よく「子供は大人の教える事を覚えるのでなく、大人の実際の振る舞いそのものを模倣しながら成長する」といいます。発想の原点はタルドの模倣犯罪学あたり?
1318夜『模倣の法則』ガブリエル・タルド|松岡正剛の千夜千冊
発達からみた、子どもの「模倣」の重要性 | NPO法人 療育教室 楽しい広場
ランドセルが1個4万円するのを「高い」とか「ぼってる」とか言うのは自由だけどさ、総革張りであのサイズのバックパックで、紙の束をぎっしり詰め込んでも6年間耐えられてワンタッチ開閉機構つきの品にたった4万も払えないってのはものつくりの仕事を否定するのと同じだよね。
— 黒星 (@kurohoshi_P) 2017年2月9日
絵を描いてくれという小学生の姪っ子にからかって「お給料くれたら絵かいてあげるよ」って言ったら「ネットで無料で見れるのにお金払うのはおかしい!それにあなたは働いてるんだからタダで描いて!」って言われて₍ああ、これが未来か)って思った。
— つきと(3歳) (@8tkt4) 2017年6月30日
担当している男子小学生が、私が重要な説明をしている時に大声で妨害したり、女の子が話しているときに煽ったりするのが最近やたら増えたので叱ったら、「なんでやったらダメなん?大人は毎日テレビでやりようやん」とか言われたので、言葉に詰まってしまった。
— ましんめいかー (@machinemakerP) 2017年7月4日
「頭が良い」とは笑いが取れることであると考える人が増えているという話で議論になっているようですが。笑いはさておき「頭が良いなら何でも分かりやすく解説してくれるはず」論を見ても分かるように、いま「頭が良い人」に求められている中身は「気の利く召使い」だなとは思う。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年6月16日
かつては、「賢い=偉い」という枠組みが強かった。だから、ハイデガーのような賢人が、賢人のみに理解できる仕方で書いた、必要以上に長く難解な書物が好まれた。それを読破することは、権威との同一化、誉れにつながり、需要があった。今はその枠組みが衰退したので、賢人が召使になったのでは
— ぐれびっち (@Mikoyan29) 2017年6月16日
さて、こうした時代の子供達はどんな大人に育つのでしょう?
『いまの若者は「批判」を「悪口」や「人格否定」と捉えている』とかいうのが流れてきて、あーこれが「最近の若者は」か、と思って感動してる。どう考えても若者に限った話ではなく日本人の全世代的に共通する問題なのに、あたかもそれが若者だけの問題かのように眉をひそめてみせる老害の図が浮かぶ。
— ビール大好き (@nakamukae) 2017年6月26日
批判がダメというよりは、「共感が擬似貨幣価したこと」が原因で、「批判=共感をマイナスにされた」というマインドが形成されつつあるんじゃないかなぁと思う。
— 深津 貴之 (@fladdict) 2017年6月27日
ある意味こういう流れ(党争の純粋化)の進行が「ナチス再来」を準備したりするものです。「(他者同士の衝突を不可避とする)個別的なるものへの多種多様な執着心」を完全に捨て去る事に成功すれば、後に残るのは単なる人間の抜け殻だけ?