諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【思考実験】科学実証主義からトンデモ理念が派生する流れ

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ざっくり要約すると、実証科学の一分野としての社会学の世界においては原則としてあくまでそれぞれ「方法論的集団主義」も「方法論的個人主義」も仮に選んだ前提に過ぎず、双方の立場ともそこから導出された分析結果を自分の立場から再構築して取り込んでいきます。これは心理学の分野における「自我心理学」と「対象心理学」の関係と同じで「信頼出来るデータは共有」「解釈はそれぞれ異なるが論争に耐えるだけの理論武装は互いに欠かさない」といった感じ。まぁ実際にどれだけ上手くいってるかはともかくとして、理想としてはそうものなのです。

例えば私のこの考え方。

  • コールバック制御による空ループの連鎖」による水平展開と「空ループ内に記述された他ループとの関係定義の垂直展開」の二軸構成。
    ES2015 の機能を使用したイベントフローの制御 – monoe's blog

  • ここで「垂直展開」というのは、その振る舞いが空ループ自身の「外部認識の解像度」に著しく左右されるからである。低解像度過ぎると入出力も挙動も御伽噺めいた極端な形を取る事が多くなって実用性を欠き、その逆に高解像度過ぎると処理限界を超えてオーバーフローを起こしてしまう。そういったファクター。

    識別と認識 - 必要な解像度 | Axis Communications

  • つまり「適切な内部構造」「適切な入出力」「適切な解像度」が揃ってはじめてここでいう「空ループ」は正常動作する。

    ならば誰が如何なる基準に基づいて「適切」と判断を下すのか? この辺りから問題が急速にメタ性を帯びてくるのである。

ちなみにここでいう「空ループ」は全て実体としては「メモリ上に置かれCPU(群)によってハンドリングされるオブジェクトの集合」に過ぎず「実際の入出力(HDDや通信機器を含む外部デバイスとの交信)」は全てそれぞれの空ループがインターフェース経由で行うものとする。こうすれば既存のコンピューターのアーキテクチャーがほとんどそのまま流用可能となるのである。

システム全体を「ある特定の人物の認識空間」と想定すれば「(対象心理学寄りの)個人心理モデル」。各空ループを個人に割り振れば「心理社会学モデル」、社会学的諸概念に割り振れば「社会学モデル」となりどの立場からでもそれなりの形で利用可能。まぁ事実上、一般的コンピューターの動作概念を、ほぼそのまま転用してきただけですから汎用性が高いのも当たり前。
*このモデルの最大の特徴は「解像度」概念導入によって「知人とは温厚な会話が成立するのに、ネット上のアカウントに対してはつい荒い反応をしてしまう人」が理論上扱えそうな辺り。しかもそのノウハウは「方法論的個人主義」の分野だけでなく「個人心理分析」「方法論的集団主義」といった異分野とも共用されていく可能性を秘めている。逆を言えばこの部分のインプリメントこそがシュミレーターとしての質を決定する。

*その一方で「(外部からの特定の刺激に対して脳の特定の部位が活性化するという)クオリア仮説」や、これに立脚する生理学的象徴主義仮説は専用のソフトとハードのアーキテクチャーの設計が不可欠でこうした汎用性がありませんし、実際に稼働する現実的モデルを構築する為のデータ蓄積も十分に行われているとはいえない。この違いはどうして生まれたのだろう?

そして問題はこうした「仮説に基づく解釈」がしばしば流出して「科学的裏付けがある強固な理念」として世に流布してしまう事だったりするのです。

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 ①19世紀末、マルクス主義者達は「犯罪癖は主に(家庭内や近隣同士の間での)模倣を通じて伝播する」としたタルド(Jean‐Gabriel de Tarde、1843年〜1904年)の「模倣犯罪学」を「それを超えて社会的事実が実在する」としたデュルケーム(Émile Durkheim、1858年〜1917年)の「方法論的集団主義」が「論破」したのを大変喜んだ(社会実在論。実際には多数派工作によって論陣を制しただけとも)。何故ならその考え方はマルクス(Karl Heinrich Marx、1818年〜1883年)が「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」の中で述べた「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」なる「上部構造論」と合致する箇所が多かったからである。一方デュルケーム自身は産業革命導入による伝統的共同体の崩壊を嘆き「それに該当する何か」を再建する必要があるという立場からこれを提唱したとされている。
*「社会的事実」…あるいは集合表象(直訳だと集合意識)。個人の外にあってその行動や考え方を拘束する、集団あるいは全体社会に共有された行動・思考の様式。デュルケームの甥であるマルセル・モースによって文化人類学的分類の基礎付けに利用された事でも有名。
1318夜『模倣の法則』ガブリエル・タルド|松岡正剛の千夜千冊
デュルケームの社会学

②しかしやがて共産主義圏そのものにおいては(唯物論民主集中制と相性が良い)パブロフの条件反射生理学が勝利。「人間の社会認識は幼少時からの条件反射の積み重ねによって構築される」なる考え方が教条主義的正論となっていく。
*むしろ「伝統的共同体及びその発展形としてのコミュニティ」なる原義そのものが科学的マルクス主義の立場から「前時代の遺物」の烙印を押され全面否定される展開を迎えたとも。そしてここから「過去の因習はその一切を全て捨て去らねばならぬ」と断言する原理主義進歩主義者や、戸塚ヨットスクール校長が提唱した「人間の脳は頭を叩かれるほどドパーミンが分泌され回転が速くなる」といったトンデモ理念が派生する。

*一方、子供の頃から本多勝一「中国の旅(1971年)」を読ませ、反戦映画「戦争と人間(1970年〜1973年)」や反戦漫画「はだしのゲン(1973年〜1985年)」の様な作品を繰り返し鑑賞させ続け暴力に対する嫌悪感をしっかり植え付ければ「戦前を反省し戦争を憎む正しい大人に成長する」なる理念はおそらくこうした共産主義圏における展開に起因すると推測されている。しかし実際には例えば中国の反戦作品に模倣され、連日の様に略奪場面や輪姦場面や虐殺場面を繰り返し鑑賞させられ続けた結果「報復として同じ事を日本人にもしてやる事が正義の遂行」と信じる憤青集団を大量発生させる展開に。困った事にこの件について事態はタルド模倣犯罪学に従って進行した様である。

③その一方でタルドは「群集は直接対面的な関係によって結合する」としたル・ボンの群集心理学を批判。「世論と群集(L'opinion et la foule, Paris: Félix Alcan、1901年)」において「メディアを介した遠隔作用によって結合する公衆」なる概念を提示。ハリウッド業界の映像倫理規程などに影響を与え「映画やTVから喫煙場面を完全駆逐すれば、やがて誰も煙草を吸わなくなる」 といったトンデモ理念の発祥源となる。
*アメリカにおけるこの問題のややこしさは単なるリベラルと保守派の対立だけでなく「(概ね自分はリベラル派のつもりでいる)プロテスタント原理主義者の(概ね彼らから守旧派と罵倒される)カソリック陣営に対する不信感」が加わってくる辺り。

*アメリカで人種差別的観点から「黒人を一切メディアで扱わせない運動」が起こると日本のリベラル層もそれに追随し、人種差別反対の立場から同種の運動を繰り広げた。当時の日本における黒人イメージの扱いに問題があったのは確かだが「メディアから一切追放」なる処方箋は後世に悪影響しか残さなかったのである。

トンデモ理念はさらに、こうした「前提の違いから相互に対立関係にある理論」を無造作に融合させたり任意に改変したりしながら勢いを増していきます。

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実は「(中央集権化や貨幣経済の浸透によって次第に崩壊が進んだ)領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義権威主義の伝統」なるもの、実はその内実が地域によって恐ろしいまでに多彩なのです。逆を言えば中央集権化や貨幣経済の浸透が果たした最大の役割は「社会均質化の尖兵」だったという事。こういう事情により歴史学者は「ごく一部の地域の断片史を細切れにしか示せない」制約を受けており「世界すべての幸福について一括して語る事しか許さない」グローバル系トンデモ理念には到底歯なんて立ちません。
*ここでいう「社会」はまさに当初は「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義権威主義の伝統」そのもの。それが中央集権化や貨幣経済の浸透によって次第に変質し、最終的に「現存するその系譜の残滓」に到達したと歴史的に解釈した場合に浮かび上がってくる機能や構造という事になる。割とタルドの模倣論を援用してた「何が正しいか権威的に決めてるリーダー(群)の振る舞いを真似るアルゴリズム」の導入によってそれっぽいシミュレーションが可能かもしれない。

もはや実際の心理学や社会学の原型は跡形も留めてなくて「人間はどうあるべきか」についての支離滅裂なイデオロギー衝突があるのみ。ただここで興味深いのがナチス台頭期のドイツを熟知したヘルムート・プレスナー(Helmuth Plessner, 1892年~1985年)が「ドイツロマン主義とナチズム、遅れてきた国民(Die verspätete Nation. Über die politische Verführbarkeit bürgerlichen Geistes 1935年)」の中で「科学的実証主義に執着し過ぎ、大衆に対する影響力を放棄した学者もまた有罪」と断言しているあたり。当人は気付いてない様ですが、こうした思考様式にこそ当時のドイツ人がナチス疑似科学性に嵌った原因があったとも。

さて私達は一体どちらに向けて漂流してるんでしょうか?