諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】安倍政権は「擬似左翼」。なら今のサヨク(自称「進歩派勢力」)は?

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こんな最近のサヨク(自称「進歩派勢力」)は千坂恭二氏にすら喧嘩を売る模様。

もし安倍政権が「擬似左翼」だとしたら、今のサヨク(自称「進歩派勢力」)は一体何に当たるのでしょうか?

どうやら欧米の流行に振り回されてるだけで「独自の政治的立場を貫いている」という訳でもなさそう? 同時にそれは「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマの到達点の一つであったとも。

ソ連崩壊(1991年12月)によって「科学的マルクス主義」は疑似科学領域落ちが確定。f:id:ochimusha01:20170703034953j:plain

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それ以降、迷走状態に陥った「(エコや動物愛護や反原発といった「個別的なるもの」方面に逃げなかった)正統派左翼」は(フェルマーの最小時間の原則に従って)「売国左翼」か「一揆主義」の二択を迫られる展開に。

「最小時間の原理(フェルマーの原理)」と「最小作用の原理」: 研究と教育と追憶と展望
最小作用の原理はどこからくるか? - 物理Tips

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①「売国左翼」日本共産党ソ連中国共産党の「採算度外視の切り崩し工作」に苦しめられてきた。一説によれば彼らはそうした時代のプロパガンダの落とし子なのだという。1970年代から1980年代にかけて猛威を振るったが、当時がソ連や中国においては科学的マルクス主義の衰退と「祖国防衛戦争に愛国心の拠り所を求める保守化」が進行した時期だった事を考え合わせると中々興味深い。

  • どうして「売国」なる形態に落ち着かざるを得ないかというと、究極的には植民地支配への抵抗運動なるもの「宗主国の全財産を奪い尽くし、全国民を輪姦し尽くし、収容所での拷問によって一人残らず絶滅に追い込む」まで感情的に収まりがつかず、これに宗主国側として寄り添うには「全国民を生贄に捧げて自分だけは名誉市民として生き延びる」道しか残されていないからである。

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  • 現実にはそんな選択肢など存在しない。革命や独立戦争が達成されると概ね(生かしておくとドサクサに紛れて全権を握ろうとする)彼らの様な存在は真っ先に粛清され全滅させられるのが普通だからである。皮肉にもオウム真理教サリン散布事件(1994年〜1995年)に連座する形で日本赤軍への同情が消滅する以前、すなわち「国外に脱出した新左翼運動家が(国内における敗北の鬱憤を晴らすが如く)海外で胸のすく国際的活躍を見せる」船戸与一のハードボイルド小説(1984年〜1991年)が飛ぶ様に売れていた時代にはかえって左翼はそうした過酷な現実について自覚的だった。
    *現実のアメリカ独立戦争フランス革命が「理想の市民革命」への変貌を果たすまでにしばらく時間を要した様に、この種のファンタジーの完成もまた「現実の忘却」を必要としたとも。

  • 所謂「しばき隊系勢力」には確実に「白人を皆殺しにするまで人類平等の理念は回復されない」「男尊女卑は黒人が守り抜くべき民族的伝統文化」などと主張してきたBlack Panther党やNation of Islamといった「黒人公民権運動の負の遺産」の劣化コピー 的側面が見受けられる。Black Panther党やNation of Islamが一般の黒人から忌避されればされるほど彼らの擁護に熱狂していく(何しろ「デモに連動した近隣商店街の略奪」や「シカゴFB拷問実況事件」にすらそれなりの正義を認めている)米国リベラル層こそが「売国左翼」の原型とも。
    *米国リベラル層が過激派黒人を応援せずにはいられないのは、ヒッピー運動全盛期において、黒人公民権運動との共闘が実現しなかった事への贖罪意識のせいとも。

一揆主義…要するにオーギュスト・ブランキ(Louis Auguste Blanqui、1805年〜1881年)の事。19世紀フランスにおけるほとんどの革命に参加し、のべ33年余りにわたって収監された筋金入りの革命家。
オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』書評:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online

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  •  イタリア独立運動の嚆矢となった炭焼党出身のこの人物は「少数精鋭のエリートが結成した秘密結社による暴力の行使も辞さない政権奪取」しか認めず、なおかつ「革命や独立戦争勝利はない。何故なら勝利した瞬間から腐敗が始まるからである」とも考える徹底的なまでのニヒリストだった。
    *要するに「革命家なるもの、革命の渦中においてしか存続を許されない」という現実をあえて直視するスタンス。

  • ある意味「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに対する究極の処方箋とも。皮肉にも、その意味においては(多種多様な政治集団の勢力均衡にその安定性を依存する)議会制民主主義と等価の関係にあり、決して既に寿命が尽きた思想とはいえない。
    *その理念の政治的実践が不可能な状況下では文学方面に活路を見出したりする。その意味においては、純粋な政治的運動といえない側面も。

要するに日本もまた国際トレンドに従って「(中道右派中道左派の寄り合い所帯たる)現状維持派」と「(互いに殴り合いながら、必要に応じて共闘もする極左と極右の寄り合い所帯たる)現状懐疑派」に二分されつつある?