またもや民進党が捨て身で渾身のブーメランを放った模様?
民進党の蓮舫代表は4日の党会合で、「最前線で引き続き頑張りたい」と述べ、代表を続投する意向を表明した。
蓮舫氏は会合で都議選について「極めて深刻で、非常に残念な結果となった」と反省の弁を述べたうえで「猛省をし、厳しく総括をして改善していきたい」と続投を表明。会合後、記者団に「地方選なので、直接的に責任をどうこうとは考えていない」と強調した。
早々の続投表明に、党内からは不満の声も上がっている。加計学園疑惑調査チーム共同座長を務める桜井充元政調会長は4日、記者団に「執行部が誰も責任を取らないのはおかしい」と批判。同日開かれた旧維新の党の松野頼久衆院議員らのグループ会合では、蓮舫氏らの責任論が噴出した。
都議選投開票日の2日には、憲法改正の議論停滞などを理由に藤末健三政調会長代理が離党届を出したばかり。民進党は、自民党惨敗に乗じ、政権批判を強めるが、足元はぐらついている。
*こうした展開が「安倍政権は都議会選における歴史的敗北の責任をとって総辞職すべし」なる声を打ち消した。彼らが「安倍政権打倒を目指すのは良いとして、代案はあるの?」と問われて自暴自棄に陥り「まずそんな屁理屈を捏ねて我々の正義に逆らう輩を一人残らずガス室送りにするのが我々のナチズムとの戦い方なのだ!!」と言い出したのもさもありなん。安倍首相に投げつけられた聴衆からの退陣要求の模様は、テレビでも流されることになるだろう。しかし、勝負はこれからだ。きょう(7月1日)の秋葉原を、安倍政権の終わりの始まりにしなければならない。
— 数学 M (@rappresagliamth) 2017年7月2日
↓https://t.co/xqi6bG4oz5
なんだか「安倍政権をヒトラー、自民党をナチスと弾劾する日本共産党独裁」みたいな構図とぴったり重なってくる様です。
日本共産党委員長の志位和夫は2,000年から委員長やってます。16年間、日本共産党のトップだったわけです。この間、改選はありませんでした。
党首に任期無く、改選を動議する党員もおらず、党首選挙は無い。実質、この人がやりたいだけ党首をやってられるのです。これは、一応トップに任期がある中国共産党より、独裁色が強く、北朝鮮やポルポト時代のカンボジアのような有様となっています。
*というより中国共産党やベトナム共産党といった「現存し、かつそれなりに国際協調体制下で成功を収めている共産主義国」において、むしろそんな展開は有り得ない。和夫が党首になった2000年、共産党の衆議員は20名でした。今年は21名になりましたので、和夫の功績と言えば16年間で衆議員を1名増加させた、ということになるのでしょうか。
16年やって1名増加が、そんなに功績なんでしょうか。一般共産党員はそのことに不満も言えないのです。もちろん、党首選が無いのだから、自分たちのリーダーは自分たちで選ぶ、という1票を行使することもできません。完全な独裁です。
*ちなみに文化革命当時「健全な愛国青年こそが国で最も尊ばれるべき」と考えて紅衛兵を組織した憤青の鬱屈したエネルギーは次第に遺伝子的優生論と結びつき、外国人や障害者排斥運動を伴う様になっていった(毛沢東が彼らの下放を決意した最大の要因の一つとされる)。その思考様式は北朝鮮に温存され、韓国の従北左派や日本の共産党系青年集団にも影響を与えているという。どうやら「若者の鬱屈を政治利用するだけで、その声に一切耳を傾け様としない権威主義的中央集権体制」は(その憤懣が自分達に向くのを恐るあまり)ガス抜きとして彼らのそうした「不道徳」を次第に必要悪と認めざるを得なくなっていくものらしい。ナチスを倒すのに手段なんて選んでいられないんだよ?*まぁ、かくして「健全者の自尊心をないがしろにする障害者対応の横行」を「一刻も早く撲滅すべき安倍ナチス政権独裁の弊害の一つ」に数える人達が現れる図式自体はソ連とコミンテルンから「社会ファシズム」のレッテルを貼られたドイツ社会民主党(いわゆる「ヴァイマル共和制」)の政治的経済的無策に対する若者の憤懣を共産党やNSDAP(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei、国家社会主義ドイツ労働者党)が吸収していったプロセスと重なるとも。
ヨーロッパは200年以上も下からのナショナリズムを形成してきた左翼の歴史があるけど中国以外の左翼ナショナリズムは自力で下からのナショナリズムを形成して政権奪取したことがないからね。日本の右翼思想だって下から作った歴史は浅いし皇道派や三島みたいに立ち上がっても潰されてます。
— 是々非々が大事@イナダサイ (@loveforeverkana) 2017年7月4日
* まぁこの分野においては「傷痍軍人となって帰国するくらいなら名誉の戦士を遂げた方がマシ」が合言葉だった「大日本帝国の軍国主義化を支えた近代右翼思想」も全然人の事が言えない側面が備わっていたりする。確かに「軍国主義」と「身障者保護」の間には切っても切れない共依存関係が存在するのである。
*江戸川乱歩「芋虫(1929年)」が軍部から睨まれたという話もさもありなん。現代人の観点からすれば、むしろ「右寄りからの批判も左寄りからの戦争の悲惨さ云々の賞賛も意に介してなかったってのがいい」という指摘も。
*そういえばマーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ(Gone With the Wind、1936年)」にも、南北戦争渦中において「年端もいかない南部の深窓の令嬢」達が真剣に「障害の程度次第によっては、既に聖戦参加の大義名分は果たしてるし、再徴兵もないしお得じゃね?」と傷痍軍人との結婚について真剣に話し合う場面が登場する。実際「戦場で下手に勇気を発揮して傷痍軍人として故郷に戻る羽目に陥入れば、残りの人生全てを棒に振る」では最前線の兵士の士気に関わる。それで様々な工夫が凝らされたし(「風と共に去りぬ」にも「傷痍軍人向け結婚斡旋センター」なんてのが登場する)まさにこの次元における駆け引きこそが「性選択の主体」たる女性にとっては当時の最前線だったのである。この辺のドロドロへの言及抜きに(国家間の競争が全てに最優先された)総力戦体制期(1910年代後半〜1970年代)は語れない。まぁ映画化(1939年)に際して、あっさり全削除されてしまった要素でもあるのだが「亭主元気で留守がいい」なる流行語の裏には、確実に「(子供の父親でもある)夫を、そう簡単に消耗品として使い潰されてしまっては困る」なる恋人/妻/娘の切実な本音が表裏一体を為す形でガッツリ組み込まれていたという次第。
もしかしたら、全ての根源にあるのはベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体(Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism、1983年)」の中で述べた「市民革命の理想視はむしろ現実のアメリカ独立戦争やフランス革命の忘却によって成立した。かかる状況が現実世界に革命の可能性をもたらすと同時に、一旦実践に移された革命がその無慈悲さによって当時者を打ちのめす不毛な繰り返しを産んだ」ジレンマなのかもしれません。いわゆる「ブーメラン」は、既に歴史のそうした段階において仕込まれていたとも。
*それにしても、どうして必ず「人類は全て平等に扱われなければならない」なる崇高な理念はしばしば残酷無比の民族浄化に結びついてしまうのか? 実際「人類平等の理念を実現するには、特定の誰かを滅ぼさねばならぬ」という発想こそが「(王党派と教会支持者が蜂起したヴァンデ反乱を鎮圧する為に)女子供を優先的に襲って妊婦の腹を裂き赤ん坊を竃に投げ込む」ジャコバン派恐怖政治の代理人としての「地獄部隊」、ナチスのユダヤ人に対するホロコースト、ポルポト派政権によるベトナム系市民への民族浄化の原動力となってきたのである。
さらなる悲劇は「特定の政治的苦境を解決する処方箋として登場する革新的思想の寿命が思うより短いのに対し、手段を選ばず伝統的思考様式の「最良の部分」を未来に継承しようとする保守的思想の寿命は思うより長い(ハンガリー出身の経済人類学者カール・ポランニー)」「いかなる革新的思想も、一旦政権奪取に成功すれば保守的思想への転落を余儀なくされる(「19世紀欧州において左右両陣営から最も危険視された一揆主義者」オーギュスト・ブランキ)」といった達観への到達とも。
そして21世紀に入ると遂に「老兵は死なず。消え去りもしない」現実が浮上する展開に。「(全体主義が猛威を振るった)20世紀に対するノスタルジー」の最後の残滓。
— あかり大好きbot (@akari_daisuki) 2017年7月4日
さて、こうした時代にあって「一刻も早く倒すべきナチス」なる罵倒語は何を表すスローガンへとして成長していく事になるのでしょう?