諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「典型的ナチス論法」について。

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オーストリアの名家出身で、実際にナチスからの迫害を受けて英国への亡命を余儀なくされたピーター・ドラッカーは「正義の絶対的批判者」の仮面を被る一方、自らへの言及は決っして許さないのがナチスの典型的やり口と断言し、これに反駁する形で自らのマネージメント理論を構築してきました。

まぁこの手口で(ソ連コミンテルンから「社会ファシズム」のレッテルを貼られた絶対悪たる)ヴァイマル共和制をドイツの共産党共闘して打倒した後、さらに「共産主義者が政権側に存在していいと思いますか?」 と問題提起して彼らをも粛清。以降共産主義者達の間には「ナチスこそ真っ先に倒すべき絶対悪」というイメージが刻み込まれる事になったのです。いずれにせよ気付いたら国民の選択肢は NSDAPしかなくなっていたというのが当時の実情だったという次第。

ナチスは色々酷い事もやらかしたが、実は政党としてのナチス自体にはどれほど独善性はなく、その独善性がどこから来たかが問題だったりする。

*上掲のピーター・ドラッカーの回想で最も興味深いのは(比較的リベラル寄りながらそれまで熱狂的にナチスに協力してきたのに、後に「長いナイフの夜(1934年)」であっけなく粛清された)SAの隊員から「君には一緒に最後まで戦い抜いて欲しい」と申し出られた時に最もゾッとしたという記述。おそらく彼の目には既にSAが必然的に辿り着く破滅的未来が既に見えていたのであろう。(7月王政期はオルレアン派として繁栄を甘受した)ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル(Les Misérables、1862年)」が称揚した六月暴動(1832年)と同種の構図。「民衆の歌(Do You Hear the People Sing?)」など歌った方が負けなのだ?

 現在「(マスコミのプロパガンダに支えられた)急進左派リベラル」や民進党が目指してるのはまさにこの路線なのかもしれません。とはいえその実態はむしろお寒い限り…

しかしながら、この間の都議選を見てる限り、まず公明党とか日本共産党といった「元来なら騙されるだけ騙された後、あっけなく粛清されて消え去っていってくれる筈の愚かな人々」こそが過去を正しく反省し、逞しく正しく「政治家」として育ってしまった感もあったりします。

まぁ2月/3月革命(1848年〜1849年)直後に開催された「フランス初の普通選挙」四月選挙を制したのも「組織的動員力に優れる」王党派でした。

しかしながら実際の彼らは「王制や教会が失った既得権益の回復」を最優先課題と考え、現実の外交問題や経済問題を蔑ろにする「烏合の衆」に過ぎず、その隙を突く形で「馬上のサン=シモン主義者ルイ・ナポレオン大統領がクーデターを起こし第二帝政時代(1851年〜1870年)が始まってしまった訳です。
*その一方で選挙で大敗した怨恨から(オウム真理教サリン散布事件(1994年〜1995年)の如く)暴力的蜂起に踏み切った急進左派はまとめて植民地に流刑とされる展開を迎える。当時と比べると「彼ら」はさらに格段の進歩を遂げている?

むしろこうした「生々しい政治的現実」もまた「ナチス再来」を遠ざける重要な抑止力になっていたりして…