中間層」の分裂が進行中。
日本でいうと左右陣営問わずこういう意見が投稿される様になった辺りに「政治的ニヒリズムの浸透」が感じられたりして。
政治記者なんか、もう政府のコピー機なので、どうせなら、人間雇うのやめて、AIにしちゃえばいいんじゃないかな?今流行りだし、そうすりゃ心も傷めないし…。ペンの力も要らないので、同じ筆圧で書いてくれるよw。
— 浦邉 力 (@chikara69) 2017年6月25日
AI政治家いいじゃん。どうせ他人なんてブラックボックスなんだから怖がることないよ。また一歩ピアピア動画に近づくね。Nスペ
— 尻P(野尻抱介) (@nojiri_h) 2017年6月25日
*冷戦時代終焉期のエンターテイメント業界には「人間は必ず間違いを犯す。一刻も早く全ての判断をコンピューターに委ねるべき」と考える「理神崇拝派」と「やがてコンピューターは人間界の党争において最終的に勝利する先天的ナチス(人類存続の為に先手を打って滅ぼすべし)」と考える「人間中心主義派」の衝突が存在した。
*「コンピューターは一刻も早く滅ぼすべき先天的ナチス」…確かに国家を構成する諸勢力の統計的把握を可能としたのはIBMのタビュレーティングマシン(Tabulating machine、パンチカードシステム)の登場だった。そして、そのシステムをナチスドイツがアメリカから輸入した事により(ユダヤ系国民のみを抽出して排除しようとした)ホロコースト遂行が可能となった事実は揺らがない。
*しかしまぁ、こうした考え方は文化大革命や北朝鮮において「将来に優良遺伝子のみを伝える為、富裕層と親日派は一族郎党ごと滅ぼし尽くさねばならぬ」「民族的健全さを保つ為には、心身障害者やLGBTQ層に対しても決然たる意志をもって同様の措置を施さねばならない」と考える「科学的マルクス主義風優生主義」に不可逆的に編入され「安倍や自民党支持者を支持するネトウヨごと滅ぼし尽くさねばならぬ!!」と連呼する「日本における反ナチス抗争」に継承されて現在に至る。その途上では「既得権益甘受者(人間)とその犠牲者(レプリカント)を厳然と仕分けするフォークト=カンプフ(Voight-Kampf)検査」や「変態の寄せ集めとして陰謀を企むハルコネン男爵家」の様な悪夢的イメージが次々と形成されている。
とはいえ現実はそう簡単に予断を許しません。最近その事実を改めて思い知らされたのが以下の投稿。
キムジニャン(塩田今日子訳)『開城工団の人々―毎日小さな統一が達成される奇跡の空間』(https://t.co/tTa2kt11wy)書店で開城工業団地をヨイショする本(元盧武鉉政権関係者)の本を見かけたのですが、ページをめくりながらオッと思ってしまいました。
— 北浦和さくら (@MValdegamas) 2017年6月25日
個人的には、基本、太陽政策支持なんですけどね。明確な根拠があるわけではないですが、北朝鮮の市場化が後戻りできないところまで進んだ時期が、韓国の進歩派政権時代と重なっていることには、一定の関係があるんじゃないかとは思うので。もちろん、それだけではないでしょうけど。
— yonemura koichi (@micungengyi) 2017年6月25日
ただ開城工団は先進的な工場運営の仕組みを伝えることができるだけで、経済システムとしては社会主義なので、もう役割は終えても良い気がします。安保理制裁との兼ね合いが難しいですが、開城再開より5・24措置をやめて南北間の民×民ビジネスを作る方が北朝鮮社会の変化には繫がる気が。
— yonemura koichi (@micungengyi) 2017年6月25日
産経は嫌いだけど、原子力については冷静な記事が多い。きちんと取材して監視・評価検討会の資料にも目を通しているんだな。
— あさくら めひかりフライ (@arthurclaris) 2017年6月25日
完成間近の凍土壁…立ちはだかる梅雨「水との闘い」正念場 福島第1原発、建屋流入量の増加懸念 https://t.co/9mxYvf26ym
思えば、私がここで働き始めた時、雨との主戦場はタンクエリアの堰だった。雨の中・みぞれの中、フル装備で一晩中屋外でポンプを回し、屋根代わりの仮設シートを補修していた。
— あさくら めひかりフライ (@arthurclaris) 2017年6月25日
今はフェーシングが進み、地下水バイパス、遮水壁、サブドレンが動き、建屋内に流入してくる地下水を迎え打つ。
かつて完全装備で雨と戦い、私がパンツまで汚染したエリアは、今は全面マスクもタイベックスーツも不要になった。
— あさくら めひかりフライ (@arthurclaris) 2017年6月25日
先程もツイートしたけど、ダスト濃度は一般区域と変わらない。
これは凄いことですよ。
相応の強烈な理由がない限り、決して反対意見を排除しないのが「21世紀の自由主義」なのかもしれません。まぁ、それはそれで色々と難しい問題を生み出します。
学生のプレゼンにコメントすると、「どうして批判するんですか!」と激怒されることは随分前からあった。よくできました以外のコメントは全て悪口や人格否定だと思っていて、それが批判だと思っている学生は多い。なので、そういう学生が他の人を批判するときには、単なる悪口になりがちになる。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2017年6月24日
レポートを書かせる時などにも、批判や批評と非難は違う、褒めるのも批判や批評になる、だけどなぜそう思うのか理由を論理的に示す必要がある、と説明してる。プレゼンで他の学生にコメントさせるときにも、欠点はいらないので褒めて、なぜ褒める価値があるのか論理的に説明するようにとしている。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2017年6月24日
若者が批判という言葉を、悪口とかいちゃもんとか人格否定という意味で使ってるのはそうだろうが、その使い方は間違っているから訂正しろとはっきり言わないと、他人の意見を人格攻撃とは違う位相で丁寧に批判する文化が喪失しかねない。そういう意味の批判なら分かる、とか擦り寄ってどうする。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2017年6月24日
クソリプ失礼します。
— アキカン (@P_Akikan) 2017年6月24日
自分のイメージでは、「小さい頃から批判と言って理不尽に否定されてきたから『批判』=『否定』」となっているのではないでしょうか。
何が言いたいかと言うと、“既に親世代が批判を否定で使ってる”と感じる
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーも「職業としての学問(Wissenschaft als Beruf)」「職業としての政治(Politik als Beruf)」辺りで警鐘を鳴らしてるけど、こうした視野偏狭が広がって「党争における勝利が全て」という発想が国民の末端にまで浸透するのがヤバいのです。それこそが「ナチスの勝利」の大前提だったりする訳です。