諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【インフルエンサー・マーケティング】日本は良い意味でも悪い意味でも「周回遅れ」?

f:id:ochimusha01:20170908220103j:plain

国際SNS上の関心空間においては「インフルエンサーマーケティング至上主義」こそが「白人男性至上主義」の種火になったとまで言われてます。

まぁ基本的に「(それも教祖か信者への二分を迫る権威主義を背景とした)ユーザー間の差別心理の助長によってコミュニティを活発化させるタイプのビジネス・スキーム」なので、成功すればするほど(集団の維持に「ユダヤ人狩り」や「魔女狩り」の様な定期的迫害が不可欠となっていき)近代的平等社会から遠のくのが不可避という構造。

f:id:ochimusha01:20170908220754j:plain

しかし、そもそも日本にはこうした展開の前提となる没入性、すなわちフェイスブック殺人やオンラインゲーム殺人を日常茶飯事化させる「仮想空間における心理的怨恨を現実の殺意に直結させる短絡性」が希薄な様にも見て取れるのです。

それどころか、むしろ逆にこうした展開が事前に回避される「日本の匿名文化」が逆に欧米に輸出されて解毒剤として広まってきた側面まであったりするのですね。実際4chanの元は「ふたばチャンネル」ですし「(女性、黒人、カソリック(ラテン系中心)といった「Facebook冷や飯組」の共同逃げ込み先として始まった)国際SNS上の関心空間」を牛耳る女子アカウント(多様性の存続を最優先課題と考える第三世代フェミニスト中心)も「日本の女性漫画作品(少女漫画だけでなく高橋留美子荒川弘大今良時あだちとかなどの少年誌連載作品を含む)」をバイブルとし掲げています。

しかしその一方で日本のマスコミや大企業には確実に「産業至上主義時代(1960年代〜2000年代?)の黄金の夢」にもたれかかり、惰眠を貪ってきた側面も存在するのです。

だからこんな無邪気なやり取りが成立する?

 何だろ、この「魔女の宅急便・青春編」を観た時も感じた絶望感…

さて私達はどちらに向けて漂流しているのでしょうか?