諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ミレニアム・ファルコン号】「プラモデルの盆踊り」なる歴史的供養イベント

私が最近の投稿で採用してる以下の三段階歴史観

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  • 「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」第一次世界大戦(1914年〜1918年)勃発によるベル・エポック(Belle Époque、19世紀末〜第一次世界大戦勃発)の終焉、戦争遂行の為の国民総動員体制構築などを契機として始まった。

  • 「産業至上主義時代(1960年代〜2000年代?)」…それまで産業報国運動や探検・開発競争といった形で国家間競争に動員されてきた企業やマスコミが、国家に代わって「前近代的身分制の解体」や「国民総動員」といった概念を継承しようとしたがかえって「ある種の解像度の高まり」を引き起こして「多様化の時代」を準備する展開を生んでしまった。

    *フランス料理でいうと(日本の「街の洋食屋さん」文化の大源流たる)デミグラ・ソースやホワイトソースの開発過程が「全体主義への傾倒」、その均等性に飽き足らなくなった料理人が原点回帰して料理の多様化を志向していく流れが「全体主義からの脱却」なるベクトルに対応する。

    *日本においては「冷蔵技術や乾燥技術発展に伴う食生活の充実」「東京オリンピック開催に伴う風紀粛清」などに伴う裏社会との共存関係からの脱却過程、1960年代に端を発する素材革命(ビニールやプラスティックの加工技術の急発展)やファッション雑誌やテレビの普及などが「全体主義への傾倒」、「(衰退した映画産業の起死回生の鍵としての)過剰な暴力やエロティズムの追求(ウーマンリブ運動全盛期と重なりLGBTQ解放運動の先駆となるが、それ自体はまだまだ全体主義的傾向が強い)」「プラモデルの世界におけるスケールモデルジオラマへの志向性の高まり(技術的高度化が「解像度」向上によるリアリティの高まりを追求)」などが「全体主義からの脱却」なるベクトルに対応する。この過程でSF作品の主流も「国家規模のプロジェクトを主導する博士達の物語」から「国家間や企業間の競争の矛盾を押し付けられて苦悩する庶民達の物語」へと推移した。

  • 「多様化の時代(1990年代〜)」…1980年代におけるマスコミや企業の営利追求活動は「サブカル文化のメインストリームへの進出」という展開を招いた。
    *国際的にはデビッド・ボウイティム・バートンアラン・ムーアの躍進や「重機操縦や溶接の免許を獲得して稼げる建設現場に進出する女性の登場」、日本のサブカルだと「宇宙戦艦ヤマト銀河鉄道999から機動戦士ガンダムや1980年代魔法少女が登場してくる流れ」に該当。

    そして1990年代に入るとインターネットの本格的普及が始まり、2000年代後半のトラフイック革命によって「音声や動画の扱えるリッチコンテンツ化」や同様にメインストリームに躍り出る。同時進行で(全体主義的傾向を色濃く残す)従来型フェミニズムやLGBTQ解放運動と「(多様化重視戦略によってパラダイム・シフトを達成した)第三世代」の分離が進んだ。

    *スタジオ・ジブリと「新世代ディズニー」の躍進期でもある。

ここで興味深いのが「量の鬱積が質的突破につながった錬金術的瞬間」が多数散見される事。特に「Star Warsシリーズ(1977年〜)」の登場は画期的だったのです。

 そして当時を偲ぶ企画が「蔵前玩具問屋街」発祥の「ブリキとセルロイド製玩具の輸出企業」を出発点とする某企業によって実現…
*東京を訪れる外国人観光客の多くが「浅草にJRで直接向かう方法」が存在しない事に驚く。だが「伝統的に庶民の文化的中心地として栄えてきた地域」が行政網から忌避され、隔離されている事自体は意外と世界共通の現象だったりもする。

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この企業の歴史自体があなどれません。

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    • 「ミリタリー分野におけるリアリティの高まり(スケール徹底やジオラマ志向)」に後押しされた静岡木製ソリッドモデル勢とはまた異なる形で「玩具がテキ屋の仕切る縁日の主要商品の一つだった時代」からの脱却を果たし、近代的プラスティク産業に参入。
      *欧米においてすら「電動(Battery Operated)」とか「TV式ロボット(Televisoin Robot)」みたいな言葉が独特の輝きを帯びていた時代…

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      *アメリカのシステム・キッチンやピカピカの調理器具も垂涎の的だった。

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    • そして「宇宙戦艦ヤマト」時代に「ゼンマイ走行」や「発条ミサイル」の世界から脱却。さらに「(各キャラの世界観を超えた合体が楽しめる)マグネット関節ロボ」や「(分割販売式巨大メカの一部としての)生首マシーンや切身戦艦」との壮絶な競争に突入。
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    • そして「ガンプラが日本人に行列を作らせた時代」に至ってやっと(静岡木製ソリッドモデル勢に取って代わる形で)時代の寵児となる。
      富野由悠季監督いわく「ガンダム最大の画期は敵が地球を侵略しにきた宇宙人や人類支配を目論む古代帝国ではなかった事」。

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こんな歴史を有する企業が「プラモデルの盆踊り」の「喪主」として名乗り出た事自体が歴史上における一つの画期とも。

ミレニアム・ファルコンのプロップは実物大から手のひらサイズのものまで、大小さまざまなものが作られましたが、バンダイが今回挑戦したのは「オリジナル」と呼ぶべき、Ep.4(『新たなる希望』)で使用された全長1.7mのモデルを再現することでした。

マニアはプロップを区別するため、これを単にミレニアム・ファルコンと呼ばず、「1.7mモデル」と呼びます。

パーフェクトグレードのミレニアム・ファルコンは、設定全長である34.75mの1/72スケールという表記でありながら、本当のところは1.7mモデルを全長482mmに縮めた「3.5分の1のスケールモデル」であると言えます。

つまりこれ、「プラモデルのパーツで作った撮影用プロップのプラモデル」すなわち、「"模型で作った模型"の模型」なのです。

1970年代までに発売されたプラモデルのありとあらゆるメカメカしいパーツが無数に貼り付けられたプロップの模型なのですから、さながらプラモのパーツの博物館です。

本当に過去のプラモのパーツが入っているならまだしも、開発スタッフが極限まで解析し、地球上のさまざまなメーカーが作った様々なジャンルのパーツを一つずつバンダイが設計しなおして、成形して、売っている。こんな奇妙キテレツなことがあっていいのでしょうか。

しかもそのパーツたちは"実物"の3.5分の1くらいに縮んでいるわけです。なんだそれ。

 上掲のような時代変遷を語る上で欠かせない重要な一角を占めている?