諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【峰不二子】【ラムちゃん】【メーテル】1970年代と1980年代をつないだアニメヒロイン達?

f:id:ochimusha01:20170827012657j:plain

そういえば1970年代に登場した「キューティー・ハニー(1973年〜)」「魔女っ子メグちゃん(1974年)」「けっこう仮面(1974年〜1978年)」といった(ウーマンリブ運動の追い風を受けた)モーレツ系ヒロインと1980年代魔法少女の狭間には、こんなヒロイン達も存在したのでした。

カール・セーガンいわく「進化とは時間と死の積み重ねによって進行する」。「風の谷のナウシカ(原作1982年〜1994年、アニメ映画化1984年)」における主人公ナウシカの「私は、自分の姉さんや兄さんになる筈だった人達が母の胎内の毒を担ってくれたからこそ生まれました」なる台詞を彷彿とさせる展開です。
*これおそらく元ネタは映画「子鹿物語(The Yearling、1946年)」冒頭の「主人公の兄弟の墓石が並んでる場面」。藤子不二雄もこの作品にインスパイアされた短編を残してるし「スパイダーマン:ホームカミング(Spider-Man: Homecoming、2017年)」におけるロバート・ダウニー・Jr.の「駄目パパ」演技もこの作品におけるグレゴリー・ペッグの名演が大元。

*「ナウシカ=レイ」「ルーク=ユパ」「フィン=アスベル」「キャプテン・ファズマ =クシャナ」という解釈だけではカイロ・レン(アダム・ドライバー)の立場が弱い。それで岡本喜八版「大菩薩峠(1966年)」を援用して「ルーク=島田虎之助(三船敏郎)」「カイロ・レン=机竜之助(仲代達矢)」となる展開を予測する向きも。あとキャプテン・ファズマには、是非醜い傷跡を見せて「ジェダイにか?」と問われ「我が夫となる者はさらにおぞましきものを見るだろう」と発言して欲しいとも。

世界に手が届いた」という事は「世界の手が届いた」という事でもあるのかもしれません。我々が深淵を覗く時、深淵もまた我々を覗き返している…